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ガストンの苦悩

 エジカロス大森林――広大なエジック山脈まで続く深い森。先人たちが苦労して開拓してきた街道のみが人が進むべき道だ、と言わんばかりの緑の世界。真っすぐと森の奥へと続くその道は、馬車が優にすれ違えるほど道幅が広く、路面状況も凸凹が少なく整っている。この道幅のおかげで森の奥に進んで行っても陽の光が射しこみ続け、森の中で真っ暗という状況を避けられる。この整備された状況が山のどこまで続いているかわからないが、振動が少なく移動できるのは旅する者にとって有難い。

 まだ残暑が残る秋口での移動なので、そこまでの苦労はなく進むことができるだろう。これが冬の始まりともなると山頂に近い部分に雪が積もる。そうなってしまえば、山脈越えの選択肢が消えてしまう。海沿いの道を進めば帝都まではたどり着くことができるが、移動時間は遥かに長くなってしまうだろう。


 森に入ってからどれくらい経っただろうか。変わり映えしない木々の中をひたすら馬車で進んでいく。街道が整備されているので特に苦労することなく進めることもあって非常に退屈だ。小規模でもいいから魔物でも出てこないかと期待しているが、何かが現れる気配はない。魔物側からしても、森の中にある街道に対して警戒心を抱いているのかもしれない。広大な森の中には食料もある豊富にあるだろう。わざわざ人間の前に姿を現す方が稀なのかも。

 暇つぶしに天技のことでも聞いてみようか。

「カナンさんが天技を扱えるようになったのっていくつくらいの時なんですか?」

 カナンは首を傾げながら視線を右上の虚空へと向ける。

「う~ん、フラムとルイズが使えるようになってからだから、12歳頃かしらね。フラムはお母さんの料理のお手伝いしていたから覚えるのが早かったんだけど、ルイズは勉強し始めるのが遅くてね。12歳になったころにようやく使えるようになったの。二つ目の属性が使えるようになったのが嬉しくって、右手でフラムを発動させて、その次は左手でルイズを発動させてね、使っては消し、使っては消しって遊んでたのよ」

 カナンは当時を再現するように、言葉と同じようにフラムとルイズを実演して発動させている。

「子供の頃ってこんな単純なことで遊べるんだから、感受性が豊かよね」

 昔を懐かしむように柔らかく表情が緩んでいく。

「交互に魔法を使っていたら頭がこんがらがっちゃってね、何を思ったのか同時に発動させようとしちゃったの。そうしたら白く輝く炎が生まれちゃって、急いでお母さんに見せにいったのよ」

 カナンの表情がはにかんだ笑顔になる。

「あの時のお母さんの表情、面白かったなー。あわあわしちゃって、私のことほっぽり出してお父さんを呼びに出て行っちゃうんだもの」

 プロフが「懐かしいですね」と昔を思い出しているようだった。

「それが私が聖火に目覚めるきっかけだったわけ。おかしいでしょ?事故みたいなことがきっかけで天技に気付くんですもの」

「ふふ」と微笑みが溢れる。

「素敵な思い出ですね」

 カミルはアズ村に残してきた両親のことを思い出す。子供の頃は、新しいことができるようになったら逐一両親に報告に行ってた気がする。ひとつ、また一つできることが増えていく度に、両親がよろこんでくれて、その姿がまた嬉しくって色んなことに挑戦していった。いつの頃からだろう。挑戦ということに尻込みをするようになったのは…。知識が付いてくると、始める前に先のことを考えてしまう。挑戦する価値があるのか?安全か?お金がかかるのではないか?どれくらい時間がかかる?様々な不安要素が頭をよぎり、足枷となって動けなくなってしまう。今は学生ということもあり、示された学びを行っているに過ぎない。自分がどうしたいのか、どう生きていきたいのか。その為にどうしなければいけないのか。定期的に自分と向き合う時間を設けるべきなのかもしれない。

「聖火を使う時、毎回詠唱みたいなことしてますよね?天技ってそういうものなんですか?」

「聖火使ってる時の私って姿がちょっと変化するじゃない?あの状態になるのに聖句が必要ってだけであって、無しでも使えるわよ。ほらね」

 カナンは右の掌を上に向けた状態で胸の前へと動かすと、掌の上に聖火を生み出した。白く輝く炎は揺らめいている。

 カミルは純粋に「おお」と目を綺羅綺羅とさせ聖火を覗き込む。

 目を輝かせ覗き込む姿が子供のように映ったのか、カナンのカミルを見つめる目は優し気だ。

 そこでカミルは疑問に思う。

「あれ?技能講習の時、確か…。魔力を大量に消費するとかなんとか言ってませんでした?」

 聖火からカナンに視線を移すと、ばつが悪そうに視線だけがゆっくりと右へと流れていく。

「あれは方便よ…。ほら、あの場で騒がれたら収集がつかなさそうだったじゃない…」

 取り繕うように言葉を並べる。心の揺らぎが聖火に反映されるように、揺ら揺らと揺らめくと霧のように消えていく。

「別に責めているわけではありませんよ。あの時はあれが最善だったと思います」


 この流れなら聞けるかもしれない。


「天技も良いことばかりじゃなさそうですね」

 カナンの苦労に共感するように苦笑する。

()()()()()だと思ったことはあるんですか?」

 やんわりと切り込む。

 普通に考えたらその力に助けられる方が多いはず。やっかみなどを受けることもあるかもしれないが、メリットの方が大きく働く傾向が強い。呪いだと感じる要素は一見無さそうだが、当人はどう思っているのか。

 表情の機微を感じ取ろうとカナンの瞳を見つめる。

 意外な質問だったのか、目をパチパチと瞬かせ表情が少し強張った。物悲しげな微笑みに変わる。

「なかなかしないモノの考え方をするのね。大抵は羨ましがられるっていうのに」

 カナンの言葉を待つ。

 一呼吸置くと静かに語り出した。

「天技に目覚めると大人は皆喜んでくれたわ。それこそ英雄のように持ち上げられることもあったくらいにね。でも、そんな大人の反応を見た子供はどう思うかしら?」

「面白くはなかったでしょうね。人間ってのは少なからず特別な存在だと思いたい生き物ですからね」

 どこか大人びたカミルの口調にカナンはふふっと忍び笑いを浮かべている。

「そう、面白く思われなかったの。聖火への目覚めが友達を遠ざけることになって…、一人で過ごす時間が増えたの。もちろん、プロフは仲良くしてくれたし、大人の人達からは大切にしてもらえたけどね。当時の私には、それは耐えがたいもので、こんな街なんて居たくないって家出なんかもしちゃったなー…」

 優等生タイプのカナンからは想像もつかないことだった。学園を卒業してからも姉弟で冒険者を組んで活動していることから、家族を大切にするタイプだろう。そのカナンが家族を置いて家出するなんて、余程追い詰められていたことが伝わってくる。

「私の実家は帝都なんだけど、ほら、帝都って広いじゃない。子供の足だと遠くまで行けなくとも、すぐ隣の区画あたりまでなら行けちゃうでしょ?勢いで出て行っちゃったけど、日が暮れ始めた見慣れない街の姿に怖くなっちゃってね。すぐ帰ることにしたの」

「方向音痴のカナンは迷子になって帰れなかったってオチか?」

 リアが空気を読まずにケラケラと笑いながら言葉を挟む。

「もう!私が話してるのにー!」

 途中で口を挟まれたことにカナンは拗ねている。口を尖らせている姿がかわいらしい。

「確かに迷子で帰れませんでしたけどねー!」

「挙動不審な姉さんの姿に、騎士団の人が気づいてくださって、わざわざ送っていただけたんです」

 にこやかにプロフが追加の説明をくれる。

 一日も経たずに帰ることを家出と言うのか?とは思ったが触れずにしておこう。

「だから、そう言った意味合いでなら呪いかなー」

 苦い出来事も時間が経つと想い出に変わる。過ぎたことは変えられないのだから。

「学園に行ってからは実力主義みたいな側面があるでしょ?疎まれることもあったけど…、精神的に大人になってきていることもあって、普通の友人関係を築けるようになったかな」

 表情に僅かに陰が落ちたのを見逃さなかった。

「なんか、すみません。嫌な記憶を呼び覚ますような質問しちゃって…」

 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。誰にでも触れられたくない、思い出したくない過去はあるものだ。これ以上この話題を続けるのは避けた方がいい。

 今まで黙って聞いていたガストンが口を開く。

「子供の頃なんて、人生の中でほんの一時だ。昔からの繋がりも大事だが、今自分と繋がっている人達を大事にしていけばいいのさ。大人になってからの友達ってのは良い人間関係を築けるものだぞ?社会に出ちまうと、毎日同じようなルーティンになりがちだ。その中で出会い、長続きする関係を築けたのなら、その関係性は本物だろう?短い子供時代を嘆くよりも、まずは今を大切にすることを考えろ。そうすれば、長い大人になってからの人生を華やかに彩ってくれるってもんよ。だから、今を懸命に生きろ」

 ガストンはおよそ350歳という話だ。その途方もない長い人生の中で、何を見て、何を体験してきたのだろうか?


 もう少しで山へと差し掛かるという所で馬車が止まる。日が暮れ始めていることもあり、暗くなる前に野営の準備をするらしい。山脈には空を飛ぶ魔物がいるらしく、見つからないように馬車を森の中へ進ませ上空から見えないように姿を隠させた。

 手慣れた様子でガストンが薪となる枝を集めてくるとフラムで火を灯す。

 日の出と共に山脈越えに入るため、今日は早めの晩御飯となった。村から運んできたコッペパンと干し肉という、何とも味気ない食事だ。

 時間が経ち若干パサついたコッペパンを齧る。風味は落ちているが、小麦の味わいが残っているためまだまだ美味しく食べられる。次いで干し肉を噛み千切ると鶏の味が口の中に広がった。数ある干し肉の中で鶏肉を選んだのは、スープの出汁を取るときにあっさりとした味わいにするためらしい。味付けが濃いものは消化に悪く、胃に残りやすい。なるべく味付けは薄くし、道中に支障をきたさないように注意が必要だと、食事中にエルンストがカミルに指導した。

 簡易的な食事が終わると、見張りの順番を決める。森の中ということもあり、魔物に襲われる可能性は十分にありえる。一日中馬車を操る御者と旅で重宝する閃族のユリカを除いた七人で分担を決めた。

 一組目がカミル、カナン、ガストン。二組目がエルンスト、プロフ。三組目がリアとクヴァ。前衛後衛で組ませることで、魔物の襲撃に備える。実力的に劣るカミルは言ってしまえばオマケだ。


「馬車のキャビンは女性陣で使え。男は外でも大丈夫だな?」

 正直、外で寝るのには抵抗があるが、女性との旅路なのでそれも仕方がないことだろう。女性だから優先するのが当然とか、そんな考えからではない。男として女性に優しくできない人間になりたくないだけだ。

 すべての男性がカミルのような考え方ではないとは思うが、ここにいる男性陣は皆無言で頷いている。

「よし、では明日も早い。ゆっくり休んでくれ」


 一組目の担当になったカミルは、焚火の前から動かず皆を見送る。

 すっかり日が落ち、濃紺の空に星が煌めいている。

 揺らぐ焚火の炎。オレンジ温かみある灯りが辺りを照らす。時折パチパチっと爆ぜる音さえ心地良く感じるのは、日常から切り離され開放的になっているからだろうか。

 三交代の為、この三人で過ごすのはおよそ150分ほど。30分の時を測る砂時計をセットした。五回砂が落ちきるのを確認すれば交代の時間となる。


「差し支えなければ、ガストンさんの子供時代のことを教えていただけますか?」

 カミルは前々から興味のあったガストンの過去について問いかける。330~340年前の世界の様子が聞けるのでは?という好奇心からだ。歴史の生き証人。そういった類の人物には早々出会えない。幸い時間はたっぷりある。

「俺の子供時代?そんなもの聞いてどーすんだ?時代が違い過ぎて参考にもならんだろうに」

「単純な好奇心ですよ。教科書を見れば大まかな歴史は学べますけど、実際の生活がどんなものだったのかはわかりませんしね」

「まあ、聞きてーなら昔話の一つでも聞かせやるよ」

 話を促すように焚火からパチっと弾ける音が一つ鳴り響く。

「季節は今と同じ秋のことだった。俺の子供の頃はまだ魔法を詠唱して使っていた時代でな。完全に剣と魔法が分離していたんだ。今の人間からしたら、とても不便に感じるだろうさ」



― 340年前 エンディス大陸 ロンヌ村 ―


 ミトス大陸との玄関口、砂港トゥアスと要塞都市ザントガルツの中間地点に存在するロンヌ村。砂漠地帯の海岸沿いに存在し、地の元素と火の元素が豊富な土地ではあるが、スフィラ海峡を臨む水産物が豊かな土地でもある。生活用水は村の脇を流れるトロス川から引いてきており、赤いレンガ造りの街並みと海と川の青さが両立した地域である。ドワーフの故郷とも呼ばれるロンヌ村は、大人のような姿の者が少ない。正確には、他種族の大人の様な風貌の者が少ない。ドワーフ族の特徴として、大人でも身長が150cm前後までしか伸びず、童顔ということもあり、ぱっと見では12歳前後の少年少女のような見た目をしている。一族通して碧眼で、他種族の子供と並んでもすぐに見分けがつくだろう。旅人が村に立ち寄ることがあれば、子供しかいないように見えるこの村は異様に映るかもしれない。


「おい!早い来いよ!置いてくぞ!」

 赤丹(あかに)色の髪の少年――イヴァンが村の広場を駆け抜けていく。リネンのチュニック調のトップスにリネンのパンツスタイルの服装だ。トップスは親からの御下がりなのか、汚れたり痛んだ部分を糸で紋様のような刺繡をして仕立てられている。大人と子供の体躯がそう変わらないから服をそのまま渡せるのはメリットだろう。砂漠が村の目の前に広がっているせいか、靴はしっかりとした革製だ。背中にはイヴァン愛用の剣を持っていた。

ロンヌ村では一般的な男性の服装である。

「ま、まってよ~」

 イヴァンの後を追ってくる浅蘇芳(あさすおう)色の髪の少女――エスカンヌは息も絶え絶えにイヴァンへと抗議の声を送る。女性も生地やデザインは男性と共通ではあるが、トップスのチュニックの丈が(くるぶし)辺りまで覆えるほど長い。見た目的にはワンピースである。ボトムスにはハーフパンツ丈の物を履くのが一般的だ。機能性よりもかわいさ重視のデザインになっているのが女性の傾向らしい。ロング丈のチュニックが邪魔になる場合に備えて、腰部分にリボンがついており、折りたたんで結めば長さ調節ができる。今はリボンに木のでできた杖が括りつけられている。

 走るのに限界が来ているのか、膝に両手を置き身体を屈んだ状態でハァ、ハァと息を整えるている。

「ほら、頑張れ。ここで大人に見つかったら連れ戻されるぞ」

 エスカンヌに手を差し伸べる伽羅(きゃら)色の髪をした少年――ガストンは急かす。背中には大型の弓を携えている。大人の目を盗み、トロス川へと向かっている最中だ。大人が一緒でないと行っては駄目だと言われているにも関わらず、秋口の暑さに耐えかねて何時もの面子で川を目指すことになった。子供というのは駄目と言われても好奇心に負けてしまうことは多々ある。この時のガストン達も例に漏れずだ。

 鼓動が少しはマシになったのか、エスカンヌはガストンの手を取ると「い、いこ!」と小走りに歩を進め出した。

 エスカンヌの歩幅に合わせるようにガストンも走り出すと、空いている腕を使ってチュニックで顔の汗を拭った。残暑の残る日差しのせいか、女の子と手を握った気恥ずかしさのせいか、拭った顔からジワジワと汗が出てくるのを感じる。

「待たせた」

 ガストンの短い言葉にイヴァンは「おせーよ。ほら、出入口でロータスが待ってるから、これ以上遅くなったらまたネチネチと言われちゃうぞ。急げ!」と三人揃って村の出入口へと駆けて行く。


 何とか大人に見つからず出入口付近まで駆けてくると、建物の影からヒョコっと顔を出している深蘇芳(ふかすおう)色の髪の少年が目に入ってきた。こちらに気付くと手招きをしてくる。

 出入口にたどり着くと、一旦建物の影へと身を潜ませた。

「はぁ、はぁ、ごめん。はぁ、はぁ、またせた」

 全力に近い速さで走ってきた三人の息は上がり切っている。地べたに座り込むとロータスが口を開いた。

「遅いっつーの。一人で待たされたこっちの身にもなれよ。大人に見つかるんじゃないかとヒヤヒヤしたんだ。これだからウスノロと一緒に行くのは嫌なんだ」

 ロータスの冷たい視線がエスカンヌへと注がれる。

「ごめん…、なさい…」

 か細い声が気に障ったのかロータスは更に言葉を強める。

「聞こえねーんだよ。これだから女と遊ぶのは嫌なんだ」

 イヴァンの圧にエスカンヌの表情は今にも泣き出しそうになっている。

「すまん、俺が大人を巻くのに時間がかかったんだ。エスカンヌは悪くないよ」

 ガストンはロータスへと謝った。

 エスカンヌは「え?」と声を出すも、ガストンの手がエスカンヌの口を塞いだ。

 ガストンは咄嗟に嘘をついたのだ。エスカンヌの体力的な問題で遅れたのにも関わらず、自分が悪いとエスカンヌを庇った。泣き出しそうな表情が居た堪れなく、つい嘘をついてしまった。

 ロータスの表情は変わることなく、視線のみがガストンへと動く。

「はぁ…。そんな女とつるんでるからお前もそんなトロくなるんだよ。友達は選べよ」

 ガストンは苦笑いを浮かべるのみだ。下手に反論すると更に言葉を強める。それがロータスという人間だ。エスカンヌの手前、早くこの話題を終わらせたかった。


 『友達は選べよ』とは言うが、それは不可能だ。何せロンヌ村には子供は四人だけ。今この場にいる面子だけなのだ。ドワーフ族は長命種で1000歳ほどまで生き続ける。長い時を生きる種族故、伴侶となる者を選ぶのもかなりの時間を要する。なまじ寿命が長いので、結婚をすれば何百年もの時間を共に過ごすことになる。だからこそ相手を選ぶのにも慎重になる。ドワーフ族は一夫一妻であり、不倫率も低い。結婚を意識し出すのが200~300歳前後ということもあるが、子を授かると異性や伴侶よりも子供を大切にする文化が根付いている。平たく言えば、異性への関心が極めて薄くなる。ひとたび家族となれば一生を添い遂げるのが多いのはそのためだ。

 子供を育てる頻度もスパンが長く、一人に100年近く時間を注ぐ。そのため、同時期に子供が多くなることは極めて稀である。その稀な時代に産まれたのが四人の幼馴染だ。


「もういいだろ。早く行かないと時間が無くなるよ」

 イヴァンが川への移動を促す。

「ったく。わかった、いくぞ」

 ようやくロータスの小言が終わる。ガストンはエスカンヌの肩を叩き慰めた。

 ロータスとエスカンヌは相性が悪い。自分の想い通りにならないと気が済まないロータスは、最年少で運動機能が低めのエスカンヌが足を引っ張るのを嫌っている。子供の数年という開きは身体の成長の差が大きくなりがちだ。同じようにできなくて当然なのに、それをロータスは受け入れられない。鬱憤をエスカンヌにぶつけるのは日常茶飯事のことで、その都度ガストンとイヴァンが庇うのが常だ。

 ロータスが歩き出すと、エスカンヌはロータスに聞こえないように「いつもありがとう」と二人に飛び切りの笑顔で感謝を伝えた。ガストンはロータスのこの笑顔に弱く、その笑顔が見たくてついついエスカンヌを助けてしまう。それはイヴァンも同じように感じられる。

 三人揃ってロータスの後を追う。


 砂漠地帯を歩くのは気力、体力どちらも消耗しやすい。足が砂に埋まり、風で舞う砂が視界を遮る。照り付ける日差しは砂漠で反射し、容赦なく熱を浴びせ続ける。

 ロンヌ村からトロス川まで、子供の足で30分ほどの道のり。水筒や日を凌ぐ装備さえ持っていれば余裕を持ってたどり着ける。

 砂漠にも魔物が生息しているが、村が近いためか今まで川への道で見かけたことはない。用心して毎回武器は持ってきているが、重りになっているだけでまだ出番を迎えることはない。今回も例に漏れず、魔物との遭遇はなくトロス川へとたどり着いた。


「ようやく着いたか…」

 ロータスは疲れ切っていた。意気揚々と先陣を切って歩いていたが、村から出て早々に砂に足を取られて転んでしまった。砂の山から滑り落ちる形になってしまい、仲間と合流するためにロータスだけ体力を浪費してしまったのだ。散々トロいと馬鹿にしていたエスカンヌの足にすら追いつけなくなり、川へ到着するころには最後尾にまで下がっている。

 三人はそのことには言及しない。すれば面倒になることが解り切っていた。

 そんなことよりも目の前に広がる涼し気な川に視線も意識も奪われる。キラキラと輝く水面に早く飛び込みたい衝動に襲われる。

「よし、いくぞ!」

 荷物を降ろし靴を脱ぐとイヴァンは勢いよく川へと飛び込んだ。激しく飛び散る水飛沫が陽の光を浴び、部分的な虹を作り出す。

「きれ~」

 チュニックを折りたたんでいたエスカンヌが、水飛沫で生まれた虹と水面の反射を見て恍惚な表情を浮かべる。

「エスカンヌも早く準備して!早くいこうよ!」

 手早く準備を済ませたガストンがエスカンヌを急かす。砂漠越えでかいた汗を川で流したくウズウズしている。

「ちょっと待って」と裾が水に濡れないようにリボンで固定すると、靴を脱ぎ立ち上がる。ガストンの手を取ると川へと駆け出した。

 手を引かれる形となったガストンは、前のめりになるも転けはしない。膝上まで上げられたチュニックがミニスカートのようになったエスカンヌ。その生足がガストンの視界の真ん前にあり、白い肌の足にガストンの体温は上昇した。普段見ることのない女の子の足にドギマギしていると、指先に冷たい感触が伝わってきた。バシャ、バシャ、と水を踏みしめる音が広がり、水飛沫が飛び散る。陽の光で輝く水飛沫が、前を走るエスカンヌの姿を煌かせているようだった。

 不意に振り返るエスカンヌの弾ける笑顔に、ガストンは思わず見とれた。その結果、盛大に足を(もつ)れさせ、派手に水の中にダイブする形となった。

 突然ガストンが飛び込んだことにエヌカンヌはびっくりするも「あはははは」と大笑いをしている。

「何転けてんの?だっさー」とイヴァンにはいじられる。

 ロータスはまだ遊ぶ元気を取り戻していないのか、水際で足だけ浸けて座り込んでいる。


 暑さから解放された四人は、ゆったりとした時間を堪能する。

 水の中まで入ってきたロータスは、イヴァンに向かって水をかけ始める。急に襲われたイヴァンも負けじとロータスへとかけ返す。ガストンとエスカンヌは二人の戦いをにこやかに見守る。


 そんな時間を過ごすはずだった…。


 異変が訪れたのはそのすぐ後のこと。上空を大きな何かが通り過ぎて行った。

 突然巻き起こる風と大きな影に四人は空を仰ぎ見る。逆光で何が起きているのかすぐには確認できなかった。わかるのは何かが飛んでいったことだけ。その時…。


「ガァァァァァア!!」


 何かの鳴き声が響き渡り、四人は顔を引きつらせる。

 鳥型の魔物。

 瞬時にロータスは理解した。魔物と遭遇してしまったことに。

「急いで川から上がれ!応戦、応戦しなきゃ!!」

 ロータスの声で弾かれたように砂場に向かって走り始めた。水遊びをしてしまった為に、体力を削られてしまっていた。

 足が重い…。ガストンは焦る。まだ水に足が使っているというのに、顔から汗が噴き出すのを感じる。水中では動きが鈍る。このままでは良いカモである。

 ロータスが砂場へと駆け上がった。

 木の杖を鳥型の魔物に構えると詠唱を始める。


― 大地の意志よ 過の者を穿て グラン ―


 杖の先に岩塊が生まれ魔物に向かって放たれた。

 直線的な動きの岩塊は難なく避けられ、魔物の横を通過して消えていく。今は当てる必要はなかった。仲間が水辺から抜け出すことが優先されること。

 狙い通り、三人は砂場へと上がり、武器を手にすることができた。

 だが、相手は空を飛ぶ魔物。連携して挑まなければ、攻撃は中々当たらない。

「ガストン!もう一度グランを使うから、アイツが避けたところを狙え!」

「了解!」

 ロータスは再び詠唱に入る。その姿を見たガストンも弓を構えた。


― 大地の意志よ 過の者を…


 ロータスが詠唱をしていると、魔物の(くちばし)が動き、四人を巻き込むように風が吹き荒れた。突然、風が吹き荒れたことでロータスの詠唱が途切れる。

 風の影響でガストンの弓も射ることができない。

衝波斬(しょうはざん)!」

 イヴァンの声が響くと、魔物へ向かって斬撃が飛んでいくのが見えた。風属性魔法の影響を受けない純粋な魔力の斬撃で反撃したようだ。

 斬撃は魔物の左翼の付け根を傷つけ赤い血が飛び散った。

 風属性魔法は霧散し、魔物が高度を落として来る。

「鋼の矢!」

 ガストンは矢の強度を高める武技を発動させ、落ちてくる魔物に向かって矢を放つ。


― 大地の意志よ 過の者を穿て グラン ―


 エスカンヌも続いて初級土属性魔法グランで岩塊を射出した。

 魔物は翼を羽ばたかせると、ガストンが放った矢を吹き飛ばす。その後に到着した岩塊を捌けず再び左翼に直撃し、今度こそ地面に向かって落ちてくる。


― 大地の意志よ 過の者を穿て グラン ―


 ロータスが再び詠唱し、岩塊を撃ち出すと魔物の頭部に偶然にも当たり、空中で絶命させることができた。

 魔物の大きな身体が砂場へと墜ちると、砂が激しく舞い上がり視界を遮った。

 何とか魔物を倒しきることができたことにガストンは安堵する。


 バシャンッ!


 水辺に何かが落ちたのだろうか?ロータスが放った岩塊が跳ね返り落ちたのか?

 視界が砂煙でひどくて確認できないが、そこそこ大きいものが落ちたような音だ。


「た、たすけっ……誰か!イヴァ……、ガス……」


 突然ロータスの声が辺りに響いた。必死に張り上げた声から緊急事態なのをガストンは察する。

「ロータス!どこだー!!」

 視界を塞いでいた砂煙が晴れかけてきた。

「ロータス!何があったー!」

 イヴァンも叫び声を上げてロータスの状態を確認しようとしていた。

 砂煙が収まり、視界が明けた先に……ロータスはいなかった。

 その代わりに残されていたものがある。


 血を大量に吸い込んだ赤く染まった砂の跡。

 それと、二の腕より先の人の腕――木の杖が握られたロータスの腕。


 衝撃的な光景に誰も声を上げられなかった。

 水辺にまで広がる血の痕跡が水の色さえも変色させている。


「きゃぁぁぁあああ!!」

 思考がようやく追いついたのかエスカンヌが自分の身体を抱きしめるようにして叫んだ。

「ロー…タス…?」

 ガストンも声を絞り出したようなか弱い声を上げるので精いっぱいだった。

 イヴァンに至っては未だ放心状態。


 ザバンッ!!


 水から何かが飛び出てくる音にガストンは視線を向ける。

 そこにいたのは……大きな口を開けた顔が大きな魚人のような魔物。

 口からエスカンヌを丸のみするかの如く、頭から膝上あたりまでを噛み切り、エスカンヌの姿が消える。

「エスカンヌゥゥ!!」

 水の中に逃げ込もうとする魔物に向かって矢を連続で放っていく。


 逃がすもんか…!逃がすもんか!!

 ガストンは必死に魔物に矢を射かける。

 身体に矢を受けながらも逃げる姿勢は維持する魔物。ふと見れば、咀嚼している……?


 まさか…まさか……。

 魔物の口元から次々と血が零れだしているのが見えてしまった…。


「ああああああああ!!」


 鳴き叫ぶような声を張りながらイヴァンが魔物の腹へと剣を突き刺した。そのままスライドさせていき腹を引き裂くと、膨らんだ胃腸のようなものが飛び散った。

 引き裂かれた胃腸の中から、ロータスの顔の一部が飛び出し、魔物は浅瀬で倒れ事切れる。

 ロータスだったものの肉片を目にすると、イヴァンはその場で崩れ落ち、嘔吐した。


 ガストンの頭の中は真っ白だった。

 ロータスとエスカンヌが食い殺された…。その事実を受け入れることができなかった。



― 現在 エジカロス大森林 ―


「そこから先はよく覚えてねーんだ。覚えてるのは、イヴァンと二人でエスカンヌとロータスの身体の一部をロンヌ村へと持ち帰ったことだ。村に着くなり、人間の身体の一部を持っていることに驚いた大人が村長のとこに走って……二人が死んでしまったことが伝わり……身も心もボロ雑巾になるまでいたぶられたはずだ。そこも記憶がねーんだよ。気づいたら家のベッドで体中を包帯で巻かれてる状態だった」

 凄惨な昔話に、カミルもカナンも言葉を発せない。

 自分の心を守る為に記憶をシャットアウトする。そういうこともあるらしいが…。

「生き残ったイヴァンも罪悪感に耐えきれなくなったんだろう、自宅で自殺しちまってな…。でも、俺には命を絶つ勇気すらなかった…。そんなことがあったロンヌ村には居れなくなって帝都に移り住んだんだよ。それ以来、300と数十年以上もロンヌ村には近づいてない……いや、近づけないっていう方が正確か」

 焚火の音だけがパチパチと鳴り響く。

「なんで…、その話を俺達にしてくれたんですか?」

 カミルは何とか言葉を絞り出す。

「カナンが子供の頃の嫌な想い出を話したからかな。そんなきっかけでもないと話さなかった話かもしんねーよ。カナンは仲間だし、俺のことを知ってもらう良い機会だと思ってな。カミルには俺みたい人生を歩んで欲しくもないしな。…カナン、昔に嫌なことがあったにしても、人間なんて精々80年やそこらしか生きない。俺達ドワーフは1000年だ。途方もない時間、自責の念を抱えて過ごすことになる。あいつらの親もまだ生きてるんだぜ?顔向けできねーよ」

 ガストンはあえておちゃらけた様子で語っているが、話が重すぎて意味を成していない。

 沈黙が場を支配し、焚火の音だけが時間の流れを教えてくれる。


 沈黙を破るようにカナンが口を開いた。

「仲間なのに、私はガストンのことを何も知りませんでした。そんな苦悩を抱えてるなんて…」

 カナンの瞳には涙が溢れている。ガストンの過去を知らなかったことに対してなのか、亡くなってしまったガストンの幼馴染に対してなのか。きっとどちらに対してもだろう。

「言っただろう?もう過去の話だ。取り返しのつかねーことを起こしちまった事実は消えないが、それを糧に俺みたいな人間が増えないように、気をかけてやることはできる。それが俺の罪滅ぼしでもある。冒険者稼業もその一環だ。魔物や魔族が一体でも少なくなれば、俺みたいな経験をするやつは減るだろう?だから、これは俺にとっての使命の旅でもある。過去に縛られるのは、俺みたいに誰かを死なせてしまったやつだけでいい。お前達は今を懸命に生きてくれ」

 ガストンの言葉にカミルは納得せずに言い返す。

「それは違うと思いますよ。過去に縛られたって、亡くなられた三人が浮かばれるわけではないでしょう?なら自分を縛る必要はないと思います。使命の旅とか恰好つけてないで、そうしたいからやった。それで良いと俺は思いますけどね」

「生意気なことを言いやがる。おめーも俺みたいにならねーように実力をつけやがれ」


 少しだけガストンさんを知ることができた気がする。長い人生の一端かもしれないけど、人は誰しも何かを抱えて生きている。冒険をしていればいずれ命を落とす現場にも立ち会うかもしれない。そんな日が来ないことを祈るばかりだ。

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