ep.27 叡智の剣と元素の剣
約束を交わした直後に破られることはままある。それが意図したことでないのならまだしも、悪意を以って行われるのは我慢のならないものである。だが、相手の土俵にまで降りてやる必要はない。挑発的な行動にこそ、感情的にならず、落ち着いて毅然とした態度で接するべきである。お前のやったことなど意に介さないと示してやればいい。それこそが最大の仕返しというものである。
そうできないこともままあるが……。
放たれた巨大な炎弾は轟音を響かせ、飛行するオーウェン目掛けて飛んでいく。
強大な元素の反応と轟音を感じれば嫌でも気づくというものである。
オーウェンは翼を広げ、急速に上昇していく。
巨大な炎弾は、大きさこそあれど弾速は速くない。大きさに意識を向けすぎているのか、撃ち出す力がまるで足りていない。当たれば帝都の門の一つを吹き飛ばすくらいはできそうだが。
オーウェンの下を通過し、南区の広場上空まで飛んでいくと霧散した。
炎弾が霧散するのを確認すると、オーウェンは庭園まで舞い戻って来た。
「これはどういった了見で?」
静かな口調で皇帝へと問い質す。オーウェンからは怒りの感情は感じ取れない。
「魔族は滅ぼす。ただそれだけだ!」
「ゼーゼマン!其方の仕業か!」
宰相のゼストがゼーゼマンを糾弾する。
「陛下の言葉に異を唱えるつもりか!」
「ヤツを倒してしまえば問題なかろう?」
「ゼーゼマンッ!?」
二人のやり取りを静かに見ていたオーウェンが口を開く。
「今の攻撃については無かったことにしてやろう。元々こちらから手を出してしまったのが事の発端だ。次に手を出すと言うのなら――」
「ゼーゼマン。貴様を殺す!!」
オーウェンの目が煌々と輝きを増し、殺意の籠った威圧が辺りへと広がっていく。
闇が右手に収束していく。集まった闇は、次第に大剣を模っていく。右手にオーウェンが操る武器、鱗状の大剣が姿を現した。
庭園が戦場になる!?ここから離れないと。
庭園の中央部、東屋にいたカミルは二階へと続く階段の方へと走った。
やばい、やばい…、あのオーウェンって魔族の一撃の巻き添えになったら、一溜りもないじゃないか!
必死に足を動かし、階段の手前まで来るとオーウェンを見上げる。
ここに居れば何時でも避難できる。
慌てたようにゼストが叫ぶ。
「オーウェン殿!今回の処遇、貴方の手を煩わせるに及びません」
ゼストの視線がゼーゼマンを捉える。
「ゼーゼマン、覚悟しておけよ」
睨みつけるゼストを尻目にゼーゼマンは前へと歩み出る。50代後半に入ったにも関わらず、鍛え抜かれた肉体は若々しい。背筋も曲がらず、凛とした佇まいは騎士と遜色ない。白髪ということもあり、見た目だけなら老兵と呼ばれる部類に入るだろう。左腰に繋がれた鞘に左手を添え、右手で剣を引き抜いた。鍔にふんだんに宝石があしらわれた黄金に輝く装飾剣。貴族が好みそうな剣である。六色の宝石が埋め込まれていることから、六大元素すべての親和性を高めているのであろう。豪華さと実用性を兼ね備えた実戦を想定された一振り。
「ゼーゼマン!よせ!やめろッ!?」
「処罰なら受けよう。あの魔族を滅ぼしてからなぁぁぁぁッ!!」
装飾剣を構えると、騎士達を掻き分けオーウェンへと駆け出した。
装飾剣の白い宝石が輝き出し、剣全体を覆っていく。
扉を潜り抜けると踏み込んだ。
「衝波斬ッ!」
装飾剣を振り抜く。剣に纏う魔力が飛ぶ斬撃となりオーウェンに向かって放たれた。
白く眩い輝きを放つ巨大な斬撃が飛ぶ。
その斬撃は明らかに通常の衝波斬とは異なった。純粋な魔力の塊を飛ばす衝波斬は、元素の影響を受けず淡い白色の斬撃と成る。それに対して、ゼーゼマンが放った斬撃は、眩いばかりの白き輝きを放っている。
オーウェンは迫り来る斬撃を見つめる。
あの白い輝き、明らかに元素の輝きだ。暫く見なかったが、失われていたわけではなさそうか。
距離を稼ぐ為、東屋側に後退しながら大剣を構える。
大剣を振りかぶると、白い衝波斬に向けて振り切った。
大剣から闇が生まれ、斬撃と成り飛び出す。それはまるで、白い衝波斬と対を成すような漆黒の衝波斬のように見えた。
お互いが引き合うように白と黒の衝波斬がぶつかり合う。
ドゴォォオンッ!!
火薬が破裂するような重い音が周囲に響く。
相反する元素がぶつかり合うことで、世界の理に則るのであれば対消滅する。
次第に衝波斬は消滅し始めた――漆黒が白を塗り潰して。
迫り来る漆黒の衝波斬。
ゼーゼンマンは驚愕の顔を浮かべると、必死に左へと転がるように飛び退いた。
漆黒の衝波斬が、さきほどまでゼーゼマンのいた玉座の間の入口付近を吹き飛ばす。
ゼーゼマンは片膝をついたままオーウェンを見上げた。
「何故だ…、何故この剣が撃ち負けるッ!?」
悔し気に顔を歪ませている。
「この剣は帝国が誇る技術の結晶!人の叡智を集めた元素の剣なんだぞッ!貴様のような魔族がそれを上回る?そんなことが許されてたまるかッ!!」
ゼーゼマンの装飾剣が、今度は真っ赤に輝き始めた。
トントントントンッ
オーウェンとゼーゼマンの戦いに釘付けになっていたカミルの耳に、誰かが階段を駆け上がって来る足音が聞こえてきた。
反射的に顔を向けると、鎧を身に纏ったリアの姿があった。
「リアさん!?なんでここに?」
宿屋にいるはずのリアが、カミルを見上げる形で階段の半ばで立ち止まった。
「仲間が騎士団の詰所にいるみたいだから登城してきたんだよ。城門抜けたらすげー音してるから、ちょっと様子見に来ただけ。カミル、お前こそなんでここにいるんだ?」
言葉を交わしながらカミルの横に並び立つ。
「エジカロス大森林で出会った魔族が――」
ドゴォォォォオンッ!
言葉の途中で再びの轟音。
振り返れば、人を丸ごと飲み込めそうな大きさの燃え盛る真っ赤な衝波斬がオーウェンに向かって放たれていた。その後ろに装飾剣を振り切ったゼーゼマンの姿がある。
オーウェンは慌てる様子も無く、大剣を横一文字に振り払った。再び漆黒の衝波斬が生まれ、真っ赤な衝波斬と激突する。
真っ赤な衝波斬は闇を払うように突き進み、押し始めた。
その様子に、ゼーゼマンがニヤリと笑う。闇を打ち払うような炎に希望を見出したのかもしれない。
真っ赤な衝波斬の勢いは衰えず、闇の中心を喰い破るかの如く押し進み、そして――闇に覆われた。
「なッ!?」
ゼーゼマンの思い描いた結末とはならなかった。
真っ赤な衝波斬を包み、飲み込み、衝波斬は漆黒に染まり爆散した。
炎が闇に飲まれた光景に、カミルもただただ眺めることしかできない。
オーウェンが操る漆黒の闇は、世界の理から逸脱している。遠目から見たら生み出された衝波斬はほぼ同じ大きさなのに、対消滅も相殺も発生しない。一方的に闇がすべてを飲み込んでしまっている。
オーウェンだけではない。人の言葉を操る魔族に共通するのは、こちらの攻撃が通りづらい点。ほとんどダメージを受けていないと言っても過言ではない。オーウェンにとって、ゼーゼマンの攻撃もその例外に漏れず、通りづらいのではないだろうか?
「ハハハハハハハハッ!」
オーウェンの笑い声が響き渡った。
「元素の剣を謳う割にはひ弱すぎる」
ゼーゼマンは表情を崩さずにオーウェンを見上げるも、内心穏やかではなかった。
何故だ、何故あんな魔族風情に私の攻撃が通らない!?
装飾剣にちらりと視線を送る。黄金色の輝きの中に埋め込まれた宝石。そこから発する元素の輝くが、存在感を主張している。
長年かけて集めた、元素の純度の高い宝石なんだぞ…。
高純度の元素の宝石は、長い年月をかけて元素が結晶化したもの。宝石が大きく純度の高いものになるほど、元素との親和性が高くなり、結果として少ない魔力で高出力な魔法の行使が可能となる。
オーウェンの様子を窺う。不敵に笑うその姿には余裕を感じられた。こちらの出方を見ている節がある。
忌々しい魔族め!目に者見せてやろう…。
「これがこの剣の全力では無いに決まっておろう!」
感情的に訴えるゼーゼマンの姿に、「ならば、全力で挑んで来い」オーウェンは挑発的な態度を取る。
装飾剣が再び真っ赤な輝きを放ち出す。元素の輝きが火へと変化し、炎を纏う剣へと姿を変えた。
装飾剣の剣先を後方へと向けるように、剣を引いた構えを取った。
「もう準備はいいのか?」
侮蔑したような視線を受けるも、ゼーゼマンの表情は揺るがない。
「傲慢不遜なその態度もこれまでだ」
城の西側の一角に、強大な元素が集まり出し、再びドォォォオオンッ!!と耳を劈く轟音が響き渡った。
反射的に音がする方へと顔を向けるオーウェン。
城を去ろうとした時に放たれた炎弾に酷似した魔法が迫る。規模は前よりも小さく人を丸のみするほどに抑えられている。大きさに回すエネルギーを撃ち出す速度に回したのか、幾分か速くなっている。
再び漆黒の衝波斬を放とうと、鱗状の大剣を振りかぶったその時……、炎弾は大きく軌道を変えた。
大剣を振りかぶった状態で止め、炎弾の動きを注視する。
不自然な曲がり方だ。まさか、制御できていない?
あろうことか、炎弾は大きく曲がり、玉座の間の扉を目掛けて飛んでいく。
驕り高ぶった人の末路か…。何時の時代も人というのは変わらぬものよ…。
ゼーゼマンに視線を移す。
彼は――笑っていた。
正気を失った笑いではない。この状況は想定の範囲内、彼の瞳がそう語っている。
何か仕掛けてくる。闘争心に翳りの見えないところを見るに、あの炎弾を利用した何か。元素の剣を謳う剣は、爛々と真っ赤に燃え盛っている。来るのは十中八九、赤の力だろう。
大剣を握っていた指の力を抜いていく。大剣は落下を始めると、溶けるように消えていった。
炎弾が玉座の間の扉に迫る。
ぶつかればゼーゼマンだけではなく、周囲にいる者を巻き込んで大惨事となるだろう。ヘタをすれば皇族にも被害が及ぶ可能性すらある。
ゼーゼマンは装飾剣を引いた構えから、炎弾に向けて突き出すように翳した。炎弾は装飾剣に引き寄せられるように炎がうねり……余すことなく装飾剣に纏う炎に吸収されていく。
装飾剣の炎が揺らぎ、燃え広がるかのように大きな炎へと変化し広がる。剣先から炎が飛び出ており、装飾剣の刀身が伸びたような錯覚すら覚える。炎の熱気によって剣の周りの大気が陽炎のように揺らいで見える。
巨大な炎の太刀がオーウェンを見据える。
さきほどの炎弾といい、城の左右から撃ち出される魔法はどうなっている!?人ひとりが扱える元素量を逸脱している。どういった経緯であんな力を振るっているのかわからんが、あの剣をそのままにしておくのはまずい。破壊しておかねば。
ゼーゼマンに向け両手を突き出すと、黒の力を両手に収束し始めた。
「おやおや、大剣を消し去るとは。よほどこの一撃が怖いと見える。さきほどまでの威勢はどこへ行ったのやら」
仕返しとばかりにゼーゼマンが毒づく。
「貴様自身の力であれば、素直に賞賛してやったというのに…。借り物の力で吠えるとは滑稽な」
「狡猾な魔族が何を言う!」
睨み合う二人。張り詰めた空気が場を支配している。
こうなってしまっては止める手段がないのか、皇族も騎士団も、ただ事の行く末を見守っている。
「あれはエジカロス大森林の時の…」
リアの脳裏に刻まれた恐怖が呼び起こされ、僅かに肩を震わせている。
「はい…。この城の有様も、オーウェンというあの魔族が原因です」
「そんなヤツが何故城に…」
「『ヤツを出せ』と言っていました。エジカロス大森林でも誰かを探している素振りがありましたから、もしかしたら帝国の関係者なのかもしれません」
力の波動を感じた、確かにオーウェンはそう言っていた。少なくとも、帝国に関係する何かを追っているのだけはわかる。帝都付近をうろついていたのも、追ってきた可能性を考えれば納得がいく。
「オーウェンって魔族もやばいが、フェルロット公爵のあの剣も相当やばいぞ。元素の濃度が今までに見たこともない状態になってる…」
高位の冒険者パーティー『聖なる焔』として活動してきたリアにとっても、ゼーゼマンが扱う装飾剣の炎は異様に映るようだ。
不謹慎だが、強大な元素のぶつかり合い。そんな歴史的瞬間を目撃できるかと思ったら、そわそわとしてくる。
ゼーゼマンの身体が一瞬光に包まれた。
それが、強大な二つの元素がぶつかり合う合図となった。
装飾剣に纏う炎が蠢きオーウェンに向かって伸び始めた。さきほどまの衝波斬とは違い、魔法による炎の柱。その周りを纏わり付くように炎の渦が生まれ、周囲の酸素を取り込みながら炎の勢いは拡大していく。
迫り来る炎の圧力に、オーウェンもまた両手に収束させた闇の波動をゼーゼマンに向けて放った。騎士の槍に放った力とはまるで違う。ゼーゼマンの放った炎の柱に劣らない、深い深い闇の元素の塊。規模でいうならば、圧倒的にゼーゼマンの炎の方が優勢に見える。
ドッゴォォォォォォオンッ
炎と闇、二つの強大な元素がぶつかり、重たい音が衝撃と共に城に響き渡った。
その衝撃は、地震でも起きたかのように大地を揺さぶり、ビリビリと空気を震わせる。
二つの元素が拮抗しているのか、衝撃は収まらず、炎と闇がぶつかり続けている。
オーウェンによって破壊された玉座の間の一部が、衝撃でガラガラと崩れ落ち、さらに穴が広がった。
立っていることができず、この場にいる誰もが地に這い蹲るように、四肢で倒れないように体勢を維持するのに精一杯だ。
「うわッ!?うわぁぁぁあ!?」
カミルは体勢を崩し、前のめりになるように地面に張り付いた。
「きゃっ!?」
短く可愛らしい悲鳴が響いた。それと同時に、背中に衝撃が走る。
リアが倒れ込んで来た。そう理解するのに時間はかからなかったが、背中に受けた衝撃は、遥かに軽いものだった。それはリアが他のエルフ族とは違い、筋肉量が少なく、スタイルの維持をしてきた賜物。一般的な筋肉質なエルフにのしかかられれば、潰れたカエルの声が漏れていたに違いない。
「リアさん、大丈夫ですか?」
腕でぐっと身体を持ち上げながら「わ、悪い。……重く、なかったか?」少し恥じらうような声で訊ねてくる。
リアが身体を起こしきるのを確認すると、カミルも身体を起こした。
「リアさん軽すぎですよ。ちゃんとご飯食べてますか?ちょっと心配になるくらいなんですけど」
服に付いた砂を手で払い、元素のぶつかり合いに視線を戻す。
苦笑いを浮かべるリアは「栄養は考えながら食べてはいるんだけど、たまーに絞る時はあるかなー?」語尾が消えるように小さく声が萎んでいく。
リアの方へ顔を向けると、瞳を見つめる。
「身体に支障をきたしていないなら良いですけど…。リアさん十分細いので、変に痩せようとしたら駄目ですよ?せっかく魅力的なスタイルなんですからね」
言うだけ言うと視線を戻した。
何が起こるかわからない元素のぶつかり合い。周囲にどんな影響を与えるかわかったものではない。何が起きても良いように備えておくべきだ。
「あ、ありがとぅ――」
リアの消えそうなか弱い声は、衝撃音に搔き消され、カミルの耳に届くことはなかった。恥じらうその姿を見ることもなく。
元素が押し合い、ぶつかり合い、常に元素同士が霧散させ合う。圧力がかかり過ぎたのか、炎と闇の境界線付近の大気が歪み始めた。
その変化に騎士団も気づいたのか、玉座の間の奥へと避難を始めた。
空間が歪み、景色が歪む。
まるで、圧縮された力が逃げ場を求めて広がるように。
圧縮。その言葉に引っ掛かりを覚える。
炎の熱量が圧縮され、霧散する火の元素という燃料がある。炎の渦が周囲の空気を取り込んでいる。
それらが齎す結果は……。
リアの手をガシっと掴むと「すぐにここから離れましょう!!」有無を言わさず手を引き二階へと避難しようとした。
急に引っ張られる形となったリアはバランスを崩し階段に向かって倒れ込む。咄嗟にカミルの身体にしがみ付く形となり、二人揃って盛大に転んだ。カミルを下敷きにして。
「急に引っ張るな!危ないだろう!」
非難するリアに構っている余裕はない。
「リアさん、立って!じゃないと爆発が…!」
ボゴォォォォオンッ
ボッガァァァァンッ
背中越しに大きな破裂音と爆風が吹き荒れた。
遠くに避難こそできなかったが、倒れ込んでいたことで身体が吹き飛ばされることはなかった。
「爆発が一度だけとは限りません!リアさん立って!!」
急かされ、リアは慌てて立ち上がる。
圧力から解放されたことを背中で感じ、リアに続いて立ち上がった。
ドォォォォォオンッ
ボッガァァァァンッ
庭園の砂や埃が巻き上げられたことによる二次爆発が広がる。
立ち上がった直後ともあり、爆風で身体を揺さぶられたが、何とか体勢を維持できている。
リアも足を踏ん張り耐えていた。
「リアさん、すぐ二階に降りましょう」
足を一歩踏み出した、その直後、身体が後ろへと引っ張られる。後方にいるリアが引っ張ったわけではない。誰にも触れられず、身体が後ろへ引っ張られる。周囲の空間ごと後ろに吸い込まれるように。
顔を後ろへと向けると、そこにあったのは空間が歪んだ大きな穴。炎も闇もなく、元素のぶつけ合いをしていたゼーゼマンの姿も、オーウェンの姿も確認できない。その代わりに東屋の少し上の中空に、直径15mほどの穴が空いている。空間の穴の中は淀み窺うことはできない。その穴が周囲にあるものを根こそぎ吸い込んでいる。
なッ!?
思考が停止しかけた。目の前で起こる現象を受け入れたくはなかった。
カミルの視界に映ったのは、さきほどまでいた東屋が軽々と持ち上がり、空間の穴の中へと消えていく姿。
あんなのに巻き込まれたら、ただで済むはずがない。
「くッ…」
短いリアの言葉が耳に届く。視線を横へずらすと、リアが徐々に庭園の方へと地を滑り始めている。カミルよりも庭園側にいる為か、影響を強く受けているようだ。
空気抵抗を少しでも下げようと、リアは屈み身体を丸くしている。飛ばされないように階段のヘリに指をかけ耐える。
リアに倣い、身を屈め、階段のヘリに指をかけた。
カミルより体重の軽いリアの方が飛ばされやすい。手を差し伸べたいところだが、想像以上に空間の穴の吸引力が強く、体勢を崩せば一瞬で穴に吸い込まれるだろう。
すっぽ抜けそうな指を懸命に引っかけ、謎の現象が収まるまで待つ。そうすることしかできなかった。
不意に、リアの片腕の指が階段のヘリから滑り落ちた。リアの身体が大きく揺らぐ。
「リアさんッ!?」
片腕では身体を支えることができないのか、徐々に、徐々に指が滑り始めている。
カミルは躊躇なく左手を階段のヘリから離し、リアへと差し伸べた。
「リアさん早く捕まって!!」
カミルの指も滑り始める。
「馬鹿野郎!お前こそしっかりしがみ付け!私に構うな!!」
「嫌です!俺は絶対に諦めません!!はやく、早く手をッ!?」
俺は人生を全うしたい。理不尽に奪われることなく、生きて、生きて、生き抜くと決めている。でもそれは、誰かを犠牲にしたり、見捨てたりして命を繋いでいくことなんかじゃない。藻掻き苦しんだとしても、救える命は救いたい。目に留まるすべてを救えるわけではないのはわかっている。それでも!
「見捨てたりなんかしないッ!手を、手を取ってください!」
「カミル…」
必死に手を伸ばすカミルの姿を見つめる。いつ吹き飛んでもおかしくない状況なのに、自分を顧みず手を差し伸べてくれる。カミルの優しさに触れ、リアは意を決した。
リアの手が伸び、カミルの手を掴んだ。
「一気に引き上げます」
グッとリアの手を握るカミルの手に力が籠る。徐々に徐々にリアの身体が階段へと引き寄せられていく。
その間にもカミルの指は滑り続けている。
耐えろ、耐えろよ俺の指ッ!
カミルの身体付近まで引き上げられたリアは、階段を掴んでいる手を掴み直す。
それを確認したカミルは「手、放しますね」徐々に握る手の力を抜いていく。
リアの手が抜け、もう片方の指も階段のヘリへとかかった。
「すまない…」
リアがしっかりと階段に捕まるのを確認すると、自分の指を再び階段へとかけ、滑ってかかりの悪くなった指を掴み直した。
ようやく安堵のため息をつく。一先ずの危機は脱した。
「カミル!前!」
リアの叫びで顔を二階の方へと向ける。鉄の棒に布の付いた物が迫って来ていた。
「帝国の御旗!?」
二階の階段付近に掲げられていたであろう、5mほどの大きさの帝国の旗が二人を目掛けて飛んでくる。
元素のぶつかり合いの衝撃で床にでも落ちていたのだろうか…。
考えても仕方のないことが頭の中を駆け巡る。
階段にしがみ付いたこの状況では、防ぐことも躱すこともできない。
ポール部が階段にぶつかり、カーンと高い金属音を響かせ、二人の前に迫る。
跳ねたポール部が、カミルの頭を叩くようにぶつかった。
ぶつかった衝撃で意識を失ったのか、力無く旗と共にリアを庭園へと押し出した。
「カミルッ!カミルッ!?」
吹き飛ばされながらも、リアはカミルの身を案じた。
漂う浮遊感。
掴まる物もなく、助けを乞える相手もいない。
この現象の中心点。
歪んだ空間の穴へと吸い込まれていく。
誰の目に留まることも無く、二人の姿は消えていく――。
それから暫くして庭園の中空に開いた穴は自然と消滅した。
爆発の衝撃でゼーゼマンは吹き飛び、騎士達を巻き込んで壁へと叩きつけられている。
騎士団に大きな被害はなく、皇族たちも駆けることなく無事である。歪んだ空間の穴が発生した際、開いていた門を吸い寄せ扉が閉まったことで、吸い込まれる者もおらず、最小限の被害で済んだようだ。
「終わったのか…?」
皇帝の呟きに金縛りから解かれたかの如く、場の空気が動き出す。
「そのようですな…。そうだッ!オーウェン殿はどうした!?扉を開け確認せよ!」
ゼストの号令で騎士達が動き出す。
重たい扉がゆっくりと開かれていく。
外から刺し込む太陽光が一瞬世界を白く映し出し、次第に色を取り戻していく。
扉の先は――見るも無残な庭園だった空間だけが取り残されている。東屋は消え、草木は剥ぎ取られ、玉座の間と庭園を繋ぐ通路には大きな穴が空いている。
そこに、オーウェンの姿は無かった。
「オーウェンなる魔族の姿は確認できません!」
騎士の一人が報告を上げる。
「何とか乗り切ったか。精霊様のご加護があったのかもしれぬ」
皇帝はようやく安堵した。
強大な力を持つオーウェンなる魔族との戦いを避けるために事を運んでいたものを、ゼーゼマンに台無しにされたのだから無理もない。
「精霊とはそのような存在ではありませんよ」
皇帝の言葉にゼストが言葉を返した。
「ふむ。ゼスト、お主は精霊をどのように捉えておるのだ?」
「精霊とは元素を独占する存在です。世界を牛耳っていると言っても過言ではないかと。元素を精霊たちから解放してやらねばなりません。さすれば、世界は本当の意味で自由になるはずです」
「興味深い考え方ではあるな。何にせよ、人的被害が少なかったことだけは救いか」
人的被害は軽微なれど、城への被害は甚大。
ここから先、帝国の税が僅かに上昇した。大きく上げ過ぎれば、国民の生活を圧迫してしまう。長い期間を設けて、費用を賄わなければならない。
皇帝の言葉に従わなかったゼーゼマンは爵位を剥奪され、城へと捕らえられた。取り潰しとなったシャルロット家は夫人と子息が捕らえられ、城の復興作業が終わるまでの間、強制的な労働力として扱われることとなる。反逆罪の大罪人の血縁ということで死刑であってもおかしくはなかった。宰相のゼストの「殺すなど勿体無い。罪の重さを労働で贖わせろ」の一言で、命だけは繋ぎとめることができた。
公爵の一人がいなくなったことで、帝国の権力争いは下火となっていく。
寒さに身震いし目が覚めた。
目に映るのは広がる星空。
脳が目覚めていないのか、頭の中は霞がかかっているようだ。
俺はなんでこんな場所で寝てるんだ?
半身を起こそうと身体に力を入れると、ズキッと背中に痛みが走った。痛みのせいか、体中から汗がじわっと噴き出して来る。
こんなところで寝ていたら風邪を引いてしまう。
痛みに耐えながら両腕で押すようにして半身を起こした。
視界がぐるりと切り替わる。
そこは……何もない草原だった。
月明かりが僅かに周囲を照らし出す。
視界の端に女性らしき人影が倒れている。
反射的に「助けないと」そう思い立ち上がった。
風に靡く草を踏みしめ、女性へと近寄っていく。
銀髪の毛先に動きがあるボブカットのエルフ――リアが横たわっていた。
その瞬間、意識が途切れる前の記憶が蘇る。
そうだ、俺は頭に帝国の御旗をぶつけ……。
カミルはリアへ駆け寄る。肩を揺さぶりながら「リアさん!リアさん!」呼びかけた。
御旗を頭にもらい意識が飛んで、その先何が起きたかわからない。俺でさえ身体を打ち付けたような痛みがあるんだ。リアさんも身体を叩きつけられていてもおかしくはない。
呼吸をしているか、胸の上下で確認しようと顔を胸の真横へと持っていき確認する。
胸はゆうくりと上下を繰り返し、呼吸をしているのを確認できた。
良かった…。最悪の事態には陥っていないようだ。
思わず表情が緩む。
「おい」
不意に声をかけられる。
「人が倒れているってのに、人の胸をガン見してんなよ」
言われて自分の今の体勢がどんなものか理解した。横たわる女性の胸を横からガン見する変態である。
弾かれるように身体を起こした。
「こ、これは、違うんですッ!」
両手を前に出し、左右に振って否定する。
「何がちげぇーってんだ?表情緩めて拝んでたじゃねーか!」
リアが半身を起こし、カミルに凄む。
「息をしてるか確認してただけですって!?」
「そんなもん、脈取ればいいだけだろ!」
そんな方法あったな…。
「すみません…。焦ってて気づきませんでした」
目を伏せ素直に謝ると、リアの言葉が途切れた。
不意に頬に手が添えられる。
「大丈夫そうだな」
リアの言葉に目を開けると、リアの表情に視線が釘付けになる。
目から頬を伝う一筋の涙。月明かりが涙に反射して、僅かにキラっと輝かせている。心から安心したように、微笑んでいた。
「本当に無事で良かったよ」




