二人のエルフ
ざばざばと水の勢いを感じられるミツハ川の音だけが場を支配していた。陽の光が水面に反射し、穏やかな風景を作り上げている。川を挟んだ反対側には、先日まで馬車で進んできたであろうエジカロス大森林が広がっていた。その世界観とかけ離れた不穏な空気がカミル達とエルフのような少女の間には流れている。きょとんとするカミルとクヴァを他所に、リアは苛立ちを募らせていく。
少女の服装は、この森には似つかわしくない無垢な膝丈のワンピース姿。服装に色を合わせているのか、無垢のパンプスだ。見た目が12歳ほどなので、かわいらしい服装がよく似合っている。森で生活している?のもおかしな話だが、仮にそうだったとしても明らかに動き難そうな服装だ。
異様な出で立ちに加え、少女が持つ自尊心の高そうな雰囲気が、近寄り難い空気感を作り出している。
リアは腕組みをし、顎を僅かに上げ語り出す。
「で、自称エルフ様が何故私達を家へ招待したがるのか聞かせてくれねーか?」
棘のある物言いだ。リアは元より荒目の口調ではあるが、ここまで露骨に嫌悪感を露わにする発言はめずらしい。組んだ腕を人差し指がトントントンと跳ねている。
苛立つリアの発言に少女は動じない。というよりも、リアのことなど見ていなかった。
「外野は黙ってな、自称エルフさんよ。興味があるのは仰向けに寝そべってる小僧だけだ」
リアの表情がより一層険しくなる。少女に歩み寄って行くと、顔を覗き込むように睨みつけた。
「誰が自称だ!正真正銘のエルフだっつーの!」
リアが少女の手首に視線を落としていく。細く透き通る白い肌。筋肉はなく、紋様も存在していない。ニヤッと口角が上がった。
「エルフに憧れるのは勝手だが、嘘をつくのは見過ごせない。次からは気をつけな」
リアが勝ち誇ったような表情で語るも、少女は無視してカミルへと近づいていく。
リアの「チッ」という舌打ちが聞こえてくる。何を言っても無駄だと察したのか、リアが突っかかることはなかった。
カミルの足元で見下ろす少女。
「起きろ、家まで案内する。食事くらいは準備してやろう」
起きろ、と言われても、今のカミルには不可能だった。
「無理なんです。全身打撲で回復薬が効いてくるの待っていますので」
見下ろす少女は訝し気な表情を浮かべると頭を傾げる。こちらが何を言っているのかわからない様子だ。
「小僧も魔法が使えるだろう?何故回復せんのだ?」
言っている意味がわからなかった。回復魔法を扱えるのは閃族のみだ。この少女はそのことを知らないのだろうか?……いや、少女の口ぶりからすると、このエルフのような少女は回復魔法が使えるのでは?人は見かけで判断してはならない。尖った耳を持っているだけで、目の前の少女は閃族なのではないだろうか?この森では、周りに自分の種族以外の人間がいる方が稀だろう。知識がなければ、世界中の人間が自分と同じだと思っていても不思議ではない。
疑問を解決するには、実際に回復魔法を使ってもらった方が早い。
「生憎と回復魔法は使えないんで、よろしかったら癒してもらえませんか?」
カミルの言葉に、遠くでリアが「ふっ」と呆れたような冷笑を浮かべている。
「構わんが、癒したら家に来てもらうぞ?それでいいか?」
「お願いします」と承諾した。
少女がカミルへと掌を向けると、淡い光が生まれカミルの身体を覆っていく。
カミルは体中の痛みが引いて行くことを即座に感じることができた。紛れもなく使用したのは回復魔法。思った通り、この少女は閃族だろう。
「ふむ、回復薬が身体を巡った後だったようだな。回復が異様に早い」
光が霧散すると、カミルはゆっくりと半身を起こした。
遠くで見守っていたリアが「閃族じゃねえか」とボソッと呟いていた。
「さあ、家に行くぞ。森の中にあるからついて来い」
少女は歩き出し、リアの横を通り抜け、木々が生い茂る森の中へと進んでいく。
カミル達は後を追い、森の中へと歩を進めた。
傷は回復したものの、体力自体は戻っていない。川に落ちたことで来ている服は濡れたまま、鎧の類は川の底である。身を守るべき剣すら流されてしまっている。魔物にでも襲われたら、真っ先に命を落としてしまうだろう。
少女、カミル、クヴァ、リアの順で縦に一列となって森を進む。カミルの保護の意味合いもあるが、リアが少女と距離を少しでも取る為に殿を務めている。
森の中は意外と木漏れ日が届いていて、外から覗くほどの暗い森の印象からはかけ離れていた。灯りが無くとも十分視界は確保できている。秋口ということもあり、一部の木は紅葉を始めている。時折、折れた木の枝をパキッと踏んで森の中に音を響かせていた。木々が防風林の役割を果たしているのか、無風の森の中を歩いていく。この少女は、普段から川辺まで行っているのか、大地は踏みしめられ、地面に生える雑草はほとんどない。
暫く進んでいくと、急に整備された道が現れた。
「外から住んでいるのがわからないように、森の入口付近はあえて自然そのままの姿にしてあるんだよ」
不思議そうな顔をしていたのがわかったのか、少女がこの異様な道の造りを説明してくれた。
外から住んでいるのがわからないように、か。やっぱり何かから隠れて住んでいそうだな。エルフっぽい見た目といい、回復魔法といい、このエルフっ娘には聞きたいことは山ほどだ。
「この森で一人で暮らしている、わけないですよね?」
「ははは」と一笑いすると、
「そんなわけあるか。一人、世話役の男を抱えている」
「父親ですか?」
「世話役と言っただろう?昔からの知人だ。何かと世話を焼いてくるからそばに置いている」
質問を続けようとすると「着いた」という声で遮られた。
木々の陰から現れたのは、立派な家だった。直径30mほどの大樹の切り株の上に木造の家が載っている。屋根に赤い木材を利用していて、家の中から伸びる赤いレンガと合わせて良いアクセントになっている。切り株の高さは5mほどあり、上へ登る為に石を積み上げた階段が造られていた。大樹の切り株は成長しているのか、側面からは新たな枝が伸び、家の高さほどまで成長して緑を僅かに茂らせている。森の中に溶け込む素敵な住宅だとカミルは感じる。
石段を登り、家の前までたどり着いた。
「どうぞ」という少女の声で扉を潜ると、光溢れる空間が広がっていた。玄関をそのまま進もうとすると「靴を脱げ」と注意された。室内は土足厳禁らしい。靴を脱ぐ習慣に日本での生活を思い出し、懐かしい感覚が蘇ってきた。この世界では基本的に靴を脱がない。脱ぐのは風呂と睡眠くらいだろう。
靴を脱ぎ、両端に綺麗に並べてから廊下を歩く。廊下の右側には、洗面所、トイレの扉が二つある。扉の前にわざわざ表記されているあたり、誰かが訪ねてくることがあるのかもしれない。左側には、浴室の扉があり、その奥には二階へと続く階段がある。
廊下を抜けると中央を吹き抜けにしたリビングが広がっていた。陽の光を十分に取り入れる造りのようで、この光が玄関まで届いている。意外だったのはガラスの存在。森の中では入手が困難なガラスが、窓と吹き抜けに利用されている。明らかに外部から持ち込んだもの。もしくは、ここに来る誰かから調達したものだろう。
リビング、ダイニング、キッチンが一体型の家の造りのようで、キッチンには一人の男性が食事の準備をしていた。さきほど少女が語っていた世話役の男性だろう。ゆるいパーマのかかった白髪で、およそ50歳くらいだろうか。
気配に気づいたのか振り向きながら「お帰……おや?」と一人ではないことを不思議そうな顔になる。
「川で拾い物してきた」
素っ気なく報告すると、三人をダイニングに通し座らせた。
白髪の男性は、料理を中断するとやかんにお湯を沸かし、茶葉を急須に入れていく。
沸いたお湯を一度、人数分の湯呑に注ぐ。1分ほど湯呑を温めながらお湯の温度を下げ、湯呑のお湯を急須へと入れていく。蓋をして更に40~50秒ほど蒸らす。急須の蓋の穴を注ぎ口と同じ場所にするのがポイントだ。蒸らしが終わると5人分の湯呑に少しずつ注ぎ、味の斑が出ないように気を付ける。注ぎ終わるとお盆に湯呑を乗せ、お茶を出してもてなした。
物腰の柔らかい男性が「どうぞ」と言葉を添え、ズズズっとお茶を啜った。
その姿を見届けるとカミルも「いただきます」とお茶を啜る。
日本では良く見かける光景だが、この世界ではお茶を啜るという文化はない。クヴァとリアの二人は「お前何やってんの?」という顔でカミルを見ていた。
招いたお客をもてなすという儀礼的な流れを終えると、少女がカミルへと視線を向ける。
「一息ついたな。さて、お前さんを家に招いたのはな、聞きたいことがあるからだ」
「なんでしょうか?」
聞きたいことがあるのはカミルでもあるが、回復魔法をかけてくれ、家で落ち着いて話すことができることには報いなければならない。
「私を見てエルフとお前さんは言った。何故そう思ったのか聞かせてくれまいか?」
どう答えたものか…。日本でのエルフのイメージが金髪と尖った耳なんですよ、と言っても通じないだろう。そもそも、この世界で尖った耳の存在はいないはず。でも、今目の前に現実として存在している。存在している以上、リアさんとは別種のエルフなのだろうか?
カミルの頭の中にハイエルフやダークエルフなんかの言葉が浮かぶ。ダークエルフは肌の色からして違うだろう。ありえそうなのはハイエルフという架空の存在。
「その前に一つだけ聞かせていただけますか?」
「言ってみろ」
「貴女はハイエルフという言葉に聞き覚えはありませんか?」
「知らん」
即答だった。ハイエルフという可能性が潰えた以上、カミルが答える内容は決まった。
「昔、ニホンって国で過ごした夢を見たことがあるんですよ。その国でのエルフというのは多くが金髪に尖った耳が特徴だったので、まんまの姿で現れましたからつい口が滑りました」
リアが「夢の中のエルフの話をしていたのかよ…」と呆れ顔になっていた。そんな反応をするのが普通である。
だが、この家の住人二人は別の反応を示した。『ニホン』という言葉に目が見開かれたのがわかった。
「お前さんは、名前はなんて言うんだ?」
不意に名前を聞かれ「カミル・クレストと申します」と伝え、ついでにクヴァとリアの紹介もしておいた。
「私はサティエリュース・イル・フルール。そっちの男はシュティニー・ミロースだ」
お互いの自己紹介が終わったところで本題へと入っていく。
「カミル、お前は日本で暮らしたことがあるのか?」
カミルは訝し気な表情になる。
妙な発言だ。まるで日本と言う国の存在を知っているような口ぶり。やはり、この世界は日本と何か繋がりがあるのだろうか?
「いえ、あくまで夢の中での話です」
サティエリュースとシュティニーが顔を見合わせる。
「サティエリュースさんは…」と言葉にすると「サティでいいぞ」と愛称で呼ぶことを許してくれる。
「では、サティさんは日本という言葉に聞き覚えがあるんですか?含みのある言い方をされてましたけど…」
「単刀直入で言えば、知っている。言葉だけならな」
カミルの心臓が跳ねる。
日本を…知っている!?あの世界が存在している?
驚愕するカミルの表情を見たサティは、悲しそうな顔になった。
「正確には、日本という単語を口にした人物を知っているだけだ。日本について詳しい話は私は知らんぞ。そいつはもうこの世におらんし」
高なった心臓の鼓動が鳴りを潜める。掴みかけた日本の謎への糸口が、掴む間もなく遠ざかったことにショックを隠せない。
「何を落ち込むことがある?昔、日本という言葉を放ったヤツがいて、カミルも日本と言った。少なくとも、日本は存在するということだ。それがわかっただけでも良かろう」
日本は存在する。その言葉は嬉しかったけど、俺のはあくまで夢に過ぎない。あの技術力が存在するのであれば、日本という国が知られていないのはおかしな話で…。サティさんに日本と言う言葉を伝えた人も、単純に夢オチってこともありそうなんだよなー…。たまたま単語が一致してるだけで、まったく別物の可能性もある。望み薄。結局その結論にたどり着くのな…。
「希望があるだけマシってやつですね。ありがとうございます」
「ま、何にせよ、カミルが私をエルフと呼んだ理由は納得した。日本がどこにあるのかがわかればもっと良かったんだがな」
「日本に行ってみたいんですか?」
「興味はある。が、何かしたいってわけではない。行ったら行ったで気が狂いそうだしな…」
俺の知っている日本という国と一緒なら、確かに理解できないかもしれない。空まで見上げるほどの建物に、馬よりも速い車、空飛ぶ鉄の塊の飛行機。言い出したらキリがない。
「知らないほうが幸せなこともありますからね…」
ぐぅぅぅぅ~。
どこからともなくお腹が鳴る音が聞こえてきた。
視線を動かすと、顔を赤くしたリアがそっぽを向いていた。お腹が鳴ってしまったことが恥ずかしかったのだろう。普段はガサツさが見え隠れしている分、お腹を鳴らして恥ずかしがる姿が妙にかわいらしく映る。
空気を読み過ぎて、誰も口を開けていない。返ってさきほど鳴ったお腹の音が強調されてしまっている。
そういえば、朝食も簡素な物で済ませてから何も食べていない。
「食材の匂いだけさせてたらお腹も空きますよね。準備しますので少々お待ちください」
シュティニーは立ち上がると、キッチンへ向かう。包丁を握ると作りかけの料理を再開した。
「ところで、お二人はなんで森の中なんかで生活してるんだー?」
カミルも疑問に思っていたことを、クヴァが質問する。
「…昔、しつこい男に追われてな。その時住んでたのがこの家さ。最近、近くまで来たから懐かしくて住み着いただけだよ」
昔って…。今でも十分に小さいのに、幼少期に変態に付き纏われでもしてたのだろうか…?両親がいないのも気になるが、聞いちゃいけない内容だよな…。
包丁の動きに合わせ、トントントンっと心地良いリズミカルな音が聞こえてくる。
カミルは話を変える為に次の話題に移る。
「その耳は生まれつきなんですか?今まで尖った耳をした人を見たことがないんですけど」
尖った長い耳に視線が注がれているのを感じたのか、ピクッと耳が僅かに跳ねた。
リアはそっぽを向いたままだ。サティに関しては完全にシャットアウトしている。
「これは生まれ持ったものだ。他にはいないのか?それなりの数はいると思っていたが…」
サティは寂し気な表情を浮かべる。
「生活圏が狭いので何とも言えませんけど、少なくとも俺が見てきた中ではいませんでしたよ」
「クルス帝国では少なくともいない、と思う。カミルよりは帝国内を移動しているが、見た事ねーよ」
「そうか」
淡々とした声だった。カミル達の回答の予想はついていたのかもしれない。
キッチンからはジュゥゥっと音が鳴り、芳ばしい香りが漂ってくる。
「ここってエジカロス大森林のどの辺りになるんですか?」
帝都へ向かう為の情報を仕入れておかなければならない。不注意で川に落ちてしまった為に方角がまったくわからない。
「お前達が流れ着いたミツハ川があっただろう?地図が頭に入っていれば、川の向きを考えれば答えはでそうなものなんだがね」
「川の下流に向かって歩けばアルス湖にたどり着く、てわけか」
察し良くクヴァは即座に理解する。
帝都イクス・ガンナはアルス湖沿いの東側の中央部に位置している。たとえエジカロス大森林で迷ったとしても、ミツハ川さえ見つけることができれば生き残ることができる可能性が残る。
「ほう、頭の回転は早いか。この家は大っぴらにしたくないんでね、正確な場所は伏せといてくれよ?」
「おう!恩義には報いるのが騎士ってもんだ」
胸を叩いて誓いを立てるような仕草をした。
「お待たせしました」とシュティニーが料理を運んできた。
目の前に置かれたのは、焼きおにぎりのお茶漬け、いや出汁茶漬けだ。
「急に人数が増えて決まったので、簡単なもので恐縮ですが」
「こちらこそ押しかけたようですみません」
後頭部を手で押さえながらペコっと謝る。
シュティニーさんが席に着いたのを確認すると、カミルは胸の前で手を合わせて「いただきます」と感謝の言葉を口にする。
何故かサティとシュティニーも「いただきます」という言葉が聞こえてきた。二人も日本を知っているようだったし、不思議ではないか。深く考えずに目の前の食事に目を向けた。
どんぶりの中には、醬油を薄く塗り焼かれたおにぎりがあり、温かな出汁に浸かっている。小口切りにされたネギが添えられ、小皿にはすりおろしの山葵まで準備されている。山葵はたっぷりと使うのがカミルのスタイル。その前に出汁の味を確認してから入れる量を調整する。
木でできたスプーンを手に取ると、出汁の中へと沈めていく。スプーンの中に渦を描くように出汁が流れ込んできた。スプーンを持ち上げ、服にこぼさないように空いてる手でスプーンの下を覆うとゆっくりと口の中へと運んだ。
旨味が溶けた香り高い出汁が口の中へ広がっていく。ほんのりと甘く薄口だ。味から察するに、煮干しから出汁を摂っていると思う。これなら山葵の量を絞った方がいいかもしれない。入れすぎる山葵出汁に早変わりしてしまう。
スプーンの先端に一円玉ほどの量の山葵を載せ、焼きおにぎりの上へとちょこんと添える。
スプーンで焼きおにぎりを一口大に切り、スプーンの背部分で軽く押し潰すと出汁と絡める。潰した焼きおにぎりとネギ、山葵を少し添えて出汁と共にすくい上げる。零さないように口へと運んだ。
出汁を味わいながら焼かれたご飯をカリっと噛み砕く。おこげの食感とほのかに薫るコゲの香ばしさが醤油と溶け合い、口の中に幸せが訪れる。時折、鼻へと抜けていくツーンとした辛みが涙腺を刺激するが癖になる。
スプーンを置き、お茶で一旦口の中をリセットする。
「ふぅー」と一呼吸挟むと、続きを味わう為にスプーンを手に取り、焼きおにぎりを崩して食べる。一口また一口と食べ進めていると、身体がじんわりと温まってくる。
気づけばどんぶりの中は空っぽだ。名残惜しいがスプーンを置き、お茶を飲んで締めた。
「ごちそうさまでした」と感謝の言葉を口にすると、椅子の背中にもたれかかる。
「そんなに腹ペコだったか」
サティが淡々とした口調で問いかけてくる。見れば彼女のどんぶりにはまだ半分ほど残っている。
「朝食が軽めでしたからね」
「ははは」と誤魔化すように笑うと、シュティニーへ「美味しい食事をありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えた。
「お口に合ったようで何よりです」
出会ってから一貫してシュティニーは穏やかな空気感で包まれている。根っこの部分から優しい人なのかもしれない。
サティさんがご飯を食べる姿は癒し効果があるなー。子供が美味しそうにご飯を食べる姿は皆を幸せな気持ちにさせてくれる。自然と頬の筋肉が緩む。
ジーっと視線を送っていたのがバレ、「気持ちわるっ!」と強烈な一言を貰ってしまった。さきほどまでの高揚した気分が、一気に奈落へと墜ちていく…。そこではたと気づく。出汁の色がカミルの食べた茶漬けとは別であることに。エルフは肉や魚などを口にしないと聞いたことがある。疑問に思い、リアのどんぶりへと視線を動かすと、サティと同じ出汁の色をしていた。キノコから出汁を取ったのかもしれない。
シュティニーさんは、サティさんをリアさんと同じようにエルフとして扱っている。
閃族ではなく、やはりエルフなのか…?
今目の間にいるエルフっぽい少女、サティエリュースという人物の謎がまた深まった。仮に本当にサティさんがエルフなのだとしたら、この世界にはエルフが二種族いることになる。が、クヴァの言葉を信じるなら、尖った耳のエルフはサティさんだけのはず。
カミルは頭が混乱し、頭を振る。
気づくと皆食べ終えたようで、満足そうな表情を浮かべていた。
お世話になったせめてものお礼と思い、食器を持って立ち上がると「片づけは私がやりますから、置いておいてください」と先手を打たれた。
「帝都へ向かうのだろう?ここからなら一週間ほどで着くはずだ」
二週間の行程だったものが一週間になるほど流されたようだ。川を下ることで蛇行せずに進めたという点も大きいだろう。その代償が怪我と武具の喪失なのだから割に合わないが。
「武具が流されてしまったので、慎重に進む必要があるんですよ」
「なんだ、丸腰なのか」
サティは席を立つと、壁に掛かっている武器に手をかけた。反転してこちらを向くと、
「これが何か、カミルならわかるだろう?」
黒い細長い棒のようなものが握り締められている。片手を端に、もう片方の手を棒の真ん中部分を持つと引き抜いていく。
端を持った手の付近から白金色に輝く刀身が顔を覗かせる。片刃の刀身には綺麗な波を打つ波紋がある。
「日本刀…」
黒い木の鞘に収まった鍔の無い刀。柄部分まで黒で統一されたいる為、鞘に収まった状態だとぱっと見では黒い棒のようにしか見えない。
「何でそんなものが此処に?」
サティは視線を刀へと下ろす。
「日本という言葉を吐いたヤローが持っていたものだ」
確かもうすでに…。
「形見,なのでは?」
「形見?これはそんなものではありはせん。因縁、その言葉の方がしっくりくるな」
サティはカミルへと近づくと、グッと刀を前へと突き出した。
「これも何かの縁だろう。私をエルフと呼び、日本という言葉で交わり、刀と同じ黒髪をした少年よ。お前にこれを託す」
受け取って良いものか悩み、刀へと手が伸びない。
「遠慮することはない。此処に置いておいても埃を被るだけだからな」
剣を失った身としてはこの上無くありがたい話ではある。色が黒い点が気になるところだ。カミルは黒髪だ。武器まで黒い物で固めてしまうと、更に周りからおちょくられる心配もある。そこだけが懸念点。
カミルは悩んだ末に決断する。
「わかりました。使わせていただきます」
手を伸ばし、ずしりと重みを感じる刀を受け取った。物理的にも、感情的にも重い黒い日本刀。この刀は失くせない。頂いた以上、それ相応の覚悟を持つ必要性がある。
この刀があれば、帝都への道のりで魔物と遭遇したとしても、自分の身は自分で守れる、はずである。
「川までの道は一本道だ。迷うことはないだろう」
クヴァとリアが席を立つ。
「助けていただきありがとうございました。お食事までいただいてしまって」
クヴァが礼儀正しくお礼を言っている。リアは相変わらずぶっきら棒な表情で「世話になった」とだけ伝えている。
「お世話になりました。この刀で修練して、次に会う時はもっとマシな人間になってきます」
「ふっ」と微笑むと「期待しとこう」という言葉を口にする。完全に期待していないように感じるが、触れないでおく。
玄関へ向かい靴を履く。服は乾いてきているが、靴は乾くはずもなくベチャっと気持ちの悪い感触が伝わってきた。
リアは率先して外へ出ていく。サティとの仲をどうにかしたいとは考えていないようだ。
カミルとクヴァは振り返ると「お世話になりました」と告げ、石段を降っていく。石に濡れた靴は滑りやすいらしく、途中で転けかけながら再び地に足をつけた。
整備された道を進むと、森の出口への合図のような獣道のような道へとたどり着く。そのまま真っすぐに進むと、流れ着いた場所まで戻って来れた。後はミツハ川の下流へと進んでいくのみ。
サティと出会ってから口数の少なかったリアが口を開く。
「二人とも、サティエリュースとシュティニーは信用するな」
唐突な発言にカミルはきょとんとした顔をする。
「いやー、リアさんもそう思いました?実は俺もそう思ってました。この場にいた時は何も感じなかったんですけど、あの家に着いたときから不思議な感覚に襲われて……。うまく表現できないんですけど……何か寒気がするというか…」
クヴァの顔に陰りが見える。
「私もだよ。得体の知れない存在の巣に入り込んでしまったような気持ち悪さがあった」
リアが刀に視線を向ける。
「その剣に違和感があったらすぐに捨てるんだぞ?」
リアさんの忠告を心に留めておくことにした。
― サティ・シュティニー宅 ―
三人を見送り、リビングへと戻るとサティは一息ついた。
「日本を知る者と出会えたのは僥倖だったな。ヤツが接触してくるかもしれん。監視でもつけておくか」
「だからあの日本刀を渡したのでしょう?」
シュティニーが食器をテーブルから流しに持っていく。
「居場所だけなら、あの刀が持つ波動を辿れば探れるからな」
「でも、サティは酷なことをしますね。カミルという少年、少なくとも魔法の才などありませんでしたよ?ヤツに襲われでもしたらすぐに死んでしまうかと」
カチャン、カチャンと食器を流しに置き洗い始めた。
「暫くは完全には目覚めんだろうから、その間に強くなってくれることを祈るさ。仮にも日本に住んでいたんだ。カミルのヤツにもきっと秘密があるぞ」
サティは思考をカミルからリアへと移す。
「それにしても、あの自称エルフの姿ときたら」
サティは堪えきれず「ははははは」と高笑いをした。
「本当に此処は私達が過ごした世界なのかね?」
「それ以外ありえないと思いますけどね。別の世界という可能性も捨てきれませんが」
「あのリアって女の手首の紋様は見たか?」
「ええ、きっとあんな姿になったのはあの紋様のせいでしょうね」
「あんなのは呪いだろうに、誇らしく見せつけて来やがって…。反吐が出るわ…」
サティの表情が忌々し気に険しいものへと変わっていく。
「エルフという存在は、このサティエリュース・イル・フルールのような誇らしい姿をした種族のことだ!あんな紛い者を指す言葉ではない!」
サティが胸の前へ手を翳すと、緑の元素が呼応し、大型の緑色をした弓が現れる。
瞳に怒りに満ちた炎が灯る。
「偽りだらけのこの世界、正せぬなら創り変えるまでだ!」