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ep.30 ただ無事を祈る

 異形な存在。

 唐突に現れた二足歩行をする蜥蜴(とかげ)。2mほどに身体が縮小し、その異形の全貌が見て取れる。それだけでもかなり不気味な存在だが、それに輪を掛けるのが真っ赤に輝く双眸だ。竜の姿の時には、濁った灰色の瞳だったのにも関わらず、何故か今は魔族のように真っ赤に輝いている。変わらず存在するのは、赤黒い鱗と二本の角くらいだ。その姿が何を意味するのかはわからない。ただ一つ言えるのは、命の奪い合いをする敵であるということ。今はその事実だけあれば十分だ。

 刀を握る手に力を込める。


 さあ、殺し合いの時間だ。



駿動走駆(しゅんどうそうく)

 風の元素を足に纏わせ、蜥蜴に向かって走り出す。

 あの蜥蜴が動き出す前に仕留めれば、この戦いも終わるはずだ。ここにいる誰もが傷を負っている。早急に終わらせないと。

 視線を白く輝く存在へと向ける。そこで初めてその存在の異常さに気が付いた。

 なんだ?あの姿は……。

 蜥蜴にばかり気を取られ、気づくのが遅れてしまっていた。良く見れば、白く輝く存在もまた異形なのだ。


 人型を成してはいるが、明らかに人ではない。身体を覆う白い鱗、額から伸びる『くの字型の角』、口に収まらないのか二本のするどい牙が飛び出している。背中から伸びる翼竜の翼。

 そして何よりも……。

「竜の横顔の紋章の鎧――」

 怨竜(えんりゅう)に薙ぎ払われた男性が身に着けていた鎧を纏っている。男性とどのような繋がりがあるのか不明だ。あの()()も蜥蜴と同類の可能性も捨てきれないが、蜥蜴と戦っていたことは事実。こちらに攻撃してこないのならば無視を決め込もう。


 カミルが攻撃を仕掛ける前に、竜人が動き出した。

 右手を引くと光り輝く槍が右腕を覆った。

「あの槍…やはり……」

 竜人の正体に目星をつけ、()()()()()()()行動することを決めた。

 竜人の右腕が前へと突き出され、槍の尖端だけが切り離され飛び出していく。それはまるでドリルのように回転し、進むにつれ加速する。

 蜥蜴の身体がビクッと跳ね、素早く左腕が動く。

 その動きが意識的なのか、無意識の防御反応だったのか、わからない。確かなのは、蜥蜴が動き出したということ。

 蜥蜴の左手が飛んできた槍を掴んだ。掴んだように見えたが、実際は尖端部分を親指と人差し指の間に通し、包み込むようにして回転を止めようとしている。高速回転を受け止めたことで、蜥蜴の手の鱗がいくつか弾け飛ぶ。次第に勢いを失っていく槍は、回転を止めると霧散していく。

 攻撃を止められた竜人が動く。

 はやい!?

 足を踏み出したと思ったら、蜥蜴の目の前へと移動している。カミルの目には辛うじて移動する姿が見えたが、動体視力が低い人には瞬間移動したように映るのかも知れない。瞬きをしようものなら、竜人の姿を見失ってしまうだろう。

 蜥蜴の方もやはり異常だ。素早い竜人の動きに合わせ、踏み込み右腕を引いている。

 纏った槍が消え去り、竜人の右手が拳を握る。振り被り、蜥蜴の顔目掛けて拳が突き出された。

 竜人の動きに合わせたのか、蜥蜴の右手も拳を握り、竜人の顔目掛けて放たれた。

 お互いの右の拳が、それぞれの頬へとぶち当たる。


 ドォォォォンッ


 衝撃音が響き、拳の勢いで両者の上半身が反るように後方へ流れる。視線はお互いに相手を捉えたままだ。

 力は互角か?それとも様子見?蜥蜴の方が竜人の動きを真似しているような節もある。

 不意に両者の身体の間に白い光が発生した。光は広がり両者の身体を包みこんだ。

 視線を移せば、竜人の後ろでリアが掌を向けている。あの光はリアの光属性魔法のようだ。蜥蜴が魔族であるならば、これほど頼りになる魔法はない。


 ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ッ


 響く叫び声に視線を光へと戻す。

 苦しんでいる。光属性魔法に弱いということは、やはり魔族?いや、そう判断するのは早すぎる。赤黒い鱗を持つ存在だ。元々が闇属性の性質を持っているなら、光属性に弱くても不思議ではない。

 光が収束し、霧散する。

 光から解放され、顕になった蜥蜴の姿を見て驚愕した。

 赤黒い鱗の色はどこへ行ったのか、全身が白い鱗へと変化している。

 カミルには理由がまったくわからなかった。上級光属性魔法について、まだ未学習であり、その効果がわかっていない。

 弱体化したのか…?それならチャンスだ!攻め立てるなら今しかないッ!!

 刀を振りかぶると圧縮魔力を刀身へと流していき「衝波斬(しょうはざん)!」を放った。蒼い輝きを纏う斬撃が再び空を翔ける。

 斬撃に気づいた竜人は後方へと飛び退いた。

 駿動走駆(しゅんどうそうく)で走っていた分、蜥蜴との距離は詰まっている。衝撃波(しょうはざん)が届くまでは時間がかからない。蒼い輝きを放つ衝波斬(しょうはざん)が蜥蜴を飲み込めば終わるはず。これまで戦ってきた言葉を操る魔族がそうだったし、怨竜(えんりゅう)の尻尾を消し去った時も、あの斬撃は有効だった。

 蜥蜴に斬撃が迫る。

 これで終わってくれ…、終わらせてくれ…。

 祈るように斬撃の行く末を見守る。

 斬撃は進むほど巨大化している。近づいている分、怨竜(えんりゅう)に放った時よりか幾分か小さいが、身体が縮んだ蜥蜴ならば飲み込むことは可能だ。

 蜥蜴の身体がピクッと動く姿を捉えた。

 動くなッ!そのままでいてくれッ!!


 カミルの願いは……叶わなかった。


 突如として蜥蜴の身体から赤黒い霧が噴き出した。

 カミルの足が止まる。

 怨竜(えんりゅう)が纏ったあの霧だ…。あの霧は眩い光と拮抗できるほどのエネルギー量だった。衝撃波(しょうはざん)で対抗できるのか?

 放たれたものを今更どうすることもできず、事の成り行きを見守るしかない。

 そこから、蜥蜴にさらなる変化が起こった。赤黒い霧が身体に吸い込まれるように、内側に向かって消えていく。

 防御の為の霧じゃない!?

 霧は完全に消え去り、蜥蜴が再び姿を現した。赤黒い鱗を身に纏って…。

 蜥蜴は色を取り戻すと、蒼い斬撃へと視線を送り、そして動いた。

 後ろにただ飛び退く。それだけ。

 それだけで蒼い衝波斬(しょうはざん)は、蜥蜴の前を過ぎ去っていく。

 カミルはただ呆然とその景色を眺めることしかできなかった。怨竜(えんりゅう)との戦いがようやく終わる、淡い期待を抱いてしまったが為に精神をすり減らしてしまった。

 蜥蜴の首が動き、カミルを見据える。

 フッと蜥蜴の姿が消えた……と思った時には唐突に目の前に現れた。右手の鋭く尖った爪が顔目掛けて押し寄せてくる。


 死ッ……。


 頭に過る『死』の一文字。

 やけに蜥蜴の動きがのろく見える。物事がスローモーションに見えるのは、これが人生で2度目だ。この歳で何度も死が隣にいるのを感じるとか…、何の罰ゲームだよ…。

 蜥蜴の肩越しにリアが悲痛な顔してるな…。最後に見るリアの顔がそんな顔なんて……。


「カミルッ!剣を突き出せッ!!」

 響くリアの声に、反射的に刀を突き出した。腕にグニュッと伝わる感覚が何とも気持ち悪い。

 感触が伝わってくるということは、自分がまだ生きているという証。何故自分が行きているのか…、その答えは単純だった。竜人の右手が、蜥蜴の突き出された右手の手首を掴んで、それ以上進むことを許していなかった。

「剣を薙ぎ払えッ!!」

 竜人が叫ぶ。その声は野太く低い。

 自分の刀が蜥蜴に突き刺さっていることにようやく気づいた。

「はッ!」

 握る柄に力を込め、竜人のいない右側へと振り払う。刀が真横へ滑り始め、蜥蜴の肉を斬り進む。脇腹を突き抜け、刀身が姿を現した。刀の後を追うように、蜥蜴の身体から青黒い血飛沫が吹き出し、草原を汚していく。

 蜥蜴と視線がぶつかる。その瞳から感じるのは憎悪。その名に違わぬ怨嗟(えんさ)を宿す瞳が、カミルの姿を離さない。

 その圧に押され、思わず一歩後退してしまう。

 鋭い爪が、未だにカミルの顔を斬り裂こうと、竜人の手を解くために暴れ回っていた。それでも竜人の手が、蜥蜴の手首を離すことはなかった。

 蒼い輝きを纏う刀に斬られた腹がパラパラと細胞を崩壊させ始めている。

 今度こそ終わりだ。直に蜥蜴の身体は朽ち、絶命するだろう。

 そう思うと、一気に体中の力が抜けた。蒼い輝きも霧散していく。


 カミルは気づかない。蜥蜴の真っ赤に輝く瞳が赤黒く変色し始めていたことに。その瞳はまだ生気に満ちていることに。


 手負いの獣。一番気を抜いてはいけない相手に、慢心から隙を曝け出してしまう。


 蜥蜴の口が開かれ、闇が蠢く炎が顕現する。

 怨竜(えんりゅう)との戦いの中で幾度も見たはずの、闇火(あんか)。その存在がすっぽりと抜け落ちていた。


 気づいた時にはもう遅かった。身体の力を抜き、もはや瞬時に動くことができない。ただ、蠢く闇火を眺めることしかできない。

 何で俺はいつも爪が甘いんだ……。

 悔やんでも時は戻らない。


 闇火が、蜥蜴の頭が徐々に上へと向いていく。

「諦めるにはまだ早い」

 竜人の声が響く。上を向き始めたのは、どうやらこの竜人が何かをしているらしい。蜥蜴の抵抗虚しく、引き上げられていく。

 そして、蜥蜴の顔がガクンと右へ向いた。その先にあるのは、竜人の身体。

 竜人の顔が途端に険しくなった。戸惑い、焦っているように感じられる。

 闇と火の元素の反応が濃くなり、闇火が竜人に向かって放たれた。

 至近距離からの攻撃に、咄嗟に首をカミルの方へと逸らすも、迫りくる闇火に成す術無く身体が飲まれていく。竜人の瞳から生気が抜けていき、虚ろな表情へと変わっていく…。左肩から左腰までの半身を失い、留めていた蜥蜴の顔が解放された。

 自由になった顔が再びカミルの方へと向き直る。


 未だにカミルは動けなかった。闇火を向けられた恐怖と、竜人の身体が飲み込まれた姿を見てしまった。

 俺が不甲斐ないばかりに、この()の身体が…。

 蜥蜴の口が開かれ、闇火が蠢き出す。

 執念深さも怨竜(えんりゅう)と呼ばれる所以かもな。そんな身体になってまで、まだ俺を殺そうってのか…。

 蜥蜴の身体の斬り裂いた腹部はすでに崩れ去り、骨だけ残して身体を支えている。闇火を使った反動なのか、その骨にすら細かくヒビが入り、今にも身体が崩れ落ちそうだ。

 闇火が大きくなるにつれ、身体を覆う赤黒い鱗から色が失われていく。突き出した右手にはすでに力もなく、竜人の右手に支えられている。

 最後の力を振り絞るというのはこういうことなのかも知れない。

 朽ちる蜥蜴――怨竜(えんりゅう)は生み出した闇火をカミルへと放つ。撃ち出した反動で胴体の骨は砕け散り、顔が大地へとずり落ちていく。

 怨竜(えんりゅう)の最後の姿だ。その姿を見送ると、迫りくる闇火を見つめ、ゆっくりと瞑目する。


「だから諦めるなと言っている!」


 その言葉に目を開ける。

 飛び込んできたのは、怨竜(えんりゅう)の右手を掴んでいたはずの、竜人の右手が動き、闇火を鷲掴みにしている姿だった。

 竜人――男性は闇火を自分の腹部へ引き寄せると、後方へと身体が倒れていく。

「お、おい!」

 力の抜けた身体にムチを打ち、必死に男性の下へと駆け寄った。

 見下ろす男性の身体は、左胸と腹部を焼かれ、両腕を焼かれ、胴の大部分と両腕がなくなっている。骨が消し炭になるほどの元素の力にやられ、右肩、右胸部と腰から下だけを残して、世界へと還っている。

「なんで俺を助けたんだ…。あなたにだって帰りを待つ人だっているだろうに…」

 男性はゆっくりと微笑む。

「連続して竜人化を使ったからな。もとより、俺の命はそう長くなかった。それなら、未来の明るい少年を助けるのが道理だろう?」

 竜人化した男性の顔から角と鱗が消え、元顔へと戻っていく。

「そもそも、怨竜(えんりゅう)を連れてきちまったのは俺なんだ。巻き込んじまってすまねーな」

「助けたのは俺達の意思だよ。あなたが謝るようなことじゃない」

「そうかい…」

 男性の顔から生気が消えていく。

「どうやら俺はここまでらしい。眠たくなってきてやがる…」

「おい!諦めるな!あなたが言った言葉だろう!」

 カミルの言葉に、男性は穏やかに微笑むだけだった。

「最後に頼みたいことがある…、聞き届けてくれないか…?」

 カミルは頷き「聞かせてくれ」先を促した。

「ここから南東に向かえば、王都アルアスターがある。王国軍に所属しているラグラルス・ゲーゲンに言付けを頼みたい。『アリアミーナレスを君に委ねる』ナイザーがそう言ってたと伝えてくれ」

 ナイザー。それが彼の名前らしい。

「わかった。必ず伝えるよ。ほかは?ほかにはないのか?」

 瞳を閉じ、考える素振りを見せるも「ないな」とあっさりと考えるのを止めた。彼の声が掠れ始めている。もう長くは持ちそうにない…。

「そうだ」

 何かを思い出したのか、ナイザーの目が開かれる。

「少し俺の瞳の状態を見てくれないか?」

 よくわからないお願いに、訝しみながらも言うことをきく。身体を前のめりにして瞳をのぞき込んだ。

「で、この後はどうすれば?」

「瞳の中に魔法陣がまだ残っているのか確認してくれ」

 瞳の中に魔法陣?そんなものは聞いたことがない。宝石を無くしたとき用に、瞳の中に魔法陣を仕込んでいるとか?それでも、瞳に魔法陣を仕込むくらいなら、身体に直接刻んだ方が遥かに安全な気もするが。こちらの地域では、そんな文化でもあるのだろう。度胸試しの一環なのかもしれない。深くは触れずにしておくか。

 ナイザーの灰色の瞳の中には、確かに魔法陣が存在していた。ただ、左目の魔法陣は崩壊し、役割を果たせそうにない。刻まれた魔法が何なのかは読み取ることができなかった。

「左目は駄目そうだけど、右目だったら無事だ」

 カミルの言葉に、ナイザーの右目が白く輝き出した。

「前報酬だ…」

 カミルの左目に向かって、白い光が移動を開始した。

 左目が温かさで包まれていくようだ。光の元素を感じる。

 途端に目の奥がズキッと痛みに襲われた。

「うッ……、何をした」

 反射的に身体を起こすと、手で左目を覆った。脈を打つ度にズキズキと痛みが広がる。

「な、馴染むまでの、辛抱だ…。発現するかは、お前、次第だがな…」

 ナイザーの声が弱く、呼吸が浅くなってきているのか、たどたどしい。光を使った反動なのか、目の焦点が合っていない。

「お嬢さんも、せっかく、助けてくれ、たのに、すまねぇ、な…」

 いつの間にか傍らにリアが立っている。ナイザーの惨い姿を目の当たりにして、悲痛な面持ちだ。

「力及ばずすまない…」

「ははッ、ありがとうよ……。嬉しかったぜ…」

 ナイザーの目がゆっくりと閉じていく。

「そろそろ、か……。お前らは……、長生きしなよ……」

 その言葉を最後に、ナイザーは息を引き取った。



 ナイザーとの別れの後、リアの持つ遅効性で回復力の強い回復薬でお互いの傷を癒した。最後の二本だったらしく、次に怪我をすればその状態で街まで移動しないといけなくなる。

 ナイザーの墓を簡易的にリアが造った。彼の文化での埋葬方法と違うかも知れないが、魔物に食い千切られないように肉体を焼き、骨だけになった亡骸を大地へと埋めた。目印として、彼が身に着けていた破損した鎧を立てかけるように山を築き、竜の横顔の紋章が天辺に来るように配置しておく。

 俺も手伝うつもりだったけど「歩けねーんだし、大人しくしてろ」と突っぱねられた。


「どうだ?歩けるか?」

 足を動かし、右足首の状態を確認する。特に痛みはない。

「大丈夫、もういつでも行けるよ」

「それじゃ、また南東に向けて出発だな」

 竜との戦闘という経験を経て、街に向かって歩き出す。

「南東にある街、王都アルアスターらしいですよ」

 ナイザーから得た情報をリアへと共有しておく。

「て、ことは、ここはザイアス王国の領内ってことか。ずいぶん遠くまで飛ばされたじゃないか」

 北東に向かえば国境方面だが、ざっくりとした場所しかわからず、国境を抜けた先の要塞都市ザントガルツまで、どれだけの日数を要するかわからない。食料事情が芳しくないないので、まずやるべきことは最寄りの街での食料調達だ。王都で馬車を探せば旅路も楽になるだろう。

「あの空間の穴に吸い込まれたのって、俺達だけなのかな?」

「私が見た限りだと、他には誰も吸い込まれていなかったな。まぁ、私達の後に吸い込まれている可能性もないわけではないけど」

「みんな、無事だといいんですけど」

 あの時、聖なる焔のメンバーは城へと集結していた。ハーバー先生が指名手配されたことで、事情聴取という名目で騎士団の詰所に集められたのだ。

「あいつらなら大丈夫だろう。カナン、はちょっと怪しいけど、周りが支えてくれてるし。何だかんだで頼りになる仲間だよ」

 どこか嬉しそうに声が弾み、リアの頰は緩み優しく微笑んでいる。

「リアって、仲間のこと大好きだよね」

「まぁな、長く旅してようやく出会えた心許せる仲間達だから、巡り合わせに感謝しないと」

 エルフに比べて人の寿命は短い。リアがようやく出会えた仲間、俺の命が尽きるまでにそんな仲間に出会えるだろうか?よくよく考えてみれば、サーストン姉弟は人族か。実力を身に着けていけば、リアのような実力者の目にも止まるようになるのかもしれない。少しだけ希望が見えてきた気がする。

「でも今は、カミル、お前が私の相棒だ。頼りにしてるぞ」

 ニッと白い歯を輝かせながら、背中をバシンと叩かれた。

「リア、人の背中を叩く癖やめたほうがいいよ」

 事あるごとに叩かれている気がする。

「気心知れた仲だからだよ。よく知らんヤツには触れようとも思わんだろ?」

 そう言われては悪い気がしない。

「まあ、そういうことなら……、て、叩いて良いことにはならないのでは!?」

 危うく言葉に丸め込まれるところだった。「バレたか」とリアがけらけら笑う。

「カミルも良い仲間に出会えるといいな」

 アズ村を出てから半年で、色々な人と出会った。高位冒険者パーティーである聖なる焔、元帝国騎士団長のハーバー先生、帝国騎士団長のガナードと副騎士団長のソル、皇女のフローティア。エルフ?のサティとシュティニーさん。魔族のオーウェン。少し振り返っただけでも錚々(そうそう)たる顔ぶれだ。学園の外に出なかったら縁のなかった人も多い。人脈を作りとしては、そこそこの成果なのではないだろうか?その反面、学園での交友関係は……。

「友達作り頑張ります」

 笑顔で答えておいた。



 王都アルアスター。

 エンディス大陸南部一帯を治めるザイアス王国の首都。王都の南側に(そび)える山脈を天然の要塞に利用した都市である。

 クルス帝国の実力主義に反感を抱く者達が集まり生まれた王国で、精霊を讃える人が多く暮らしている。歴史を重んじ、歴代の戦士達が眠りし土地を護る墓守の一族も存在している。


 白い外壁に囲まれた都市が見えてきた。ナイザーが言っていた王都は、あの都市のことだろう。

「ようやくだね…」

 疲れ切った声で呟くと「ようやくだな…」似たような言葉をリアも呟く。


 ぐぅ〜


 二人の呟き以上の音量で響く、二人が奏でるお腹のハーモニー。

 ナイザーとの別れから丸一日かかり、ようやく王都アルアスターにたどり着いた。

 あまりの空腹に、怨竜(えんりゅう)が唯一残した1mほどの尻尾の先を取りに戻るという愚行を犯している。「焼けば食えるだろう!」というリアの主張に、野営の経験の少ないカミルは否定できずに付き合ったのだ。生焼けは危険、という共通の見解で入念に焼き、口に入れてみたが、これがまぁ噛み切れない。何度も歯をこすりつけてようやく噛み切ったというのに、味はゴムのようなひどく不味いものだった…。元々骨と皮のような存在というこもあり、食べれる部分は少なめで、脂肪分も少なくがっしりとした繊維状の肉。食べるのは諦め、せっかく鱗を落としたのだからと、怨竜(えんりゅう)の鱗だけ持ち王都へと急いだのだ。残念ながら魔物との遭遇は無く、一切の食事を行っていない。

 鳴るお腹の音を無視しながら、二人は門に長く伸びた人の列へと並ぶ。

「王都の名物って何でしたっけ?」

 食欲に支配されたカミルの脳内は食べ物のことばかりである。

「私もこっちの方へは来たことがないんだ。どうしても国境を潜るとなると尻込みしちまってな」

「移動距離もあるから、わからなくもないかな。壁隔てると圧迫感もあるし」

「王都なら美味いケーキもあるだろうし、楽しみだな〜」

 リアが恍惚の表情を浮かべている。

 どんなケーキを想像しているのか、艷やかな唇の端からヨダレが零れ落ちそうだ。リアってケーキが絡むと途端に行動が幼くなるよな。そこも魅力の一つなんだろうけど。

「リア。ヨダレ、ヨダレ」

 指摘をすると、表情がキュッと引き締まる。その動きに合わせたかのように、リアのお腹がぐぅ〜とひと鳴きした。

 何とも締まらない姿だろうか…。

 澄ました表情になったリアの顔が朱に染まっていく。この光景ももうお決まりになりつつある。二週間やそこらでここまで親密になれたのも、濃密で刺激的な戦闘の数々を潜り抜けて来たからだろう。新しい刺激に対して苦楽を共にする。それが親密になる近道なんだろうと、振り返って結論づけた。

 お腹の音は、聞こえなかったことにしておこう。


 長い順番待ちを抜け、自分達が門を潜ると順番が巡ってきた。

 若い門兵と壮年の門兵の二人の間を抜け、門の中央部に移動する。更に二人の門兵がおり、こちらの兵士は長槍を持っている。こちらの兵が何か起きた時、物理的に通行しようとする者を抑える役割を担うようだ。

 門の内壁には小窓が設けられており、そこで身分の確認を行う。生憎と王国で身分を証明するものはない。

「身分証が無いなら一人銀貨5枚だ」

 当然、門を潜るのに金銭が発生してしまう。よく分からない人を入れるのはそれなりのリスクを背負うことになる。金銭を設けることで、不特定多数の人間が不用意に王都へ流入して来ないように抑制する。問題を起こした時には、追加で金銭の徴収が行われる場合もある。

 学生の身分で銀貨5枚が軽く飛ぶのはかなり痛い。旅費すら賄いきれないかも知れない…。王都で働き口でも探そうかな…。

 銀貨を5枚、受付の兵士に渡した。

 怪訝そうに銀貨を眺めると、

「おいおい、何のつもりだ?」

「何かおかしなところがありましたか?」

 ここで揉めては印象が悪くなってしまう。丁寧に接しないと。

「本気で言ってるのか?このよく分からん銀貨が何かって言ってるんだよ」

 銀貨に視線を落とすが、特におかしな点は無いように思える。

「私ら、先日王国にやってきたばかりでして、まだこちらの通貨を持っていないんですよ」

 リアの言葉でようやく気付いた。俺が支払ったのは帝国で流通している銀貨だ。そりゃ通してくれないわけだ。

「ほう、遠方からわざわざ王国に何の用で来たんだ?」

「事故に巻き込まれてしまい、つい先日ここから北西の場所に流れ着いて…。見れば見渡す限り草原が広がるばかり、お腹を鳴らしながら歩き続けてようやくここにたどり着けました」

 お腹を擦りながら照れ笑いを浮かべている。リアの凛とした姿には似つかわしくない可愛らしい挙動。実力を知らない人からしたら、保護欲が働いてしまうだろう。そこまでリアが計算に入れているかは謎だが。

 空間の穴に吸い込まれて王国領内に飛ばされたのは伏せている。言ったところで信じられる内容ではないから当然か。情報の整理も冒険者として必要な能力なようだ。

「そうか」

 特に深くは突っ込んでは来ない。

「……言い難いが、国外の通貨となると、かなりの大金を積んでもらうことになっているが、支払えそうか?」

 リアは唇にそっと触れ、首を僅かに傾げると、

「…金額によりますね。おいくらですか?」

 兵士は受付に備えられている引き出しから、1枚のコインを取り出した。

「一人当たり、この金貨1枚と価値が釣り合うだけの金額を納めてことになる」

 言うだけ言うと、兵士は目を伏せる。

「金貨1枚!?」

 銀貨5枚から跳ね上がったものである…。当然、そんな大金を持っているわけがない。

 パチン、パチンと二回音が鳴る。

「これで足りますか?」

 机の上に差し出されたリアの手の前に、2枚の金貨が並んでいる。

「!?」「!?」

 カミルは驚愕した。金貨を持ち合わせているという事実と財力にただただ驚くばかりである。

 それは兵士の方も同じだったようで、目が点になっている。

「この金貨は純金で出来ているはずよ。王国の金貨と天秤にかけて見てくれます?」

 一口に金貨と言えど、通貨が違えば金貨に含まれる金の量も、金貨の大きさも変わってくる。

 呆気に取られた兵士は「あ、ああ」と生返事をし、金貨を眺めている。

「王国の金貨も純金製だ。お嬢さんが言っていることが本当なら、概ね釣り合うはずだ」

 兵の背後の机の上に置かれていた天秤に手をかける。こちら側に見えるように移動させると、王国の金貨を右側の皿に載せる。金貨の重さに天秤が傾いた。釣り上がった左側の皿に帝国の金貨を一枚載せる。左側の皿が下降を始め、右側の皿を押し上げていく。左右の皿が交互に上下し、水平付近を動きが止まる。

「うーん、お嬢さんの金貨の方が僅かに重いか」

 僅差ではあるものの、帝国の金貨の方が重いらしい。同じ大きさのように映ったけど、帝国の金貨が気持ち程度大きいようだ。

「差額分は王国の銀貨と銅貨で返却しよう。宿代が無いと困りそうだしな」

 リアの顔を見るとニカッと笑う。

 これは男特有の、美人には優しくなるやつだろう。少しでも良い所を見せて、好感を持って欲しいという下心。

 優しい笑みを見せるリアは「ありがとう。気が利く方ね」と兵士の言葉に乗った。したたかに表情を作り、言葉遣いを選び、淑女然としたリアの手が、兵士に見えないようにサムズアップをしている。

 女性って、怖いね。


 差額分の王国の通貨を手に入れ、二人は無事に王都へ入ることができた。

「俺の分まで立て替えてくれて、ありがとう。すぐには返せそうにないから、地道にバイトを頑張るよ」

 お金を借りるなんて人生初めてだ。ましてや女性に借りることになるのは、ちょっと情けない…。

「それなんだけど、王都で冒険者として登録してみないか?王国で使えるお金がないから、馬車代も準備できないわけだし。そこからカミルも代金の捻出ができると思う」

 多少の王国の通貨を手に入れたとて、食事代と宿代だけで消えてしまう。生計を立てつつ、馬車代も確保しなければならない。

「帰る為に必要なことだから、もちろん賛成するよ。まとまったお金を稼がないとね!」

 リアは頼れる大人の女性だけど、そこに依存はしたくはない。自分のことは自分でしなくちゃ。


 ぐぅ〜


 無事に王都に入れたのに気が緩んだのか、お腹の虫が活動を再開したみたいだ。


 ぐぅ〜


 俺のお腹の虫に呼応するように、隣からも同じ音が聞こえてきた。不意にリアが足が速くなり、斜め後ろからリアの顔を眺める形になった。きっと、顔を見られたくないのだろう。夕刻に差し掛かった日差しがリアの顔を染めている。朱に染まった原因は、夕日だけのせいではきっとないと思うが。

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