ep.26 黒を放つ者、黒を纏う者
全身を黒に染めたかのような翼を持つ魔族の登場によって、玉座の間は凍り付いていた。眼光鋭く赤く輝く瞳から発せられる威圧に、騎士団を含め誰も動けずにいる。追い打ちをかけるかの如く放たれた人の言語。情報量の多さに脳が追いついていないかもしれない。
静寂を貫く帝国側に再度魔族は語り掛ける。
「ヤツはどこだ?」
遠く離れたカミルの耳にも届くその力強くも地を這うように響く声は、誰かを探していることを示している。
帝国が魔族の探し人を匿っているのか?もし、そうだとするのなら、あの魔族と敵対することになてしまう…。まずい…。
「ははッ、ははッ、ハーハッハッハッハッハ!」
どこからか高笑いが響いてきた。声の主を探ると、白髪パーマの50代半ばの男性に行き着いた。
「そうか。お前の探し人は、エルンストか!」
なッ!?そんな馬鹿なことがあるものかッ!
カミルはエルンストに言われた言葉を思い返していた。
『ゼーゼマン・フェルロット公爵には気を付けろ』
確かにハーバー先生はそう言っていた。だとすれば、あの声の主がフェルロット公爵か。
「そうであれば、この場に来たことも合点がいくわ!」
ゼーゼマンの言葉を聞いた魔族は反応を示さない。ただ黙ってゼーゼマンを眺めるばかりだ。
「反応が無い、つまりは探し人がエルンストでは無いという証明ではありませんか」
凛と響く通る声がゼーゼマンに反論する。
あの声、フローティア皇女か。
彼女はエルンストの無実を信じている一人だ。濡れ衣を着せられそうになって黙っているわけがない。
「名前を知らぬだけかも知れませぬぞ。何はともあれ、あの魔族を堕とさねばなりますまい。帝国を護りし精鋭達よ!あの魔族を撃ち落とすぞ!!」
ゼーゼーマンの号令に、騎士達の身体の硬直は解かれた。剣を握り臨戦態勢へと移っていく。
「まずは皇帝陛下を見下ろすその不遜な行いを正さねばならん!皆の者!撃てェェ!!」
騎士達による魔法攻撃が開始された。放たれたのはすべて火属性の魔法だ。魔族目掛けて幾つもの炎弾が飛び交っている。属性を統一することで、火属性の威力を底上げする狙いだろう。
騎士団による炎弾の乱射により、玉座の間が煙によって視界が塞がれる形となった。魔族が居たであろう場所からは物音一つせず、その存在がどうなったのか確認ができない。
煙が薄れ、視界が晴れ始めると、玉座にいた皇族の姿は消えていた。騎士団の攻撃の間に、騎士団長のガナードと副騎士団長のソルが、魔族との距離が稼げる場所まで誘導したようだ。
徐々に魔族が居た場所の煙も晴れていく。
そこには…、闇の球体が浮かんでいるだけだった。
「何だあれは…」
ゼーゼマンの声が響く。
闇の球体を見たカミルは既視感を覚えた。
あの闇の塊…、技能実習の時にハーバー先生を覆ってたものと似ている…。
カミルの中に一抹の不安が燻り始める。
まさかね…、そんなわけ…、そんなわけない。
自分に言い聞かせるように否定した。
覆っていた闇の形が崩れ始め、中から魔族の姿が現れた。激しい炎弾を浴びたのにも関わらず、一切の傷を負うことも無く。
魔族はゼーゼマンを一睨みすると、
「対話することもできん愚者か。そのような者が上に立っているとは…、騎士団も苦労しておるな」
騎士達に向け、憐みの目を向ける。
「多少は人の言葉を操れるからと言って調子に乗るんじゃない」
魔族の煽りに、ゼーゼマンは穏やかに口調で切り返した。
帝国の重鎮ともなると、精神的な煽り耐性が高いのかもしれない。
「エルンストとかいうヤツと俺を繋げたいらしいが、エルンストなる人物など知らん」
魔族自身が完全に関りを否定した。
フェルロット公爵が苦虫を嚙み潰したような顔へと変化していく。
カミルはホッと一息をついた。先ほどまで頭の中にチラついていた、魔族とエルンストの関係性を、魔族が否定してくれたのだから仕方ない。同時に僅かにでも疑ってしまったことを恥じた。
仲間を疑うなんて…、俺の心はまだまだ弱いみたいだ。
人を信じ抜けること。それは、今までどれほどの時間真摯に向き合い、理解しようとしたかで決まる。その人に興味を向けなければ、そもそも信じるということができないだろう。上っ面だけで信じると言ったところで、いざとなれば簡単に手の平を返す。人と人との繋がりは、短い期間では築いていけないものである。自分の事を信じて欲しければ、まず自分自身が相手を信じることから始めなければならない。
強く在りたい。カミルの心は強くそう訴えていた。
カミルが自分の心の弱さを恥じていると、
「俺が興味があるのは、あの黒い日本刀の前任者だけだ」
魔族は指を差し、カミルの方を示してきた。
この場にいるすべての視線が、東屋の椅子の上に立つカミルへと注がれた。
咄嗟に椅子から飛び降りてしまった。何か疚しいことがあるわけではない。注目を浴びてしまい反射的に目立つ所から飛び降りただけだ。
視線を魔族へと戻す。幸い中空に漂っているので、椅子から降りたところで見えなくなるわけではなかった。未だに多くの騎士がこちらに視線を送っている。
魔族の視線がこちらへ流れたのを好機と思ったのか、一本の槍が魔族に向かって飛んでいく。騎士の判断は悪くない。通常の魔族になら、ではあるが…。
殺気を感じ取ったのか、魔族の視線が槍へと向けられた。
魔族の手から鱗状の大剣が溶けるように大気へと消え去っていく。両手を下から飛んでくる槍に突き出すと、両の掌の前に深い闇が収束し始めた。
槍が魔族へと到達する、その瞬間、闇の波動が解き放たれた。
放たれた闇は槍を、投げた騎士と周囲の騎士を、床をも飲み込み周囲を喰らう。
ベキキキキィンッ
グキッグキバコッバキィンッ
バコォンッバキバキッ
金属が拉げ、人の骨肉が潰れ折れ、床が崩れていく音が玉座の間に響き渡る。床を突き抜けたのか、ドゴンッ!という重低音を響かせながら、衝撃が床を通して伝わり揺れを僅かに伝えてくる。二階の床をも突き抜けているのか、音が途切れることなく響く。
音が聞こえなくなったのは、それから暫くしてからだった。
魔族から伸びる闇が次第に晴れていくと、静かに魔族の口が開かれた。
「俺は帝国と争う為に来たわけじゃない」
「これだけ破壊しておいて…、争うつもりがない!?信じられるものかッ!」
間髪入れずにゼーゼマンの怒声が響く。
「今のは正当防衛とかいうやつだろう?ヤるつもりならとっくにそうしてる」
魔族の言葉には、やはり理性がある。人を襲う襲わないを、どんな判断基準なのかはわからないが、意識的に決めている。
「先に手を出したのはそちらではないかッ!!」
ゼーゼマンの主張は尤もである。
「ヤツの力の波動を感じた。だから初めに言っただろう?ヤツはどこだと」
「ヤツ?ここにいるのは帝国の関係者だけだ。他にはおらん!」
言葉が途切れると、不穏な空気だけが漂っている。
「そうか。それはすまないことをした。これだけ騒いで出てこないのなら、俺の勘違いだったのだろう」
魔族が人に謝るという姿に、帝国側はざわめいた。
「もう、良い」
唐突に一人の男性の声が響いてくる。
視線が声のする方へと集まっていく。
「魔族の――というのも失礼か、其方、名を何という?」
「オーウェン・イヴェスター」
「オーウェン殿、貴公は一般的に魔族と呼ばれる者達からかけ離れ、異質な存在に思える。こうやって人の言葉を操る上、しっかりと対話をすることもできる。だからこそ、オーウェン殿と取引がしたい。城への破壊行動を不問とする代わりに、不用意に帝国に近づくことを控えていただきたい」
「陛下!魔族の言葉を信じるのですか!?人を謀る為に言葉を会得しただけかも知れませぬ!何卒、攻撃を!!」
その声からは憎悪を感じ取れた。フェルロット公爵は魔族がよほど嫌いらしい。
「ゼーゼマン!!だまれ。陛下が判断を下したのだ。其方の行為は越権行為であるぞ。加護が施された城が崩れている。それを意味するところが解らぬ其方ではあるまい」
檳榔子黒色の髪を七三分けにした宰相――ゼスト・ナハトースから窘められ、ゼーゼマンは口を噤んだ。
加護の魔法が突破されたということは、オーウェンの放つ攻撃が極致魔法に匹敵するということである。
「約束はしかねるが、善処はしよう」
皇帝はゆっくり頷くと高らかに宣言する。
「オルブライト・アズ・クルスの名において、今回の件、不問とする」
あのオーウェンという魔族が本当に信用にたる者かは不確定ながら、玉座の間でのこれ以上の戦闘は回避することができた。
「オーウェン殿、ご退場を」
皇帝に促され、オーウェンはゆっくりと翼を使って移動を始める。騎士達の上を飛び越え、扉を潜ろうとしている。騎士達は忌々し気に睨みつけている。仲間がやられたのに、ただ黙って見送ることしかできないことが悔しいのかもしれない。
扉を抜けると真っすぐカミルの方へと進んでくる。
カミルはそれをただ見つめることしかできない。今起きている出来事を理解するのに精一杯で、身体を動かすことができなかった。
ゆっくりと近づいてくるオーウェン。カミルの頭上を飛んでいく、そう思われた時、「またいずれ会おう」カミルにそう呟くと南下していく。
あっけに取られ、オーウェンを見送る。
その瞬間、城の東側の一角から強大な元素の反応を感じ取った。
なんだ!?
咄嗟に元素の反応があった方へ顔を向けると、ドォォォオオンッ!!と耳を劈く轟音と眩い光を放ちながらオーウェンに向かって巨大な炎弾が発射された。
― クルス城 地下牢 ―
地響きを伴う大きな衝撃が地下牢に響いてから、囚われている囚人達が騒がしい。
「おいおい大丈夫なんだろうなッ!」
「こんなとこで死ぬのなんか嫌よッ!」
子供の泣き声まで聞こえ始めた。
傷を癒そうと瞑想しているエルンストには、周りの声が届かない。いや、届いてはいるが、気にしていなかった。
ゼーゼマンが動いている以上、俺を必ず殺しに動く。捕らえさせたのはただの政治的なパフォーマンスに過ぎんだろう。もっと直接的に、暗殺者を送り込んでくる可能性が高い。俺はまだ死んでやることはできん。自分の身は自分で守らなくてはな…。
狭い牢の中でどう抗うのか。両腕には鉄製の腕輪が嵌められ、腕輪から伸びた鎖で腕同士が繋がれている為、両腕の可動域を制限されている。両足には鉄球付きの足枷ときたもんだ。纏を使えば容易に移動はできるが、燃費の悪い纏を使い続けるのは自殺行為だ。せめて…、せめて剣さえ手に入れば……。
ちらりと警備兵の腰にある剣を覗き見た。
距離はそこまで離れてはいないが、加護の魔法で強化されている檻がある以上、奪おうとすることは困難だ。極致魔法で破壊することはできそうだが、地下の空間が耐えられそうにない。失敗したら瓦礫に飲まれてしまうだろう。
何にせよ、体力が足りていない。今はただ身体を動かさず回復に努めるしかない。
ソル達がいなくなってからどれだけ経っただろうか。すぐに降りてこないところを察するに、先ほどの衝撃音だけで済んではいないのだろう。
淀んだ空気が気持ち悪い。地下牢とはここまで穢れを感じるところだったとはな…。
簡易的なベッドと洗面台、囲いのない便器。今までに暮らしたことのない劣悪な環境に、エルンストの気持ちも曇り気味だ。
すぐに帰ってこないのなら、一度眠りについたほうが良いかもしれない。
ベッドへと移動しようとしたその時、凄まじい音と共に、頭上から禍々しい闇の波動が地下牢を貫いた。
衝撃波がエルンストの身体を襲う。壁に背を預け凭れるようにしていたのは幸運だった。もし立ち上がっていたら、衝撃波で吹き飛ばされ、身体を壁に打ち付けていたであろう。
頭上から瓦礫がボロボロと落ちてくる。壁を透過して闇が届いているわけではなく、物理的に壁をぶち抜いてここまで到達しているようだ。
闇の波動を眺めていて一つの考えが頭を過る。
この闇の元素を利用できないか?
目の前は闇で覆われ視界が奪われている。これに乗じれば脱獄できるのではないか?と考えていた。
徐ろに立ち上がると、纏を足に使い足枷にくっついている鉄球を闇へとぶつけて見る。
闇に触れた途端、鉄球が拉げる音を立て、跡形もなく消え去った。
これは使える。
思わず口角が上がる。
もう片足の鉄球も闇にぶつけ消し去った。
あとはこの腕同士を繋ぐ鎖のみ。だが、鉄球みたいに突き出して闇に触れさせることはできない。この闇が何時までも続くとは到底思えない。地下牢を抜け出すなら、この闇が消えた瞬間しかない。
一つ気になる点がある。謎の闇の波動が地下牢を貫いたにも関わらず、警備兵が声を上げていないことだ。明らかに異常事態だろうに、驚いた拍子に声を上げたり、仲間を呼ぶ声が聞こえてもおかしくはない。なのに、先ほどからこの闇越しにいるであろう警備兵に動きが無いのだ。
そうこうしている内に、頭上の闇から順に端に向かって闇が溶けていく。
エルンストは脱獄する腹を括る。
壁が破壊されているのなら、穴を通じて一階へと飛び出ることができるはずだ。
飛び上がる為に、身を屈めるようにし、足に力を込める。闇が晴れ、穴へ向かって飛び出す――ことはしなかった。
「檻が消し飛んだ…?」
思わず声に出た。
闇の波動が消えたその先にあるべき檻が綺麗さっぱりと消えていた。どうやら闇の波動は檻まで飲み込んだらしい。それだけではない。檻の外にいたであろう警備兵が、頭から股間まで縦に半身抉れた姿で床に横たわっていた。残された半身から血が零れ落ち、鮮血の海を作っていた。顔に残された目は大きく見開かれ、そのまま生命活動を止めてしまったようだ。
闇が抉った床を飛び越え、警備兵の亡骸に近づく。
手枷の鍵を持っていそうだが…。
身体を屈め、見える範囲のポケットに手を突っ込んでみるが、それらしい物の感触は伝わってこなかった。
消し飛んだ半身側にあったのかもしれんな…。まあ、無いものは仕方ない。
手の自由は諦め、立ち上がろうとすると、視界の隅に剣の柄のようなものが見えた。身体の下敷きになって死角になっていたが、どうやら警備兵が帯剣していた物のようだ。
この騎士には申し訳ないが、使わせてもらおう。
胸の前で両手を合わせると、彼の冥福を祈った。
亡骸を少し傾け、剣を鞘ごと引き抜いた。鞘には騎士の血がべったりと付いているが、この際仕方のないことだ。武装はすべて取り上げられている。贅沢が言えるわけがない。魔法陣を刻んである宝石がない以上、魔法の詠唱は必須。頼りになるのは、物理的な攻撃に使うことができる武器のみなのだから。
剣を鞘から抜き出し、鎖に刃をかけるようにして柄を両手で握る。
「宵刃」
刃が薄い闇に包まれると、手首を動かし闇を纏う刃が鎖に食い込んでいく。軋む音すら立てず、柔らかい物を斬るかの如くあっさりと鎖は断ち切られた。
刃の闇が晴れると、剣を鞘へと納める。
これで手足の自由は叶った。後はどれだけ騎士に気付かれずに外に出るかがカギになるだろう。他の牢の前を通る以上、囚人共が騒ぎ立てるかもしれないが、騎士が上へ集まっていることを祈るしかあるまい。
エルンストは覚悟を決め、静かに駆け出した。
予想通り、牢の前を駆けて行くと「てめぇ!何一人で逃げてんだッ!」「私も連れてって!」と言葉を投げてくる者もいれば、「脱獄だッ!!」と茶化すように騎士を呼ぼうとする者もいたりした。完全に無視を決め込むと、一階へと続く階段までたどり着く。
階段の目の前にいるはずの騎士の姿が見えない。
さきほどの闇を放った何かの対処に追われているのか?今の俺には有難い。誰かは知らんが感謝する。
一階への階段に足をかけると、慎重に様子を探りながら進んでいく。踊り場で折り返し、一階への階段の終わりまで登って来た。顔を少しだけ出すと、左右の状況を確認する。通路には人の気配はない。進むなら今しかない。
城外へ出るには、東へ進んだ先にある城門を抜ける必要がある。一番の難関が城門の前の玄関ホール。騎士だけでなく、城に仕える使用人達の往来がある。騒がれるのは面倒である。城門さえ抜ければ、東西南北の区を繋ぐ跳ね橋だ。新兵が担当することが多い為、奇襲を仕掛ければ難なく突破できるだろう。
重要なのは逃走する方角だ。北はミツハ川、東はエジカロス大森林、西はアルス湖、南はザントガルツ方面。帝国領内にいる内は、追手から逃げ続けなければならない。陸続きのザイアス王国へ行くことが多くの人にとっての最善になるだろう。だが、エルンストは元帝国騎士団長として、ザイアス王国と幾度も戦ってきた。見つかればどんな処遇になるのかわからない。となれば、目指すは極西の地に存在するプラーナ合衆国。アルス湖、砂漠地帯、海を越える必要があるが、たどり着けた先での安全性は最も高い。
目指すは極西の地プラーナ合衆国。
目的地を定めると、エルンストは城門へと駆け出した。
玄関ホールまで来ると、騎士との戦闘を想定し、手を剣の柄へ添えておく。駆けたせいなのか、緊張感からなのか、背中からジワジワと汗が溢れてくる。一番の難所ともあり、心臓の鼓動がドクドクドクッと脈を早め高鳴っていくのを感じる。胃がぎゅうッと締め付けられ、自分が極度に緊張状態にあることがわかった。
胃を締め付けられるほどの緊張は何時ぶりだろうか…。
帝国騎士団長時代を思い出し、ゆっくりと頭を振る。
今は脱出の事だけを考えろ。そう自分に言い聞かす。
小さく「駿動走駆」と呟くと、一気に加速した。
通路から玄関ホールに飛び出すと、視界の端に何人か映り込んできた。だが、そちらには意識を集中できない。城門がすぐそこまで迫っている。城門さえ潜ってしまえば城を出たのと同じこと、そう考えていると、城門の外から中へと入ってくる人影が見えた。
このタイミングで!?
勢いに乗っているエルンストの身体は急には止まれず、城へ入ってきた何者かへと突っ込んでいく。
ガシャンッ!
二人の身体は接触事故を引き起こした。
「うぁ!?」という短い声と冷たく硬い鎧の感触。激突した相手は騎士だった。不意の横からの衝撃に、身体の側面から床へと叩きつけられる格好となった。
ぶつかった張本人は蹌踉けはしたものの、立ったままの姿勢を維持できている。
心の中で「すまない」と呟き、城門を抜けた。
後方から「エルンスト!?てめぇ、脱獄か!?」張り上げた声が聞こえてくる。声に聞き覚えがある。
第一騎士団部隊長のオスカニア・ロアナ。栗色の髪をオールバックにしたエルンストの同期の騎士。
雑兵なら兎も角、彼と出くわすのはまずい。
お互いの手の内を把握しており、魔力回路が不調なのも知られている。全盛期のエルンストならともかく、今の状態では真っ向から対峙すればどうなるかわからない。今はオスカニアが起き上がって来るまでに、可能な限りの距離を稼がなければ…。
城門を潜り、西の跳ね橋へと足を運ぶ。
頭上からドォォォオオンッ!!という爆発音にも似た轟音が鳴り響いた。今回の騒動の原因が暗躍しているのかもしれないが、今は構っている余裕はない。視線を上げることなく西の跳ね橋へと急ぐ。
跳ね橋が目前と迫ると、二人の騎士がこちらに気付き訝し気に視線を送って来る。城からは轟音が響き、そこから逃げるかのように跳ね橋へ向かっていれば、迫って来る者が誰であれ警戒するだろう。
「その男を通すな!指名手配されていたエルンストだ!!捕らえよ!!」
背後から叫び声が聞こえる。思ったよりも遠い位置にいるのか、オスカニアの声は遠い。
二人の騎士が声に反応して抜剣した。対人戦は慣れていないのか、剣を構えるその姿には気迫が感じられない。
やはり新兵か。まだまだ隙だらけだ。
エルンストも抜剣すると、剣を引き、突きの構えで突っ込んで行く。
一人の騎士がエルンストの前に立ち塞がると剣を振りかぶる。「斬皇牙」振り下ろしの一撃がエルンストの顔を目掛け迫って来る。
「絶破衝」相手の剣に向かってするどく突き出された。
ガキィィイン!
刃がぶつかり、お互いの剣が押し戻される。
エルンストが放った絶破衝には、時間差で生じる衝撃波が相手を襲う。
剣を止められ、容赦のない衝撃が動きの止まった騎士を後方へと吹き飛ばした。
相方がやられたというのに、もう一人の騎士はエルンストから目を離さない。掌に炎弾を生み出し、撃ち出した。
足を止めずに動くエルンストは、規模の小さな炎弾の軌道の左側、相手からより距離が稼げる位置へと回避しながら移動する――が、目の前に剣を突き出しながら騎士が迫っている。炎弾はどうやら囮らしい。
それでもエルンストは足を止めない。突き出された刃に、自分の剣をぶつける。剣の腹を滑らせるように相手の剣を遠ざけながら距離を詰めた。
騎士と視線が交じる。
元帝国騎士団長相手に怯む様子はない。
気づくと騎士の左膝が腹目掛けて進んできている。無理な体勢で足を出せば自分までよろけてしまうというのに。
咄嗟に押し当てている剣に力を込め跳ね除ける。反動で身体が右に流れたのを利用し、騎士の右側をすり抜けるように飛び転がった。完全には避けきれず、衝撃が左脇腹を痺れさせた。
転がるエルンストは僅かに顔を顰める。
骨に直接もらったか…。
ズキィンと痛む脇腹を抑えながら立ち上がる。止まってはいられない。転がることで進む勢いを殺しきらなかったのが幸いした。体勢を崩した二人の騎士よりも早く体勢を立て直し跳ね橋を抜けていく。
「何をやっておる!さっさと立て!!」
オスカニアの怒号が響く。さきほどより声の発生源が近くなったようだ。
跳ね橋を抜け、貴族街までたどり着く。
日中の貴族街は基本的に人通りが少ない。業務に準じている時間帯ということもあり、障害になるものは何もない。
唐突に、後方から炎弾が上空を三発駆け抜けていく。これは騎士団における非常事態の合図だ。同属性の魔法を三回連続で上空に発動させることで周囲の騎士達へ異常を伝える術だ。真上に発動されるものは、発動された地点に異常有り、発動された魔法に角度が付いていれば、魔法が進む方向に脅威が移動中を表す。
今撃ち出されたのは、エルンストの上空を通過していった。
最悪な展開だ…。
貴族街を抜けた先にあるのは騎士街。休暇中の騎士がいれば、非常事態ということで出動要請が降る。西門が騎士で溢れかねない。大勢を相手にする覚悟が必要か…。
貴族街を抜け、騎士街へとたどり着くもまわりに騎士の気配はない。合図からそう間も空いていないこともあり、準備に手間取っているのかもしれない。今の内に西門を目指す。
騎士街を抜け、市民街へとたどり着く。
人の往来はそこそこあるが、いつもと変わらぬ日常がそこにあった。城の異変も、帝都の端にまではすぐには伝わらない。漁業を生業としている人が多いせいか、ガタイの良い人が目立つ。軒先には新鮮な魚が並び、買い物客で賑わっている。
賑やかな街並みを横目にひたすら西門を目指す。
ハァッ、ハァッ、とすでに息も絶え絶え。地下牢から走り続けているのだから当然だろう。痛めつけられた身体にはきつい行程だ。
ようやく市民街を抜け西門が近づいてきた。
もう一息……。もう一息で帝都を抜けられる。あの門さえ抜けられたら…。
「今だッ!撃てぇぇえッ!!」
号令と共にエルンストの進む道の先に幾重にも重なる火柱が立ち昇り、天まで届かんとばかりに炎の壁が形成された。
「なッ!?」
やられた!!騎士街で騎士の動きが見られなかったのは、すでに西門の周辺に移動し終わったせいかッ!
気づけば民家の屋根の上に魔法特化の第二騎士団が騎士がずらりと並んでいた。
短時間でこの数が揃うのはおかしい。何らかの任務で西門周辺に集まっていたと考えるのが自然か…。
事態が悪い方へと流れていることに、奥歯をギリリッと噛みしめる。
エルンストが現れたことで、西門が徐々に閉まり始めた。西門まで釣る為にあえて当人が現れるまで開けられていたのだろう。
「彼の漆黒のエルンストを我が隊が捕らえることができるとは、何たる僥倖!」
見知らぬ騎士が喜びを顕にしている。
チラリと後方を確認すると、オスカニアとの距離も200mほどに縮まっている。ここで足を止めてしまってはすべてが水の泡と化す。
こうなってしまえばふくろのねずみ状態。捕まるのも時間の問題。
騎士団はそう考えているだろう。
エルンストの口角がニヤッと上がる。
足を止めることなく炎の壁へと突き進んでいく。
「ハハハハハハハッ!捕まるくらいなら潔く焼かれることを選ぶかッ!」
騎士団を率いているであろう分隊長と思わしき騎士が高らかに笑う。
炎の壁が目前と迫る。
その瞬間、エルンストの身体は闇に包まれていく。
エルンストが与えられた天技『僥絶』。元素を世界へと強制的に還元する漆黒の闇。僥絶の霧状の闇を纏う。
見た目は黒い球体そのもの。闇が蠢き炎の壁へと飛び込んだ。
炎と接触した瞬間、炎を形成していた火の元素は分解され世界へと還っていく。
エルンストの闇が炎に触れる度、火柱の一本一本が打ち消される。それはまるで、エルンストの為に炎が割れ、道を作っていくかのように。
「ば、馬鹿なッ!?ヤツは力を失っているはず…。あれは…あれは僥絶ではないかぁぁぁあ!!」
エルンストの名を知らしめた僥絶は、騎士団のみならず、市民の間にも話が伝わっている。当時のエルンストの姿を知らずとも、帝国を幾度も救ったその力については語り継がれていた。隊を率いる騎士も当然その力がどういったものなのかを知っている。その力を目の当たりにして喚き散らすのも無理はない。八年前の魔族の襲来で力を失ったと伝わっていれば尚更だ。第二騎士団は魔法特化の組織である為、エルンストの放つ僥絶とは相性は最悪だ。放った魔法のすべてを無に還されてしまう。
炎の壁を通り抜けると僥絶を解除して西門へと急ぐ。
角付が解き放たれたおかげで僥絶の発動はできたが、何時まで使えるかわからん。せめて帝都を脱出するまでは持ってくれ。
「弓隊!撃てぇぇッ!!」
再び号令が響いた。
瞬時に矢の雨を予測し、詠唱に入った。
― 聳え立つ大地の結晶 顎と成りて顕現せよ グウェル ―
詠唱の間にすでに矢は放たれていた。門と壁の上に並ぶ弓兵達から放たれたものだ。頭上から降り注ぐ矢の雨が迫る。
中級土属性魔法グウェルが発動し、地面が隆起し空へと伸びるように岩の壁が現れる。
矢の雨が放物線を描き、岩の壁へと降り注ぐ。雨が大地に降るかの如く、岩の壁は不動だ。
時折、ドンッ!と岩の壁を叩く音が響いている。武技を使った攻撃だろう。岩を突き抜け、壁の内側まで届く矢もあった。
岩の壁が矢を防いでいる内に、エルンストは続けて詠唱を始めた。
― 炸裂するは破滅の息吹 其に捧ぐは爆炎の咆哮 フルディスト ―
グウェルの岩の壁に向かって火属性爆裂魔法フルディストが放たれた。
爆裂音が周囲を支配する。無数の小さな爆裂魔法が幾度となく弾け、岩の壁を砕いていく。
爆風で砕かれた岩の破片が、前方にいる門兵、弓兵達に向かって撃ち出された。
砕かれた岩は人の拳大ほど。その塊が爆風によって弾き飛ばされるのだから、向けられる相手は気が気ではない。勢いのついた岩の弾丸が門に凹みを作り、壁を抉り、騎士にぶち当たる。
「がぁッ!?」「ぎゃぁぁぁッ!?」「ォ゛ォ゛ッ!?」
次々と悲鳴が沸き起こる。
たとえ鎧を身に着けていようとも、岩がぶつかる衝撃までは防ぎきれない。鎧が凹み、尻餅をつく者。兜に当たり意識を失う者。腕が逆方向に折れ曲がる者。西門の前は死屍累々の形相を生み出した。咄嗟に土属性魔法や防御系の武技で相殺した者や、岩そのものを破壊できた者だけが難を逃れた形だ。
不意に背後に熱気を感じ振り返る。
迫り来る炎弾の嵐。
僥絶の闇を纏い、炎弾を無力化していく。
僥絶の弱点を突いた良い戦略だ。僥絶を発動している間は、エルンスト本人も元素を扱った手段が使えない。纏った闇が元素を還元してしまい、魔法の発動に必要な元素が確保できないからだ。騎士団は当然ながらそのことを熟知している。エルンストが裏切ることも想定し、前々から対抗策が練られていたのだろう。強大な力は、味方ですら脅威を感じてしまう。その力が自分達に降りかかったら――と考えても不思議ではないだろう。
炎弾の向こうに人影が揺らぐ。
「突牙絶破刃!」
勢いの乗った剣が炎を突き抜け剣先がエルンストに迫る。一拍遅れて炎を突き破り現れたのは、オスカニア・ロアナ。
追いつかれた!?
綺麗にセットされていたオールバックは乱れ、前髪の一部がだらりと目に掛かるように垂れ下がっている。額に滲む汗が必死に追いかけてきたことを物語っている。追いついた喜びからなのか、ニタッと嫌らしい笑みが浮かんだ。
ドゴォォオンッ!!
再び城の方から激しい音が聞こえて来る。
迫る刃に剣の腹を押し当てる。
武技の衝撃でエルンストの身体が僅かに浮いた。空中では避ける術はない。
剣の腹を滑らせるようにオスカニアの剣を逸らしてみるが、僅かに軌道を逸らしたのみ。剣先が左脇腹を斬り裂き真っ赤な血が飛び出す。
跳ね橋で痛めた脇腹を再び突かれ、エルンストは表情を歪め苦悶する。
痛みにかまけている場合ではない。突牙絶破刃、突きの後に斬り払う攻撃が待っている。魔法陣の刻まれた宝石が手元にあるのならどうとでもなる状況が、今の手札だけでは回避しきることができない。
オスカニアの手首が返された。
左脇腹の横からそのまま斬り払われる…。
剣が軌道を変え、エルンストの胴体目掛けて動き出した。
キィィィィィィンッ
金属同士がぶつかり合う音が鳴り響く。
オスカニアの剣は、エルンストの身体を斬り裂くことはなかった。
咄嗟にベルトに繋がれた鞘を引き上げ、刃にぶつけたのだ。
刃こそ通らなかったが、衝撃がエルンストの身体を駆け巡る。鮮血を撒き散らしながら宙を舞い、地面へと激突した。鞘は吹き飛び、地面に激突した衝撃で、握られていた剣も地面を滑るように飛んでいく。
追撃をかけるべく、オセアニアは駆け、剣を振り上げた。
天に翳した刀身に陽光が反射し、きらりと輝く。
必死に身体を起こすエルンストは未だ四つん這いのような体勢だ。
オスカニアはニヤリと笑う。
「これで終わりだぁぁ!!」
エルンストの背中を目掛け、勢いよく剣が振り下ろされる。
「駿動走駆」
エルンストの右足に風の元素を纏っていく。
最後の悪足掻き。藻掻くエルンストの姿に、オスカニアは憐れんだような表情を見せる。駿動走駆では最早避けきれない。誰の目から見ても明らかだった。
オスカニアの腕が降りていく。
風の元素を纏った右足を蹴り出すと、前方へと弾け飛び、オスカニアの視界から一瞬で消え去った。
その速度は駿動走駆の域を超えた初速。
オスカニアの剣は無人の大地へと叩きつけられた。反射的に顔を西門へと向け、エルンストの姿を追う。
「なんだ…、あの爆発的な加速は…」
一瞬視界から外れただけなのに、すでにエルンストは20m先にいた。
オスカニアは頭を振り、意識をエルンスト確保へと引き戻す。
「駿動走駆」
エルンストを追いかけ駆け出した。
巨大で重量のある帝都の門は、ほぼ閉まりかけていた。
こんなところで圧縮魔力が役立つとはな…。
駿動走駆の爆発的な加速力の正体は圧縮魔力。技能実習の模擬戦の折に、カミルが見せた爆発的な加速。それを一か八かで実行したのだ。
発動した直後に身体の軋みを覚え、即座に駿動走駆は解除した。傷を負った身体では負荷についていけない。
「駿動走駆」
通常の魔力操作で再度発動させ、西門へと駆ける。
視線を西門へと向けると、倒しきれていない騎士が数名剣を構えこちらを警戒している。
剣を失った今、接近戦に持ち込むのは危険だ。手刀を胸の前に構え振り切った。
「衝波連影斬」
手刀で衝波斬を放つと、影が伸び六つの斬撃へと分裂し、騎士達へと飛んでいく。
負けずと騎士達からも衝波斬が飛んできた。
ぶつかり合う斬撃同士が打ち消し合う。
剣を振り払った後の騎士達の一瞬の隙を突き、移動速度を上げる支援魔法ムーバルをかけ、一気に西門の突破を狙った。
駿動走駆とムーバルの重ね掛けにより、その速度についてこられる者は、同等の強化を施した者のみ。騎士達の目前に控えた瞬間、再び魔力を圧縮し始める。
通常の駿動走駆を解除し、圧縮魔力で駿動走駆を再発動させる。
閉まりかけたあの門を越えるには、この機会を逃すわけにはいかない。これが最後のチャンスだ。
右足で踏み切ると、騎士の頭上を飛び越えるように勢いよく飛び上がった。
エルンストの動きを察知し、剣を振りかぶるも、その間にエルンストは頭上を飛び越え、閉まりかけた扉へと飛び込む。
迫り来る重厚な扉。
その横を顔がすり抜け、上半身がすり抜ける。
その間にも扉は閉まり続ける。
腰がすり抜け、腿、膝、踝を抜けたあたりで確信する。
抜けられるッ!!
扉がガダンッと閉まる。
エルンストの靴を挟み込んで…。
ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ…。
男は走る。
今は止まってなどいられない。
もう少し、もう少し…。
時間が、ない…。
今動かなければ、失われてしまうのだから…。




