エルフの少女
静寂が包み込む大森林。焚火の炎が揺らめき、オレンジ色の暖かみのある光が辺りを照らし出す。30分の時を刻む砂時計はすでに4回落ちきり、5回目の時を刻み始めている。
周りに魔物の気配は感じることは無く、見張り番の役目を終えようとしていた。
折角の野営。森での野戦の体験を少なからず期待していたカミルは、名残惜しそうに砂時計を見つめている。本来ならば何事も起きないことが望ましいことだが、学園を休んでまで帝都へと向かっているのだから、少なからず学園では体験できない経験を積みたいと考えている。
カミルの想いとは裏腹に魔物が現れることなく砂が落ち切ってしまった。
「これでやっと眠れるな」
砂が落ち切るのを確認したガストンがすっと立ち上がり、両手を上にあげて「ううッ」と伸びをする。漏れる声は眠たげだ。
カナンも立ち上がると服に付いた砂を手で叩く。
「私は先に休ませてもらうわね。ハーバー先生とプロフを起こしといてくれるかな?」
カミルは「はい、良いですよ」と答えながら立ち上がった。
男性が寝ている場所に近寄るのに抵抗があるのか、カナンは二人にお願いすると「おやすみなさい」と言葉を残し、キャビン内へと姿を消した。長旅ではお風呂には入れない。見張り番をしている時間に「汚れたまま寝るのは嫌ではありませんか?」と聞いてみると、キャビン内で初級水属性魔法スプラを使って布を湿らせて身体を拭くと教えてもらった。寝る直前にお風呂に入ってしまうと、髪を乾かすのに時間がかかりすぎるようで、明日の朝一番に入浴するらしい。火、水、土の三属性を使えば簡易的な風呂は作れる。学園でも衛生面と疲れを癒すために可能な場合は入浴を推奨している。
カナンが消えていったキャビンを見つめるカミル。木材を隔てた向こう側では、今カナンが鎧を解き、身体を拭いているかと思うとカミルの顔が見る見る顔に赤みが帯びてくる。
「黒助」と背後からガストンの声が聞こえる。ウィズ村の食堂でクヴァが放った造語だ。
「男ならそんな想像することくらいある」と女性がいなくなったことで取り繕う必要がなくなったカミルが開き直った。
「いや、別に覗きたいなら覗いてもいいんだぞ。俺も男だ、カミルの気持ちは良くわかる」
何時に無くガストンが好意的な言葉をくれる。カミルの表情が緩み始めると、
「覗いてもいいが、命が尽きると思った方がいい」
ガストンの言葉にカミルの表情と身体は固まった。「感知能力が高い上に、女性は勘が鋭いからな。覗けると思うなよ?」とガストンはとても穏やかな笑みを浮かべながらカミルを窘めた。
「さあ、先生達を起こしてさっさと寝ましょう」
カミルの決断と行動は早かった…。
翌日、日の出前に目が覚めた。
毛布一枚で地面に寝そべって眠っていたので、身体の至るところがバキバキになり悲鳴を上げていた。身体を起こすと、就寝前と変わらぬ焚火の灯りが染め上がる風景が広がっている。
見張り番をしているリアとクヴァが何か楽しそうに話している姿が目に入った。何故か傍らには一匹の猪の亡骸が転がっている。寝ている間にでも魔物が来たのだろうか?
立ち上がると二人のいる焚火の方へと歩み寄る。
「おはようございます。魔物に襲われたんですか?」
視線を猪に移しながら疑問を口にした。
「おはよ。カミルは早起きなんだな」
挨拶を返してくれるリアはどことなくスッキリとした表情だ。
「おはー。襲われはしなかったんだけどさ、リアさんが暴走した結果がそれよ」
クヴァが魔物の亡骸を顎でしゃくる。その背後に迫る影。スッと手が伸びたかと思えば、リアはクヴァの頭をガシッと腕でホールドすると締め上げる。
「暴走ってなんだよ。運動の間違いだろう?」
グイグイとクヴァの頭を徐々に締め付けていく。女性にそんなことされれば胸の柔らかさを堪能できそうなものだが、胸部には魔物に備えて軽鎧が身に付けられている。冷たい鉄の金属の硬さとリアの腕力で苦しそうに「ぐえっ」と潰れた声を漏らすのみ。
クヴァ……、どんまい。
「それ、食べるんですか?」
クヴァの頭を解放しながらリアは「食べない」と短く答える。
「というよりも、食べれないな。血抜きもせず放置してから肉に臭みが移ってるだろうさ。もともと獣臭が強い上にそんなものが混じったら、口に入れた瞬間吐き出すぞ?」
口から舌を出し苦い顔のリア。美形というのは何故もこう些細な表情までもが画になるのだろうか。
「血抜きすれば良かったのでは?」
「お前なぁ…」とリアは呆れ顔を浮かべる。
「寝てる人の横で血抜きなんてできるわけないだろ?臭いがひどくて目を覚ますわ」
復活したクヴァが「それに…」と続ける。
「あまりに強い血の臭いは魔物を呼びませちまう。その辺の内容もその内学園で習うはずだから、しっかり授業は受けとけよ?」
学園では野営の授業もありそうだ。任務や依頼をこなす上で必要になるスキルと言えるだろう。一年生ではまず行われることの無い授業。慣れた者でさえ死と隣り合わせの世界だ。実力不足の者が行えば命の危険がある。学園ではそれを考慮し、三年生からの授業に組み込まれている。
「実体験による授業には敵わないと思うけどね」
「面倒を見る方が大変なんだよ…」
教える側は万が一に備える必要があるが、それ以上に面倒くさいのは人間関係である。特に思春期を迎える年齢の男女を引き連れての団体行動なら尚更だ。五年生になると、三年生からの野営の引率を経験する。教えてもらう側から、教える側に立場を変えることで見える世界が変わってくる。視野を変えるという経験を糧に、これからの将来に活かしてほしいという学園の願いでもある。
「で、結局何があったんです?」
「なーに、近くをコイツが通ったんで近寄られても困るから、追いかけて仕留めてきただけさ」
リアは得意げに胸を張っている。
「追う必要なんてなかっでしょう?むしろ魔物が出たことに嬉々として駆けて行ったじゃないですか!」
不満気に抗議するクヴァの大きな声が響く。
カミルとリアが「シーッ!」と人差し指を口の前で立て注意する。
慌てて口を手で覆うと、仲間の方を確認する。幸い誰も起きてはこない。
「ったく、食事と睡眠を邪魔されたときの殺意が湧くあの感覚、お前もわかるだろ?」
「その原因を作った張本人が何を言いますか」
にらみ合う二人。カミルは仲介む大森林。焚火の炎が揺らめき、オレンジ色の暖かみのある光が辺りを照らし出す。30分の時を刻む砂時計はすでに4回落ちきり、5回目の時を刻み始めている。
周りに魔物の気配は感じることは無く、見張り番の役目を終えようとしていた。
折角の野営。森での野戦の体験を少なからず期待していたカミルは、名残惜しそうに砂時計を見つめている。本来ならば何事も起きないことが望ましいことだが、学園を休んでまで帝都へと向かっているのだから、少なからず学園では体験できない経験を積みたいと考えている。
カミルの想いとは裏腹に魔物が現れることなく砂が落ち切ってしまった。
「これでやっと眠れるな」
砂が落ち切るのを確認したガストンがすっと立ち上がり、両手を上にあげて「ううッ」と伸びをする。漏れる声は眠たげだ。
カナンも立ち上がると服に付いた砂を手で叩く。
「私は先に休ませてもらうわね。ハーバー先生とプロフを起こしといてくれるかな?」
カミルは「はい、良いですよ」と答えながら立ち上がった。
男性が寝ている場所に近寄るのに抵抗があるのか、カナンは二人にお願いすると「おやすみなさい」と言葉を残し、キャビン内へと姿を消した。長旅ではお風呂には入れない。見張り番をしている時間に「汚れたまま寝るのは嫌ではありませんか?」と聞いてみると、キャビン内で初級水属性魔法スプラを使って布を湿らせて身体を拭くと教えてもらった。寝る直前にお風呂に入ってしまうと、髪を乾かすのに時間がかかりすぎるようで、明日の朝一番に入浴するらしい。火、水、土の三属性を使えば簡易的な風呂は作れる。学園でも衛生面と疲れを癒すために可能な場合は入浴を推奨している。
カナンが消えていったキャビンを見つめるカミル。木材を隔てた向こう側では、今カナンが鎧を解き、身体を拭いているかと思うとカミルの顔が見る見る顔に赤みが帯びてくる。
「黒助」と背後からガストンの声が聞こえる。ウィズ村の食堂でクヴァが放った造語だ。
「男ならそんな想像することくらいある」と女性がいなくなったことで取り繕う必要がなくなったカミルが開き直った。
「いや、別に覗きたいなら覗いてもいいんだぞ。俺も男だ、カミルの気持ちは良くわかる」
何時に無くガストンが好意的な言葉をくれる。カミルの表情が緩み始めると、
「覗いてもいいが、命が尽きると思った方がいい」
ガストンの言葉にカミルの表情と身体は固まった。「感知能力が高い上に、女性は勘が鋭いからな。覗けると思うなよ?」とガストンはとても穏やかな笑みを浮かべながらカミルを窘めた。
「さあ、先生達を起こしてさっさと寝ましょう」
カミルの決断と行動は早かった…。
翌日、日の出前に目が覚めた。
毛布一枚で地面に寝そべって眠っていたので、身体の至るところがバキバキになり悲鳴を上げていた。身体を起こすと、就寝前と変わらぬ焚火の灯りが染め上がる風景が広がっている。
見張り番をしているリアとクヴァが何か楽しそうに話している姿が目に入った。何故か傍らには一匹の猪の亡骸が転がっている。寝ている間にでも魔物が来たのだろうか?
立ち上がると二人のいる焚火の方へと歩み寄る。
「おはようございます。魔物に襲われたんですか?」
視線を猪に移しながら疑問を口にした。
「おはよ。カミルは早起きなんだな」
挨拶を返してくれるリアはどことなくスッキリとした表情だ。
「おはー。襲われはしなかったんだけどさ、リアさんが暴走した結果がそれよ」
クヴァが魔物の亡骸を顎でしゃくる。その背後に迫る影。スッと手が伸びたかと思えば、リアはクヴァの頭をガシッと腕でホールドすると締め上げる。
「暴走ってなんだよ。運動の間違いだろう?」
グイグイとクヴァの頭を徐々に締め付けていく。女性にそんなことされれば胸の柔らかさを堪能できそうなものだが、胸部には魔物に備えて軽鎧が身に付けられている。冷たい鉄の金属の硬さとリアの腕力で苦しそうに「ぐえっ」と潰れた声を漏らすのみ。
クヴァ……、どんまい。
「それ、食べるんですか?」
クヴァの頭を解放しながらリアは「食べない」と短く答える。
「というよりも、食べれないな。血抜きもせず放置してから肉に臭みが移ってるだろうさ。もともと獣臭が強い上にそんなものが混じったら、口に入れた瞬間吐き出すぞ?」
口から舌を出し苦い顔のリア。美形というのは何故もこう些細な表情までもが画になるのだろうか。
「血抜きすれば良かったのでは?」
「お前なぁ…」とリアは呆れ顔を浮かべる。
「寝てる人の横で血抜きなんてできるわけないだろ?臭いがひどくて目を覚ますわ」
復活したクヴァが「それに…」と続ける。
「あまりに強い血の臭いは魔物を呼びませちまう。その辺の内容もその内学園で習うはずだから、しっかり授業は受けとけよ?」
学園では野営の授業もありそうだ。任務や依頼をこなす上で必要になるスキルと言えるだろう。一年生ではまず行われることの無い授業。慣れた者でさえ死と隣り合わせの世界だ。実力不足の者が行えば命の危険がある。学園ではそれを考慮し、三年生からの授業に組み込まれている。
「実体験による授業には敵わないと思うけどね」
「面倒を見る方が大変なんだよ…」
教える側は万が一に備える必要があるが、それ以上に面倒くさいのは人間関係である。特に思春期を迎える年齢の男女を引き連れての団体行動なら尚更だ。五年生になると、三年生からの野営の引率を経験する。教えてもらう側から、教える側に立場を変えることで見える世界が変わってくる。視野を変えるという経験を糧に、これからの将来に活かしてほしいという学園の願いでもある。
「で、結局何があったんです?」
「なーに、近くをコイツが通ったんで近寄られても困るから、追いかけて仕留めてきただけさ」
リアは得意げに胸を張っている。
「追う必要なんてなかっでしょう?むしろ魔物が出たことに嬉々として駆けて行ったじゃないですか!」
不満気に抗議するクヴァの大きな声が響く。
カミルとリアが「シーッ!」と人差し指を口の前で立て注意する。
慌てて口を手で覆うと、仲間の方を確認する。幸い誰も起きてはこない。
「ったく、食事と睡眠を邪魔されたときの殺意が湧くあの感覚、お前もわかるだろ?」
「その原因を作った張本人が何を言いますか」
にらみ合う二人。カミルは仲裁するのが面倒になり放置することを決める。寝起きで低いままの体温を温めるように焚火に当たり始めた。
暖かい。
ジワジワと温めてくれる炎が揺らめきパチっと爆ぜる。留まることなく形を変える炎は、何時までも見ていられるような癒しの効果があると思う。
炎を眺めボーっとしていると、視界の端にキャビンから降りてくるカナンの姿が映った。視線をカナンに移すと、まだ寝足りないのか瞼が重そうだ。普段のポニーテイル姿ではなく、髪を降ろしている。足取りがおぼつかなく、低血圧そうだ。普段の凛としたイメージからはほど遠く、オフの時のような装いだ。噂の麗人のこんな姿は、学園にいたら拝めなかっただろう。学園に帰ったらゼルに自慢話でもしてやろう。
「…ぉはよう」
まだ口が動かないのか息の漏れるようなか細い挨拶だ。
「おはよう。まだ眠そうだな」
「まだまだ眠いよ」
首を少し傾げ、眠たげに目をこすると、こすった手で口を覆い欠伸を嚙み殺している。「でも」と言葉を続ける。
「髪のベタつきが気になっちゃって、ちょっと早いけどお風呂の準備しようかと」
不意にカナンと目があった。始めこそ、こちらを見ているようで見ていなかったが、次第に焦点が合い始めたのか、カナンの顔が一気に紅潮した。
「きゃぁぁぁあああ!!」
驚愕の表情を浮かべながら悲鳴を上げると、一目散にキャビンの中へと戻っていった。
不審に思い、リアに「アレ、何ですか?」と聞いてみると「ああ」と短い言葉をクッションにすると、
「寝ぼけてうちらのパーティだけで旅してると勘違いしたんだろう。寝起きの顔とボサボサの髪を年下のヤロー共に見られて、恥ずかしくて逃げ出したってとこかな。カナンは乙女だねぇ」
と、にやけた表情でリアは語った。「お前らラッキーだな!」と楽し気だ。
カナンの悲鳴で次々と起きてくる人が増え始める。男性の叫び声と女性の悲鳴では、やはり違いがあるのだろうか?高い声での悲鳴だと緊急性が高いと脳が判断するのか?謎である。
男性陣はすぐに起きてきて朝食やら移動の為の準備をしているが、カナンとユリカは未だに姿を見せない。リアも風呂の準備をするためにキャビンへと戻ってしまった。
今、目の前には岩でできた壁が聳え立っている。土属性魔法で作られた壁は、プレハブ小屋のような長方形を形作り煙突が一つ伸びている。簡易的な浴室だ。水を張り、火で沸かしただけのものだが、野営でお風呂に入れるのは精神的にはありがたい。
カミルとクヴァが浴室に視線が釘付けになる。
「その好奇心は死に至る病だぞ」
呆れ顔のガストンの呟きに、クヴァが「覗くわけないじゃないですか。浴室内で一糸纏わぬ姿でいるところを想像しているだけです」とにこやかな笑顔で非常に気持ち悪い発言をした。
カミルは昨日のガストンとの会話で、自分も似たような発言をしていたことを思い出し戒める。
俺もこんな気持ち悪い姿をしていたんだな…。
もう少し節度のある行動を心がけよう。
それから30分ほどが経ち、ようやく朝食の場にすべての者が集まった。
今日の朝食は鶏の干し肉を使ったオートミール。干し肉からの出汁の中にオートミールを入れ煮詰めた物。およそ二週間ほどの山越えになるため、贅沢は敵である。腹持ちと栄養価は高いので、携行食としては優秀だ。
とはいえ、薄味のオートミールでは食が進まない。もちっとしたご飯に近い食感だけが救いだ。道中で食べられるタイプの魔物と遭遇しない限り、食事が大きく変わることはない。多少獣臭くても、干し肉以外の肉が食べたいとカミルは思った。
エジック山脈の入口を進み、上り坂となった道のり馬車がゆっくりと進んでいく。馬の負担も考え、定期的に休憩を挟みながらの道のりだ。少しずつ高度が上がってきており、進んできた道のりを見渡せば広大なエジカロス大森林を確認できた。一筋に伸びる街道。その両脇には深い森が広がっている。鳥の群れが飛び立ち、バサバサという音を森に響かせていた。あの森の中には何があるのか詳しくはわかっていない。調査には大規模な部隊を組んで挑むことになるだろう。それだけの時間とお金を優先的に調査にかけられないのだ。
移動し始めて暫く経つが、未だに魔物との遭遇はない。このままではまた干し肉とオートミールになりかねない。多少獣臭がしても、食べられる魔物との遭遇を願うカミル。
木々が減り、岩肌が見え始めた。道は崖の際を通り、山脈の奥地へと続いている。山脈の中腹にはミツハ湖があり、湖から帝都側に流れていくミツハ川を形成。川を迂回するために湖の周りを周回するように進むと、帝都側の山脈へと道が続いていく。橋を掛ければかなりの時間を短縮できるが、維持管理の難しさから断念されている。
川沿いを湖方面へと登っていく。落石でもあったのか、細かい石がゴロゴロしており、車輪が乗り上げる事に馬車がグラグラと揺れる。
カミルの三半規管は弱いわけではないが、この揺れが続くと危ないかもしれない。いつもより深めの呼吸を心がけ、意識を意図的に揺れから逸らしてやり過ごす。
もう一押しで湖に到着するというところで、ガタンッと馬車が大きく揺れ、完全に動きを止めてしまった。御者の男性はが「すみません、馬車の状態を確認してまいりますので、少々お待ちください」と告げると止まってしまった原因を究明に走る。
「車輪のトラブルですかね?」
エルンストの顔を見ながら、カミルはありえそうな原因の候補を口にした。
「馬車が傾いているわけではないから、車輪が嵌ってしまったのかもしれん」
エルンストは騎士として様々な地域を巡っていた。移動は専ら馬車になるわけで、その経験からおおよその予測を立てることができる。車輪が歪んだり破損してしまった際は、支点を一つ失う形になるため馬車が傾く傾向がある。今はそれがない。車輪が溝に嵌ってしまうことは定期的に起きていたことなので、大方それだろうと思っている。
会話をしているうちに状態を確認してきた御者が戻ってきた。「馬車の重みで街道の一部が陥没してしまい、車輪が嵌ってしまいました」と申し訳なさそうに深々と頭を下げてきた。
エルンストの予測通りだった。
その言葉を聞いたエルンストは「ガストンさん、申し訳ありませんが土属性魔法で車輪を押し出していただけませんか?」とお願いする。
「ああ、構わねえよ。ほら、お前ら一旦外へ出ろ」
虫を払うかのように手で払う動きをすると、仲間を外へと追いやった。
今回ガストンに白羽の矢が立ったのは、土属性とドワーフの相性によるものだ。適正の高い属性の威力が上昇するため、大規模な魔法を使わなくともガストンなら対処できるから。
外へ出るとすぐそばに崖があり、底にはミツハ川が流れていた。視線を湖の方へ向けると、かなりの高さのある滝があり、ゴォォォォと水が流れ谷底へと墜ちていく。落ちる時に発生する水飛沫が陽の光に照らされ、綺麗な虹を作り上げていた。自然が作り上げる絶景に、カミルはただただ感動していた。アズ村、アルフしか行ったことがなく、道のりは平原が多かった。自然が作り上げる芸術的な造形を見るのは初めてだ。心から感動するものに出会うと、人は押し黙り心を震わせる。初めて見る壮大な滝が創る芸術を、カミルは生涯悪れることができないだろう。
カミルが滝に見とれている間に、ガストンは車輪の状態を確認していた。嵌ったまま持ち上げてしまうと、車輪にダメージが入ってしまう。僅かに考え込むと、ガストンは行動に移った。
中級土属性魔法グウェルを発動させ、まずはキャビンの下に浮かさない程度の岩の台座を隆起させた。次いで嵌ってしまった車輪の周りの土を削り、台座の岩を少し持ち上げる。陥没した部分に土を均すように平らな道を作り上げ、岩の台座を霧散させた。そのついでか、目に映る範囲の街道に転がる石を道の隅に片づけた。
「これでいいだろう」
御者の男性は何度も「ありがとうございます」と繰り返し感謝を伝えている。損傷なく脱出できたのだから嬉しいだろう。
馬車が動ける状態に戻った為、キャビンの中へと戻ろうとした。
その時…、空が闇で覆われた。
見上げればそこにいたのは大型の鳥の魔物だった。猛禽類のイヌワシのような姿をしている。上空で姿勢を整えると、速度を上げて急降下してきた。鋭い爪が陽の光で鈍く光る。目標はユリカのようだ。
不意を突かれる形となった一行は、ただ飛び退くので精いっぱいだった。馬車を狙われなかったのが不幸中の幸いだ。
攻撃が外れた魔物はそのまま上昇し、空中から静止したかと思った瞬間、馬車を中心に渦を描くように風が吹き荒れた。風属性魔法。視認ができず、魔力や元素を感知するしかない風が吹き荒れている。馬車は大きく揺らぎ、ギシッギシッと嫌な音を鳴らす。一行は大地に刃を突き立て、吹き飛ばされるのを耐えていた。一人を除いては…。
カミルの視線が突如として高くなる、というよりも仲間を見下ろ形だ。
「えっ?ええっ!?」
上昇を終えると、刹那的な浮遊感を味わい落下を始める。真上に飛んだのなら良かったが…。
「ちょ、流されてる!?」
カミルの身体は崖の外へと流れながら落下していく。
「カミル!」
クヴァが駿動走駆で一気に距離を詰め手を伸ばす。
カミルは懸命に手を伸ばした。だが、明らかに届かない距離だ。
クヴァは咄嗟に鞘に収まった剣を伸ばす。
カミルの手が鞘の先端に触れ、そして掴む。
「よし!すぐこっちに引っ張り……」
クヴァは最後まで言葉が出なかった。鞘を掴んだカミルはどんどん遠ざかっていく。驚きと絶望が入り混じったような表情を浮かべるカミルと目が合った。鞘がすっぽ抜け、カミルの身体は容赦なく崖の向こう側へと飛んでいった。
「カミルゥゥゥウ!!!!」
クヴァの叫びが崖に反響し谷中に響き渡った。
隙を見せたクヴァの背中を狙う魔物。爪を開き、クヴァの身体を捕まえようと動き出す。
「炎陣裂破!」
リアが魔物の足の付け根を斬り飛ばした。
しかし、慣性で斬られた足がクヴァの背中を押す。
爪がクヴァの鎧にぶつかりカンッと甲高い音を立てながら、クヴァを崖の向こうへと追いやった。
「うわぁぁぁ!!!!」
クヴァの視界はグルグルと回り、谷底の川へ向かって落ちていく。
エルンストは肩抜くと同時に衝波斬を放つ。斬撃が魔物に向かって駆け抜けた瞬間、魔物の身体が真っ二つに斬り裂かれ、血飛沫と内臓を打ちまけながら地面へと墜ちる。
「ちぃッ!私は二人を追う。先に帝都に行ってくれ!後で追いかけてやるからさ!」
仲間の返事を聞く前に硬殻防壁を発動させながら、崖に剣突き立てながら下り始めるリア。
崖から顔だけ覗かせながらカナンが叫ぶ。
「ちゃんと後で合流しなさいよー!」
後方からカナンの叫び声が聞こえてくるが、リアは下ることを優先する。今は二人の生死が掛かっている。
「無事でいてくれよ…」
― 落ちていくカミル ―
クヴァの剣の鞘を掴んだが抜けてしまい、落下中だ。
ヤバイヤバイヤバイヤバイ……!
思考を占めるのはそればかりで、動けずにいるカミル。はっと閃き重たい剣や鎧といった類の物を川へと投げ捨てる。川で水が流れているから大丈夫だと思うが、止まったままの水にぶつかると身体にダメージが入りやすい。身体を軽くしながら剣や鎧を先に鎮めることでそれを回避しようとした。
それから上着を脱ぎ、簡易的なパラシュート代わりにする。この程度で落下速度なんて下がり切らないのはカミルも承知の上。藁にも縋る想いで身体を動かしていた。
パラシュートを使ったことで軌道が変わり、崖へと迫っている。
マズイ!何でそうなる!?
思ったような結果を得られず、全身から汗が噴き出してくる。
どうすることもできずにいると、ガサガサガサっと崖際に生えている木々の中へと突っ込んで行く。
パラシュート代わりの上着は破れ消失。木々がクッションの代わりになってくれたが、このままでは崖に激突して無事ではいられないだろう。
大きめの木の枝にあたると、枝はしなりカミルの身体を川へと押し返した。
最早カミルには成す術はない。
自分の運に身を委ねた。
バッシャン!!
身体を打ち付ける衝撃が体中を駆け抜け、カミルの意識は断たれた。
― 落下するクヴァ ―
落ちた当初は慌てていたが、一呼吸挟み頭の中をリセットした。
まずは硬殻防壁を発動させた。
落ちたのが崖のすぐそばということもあり、中級土属性魔法グウェルで崖に幾重にも成る岩の足場を形成する。着地するたびに一枚の足場は壊れ、次の足場へ。一枚壊れるごとに衝撃を少しずつ吸収させ、を繰り返し適度なところで川へと飛び込んだ。
― 追いかけるリア ―
崖を滑り降りるリアは大凡の位置を把握すると、駿動走駆を発動させた。中級風属性魔法フューエルを背中側から自分に勢いよく当て、前への推進力として利用する。崖ギリギリを下流方面へと進むように斜めに落ちていく。適度に高度を下げると崖の壁を蹴って川の中頃に向かって飛び込んだ。
「…ミ…。…ミル。――カミル!」
名前を呼ばれ、目を覚ます。
カミルが目を開けると、クヴァとリアの顔が覗き込んでいた。
「ここって天国?」
カミルの不謹慎な言葉に「今から送ってやろうか?」と笑顔で不穏な言葉をリアが送る。
「ははは、生きてる、みたいですね…」
二人が顔を離していくのを見送ると、身体を起こそうとする。
ピキィ!
体中の骨が軋むような感覚に包まれた。
「イデッ!」
自分の叫びが体中を駆け抜ける。声が響くだけで痛むらしい。
「起き上がらなくいいぞ。骨折こそして無さそうだが、全身打撲状態だ。さっきリアさんが回復薬を流し込んでたからその内効いてくるはずだ」
安心しきった顔のクヴァ。「遅行性で効果のでかいやつだから暫く寝たまんまだ」と言うリア。
人差し指で脇腹をつついてくるのは止めていただきたい。痛いんで!
でも、二人には感謝しないといけない。この二人にはいつもお世話になっている気がするし。
「またお世話かけちゃいましたね…。いつも、ありがとうございます」
「そのうち学園の女の子紹介してくれよ?」とか「帝都でカフェ奢りな?」とか言って来るけど、照れ隠しなのはバレバレだ。
ひとまず回復優先だ。ゆっくりと目を閉じ深呼きゅぅぅぅ…。痛むので浅い呼吸でやりすごそう…。
「ほう、人様の土地で寛ぐ気か?」
目を閉じていると聞きなれない声が聞こえてくる。それも高圧的な。目を開け、寝たまま視線を下へとずらしていく。
そこにいたのは、金髪のストレートロングの碧眼で色白の少女が立っていた。ただ、あまりにもおかしなものを発見してしまう。この世界ではありえないはずの存在。
「エルフ…?」
そう、耳の尖ったスラっとしたエルフがそこにいた。この世界のエルフは耳は尖っておらず、銀髪なのだ。それでいて筋肉隆々という認識だ。だが、今目の前にいるのは日本で知識を得たエルフそのままの姿だった。
エルフという言葉に現れた少女は驚いている。
「こいつのどこがエルフなんだ?エルフ族というのは私達のような銀髪と、この手首の紋様が特徴なんだ。間違えるな、不愉快だ」
リアは紋様を見せつけると不機嫌そうな顔になる。
「面白い。お前には私がエルフに見えるのだな?実に興味深い」
エルフのような少女の眼光がするどくなった。
「お前に少しだけ興味が湧いた。家に来い」
身動きが取れない状態で、謎の女性に目をつけられることになってしまった…。