食事は仲間とともに
久しぶりに日本人の”彼”の夢を見た。
両親と共にとある神社を訪れた時の。
彼の両親は全国の神社仏閣を巡るのを趣味としていて、有名所はもちろん町の小さな所まで様々な場所を巡っている。ここもその内の一つで、船や飛行機で島まで渡らないとたどり着けない神社だった……。
この島は自然豊かな島で、澄み切ったエメラルドグリーンの海が観光客の心をまず惹きつける。その海から獲れる魚介類は絶品で肉と合わせてグルメも堪能できる癒しの島として有名だ。島内には数多くの神社があり、神社巡りと美しい島の観光をするために家族揃って訪れていた。
飛行機で空から島の姿を眺めながら降り立った。秋口だというのに、未だ汗ばむ陽気に当てられる。レンタカーを借り、まずはホテルへと向かう。チェックインを済ませて必要最低限の荷物だけ持ち観光へと旅立つ。島ということもあり、ホテル以外は古めかしい建物が多いのかと思いきや、近代的な建物や広場が広がっていた。ホテルのエリアだけかもしれないが、綺麗で嬉しいような、島まで出向いて変わらぬ景色にがっかりしたような、複雑な気持ちで住宅街を抜けていく。舗装された道を進んでいくとすぐに木々が生い茂る姿が現れた。道は林の中を突っ切るように木々の中を進んでいく。海が近いこともあり、風で木々が騒めいている。この風景だけ見ていると、観光地という感覚はまるでない。ちょっとした田舎に行けばすぐに見られる光景だ。
緩やかな長い登り坂を登りきると、木々は途切れ、視界いっぱいに一面の畑が広がっていた。秋の味覚が所狭しと実り収穫されるのを待っている。
畑の間を抜け、進んだ先の林の一角に鳥居があるのが見えた。目的地はそこらしい。規模は大きくなく、小さな社があるのみだった。地元の人達の生活に溶け込むような姿は、何故か懐かしさを感じてしまう。
参拝を済ませ記念写真撮ると、次の神社へ向けて走り出した。他にも観光できるところは沢山あるみたいだけど、道すがら見つけた神社にはとりあえず寄っていくみたいだ。
カミルは神社が持つ独特な雰囲気に好感を持っている。鳥居を潜ると感じられる凛とした空気感が特にお気に入りだ。何故あの雰囲気を醸し出すかはわからない。畏れ敬う心がそう感じさせているのかもしれないし、本当に神様という存在に見守っていただけているのかもしれない。彼の意識の中にいるカミルはお賽銭こそできないが、彼の家族と一緒に祈ることは忘れない。
鬱蒼と生い茂る木々の前に鳥居を見つけ車を止める。古めかしい石で作られた鳥居を抜けると、昔の建築によく見られる急な石段があり、現代っ子で怠けた彼の身体には結構きつい道のりとなる。苦労しながら登りきると神秘的な空気を纏う社が現れた。陽の光が降り注ぎ、木漏れ日で溢れているはずなのに何故か雰囲気が暗い。淀みはなく澄んだ静謐な社なのに不思議な感覚だ。
手水舎で柄杓を右手で持つと水を汲む。左手、右手、口、再度左手の順で清めると拝殿へと向かう。年月を感じさせる社は、地元の人によって大切にされてきたのであろう。修繕された形跡が所々に見られる。拝殿の前へ立つと、より神秘的な感じがする。誰かに見られているような不思議な感覚だ。
軽く会釈をすると鈴を鳴らした。鈴の音は邪気を払うと言われているので、きちんと音を鳴らしてお賽銭を入れる(カミルはできないが)。彼の家では115円を入れるらしい。良いご縁がありますように、という意味だと彼の父親が話していたのを聞いたことがある。
二拝すると胸の高さで右手を少し下にずらして手を合わせ、二拍手して指を合わせる。
そして祈りを捧げる。
私はカミルと申します。私がいた世界とは異なる神様、私は向こうの世界では天技――天からの祝福をいただけませんでした。才能にも恵まれませんでしたが、人並みの生活は送れていますので贅沢は言えません。せめて、自分と大切な人達を守れるだけの力を身に付けられるような導きをお願いいたします。
ささやかな願いだった。
カミルは繋がりを大切にしている。この手が届く限り、生活を守っていきたいと思って生きてきた。その為の学園への入学だ。才能が無かろうが、努力で上位に食い込む。そんな野心も持ち合わせている。でも、それを神様に祈るのは厚かましい行いだろう。
祈りを終えると手を降ろすし、一拝をして拝殿を後にする。
両親は御朱印集めも楽しんでいるようで、御朱印帳はかなり埋まっている。彼は喜ぶ両親の姿をカメラで記録に残していく。何気ないひと時が、何年後、何十年後かには宝物に変わっている。記憶だけでは曖昧になりがちだが、写真にして残しておけばデータが消えない限り永遠だ。カミルの世界にはないこの科学技術というものが、ひどく羨ましく思うことがある。
御朱印以外にもお守りや絵馬など、一般的な神社で取り扱っているものは無数にあるが、お守りは自分の足で通いやすい場所の物しか集めないようだ。自分の足でしっかりとお守りを返納し、お焚き上げをお願いするのがポリシーらしい。絵馬は普段からあまり書かないらしく、本当にお願いしたいことがある時だけ、絵馬に願いを書き記す。そうやって気持ちを高めているようだ。
一通り見終わるとレンタカーへと戻っていく。急な石段を転げ落ちないようにゆっくりと降りていくと……。
”天技なぞ、ただの呪いだ”
拝殿の方から突風が吹き抜けた。その風に乗って背後から声が聞こえたような気がした。
振り返りたいが彼には今の声が聞こえていないようだ。後ろ髪を引かれる思いだが、この身体は彼の者だ。今の俺にはどうしようもない。
天技がただの呪い?天技は世界に、精霊に愛された証そのもののはずだ。その力の恩恵で武勇を立て、地位や名声を得るものも多くいる。何を以って呪いというのだろうか?
……そうだ、俺はこの言葉を過去に聞いている。
日本での夢を見続けた五年もの長い時間の中で一度聞いていたはずだ。何故忘れてしまっていたのだろう…。
石段を降りきり、古めかしい鳥居を潜ると、次第に視界は白くぼやけ始め俺は目を覚ました。
目が覚めると見慣れぬ建物の中にいた。こんなところまで来た覚えはないはず……あっ!
「魔族は!?」
カミルは勢いよく半身を起こす。
傍らに座っていたユリカはビクっと身体を跳ねさせ、読んでいた本を地面へと落とした。カミルへと視線を向けると、
「おはよう、カミル君。ぐっすり眠れたようね」
笑顔で挨拶をされた。
ユリカは落ちた本を拾う為に上半身をぐっと前に倒し、片手で前屈をするような形で本に手をかけた。いつものブラウスなら問題はなかったであろうが、今はゆったりとしたTシャツを着ていた。前屈みになったことでユリカのTシャツの僅かな隙間から胸の谷間が姿を覗かせている。
それに気づいたカミルは目を逸らそうとするも身体は動かず、視線はユリカの胸元で固定されていた。思春期の男子の目の間に魅惑的な膨らみがあれば、男子なら誰しも見てしまうものだ。
本を掴み身体を元に戻すユリカはカミルの視線の先が何なのか瞬時に理解した。女性は男性の視線に敏感なものである。バレないように覗き見したつもりでも意外に気づいていたりもする。
カミルはユリカの視線に気づき、咄嗟に視線を外した。が、時すでに遅し。ユリカの顔が見れずわなわなと小刻みに揺れていると、
「身体の調子は良さそうね。痛むところがあったら教えてくれる?」
胸元へ視線が向いていたことには気づいているはずなのに、気にせず身体の心配をしてくれた。カミルは罪悪感がより強く感じられる想いだった。
せっかく流してくれたのだからその好意に甘え、身体を動かしてみる。特に痛むところはないようだ。
「大丈夫そうですね」
「そう、ならもう心配いらないわね」
ユリカはすっと立ち上がると、本をすぐ傍らにある机へと置くと部屋を出て行こうとする。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
思わず叫んでしまった。
「なぁに?」と振り返るユリカ。
「その……、魔族はどうなったんでしょうか?」
「あぁ」と一言置くと、カミルが意識を失ってからの顛末を教えてくれた。
カミルが倒れた後、弾かれた様に各々が動き出した。プロフの光属性魔法とガストンの弓でその場に足止めすると、聖火状態のカナンとクヴァの白炎が腕を一本ずつ斬り捨てる。魔族は悪あがきとばかりに口から闇属性魔法を放つもエルンストに相殺され、リアの炎陣裂破で首を斬り落として無力化した。実力者揃いということもあって一瞬で魔族の命は刈り取られる。
カミルの傷は相当ひどかったようで、腕で叩かれたことにより内臓の一部を損傷。大地を何度も跳ねたことで右腕と左足を骨折。右腕の骨が皮膚を突き破り飛び出ていたらしい。体中には打撲が無数あって、閃族がいない状況なら死んでいても不思議ではない有様だと聞かされた。
ユリカが上級回復魔法ミルトースで傷を癒してくれたようだ。
その後、馬車で回収して、今はウィズ村の宿の中らしい。
想像するだけでぞぞぞっと鳥肌が立ってくる。
その姿がおかしかったのか、ユリカは「ふふ」と控えめに微笑むと「着替えて下の食堂にいらっしゃい」と告げ部屋を出て行った。
派手にやられたにしては服が真新しい。誰かの服か、ウィズ村で新調してくれたのかもしれない。何にせよ、まずは会ってお礼を言わなければ。カミルは立ち上がると用意されていたTシャツとパンツを身に付け食堂へと向かう。
扉を開けると階下から幾人もの笑い声が響いてくる。歩く度にギィ、ギィ、と音を立てる廊下を抜け、階段までたどり着くと、賑やかな食堂が目に入ってくる。老若男女が入り乱れ、木製のジョッキで酒であろう飲み物を豪快に煽っている。酒の席であればこの賑やかさは納得だ。
階段を降りると、右手に見えるカウンター席の奥のテーブルに、お世話になったメンバーが揃っていた。ちょうど晩御飯時だったようだ。皆のところを目指し歩き出す。
カウンターには胸元が大きく開いた、ドレスのようなデザインの給仕服で働く20代の女性二人が立っている。こちらに気付いたのか軽い会釈で挨拶をしてくれる。所謂メイド服からはかけ離れた、日本で言うキャバクラのような格好に近い。さきほどユリカの胸元を眺めたことを思い出し顔を紅潮させるカミル。今度こそは見ない!と鋼の意志で仲間のテーブルに向かうも、横目で魅力的な姿をした女性を眺めてしまっている。
不審な行動を取りながら近づいてくるカミルを見つけたクヴァが「むっつり黒助早くこーい!」と陽気に呼びかけてきた。クヴァの手には泡が良く立っている木製のジョッキが握られている。完全なる酔っ払いだ。「むっつり言うな!」と反論するも、女性陣の視線が突き刺さる。冷ややかな目というよりも、女の子の身体をチラチラと眺めるような姿がかわいらしく映ったらしく、三方共にニマニマとした表情で見つめてきている。ユリカからさきほどの部屋での経緯でも聞いたのかもしれない。そう思うとあの表情の裏にある感情が怖い。
「てか!黒助って何だよ!」
誤魔化すように謎の言葉にツッコんでおく。
クヴァはニヤっと笑うと「黒髪の助平君って意味だよ!」と周りに聞こえるような声量で叫ぶもんだから、店内で飲食を楽しむ他のテーブル客からも視線を送られニヤつかれる始末。
急に足取りが重たくなったカミルは、一度深呼吸を挟んで皆の下へと歩き出す。
「傷の具合はどう?」とか「無様にやられたな」とか聞いてくると思っていたカミルだが、かけられた言葉の第一声がリアの「どっちの女がタイプなんだ?巨乳の方か?スラっとした方か?」だった。カナンもユリカもニヤついている。女性陣は完全にカミルをいじる気でいるらしい。ふと見ると彼女らの傍らにも木製のジョッキがあった。顔に出ないタイプか…、カミルはそう感じ取る。
というか、ユリカさん。貴女さっきまで部屋にいたのにもう酔っぱらったんですか…?お酒に弱すぎでは…?
絡み酒は面倒くさい。女性陣を完全にスルーすることに決めた。
エルンストとプロフは酒を飲んでいる形跡がない。ガストンはあの見た目で豪快に酒を煽っている。ドワーフが酒好きってのは一緒のようだ。
エルンストはカミルを一瞥すると「派手に負け越したな」と言葉をかけてきた。
「大惨敗でしたね、ははは」
「まだ一年生だ。あれくらいが平均的な学生の力だろ」
平均的……。その言葉はカミルは好きではなかった。人よりも優れた存在になりたいと心根にあり、平凡さには嫌悪感がある。
苦虫を嚙み潰したような表情になる。
カミルの表情に気付いたエルンストが口を開く。
「魔族とサシでやり合うなんて経験は、学園にいたらできなかったことだ。運が良い方だと俺は思うがな」
「でも、蒼い輝きは出なかったんですよね?やられ損な気がします」
カミルは項垂れため息を一つつく。
「収穫がなかったわけではないんだがな」
エルンストの言葉にカミルが食いつく。
「何かわかったんですか!?」
思わず声を荒げつつエルンストの顔を見る。
「今回の件でわかっただろう?カミル、お前の仮設がすべて間違いだったことが」
カミルは驚愕の顔を浮かべ言葉を詰まらせる。
「戦闘中にも言ったが、今回はお前が提示した条件をすべてクリアしていた。それなのにお前の勾玉は何も反応を示さなかった。つまりは、前提条件が間違っていたってことだ。悪いことは言わん。今後あの力に頼ることはやめろ。発動条件がわからん力を当てにすれば、いずれお前は命を落とす。今回みたいに閃族が毎回近くにいるわけではないんだぞ?」
カミルは再び項垂れた。その姿には哀愁が漂っている。
一人酒を煽っていたガストンが見かねて声をかけてくる。
「お前さんに謎の力があるのは確かなんだぜ?何を悲観することがあるんだよ。基礎的な部分が未熟で使いこなせていないだけかもしれねーじゃねーか。諦めんのは早すぎだっつーの」
言い終わるとスパイスをふんだんに使われたウインナーに齧りついた。パリッと心地良い音をさせガストンの口の中へと消えていく。ジョッキを口に運ぶとゴクゴクと酒を煽った。
「期待していた分、ショックは大きいかもしれませんが、少しずつでも前へと進んでいきましょう」
酒の席でも真面目なプロフ。
「今は病み上がりなんだから、とりあえず体力を回復させるためにも食っとけよ。わけーんだから、一晩眠ればすっきりすんだろ」
ガストンがメニュー表を渡して来る。
確かに今悩んだところでどうにもならない。今は体力を回復させろ…か。それが一番かもしれない。
メニューを受け取ると米を使った料理を探す。お気に入りの料理でもあれば気が紛れるかもしれない。できれば肉か魚がメインにあると嬉しい。
カミルが探しているのは日本で言う定食と呼ばれるものだ。ご飯、汁物、主菜、副菜、漬物。これらがバランス良く取り入れられるものが望ましいが、山の麓にほど近い場所では望み薄。
あった。
今まさに望むメニューが存在していた。早速頼もうとカウンターの店員さんに目配せをすると、気づいたスラっとしたスタイルの店員が近寄って来る。傍らからリアの「お?カミルはスラっと派か!」という声が聞こえてくるが相手にはしない。
カウンター越しではわかりづらかったが、肌の露出が激しかったのは胸元ばかりではなかった。眩しく光る太腿がカミルを誘惑してくる。目のやり場に困りながら定食とレモネードを注文する。
面倒くさい女性三人の傍らで視線をメニューに向けながら注文するという難局?を潜り抜け、ようやくたどり着いたお目当ての食事が時間もかからずすぐに運ばれてきた。匂いに釣られ視線を店員に向けると、胸の高さで食事を持っていた為に自然とその奥にある双丘に目が吸い込まれていく。女性陣お三方から「むっつり」という言葉が聞こえてくる。店員はその類の視線に慣れているのか、食事をテーブルに配膳するとウィンクをして去っていく。振り返った時にスカートがふわりと翻り、足の付け根深くまで見えてしまった。再度「むっつり」と聞こえたような気がした。
気を取り直して頼んだ食事へと視線を落とす。
食欲をそそる生姜の匂いが堪らない。頼んだ食事はそう、豚バラの生姜焼き定食。嫌いな人はそうそういない人気メニューだとカミルは思う。
両手を胸の前で合わせ「いただきます」と感謝の言葉を口にし、箸へと手を伸ばす。その前にレモネードで口を潤し、いざ生姜焼きの海へと箸が歩み寄る。
タレがよく絡んだ豚バラと玉ねぎを掴み、口へと運んでいく。タレが垂れていかないように手を添えるのも忘れない。口に入れ噛みしめると生姜の良い香りが口の中いっぱいに広がる。玉ねぎが程よくしんなりと炒まっており、シャキシャキという食感が残っていて心地良い。甘辛醤油味と生姜の味が絡まり合い、我慢できずにご飯へと手が伸びた。
茶碗を持ち、ふっくらと炊き上がったツヤのあるご飯を一掴みすると口の中へと放り込む。口の中に残る生姜と甘辛醤油味をご飯が絡めとり、もちもちとした食感とほのかな甘みのあるご飯が良く合い、カミルの心が満たされていく。
茶碗を一旦置くとお椀へと持ち替え味噌汁を口に運ぶ。口の中に流れ込む薄口の味噌の味が、生姜焼きのがこってりとした味を洗い流す。箸休めにきゅうりの浅漬けを頬張りポリポリとした食感を楽しむ。
次に手を伸ばしたのは小皿に盛られている切り干し大根。きゅうりの浅漬けとはまた違ったコリコリとした食感が堪らない。
全体を一巡すると再び生姜焼きへと手を伸ばす。今度は豚バラの生姜焼きに添えられた千切りキャベツを肉で巻き、口へと運ぶ。キャベツと一緒に食べることであっさり具合が増し、味の濃さを調整できる。ここの食堂の味付けならキャベツと一緒に食べる方がカミル好みだ。
そこからはもうひたすら皿の上の料理のはしごだ。
あまりに美味しそうに、幸せそうに食べる姿に、クヴァが「俺もそれを頼めばよかった」とか言ってくるもんだから「やらないよ」と最後の一口を口に運ぶと咀嚼を繰り返し味を堪能する。レモネードをグイっと飲み干し、再び胸の前で手を合わせ「ごちそうさまでした」と感謝の言葉を紡ぐ。
「ずいぶんと盛大な食べっぷりだったじゃねーか。さっきまで落ち込んでたヤツとは思えなかったぞ」
ガストンが「はっはっは」と豪快に笑い、最後の一杯を飲み切る。
「今できるのはこれくらいなものですから。明日のことは明日考えます」
話を聞いてくれる相手がいるってことは本当に救われるものだと実感する一日だった。一人でウジウジ悩んでいたら、こんなにも早く気持ちの切り替えができなかっただろう。
皆には感謝しないとな。
それにしても、この世界には日本由来とも思える言葉や料理が溢れすぎているような気がする。気のせいでは片づけられないほどに。確実にどこかで日本との接点があるはず。そのカギを握るのはおそらく閃族。学園を卒業したらホガミまで一度行ってみるのも良いかもしれない。
「食べ終わったならそろそろ休むぞ。明日からは山越えになる。充分に休んでおけよ」
エルンストの言葉でこの場は解散となる。
女性陣三人は程よく酔いが回っているのか、顔色は変わらないまでも目がトロンとしていて妙に艶めかしい。
「はぁい、ぉ酒飲んらぁ人しゅーごぅね!」
謎に手を上げ、呂律の回らない言葉で酒飲みを集めるユリカ。集合も何も目の前にいるのだが、そこは誰もツッコまない。自身に魔法を使うと、酒飲み達に魔法をかけた。
「はぁい!これぇでぉっけぇ!」
ご機嫌な顔でサムズアップするユリカ。普段は落ちついた思慮深い印象なのに、酒に酔うと一転陽気な人になるらしい。
ユリカ自身にかけた魔法はおそらくアルカトラスト。回復魔法を使用する前に自身に使うことで、一度に複数の人に回復魔法をかけられる補助魔法。回復魔法のみに反応する特殊な魔法だ。その後に複数人にかけたのは回復支援魔法カトゥラースだと思われる。効果が薄く長く続く酒飲み用の魔法。肝臓を守りながら分解能力を強化し、アルコールが分解される過程で生まれる二日酔いの原因を体外へ排出を促す。その効果は六時間ほど続き寝ている間の分解を促進してくれるとかなんとか。
その昔、狂ったような酒好きな閃族がいたらしい。だが、酒にはひどく弱く、一口飲めば酔っ払い、一杯飲むだけでひどい二日酔いに襲われたらしい。その解決策を模索した結果がカトゥラースという魔法というわけだ。今日の酒飲み達には重宝されているようだ。
プロフと全然酔い潰れていないガストンが女性陣を介抱するように二階へと登って行った。残っているのはカミルとクヴァのみだ。
酒の入っている今なら、クヴァの口が軽くなっているかもしれない。例の白炎のことを…。
「クヴァっていつからあの白炎が使えるようになったの?」
クヴァは焦点の定まらない瞳で見つめてきた。
「扱えるようになったのは、学園の五年生の終わりも終わり。卒業の三ヶ月前さ。でも、片鱗があったのは幼い頃なんだぜ?使えなかっただけで、感じてはいたんだ…」
クヴァは両手を上へと持っていくと「うんッ」と声を出しながら伸びをして凝り固まった身体に血液を巡らせた。
「だから、カミルもその内使えるようになるって」
清々しい笑顔を見せるクヴァ。その言葉が何故か心に沁み渡る。
「クヴァでも十数年かかったから、力に気付いてから数か月の俺が使えなくても不思議ではない、か……」
「そうだぜ?もっと気楽になれよ。そんなことばかり考えてると、学園で女の子とイチャイチャする時間が減っちまうぞ?」
一転、下卑た笑いを浮かべカミルを見てくる。
「クヴァ…、その笑みはあまり人前でしない方がいいと思うよ……」
クヴァとカウンターの横を通る際、カウンターの店員のお姉様方が手を振って見送ってくれた。クヴァが暴走しないか少し心配だったが、その辺は弁えているようで、にやけた顔で全力で手を振り返すだけで通り過ぎ、階段へと差し掛かる。このまま見納めはちょっと名残惜しかったので、お姉様方の姿を目に焼き付けておこうと振り返ると、変わらず手を振り続けてくれていた。……男の心理を理解しすぎているような気もするが、商売をやっている以上、これが普通のことなのかもしれない。しっかりと魅惑的な女性二人の姿を焼きつけて部屋へと戻っていった。
翌朝、朝食を摂る為に再び食堂を訪れた。
昨日の女性のような店員の姿を少し期待しつつ向かうも、しっかりとメイド服のような給仕服を着込んだ店員が「おはようございます」と声をかけてきた。内心がっかりしたが、それを表に出すわけにもいかず「おはようございます」と笑顔を浮かべながら挨拶を返しておいた。朝からあの格好はないかと、昨日の店員の姿を想い返す。
食堂を見渡すとエルンストが座っているのを見つける。他のメンバーはまだのようだ。そのテーブルへと歩み寄ると「おはようございます」と挨拶をした。
カミルの姿に気付いたエルンストが「おはよう」と短く挨拶をすると、ブラック珈琲に口をつける。
店員にたまごサンドとブラック珈琲を頼むとエルンストに言葉をかける。
「山を登るのは生まれて初めてなんですよね。何か注意点とかありますか?」
「まずは何よりも魔物が出やすい。動くものを追いかける習性があるため、捕食対象かどうかを見極めようと近づいてくる。そこで戦闘になるかは魔物による。山での戦闘で念頭に置いておかなければならないのが、空気が薄くなるという点だ。これにより、運動機能が低下する、いつもの感覚で動くとやられるから注意しろ」
言葉を一度切る。
「最後に、寒くなるから防寒具に余念なくだ」
何故か寒くなるという言葉を強調してきた。まだ残暑が残るこの時期でもそこまで夜は冷えるものなのだろうか?
「ハーバー先生、寒がりは直りませんか」
ふと気づくとカナンが傍らに立っていた。その後ろには聖なる焔の面々がいる。酒を煽っていた女性陣もガストンも皆元気そうだ。
「ふん、俺の場合はあの痣が影響しているだけだ」
言葉の真偽はわからないが、現状エルンストが寒がりなのは事実のようだ。いつもは完璧な雰囲気を纏っているだけに、この弱点はどこかかわいらしい。
何故かエルンストの顔がこちらを向き視線を投げかけてくる。心の中が読まれているようで恐ろしい。何も言ってこないところをみると、不穏な雰囲気を感覚で察知しただけなのかもしれない。
そうこうしているうちにクヴァが大欠伸をしながら食堂へ降りてきた。
「あっれー、俺がドンケツか。悪い悪い」
片手で後頭部を掻きながら謝ってきた。朝一から元気なクヴァ。二日酔いの気配はまるで感じない。
「まだ出発するわけではないから謝る必要はない」
エルンストはどこかぶっきら棒に答える。さきほどの寒がり疑惑を引きずっているのかもしれない。
席に着くと皆が朝食を注文し始める。先に頼んでしまったカミルは、提供のタイミングを周りに合わせてくれるように頼み込んだ。人数が一気に増えたことで、自然と調理時間も長くなり、お腹がぐぅ~となり始める。
各々の朝食が届くとようやくご飯の時間だ。
「いただきます」
いつもの感謝の言葉を口にすると、目の前の朝食と向き合う。
まずはホットのブラック珈琲で口を潤す。甘酸っぱい香りから予想していた通り上質な酸味が口の中に広がっていく。マイルドなコクも同時に感じられ、寝起きの頭を叩き起こしてくれるようだ。
パンの中でも、たまごサンドはお気に入りのメニューだ。コッペパンのほんのりと薫るバターが食欲をそそる。その中に挟まっている、ふわっふわなたまご。水分をふんだんに含みクリームのような見た目だ。見るだけで旨いのが伝わってくる。
パンを掴み、たまごが零れないように細心の注意を払いながら開いた口の中に収め一齧り。
うまい。
たまごのまろやかな味わいが、パンの香ばしさとバターの塩味が合わさり、口いっぱいに甘じょっぱさが広がる。若干甘みが強いが許容範囲内。おっと、齧った拍子にパンからたまごが零れ落ちそうになっている。咄嗟に落ちかけたたまごに食らいついた。危ないあぶない、貴重なたんぱく源を無駄にするところだった。
握ったたまごサンドを皿へと戻すと、珈琲を口の中に流し込む。控えめな甘い物食べたせいか、最初の一口よりも苦みが増した感じがする。これで一旦口の中がリセットされた。
零さないように慎重になりながらもひたすらに食べる。
食事の度に幸せそうな表情で食べるカミルの姿に、周りの空気が和んだ。美味しそうに食べる姿は、誰の姿でも周りに幸せを齎してくれる。
カミルはあっという間にたまごサンドを食べきると、珈琲をゴクゴクと飲みきり朝食を終えた。
「ごちそうさまでした」
食べ終わると余韻を楽しむ。ここから先は山越えになる。美味しい食事が楽しめるのは暫く先かもしれない。追加で何かを頼もうか悩んだが、この先戦闘になる可能性も考えてやめておいた。
仲間もサンド系の朝食が多かったので、すんなりと朝食の時間が終わる。
「準備をしたら馬車の前に集合だ。忘れ物がないように気を付けるように」
長年の教師生活で先生という役割が身についているのか、エルンストは未だに先生のような振る舞いから抜け出ていない。旅をする中でリーダーシップを取ってくれる存在はありがたいものだ。皆が同じ方向を向いて動けないと、いざという時に苦労するだろう。
席を立つとウィズ村を発つ準備を始める。
多くの時間を眠っていたせいで、ウィズ村の中を見て回ることができなかったな。帝都から帰ってくる時にでも見て回るか。
カミルは次にウィズ村へ来た時のことに想いを馳せ、荷物をまとめる。
準備した荷物を持ち宿屋を後にした。
人生初の山脈越え。無事に抜けれることをカミルは祈った。