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ep.28 遥かなる想い

 一日の始まりを告げる朝日が世界を照らし始めた。

 朝焼けに染まる東の空。億劫な気持ちを払うような赤い世界に、カミルの心も現れる。

 月夜の草原で目覚めてから一晩明け、ようやく周囲の様子を窺い知ることができる。

 (おもむろ)に立ち上がると、その場でゆっくりと一蹴回り辺りの様子を確認する。地平線まで見渡す限りの草原地帯。道も建物も、木すら生えていない。

「んっ、ぅ~ん」

 傍らで眠るリアから艶めかしい声が漏れてくる。顔に朝日でも射し込んだのか、もぞもぞと動くとゆっくりと瞼を押し上げた。

「リアさん、おはようございます」

 リアは半身を起こすと、グッと腕と背筋を伸ばし「おはよう」と寝起きの挨拶をしてくれた。

 一晩この場で明かすと決め、二人で見張りを交代して過ごした。旗のポール部を頭にぶつけた際にできた傷もあり、「まずはカミルが休め。体力を回復させた方がいい」と早い時間帯の見張り番を買って出てくれた。好意に甘え、身体を休ませ遅番の見張りを果たし朝を迎えることができた。

 頭の傷は致命的なものは見た限りなかったらしい。たんこぶが出来、僅かに皮膚がめくれ上がっていただけらしい。回復薬を使うまでもない傷なので、自然治癒に任せることにしている。

「カミル、あっち向いてて」

 リアの言葉で身体を反転させる。寝起きの顔はやはり見られたくないようで、少し離れた位置で顔を洗っているような音が聞こえて来る。水は魔法で扱えるから、どうとでもなる。

「こっち向いていいぞ」と許しもらい、再びリアと向き直る。


 どこからともなくグゥ~とお腹が鳴る音が聞こえてきた。ここには二人しかいない。自分のお腹の音でないということは…。

 リアが顔を朱に染めている。

「まずは食料確保が最優先ですね。運が良いのか悪いのか、魔物が襲ってくることもありませんでしたし」

 お腹が鳴ったことについて言及はしない。触れられたくないことはわかっているので、現実的な食糧事情について話し合う必要がある。

「見た限り、視界に入ってくるのは草原だけなんですよね。早い段階で移動を開始した方が良いかもしれません」

「……」

 リアの反応がない。

 無言でこちらを見つめている。

「リアさん?」

 不審に思って呼びかける。

「それ」

「それ?」

「その話し方だよ。前々から思ってたんだ。お前の話し方は距離感を感じるんだよなー。もっと砕けた話し方はできないの?」

「年上だから敬意を表すのは大切だと思いますけど?」

「私は気にしないけどな。もう少し親しみを込めた話し方をしてくれた方が嬉しい」

 リアさんの頬が僅かに赤くなっているような気がする。

「リアさんがそうして欲しいならそうしましょうか」

「リア」

「そう呼んで欲しいのですか?」

 少し顔を下に傾けると上目遣いで「そう」と自分の気持ちを伝えてくる。そのまま横へと視線を外すものだから、その仕草がかわいらしくって、

「リアがそう望むなら」

 その想いに応えた。

 自分から呼ばせたのにも関わらず、耳まで真っ赤に染め上げている。リアってやっぱり純粋な心を持ち合わせているようだ。

「リアはここからどう動くべきだと思う?」

 リアの表情が冒険者の顔へと変わり、カミルを見つめる。

「正直、情報がまったくないから山勘で良いと思う。風から漂う香りにも、山の匂いも海の匂いも感じない」

「それじゃ」そう言うと、腰に括りつけてある黒い日本刀を取り出す。そのまま手を添え、垂直に立たせる。

「これが倒れた方向に進むってことで」

 リアが頷く。

 添えた手を離す。

 バタッと倒れ込んだ方向は、太陽の向きからすると南東方面。

 刀を拾い上げると「それじゃ、移動を開始しますか」南東に向けて歩き出す。


 一時間ほど歩いただろうか。景色は変わらずの視界いっぱいに広がる草原。魔物の姿も確認できない。

「リアはこれだけ広い草原に心当たりないの?」

「ないな」

 即答である。

「帝国には少なくとも存在しない。道に迷わないように、帝国が街道の整備に力を入れているから、一時間も歩いていれば何かしらの目印が見つかるはずなんだ。それが無いってことは……帝国外の可能性が高いだろう」

「えッ!?それって密入国したってこと?捕まらない?」

「はははははっ!」カミルの発言にリアは大声を上げて笑い出す。

「帝国所属の騎士じゃあるまいし、それはないよ。戦争状態だったら、まぁ、それもありうるかもしんないけどな。でも…、本当に帝国外にまで飛ばされたんだとしたら、六大元素に属さない魔法が存在するかもしれない」

 どういうことだろうか?

「帝城の庭園に開いた空間の穴。カミルも覚えてるだろ?」

「もちろん、こんなところにいるのもそのせいなわけだし」

 ゼーゼマンとオーウェン、強大な炎と闇の元素のぶつかりの果てに発生したと思われる穴。直接発生したところを見たわけではないから断言はできないが、状況から考えると一番可能性が高い。

「あれは物を引きずり込む力が働いていた。弾き飛ばされたのなら火属性や風属性なんかが関与していそうなものなんだが、引きずり込まれてまったく別の場所に飛ばされている。空間を繋ぐ魔法、そんなものが存在するのかもしれない」

 空間を繋ぐ魔法。カミルはその言葉に耳馴染みがあった。と言っても、日本の空想の作品の中での話だが。日本で彼と過ごした日々の中で聞いた言葉。彼自身はテレビや漫画といった類のものに目もくれずに勉強に励んでいたが、学校の教室ではクラスメイトがそんな話をしているのを聞いたことがある。一瞬で別の場所に移動できたり、空間そのものを繋いでしまったりと、聞いていて人の願望が詰まった力を思い描くものだと感心したものだ。

 そんな力が魔法として実在している?にわかには信じがたい。

「そんな便利な魔法があったら、人は怠惰に溺れそうな…」

「そうか?」

「だって、移動するということを魔法で叶えてしまったら、歩くことが億劫になりません?移動する時間も無くなるわけだから、空いた時間分だけだらけそうかなーと」

「はははははははははっ」リアが腹を(よじ)らせ笑い声を響かせる。

「カミルって意外とものぐさか?」

「一般論だし。人って楽をしたい生き物じゃないですか」

「仮にそんな魔法があったとしても、そこまで人は怠惰になれないものさ。魔法ってことは魔力が必要ってことだろ?移動ばかりに魔法を使っていたら、今まで他の魔法に使っていた魔力が枯渇するって」

「それもそうか」

 リアの言葉が腹に落ちる。

 知らず知らずの内に、モノの考え方が日本の創作に染まっていたのかもしれない。

「それにしても、またリアと旅することになるとは思わなかったよ」

 横を歩くリアが首を傾げ顔を覗き込んでくる。怪訝そうな顔だ。

「何だ~?私との旅は不服か?」

 首を小刻みに左右に振り否定する。

「違うって。大分、リアとの旅も慣れたなーと思ってさ」

 アルフから帝都を目指して出発してからまだ二週間ほど。学園に居た時には想像もつかなかった出来事が目まぐるしく起きている。連日リアと旅を共にして、少しだけリアの人柄も理解できてきた。まさか、女の子と二人で見知らぬ草原を歩くことになるとは思わなかったけどさ…。

「悪いな、もっとカワイイ子と旅がしたかっただろう?」

 覗き込んだ顔を戻し、何故か拗ねたような表情をしている。

「なんで謝るのさ。リアと旅ができて俺は嬉しいよ。リアは違うの?」

「お前がもっと頼りになる男だったらもっと嬉しかったかも?」

 今度は一転して悪戯っぽく笑う。

 女の子の表情はどうしてこんなにもコロコロと変わるものなのか。

 からかうように言ったつもりになっているけど、「()()()嬉しかった」ってことは、嬉しいと思ってくれているってことだよ。言った本人は気づいていないかもしれないけど。

「頼りになる男目指して頑張りまーす」

 茶化すように返答しておいた。


 見渡す限りの草原に、変化が訪れたのはそれからすぐのことだった。

 地平の彼方から、一頭の白い体毛の動物が駆けてくる。

「馬…、か?」

 考えてたことが口に出た。

「馬だな」

 馬の速度は速く、ぼんやり眺めていると馬の様子がわかるほど近寄って来る。

 (くつわ)から伸びる綱が、馬が掛ける衝撃に合わせて上下に揺ら揺らと泳いでいる。

「誰も乗っていない?」

 馬上には人の姿はない。どこかで振り落としてきたのか?

 興奮状態なのか、もの凄い勢いでこちらへと迫って来る。

「カミル、あの馬を捕まえるぞ」

「はい」

 リアが馬へと手翳すと、周囲に風が巻き起こる。風に草が靡き、ザワザワと揺らいでいる。

 風が収束し始めると、荒れ狂う馬に向け突風が駆け抜けた。

 風自体は目に捉えることができないが、馬に向かって一筋の道を作るように草が倒れていく。

 突風が馬へと襲い掛かる。

 グンッと馬の身体が不自然に押されたような衝撃を受けた。

 風の壁にぶつかったことで、馬の速力は著しく低下した。

 突風に驚いたのか、ヒィーンと甲高くいななく。

 再びリアの手に風の元素が満ちていく。さきほどよりも元素の反応が濃い。風で馬の身動きを塞ぐつもりなのかもしれない。

 風の障壁が消えたのか、馬が勢いよく駆け出す。興奮状態は変わらない。暴れ馬が如く跳ねるようにこちらに向かって来ている。高く上げられた足に蹴られれば、少なくとも重症を負ってしまう。

 リアの手元から緑の元素が弾けた。魔力が元素に反応し、周囲を風の防壁が包み込む。

 上級風属性魔法シルフィード。周囲に暴風を巻き起こす攻防を兼ね備えた魔法だ。風との親和性が高いエルフということもあり、荒れ狂う暴風も圧倒的だ。リアの周囲を渦を描きながら地面へと風が流れている。この暴風の前では空を飛ぶものは地面に落とされ、大地にいるものは身動きが取れなくなるだろう。

 ()く言うカミルも例外ではない。リアの傍らで立っていることしかできない。

 両足で身体を支えきれないのか、馬が大地に(うずく)る。

「足が完全に止まった!」

「風を止めるから、手綱を押さえろよ」

 腰を落とし、足に力と魔力を流していく。

駿動走駆(しゅんどうそうく)

 足に風の元素を纏わせた。

 カミルの準備が整ったのを確認すると、リアは風を、元素を霧散させていく。

 風の影響が薄まったところでカミルは駆け出した。

 帝都でのカフェ帰りにリアと訓練したこともあり、安定した駿動走駆(しゅんどうそうく)を行えるようになった。まだまだ圧縮魔力での発動は難しい為、通常の魔力での話ではあるが。

 風が収まったことで、馬の方も身体の自由を取り戻している。走り出す前に手綱を掴みたい。

 馬の身体がグッと持ち上がり、ブルルルッと鼻を鳴らす。

 こちらに視線向けているってことは、反響でこちらとの距離を測っているのかもしれない。さきほどまでの興奮状態ではなく、恐れ?を感じているのか、顔に不安げな表情が浮かんでいる。

 突然、あんな暴風が発生すれば怖がるのも無理ないか。

 反転して駆け出そうとする馬の左側の真横にたどり着くと、手綱へと腕を伸ばす。揺れ動く手綱は簡単には掴めない。馬におちょくられているかのように、揺ら揺らと手綱が踊る。ちょっと憎らしい。その間にも徐々に加速し始めているようだ。このままだといずれ走り去られてしまう。

 意を決し、手綱目掛けて飛びかかった。

 掌を広げ、手綱が手にかかる。が、掴みきれずに手綱の輪の中へと腕がくぐってしまった…。

 馬の方が速い為、カミルの足がもつれ始めた。

 まずい…!こ、転ぶ!?

 咄嗟に駿動走駆(しゅんどうそうく)を一旦解除し、圧縮魔力を足へと流す。

駿動走駆(しゅんどうそうく)

 圧縮魔力で再び発動させた。

 この状態で走ることはできないけど!

 左足に集まった圧縮魔力と風の元素が、左足の動きを補佐する。踏み込んだ左足を蹴り上げ、カミルの身体は馬の上空へと跳ね上がった。馬との距離が離れないように手綱をしっかりと握り、馬を真上に引っ張り上げる力が加わった。魔力と元素で強化されているとはいえ、体重の差は大きい。僅かに上体を引っ張るだけで特に馬に影響を与えれてはいなかった。

 むしろ、そちらの方が好都合だ。上空へと跳ね上がったエネルギーを打ち消してくれる。上昇する力を失い、カミルの身体は馬の背に向かって落下し始めた。

 このまましがみつけッ!

 自分を鼓舞するように言い聞かせ、馬の首へと腕を回した。身体が馬の背中へと激突する。

 衝撃で息が詰まる。

 だけど、ここで落ちるわけにはいかない!

 必死に腕に力を入れ、しがみ付く。

 駆ける度に伝わる振動に、身体がずり落ちそうになるのを耐え抜いていると、高く前足を跳ねさせた。

 背中から振り落とそうと馬の抵抗だ。ヘタをすれば自分も倒れかねないというのに、大した根性だ。

 馬が足を止めたその瞬間、風が吹き抜ける。

 後方からリアが追いつき、手綱に手が添えられた。そのまま力任せに地面へと引っ張り、馬の挙動を制する。前足は大地に下ろされ、ブルルと頭を振っている。馬の力をも制する膂力。リアの細腕には似つかわしくない。スタイルが崩れるからと、筋肉を付けない代わりに独自の筋力強化の魔法を編み出している。機会があれば教えを請うのもありかな。

 力では敵わないと悟ったのか、馬は途端に大人しくなった。

 左手だけで手綱を握り、右手で馬の身体を撫でている。

「よ〜し、良い子だ。少しびっくりさせちゃったね、ごめんね」

 いつになく柔らかな口調で馬に語りかけている。エルフは自然と共に暮している印象が強い。当然、動物達にも慈愛の心で接する。

 リアと出会ってから、動物と触れ合っている姿を見てるのは初めてだった。もしかしたら、帝都への移動の際の馬車の馬とも、見ていないところで触れ合っていたのかも?アルフを出てから周りの人を気にする余裕がなかった。もう少し、周りを見る余裕を持たないとな。

 接する者の感情を敏感に感じ取っているのか、馬もリラックスした雰囲気になってきた。頭を下げ耳が垂れる。目は口ほどに物を言うというのは馬にも当てはまるのか、目がトロンとしてきている。

「それで、この馬はどうするの?手綱が付いている以上、所有者がこの辺りにいそうだけど」

「ひとまず、この子が走って来た方を目指そう。乗っていた人が落馬して怪我をしている可能性もある。人と接触できれば、ここが何処なのかもわかるだろうしな」

 馬の身体をポンポンッと優しく叩くと、軽やかに馬上へと上がる。「ほら」と手を差し伸べてきた。

 リアの手を掴むとグッと身体を上へと引き上げてくれた。

「リアは馬の乗り方わかるんだ?」

「聖なる焔に入る前は愛馬と旅をしていたからな」

 それは初耳だ。

「ほら、走らせるからちゃんと掴んどけよ」

 掴むとすれば、腰辺りか?

 スッと手を伸ばし腰を掴む。

 手が触れた瞬間、リアが身体をビクッと跳ねさせた。

 急に触れずに声をかけるべきだった…。

 少し後悔していると、脇腹に痛みが走る。

「ィ゙ダッ!」思わず声が出た。

 痛みのもとに視線を送ると、リアの肘が突き刺さっている。

「お前が変なところを掴むからだ……くすぐったいだろッ!」

 どうやら触れてはいけない場所だったらしい。

 リアの腰から手を離した。

「じゃあ、何処を掴めと?」

「お、お腹に手を回せばいいだろう?」

 何故か疑問形である。ただ、女性にしがみつくのは男としてのプライドが邪魔をするし、何よりも……抱き締めるような形になるのが恥ずかしい。残念ながら、生まれて此の方一度たりとも女性とハグをしたことがない。手を回すのにかなりの勇気が必要だ。

 躊躇っていると「早くしろ」と催促された。

 女性慣れしていないことがバレるのは嫌だな…。

 細やかな見栄。高鳴る鼓動を抑えて両手をリアのお腹に回した。鎧越しということもあり、ぬくもりが伝わってくることはないが、さきほどよりも距離が近くなったことで、リアからふわりと甘い香りが漂ってくる。それだけでも理性を保つのに精一杯なのに、密着する形になったことで脈がどんどん速くなる。

 心臓の音…、伝わってないよな…?

「行くぞ」それだけ言うと、リアは握った手綱を引いた。

 馬は緩やかに走り出す。

 ドギマギとするカミルを余所に、リアには慣れたことなのか、動揺する素振りは見られない。

 他の男とも二人で乗ったりするのかな…?

 嬉しくもあり、悲しくもある。何とも言えないもどかしい感情で草原を駆け抜けていく。



 自分から言い出したこととはいえ、お腹に手を回されしがみつかれるのはかなり恥ずかしい。プロフやガストンと乗り合わせた時は特に何も感じなかった。物語に出てくるような、男性と二人で馬に乗るという場面だというのに、意外と何も感じない自分に少しショックを受けたことを覚えている。だからこそ、カミルにも同じような提案をしてみたんだが……これは恥ずかしいッ!!

 カミルに腰を掴まれた時、鎧の隙間に指が入ったのか布越しに腰骨付近を触られてしまった。感覚が敏感になっていたのか、危うく変な声が出そうでヒヤヒヤしたものだ。普通、後ろの人は前の人にしがみつくものだろう?そのせいで余計に回された腕に意識が向いてしまう。鼓動が速い。後ろを振り返れない。きっと、今の私は顔が赤い。

 あれ?そんな…、これではまるで、まるで、恋する乙女のようではないか!?私は――年端もいかぬ男が好みだったのか……?

 リアは思考を振り払うように(かぶり)を振った。

 いや、違う。この特殊な環境が不安感を煽っているだけだ。胸の高鳴りはそのせいだ。そもそも、私の好みのタイプは、頼りがいのある自立した男性だ。カミルとは対極ではないか…。

 もう考えるのはよそう。今はこの馬の主を探す方が先決だ。



「いたぞ。やはり怪我をしている」

 暫く草原を走り続けていると、地平線の向こうに人影が現れた。地面に伏すように横たわっている。

「リアは視力いいんだ。俺にはまだ影にしか見えないよ」

「エルフ族だからかもしれないけど、昔から遠くの物は良く見えたかな。夜目も利く方だし」

 エルフ族は、大昔に森の中で生活をしていたと習った。多種族と生活を共にせず、単独民族で森の中でひっそりと暮らしていたらしい。視界の悪い森の中で生きていく為に、目が良くなり、物事を感知する能力が高くなっていったのではないかと考えられている。

 近づくにつれ、カミルの目にも倒れている人物がはっきりと見て取れるようになった。白髪頭の短髪の男性。見た目は30歳前後だろうか。白い無精髭を生やし、生活に疲れたような風貌をしている。竜の横顔の紋章のついた鎧を身に着けていることから、どこかの国の兵士なのかもしれない。

 男性の前で馬を止めると、すぐに容体を確認する為に駆け寄った。

「大丈夫ですか!?何があったんッ――」

 リアが掌でカミルの口を塞いだ。

「一人で草原に置き去りにされたんだ。心細かっただろう?でももう大丈夫だ。すぐに治療してやるからな」

 優しい口調で安心感を与える言葉を送る。

 リアが俺の口を塞いだ理由がなんとなくわかった気がする。興奮気味に忙しなく語りかけては、相手に不安を与えてしまう。それを物理的に言葉を塞ぎ、「もう大丈夫」という言葉で落ち着かせようとしたのだろう。リアの対応に、俺自身も気持ちを落ち着かせることができた。適切な対応というのは、歳を重ねたから身に着くというものではない。学び、その様に振る舞おうとした者だけが身に着けられるもの。リアといることで、人としてどう振る舞うべきなのかを、まざまざと見せつけられている気がする。

 リアが男性の頭と首を支えるように起こすと、ポーチに入れてある回復薬を取り出す。

 改めて男性の容体を確認する。全身に擦り傷、切り傷が目立ち、左肩には何か鋭利なモノで刺されたような痕跡もある。かなり出血したいるようで、草原に僅かに血溜まりが生まれている。

 両手が塞がっているリアは、口で瓶の蓋を外すとゆっくりと男性の口の中へと回復薬を流し込んでいく。

「んぐッ!?げほっげほっ」

 男性は咳き込み、口から回復薬を吐き出した。

「ゆっくりで良い。何とか身体の中に入れてほしい」

 吐き出した回復薬が手や鎧を汚すも、リアは特に気にした素振りもなく介抱している。

 俺はただ見守るだけ…。馬がまた何処かに行かないように手綱を握りしめるだけだ。学園ではなかなか学ぶ機会のない生々しい現実。戦闘だけではなく、生きていく為の術を知り、実践できている。その姿はとても眩しく、格好良く映った。いずれ自分もこうなりたい。リアの姿に憧れを抱くには、充分すぎる光景だった。

 即効性の回復薬らしく、擦り傷、切り傷はすぐに塞がっていく。肩に空いた穴は傷が深いのか、見た目的な変化がない。

「簡易的な回復薬しか持ってこなかったのが仇になったか…。カミルは回復薬持ってないのか?」

「学生の身分だと、回復薬なんてポンポン買えないよ」

 リアは残念そうに顔を伏せる。

「仕方ない、このまま移動するしかないな」

 男性に視線を戻す。

「今から質問をするけど、喋らなくて良い。指だけ指してくれるか?」

 男性は首を僅かに縦に振り承諾する。

「どっちに移動すれば人の居る集落にたどり着ける?」

 男性の腕がゆっくりと上がり、方角を指し示す。

「わかった。すぐに向かうから、それまで耐えてくれ」

 リアの顔がこちらを向く。

「馬の上に乗せるから手を貸せ」

「わかった」

 男性の左側へと回ると、男性の左腕を自分の首に回す。二人で「せーの!」の掛け声で立ち上がらせる。

「反対側に回るよ」

 リアに男性を預けると、馬の後ろを通らないように注意しながら、右側に回り込む。

「よし、いつでも乗せて」

 リアに合図を送ると「いくぞ」短い声が聞こえてくる。馬の背に男性の姿が見えてきた。勢い余って落ちないように、男性の身体を両手で支えた。身体に力が入っていないのか、前後左右に揺れ動く。

「前のめりになって、馬に身体を預けてくれてればいい」

 ゆっくりと身体が前に倒れていく。男性は馬の首に顔を埋めるようにし、身体を安定させた。

「手綱は握れる?できるなら、落ちないように握ってほしい」

 男性の腕がゆっくりと動き、手綱を掴む。その腕には力が入っておらず、だらりと垂れた腕で辛うじて掴まっているだけ。

「カミル、ゆっくり移動しよう」

「わかった」

 二人で左右から男性の身体を支えながら進み始めた。


 それから一時間ほどのんびり進んだところで、男性の身体がむくっと起き上がった。

「少しは休めたか?」

 リアの言葉に反応せず、男性は空を見上げている。

「空に何かあるんですかね?」

 男性の視線を追うように、遥か彼方の空を見上げた。特に何かあるわけではなかった。あるのは僅かに雲のかかった青い空。そよぐ風が頬を撫でる。

 この人は何を見ているのだろう?そう思っている時だった。

「矢張り怨竜(えんりゅう)かッ!」

 初めて男性が口を開いた。彼の声は低く良く響く。

 エンリュウ?

 初めて聞く名前だ。リュウという響きが引っ掛かる。どうしても嫌な存在を連想してしまう。竜、この世界の頂点に君臨したと言われる伝説上の生物。と言っても、遥か昔に絶滅したと言われる存在だ。

「あれが……竜!?」

 驚きの混じった声色。視力の良いリアには、迫りくる何かが見えているのかもしれない。

「すまない。あれは私を追ってきた怨竜(えんりゅう)だ…」

 歯を食いしばり、悔しげな表情を浮かべている。

 空の彼方に翼を持った影が現れた。徐々に影は大きくなり、その全貌が露わになる。

 赤黒い鱗に覆われた蜥蜴(とかげ)に翼が生えたような存在。頭には鹿の角のような幾重にも枝分かれしている角が二つ生えている。特徴的なのは、身体がガリガリに痩せた生き物のような、鱗と骨だけの存在に見えるほど身体が細い。怨竜(えんりゅう)の名に相応しい濁った灰色の目がこちらを睨みつけている。

 やけに細い点を除けば、あの見た目は紛れもなく竜だ。

「そんな…、竜なんて伝説上だけの存在じゃなかったのか…」

 意図せず、思ったことが口に出る。

 怨竜(えんりゅう)が羽ばたく度に風が巻き起こっている。

 そうか…、そよ風の正体は竜の羽ばたきだったのか…。

怨竜(えんりゅう)は同族を害した者を殺すまで生涯追い続ける…」

 リアが男性を見上げる。

「お前、何かやらかしたのか!?」

 怨竜(えんりゅう)の方に火の元素の反応を感じ取った。見上げれば、口を開き、今にも炎を吐き出しそうになっている。

「話している暇はないッ!戦闘の準備を!」

 男性が手綱を引き、馬を走らせた。二人を置き去りにして…。

「おいッ!」

 怨竜(えんりゅう)の口から炎弾が放たれた。狙いは馬に乗った男性。彼が離れたことでこちらには飛んできてはいない。

 男性は渦を描くように左の方へと馬を動かし始めた。

 燃え盛る炎弾が、さきほどまで男性がいた場所を(えぐ)る。余波が周りに拡散し、抉られた砂と石の散弾が周囲に飛び散る。

 咄嗟に両腕で顔を覆う。一呼吸遅れて衝撃が二人を襲った。爆風に身体がよろけたが、片足を後方へ引くことでバランスを取る。砂の影響で目も開けられない。時折飛んでくる石がチクチクと身体に当たり煩わしい。

 爆風が収まると視界が晴れてきた。目に映ったのは、停空飛翔し男性を視界に入れ続ける怨竜(えんりゅう)の姿。こちらには目を向ける様子はない。

「カミル、援護するぞ!」

「相手は竜ですよ!?正気ですか!?」

 リアの瞳に怒りの色が宿る。

「なら見捨てろってのかッ!?」

 怒気を含む言葉が胸に刺さった。戸惑う俺を余所に、リアは剣の柄に手を伸ばしている。

 リアの目を見つめ、思いの丈を口にする。

「そうじゃない!悔しいけど、俺は戦力にはなれない思う。その辺の魔物にすら苦戦するのが現実だ。だけど、後方支援ぐらいならできるはずだ!だから、リアがどう動くのかだけ教えて欲しい。邪魔にならないようにしたい…。皆で生き残るために」

 リアの広角が僅かに上がった気がした。

「空を飛んでたらこっちの攻撃手段が限られるだろ?まずはシルフィードで地に落とす。そこから元素を纏わせた物理攻撃に移る予定だ。竜の鱗は硬いという記述があるから、攻撃が通るのかわからないが」

 リアの言葉に頷く。

「わかった。リアの攻撃の合間に、俺も遠距離から攻撃をするよ。少しでも意識を分散させれるように」

 リアは頷くと、両手を前へと突き出した。

「よし、シルフィードを使う」

 両手の先に風の元素が集まり出した。周囲の草がざわめき出し、風が収束するような風の流れを感じる。風が勢いが増していき、シルフィードが放たれようとしたその時、怨竜(えんりゅう)と対峙している男性の「うぉぉぉぉおッ!!」と野太い咆哮が響き渡った。

 見れば男性の左腕が白く輝き出し、巨大な槍の形状へと変化していく。そのまま怨竜(えんりゅう)へと駆け出し、攻撃へと移っていく。

 怨竜(えんりゅう)の周囲に風が吹き荒れ、暴風へと成長していく。リアのシルフィードが発動したのだろう。風の余波がこちらにまで強風を届けている。

 突如吹き荒れた風に抗おうと、怨竜(えんりゅう)は必死に羽ばたく。が、身体の大きさが仇となり、急速に高度を落としてきた。

 男性もシルフィードの影響を受けているのか、馬が足を踏み出せなくなっている。

 怨竜(えんりゅう)と男性との距離が詰まる。

 再び怨竜(えんりゅう)の口が開かれる。光の槍に対抗する為なのか、闇が口元に溢れてきた。

 闇が揺らいでる?

 遠目からでも闇がウネウネと揺らぐ姿が見て取れた。

 普通の闇じゃないのかもしれない…。闇の元素以外にも……、火の元素か!火の元素の反応も感じ取れる。

 怨竜(えんりゅう)の口元に揺らぐ闇は、火の属性も有しているように思えた。

 ふと疑問に思う。二つの属性を兼ね備えた魔法は存在するのだろうか?知る限りでは存在しないはず。例外なのがカナンさんが使っていた聖火だ。光と火の属性を有する炎を操っていた。あれは天から与えられた力。唯一無二の力のはずである。

 でも、聖火が存在している以上、他にも二つの属性を有する力が存在していてもおかしくはない。

「まさか…、魔物にも天技が与えられるということなのか…?」

 闇と火の属性を有する力。言葉にするとするなら、闇火(あんか)、そう呼ぶのがふさわしい。

 闇火が男性に向かって放たれる。

 男性の左手も突き出され、刀身と思われる部分が切り離され、闇火に向かって飛んでいった。

 槍じゃない!?あんな形をしているのに飛び道具なのか!

 闇火と光の刀身がぶつかり合う。

 僅かに光の刀身が闇火の下を進んでいたのか、闇火が跳ね上がり、大地と平行に彼方へと飛んでいった。光の刀身も軌道を変え、怨竜(えんりゅう)の下を通過する形で飛んでいく。

 瞬間的なぶつかり合いにも関わらず、衝撃波が周りに拡散され草原を盛大に揺さぶる。

 暴風の影響でどんどんと怨竜(えんりゅう)が高度を下げ、(つい)には地上へと降ろすことに成功した。


 グァァァァァアッ!


 地上に降ろされたのことに怒りを感じたのか、大きな咆哮を上げる。空気を震わせ、離れた二人にも肌で感じることができる振動が伝わる。

「ここからが本番だ」

 リアが剣を抜く。

「わかってる。こんなところで死ぬ気なんてありません」

 腰にある黒い日本刀を抜いた。

駿動走駆(しゅんどうそうく)!」

 風の元素を足に纏わせると、リアは怨竜(えんりゅう)へと駆け出した。

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