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深まる魔族の謎

 先ほどまで目の前にいた魔族が、かつて帝都の一部を壊滅させた存在だと知り驚きのあまり言葉がでないようだ。当時、帝国騎士団長としてエルンスト・ハーバーが自ら赴き、大怪我を負いながらも事を収めた元凶。そんな存在が何故エルンストの中から現れたのか。その答えを求めるようにキョウ・シンジョウに視線が集まる。

「そんな視線投げなくてもえーのに。ちゃんと説明するから。あんな化け物と命張って戦ってくれたんやから、それに応えるのが筋ってもんよ」

 困り顔を僅かに見せ、魔族が現れた経緯を説明し始める。


「皆も知ってる通り、八年前に帝都イクス・ガンナにあの魔族が襲来した。何故帝都を襲ったのかはわかなかったんやけど、魔族が何を考えているのかわからんし考えてもキリがない。魔族という驚異に対して、騎士団が対処に当たったんやけど、並みの騎士では歯が立たず街の被害は拡大。エルンスト自らが討伐に動くことになった。多くの騎士を抱える帝都でエルンストが動かざるを得ない状況ってだけでやばさが伝わると思う。被害がひどかった為、エルンストは天技の僥絶(ぎょうぜつ)で短期戦を狙うも、何故か攻撃の通りが悪かったらしい。それでも深手を負いながらも勝利を収めた」


 ここまでの話はこの場にいる誰もが知る内容。当時、新聞で大きく取り扱われ多くの人の耳に届いた。帝都でありながら魔族の侵入を許したと、市民の皇帝と騎士団への信頼が揺らぐ出来事だった。

「騎士団に入ったばかりの身ですが、騎士達の中でもその手の話はタブーな話題になっていましたね。でも、倒された魔族が何故ハーバー先生の中に?」

 誰もが抱く疑問をクヴァが口にした。皆が一番知りたいところはその部分である。

「その話は、当時騎士団に所属していた中でも一部の人間しか知らん話やからね。俺も当時第四騎士団として現場に向かい、エルンストの治療を担当した者だから知る内容や」

 カナンはエルンストとキョウが学園にやってきた時を思い出した。

「シンジョウ先生も騎士団だったのですね。確かにハーバー先生と同時期に学園に赴任されて来ていましたね」

 エルンストが学園の先生としてやって来ると、当時はその話題で持ちきりだった。元帝国騎士団長という肩書に誰もが畏敬の念を抱き注目を集める。その陰に隠れたのが同時期に赴任してきたキョウという存在。実技に帯同する治療員ということもあり、学生達と頻繁に接することも無く、帝都から新しくやってきた閃族がいるというのが学生達が持つ認識だった。

「言うても武技も魔法も初級しか使えないんやけどな。回復魔法だけ何故か得意でな、それだけで騎士団で重宝されたってだけやから」

 自嘲気味に語る姿はどこか哀愁が漂っている。


「で、エルンストから何故魔族が現れたかというと…」

 キョウが魔族について語ろうとすると、ベッドの方から声が聞こえてきた。

「追い詰められた魔族――角付(つのつき)は俺に呪いのようなマーキングを残して霧のように消えていった」

「ハーバー先生!」

 目を覚まし半身を起こした状態のエルンストに駆け寄るカナン。

 キョウとエルンストの視線が交わる。元気そうなエルンストの姿に、ふっと肩の力が抜けたようなキョウに笑みが生まれる。

「倒れたと聞いたが、ずいぶんと早い復活やな」

 軽口を叩くキョウの口調はどこか嬉しそうだ。

(みな)に心配と、迷惑をかけたな。すまん」

 エルンストが目覚めたことで場の雰囲気が和んだ。

「エルンスト、痣は消えたのか…?」

 キョウの言葉にエルンストはシャツのボタンを外し、左側の脇腹を露わにする。

 目の前で(はだ)けられたカナンは頬を赤らめ視線を逸らす。閃族のサエとユリカは治療で見慣れている為反応を示さない。リアに至っては「良い筋肉だな」と食い入るように見ている。

 エルンストは女性陣の反応を気にも留めず、黒い痣の確認をしていた。

「……ダメらしいな」

「角付が出てきたからもしや?と思ったんだが」

 二人の表情に影が差す。

 その姿にサエは先ほど見た黒い痣と角付の関連性に気付く。

「その痣が先ほど仰っていた呪いのようなマーキングですか?」

 二人の視線がサエへと向いた。

「そうやで、あの痣のせいでエルンストは魔力回路が侵食されてしまっている。色々と消し去ろうと回復魔法や回復薬の類は試してみたんやけど、現状の帝国の持つ知識や薬ではお手上げよ」

 キョウは肩をすくめ、成す術なしと訴えてくる。

「道理で…。ストランドールが弾かれるわけですね」

 サエは納得したようで静かに頷いた。

「この痣が消えていないということは、おそらく角付はまだ生きている可能性が高い」

「そんな!あれほど傷を負った状態で生きているなんて…」

 カナンは手足をそわそわとさせ落ち着かない様子。実際に戦っているからこそ、攻撃が通用しない無力さを味わっている。

「それで、カナン達はどうやって闇属性極致魔法を防いだんや?」

 キョウの言葉をカナンは理解できなかった。角付との戦闘で闇属性極致魔法など使われていないからだ。それに類する魔法はあの闇の結界のみ。

「質問の意味がわかりません。角付は極致魔法は使ってきませんでしたけど…」

 キョウはエルンストと顔を見合わせると、腕組みをして考え込む。

「使ってこなかったということは、使える状態ではなかったってことなんかもな」

「帝都で戦った時は発動されたら抗いようがなく、周囲の建物を瞬時に飲み込み捻り潰されていた。()()()()から生じる凝縮された闇。あれは天災そのものだ」

「ちょっと待ってください」とクヴァがエルンストの言葉に食いつく。

「ハーバー先生が帝都で戦った魔族は角が二本だったのですか?」

「ああ、そうだ」

 エルンストの言葉に、角付と刃を構えた三人は顔を見合わせた。

「俺達が戦った角付は、額に大きな角が一本だったんです」

 外見的特徴は概ね一致している。だが、どういうわけか角の数だけが一致しない。エルンストとの戦闘で角を一本失ったと考えるのが妥当かもしれない。キョウはそうは思わなかった。

「角の位置が違っとるな。今日現れた角付は額に一本。帝都に現れたのは、耳の上に二本だった。エルンスト、別の個体だと思うか?」

「断定はできないが、俺は帝都に現れた角付と同一の個体と考えている。俺から溢れた闇の中から出てきたということは、黒い痣が原因と思った方が自然だろう。帝都での戦いの結果、角付が弱体化していると考えれば、闇属性極致魔法を使わなかったこと、角の数が減っていることは説明がつく」

 弱体化という言葉に、必死の想いで戦った三人の気持ちは沈んだ。一歩間違えれば死人が出ていた相手が、弱体化した状態であったのだから無理もない。


 はっと思い出したかのようにカナンが口を開いた。

「それはそうと、クヴァ君の白炎は何なの?聖火に似ていたけど、天技持ちではないとカミル君が言っていたわよ?」

 クヴァはばつが悪そうな表情を浮かべる。

「それもだけどさ、何でクヴァが学園にいるわけ?」

 クヴァは悩んでいた。どこまで言っていいものか決めあぐねている。ガナード騎士団長から特命を受けているが、カミルの力の謎、特命とは別だがエルンストの手紙で報告があった言葉を介す魔族、どちらも直接目の当たりしている。

 話の流れからカミルに蒼い輝きについて話題を振ることを決め、二人の質問へと答える。

「すまないが、白炎については答えられない。天技ではないけど、天技に酷似した力だと思ってくれていい。たぶん他の人では真似ができないから」

 クヴァは顔の前で手を合わせると、頭を下げ謝った。

 呆れたような顔を浮かべるカナンは目を半眼にしてクヴァを睨む。

「クヴァ君。角付の強固な皮膚を斬り裂き、角付に『お前もこっち側の存在』とか言われてるのに、そんな言葉で納得できると思うの?」

 いつもより低いカナンの言葉にクヴァは引き攣った笑いを浮かべる。

 エルンストにも「それは俺も気になる」と言われてしまえば尚更だ。

「そんなこと言われても、俺があっち側の人間に見える?見えないだろ?」

 必死に弁明する姿が怪しく映っていることにクヴァは気づかない。

「見えはしないけど、納得もできないわよ。騎士団に所属している以上、ガナード・ラウ騎士団長が目を光らせてくれてるとは思いますけどね」

 蛇に見込まれた蛙のような構図な二人。二人の関係性を見て、カミルはいつものファティとゼルの姿と重なるような感覚でいた。

 聞きたいのはそこではないとばかりにエルンストが質問を投げかける。

「そんなことよりも、角付と話したのだろう?どんなことを話した?」

 渡りに船とばかりにクヴァが質問に答える。

「『お前もこっち側の存在』以外ですと、俺の白炎見て『そんな力を使っといて違うとでも言うのか』くらいですね。言っている意味はまったくわかりませんでしたけど」

 角付の声真似までやるほどの熱演を披露するクヴァ。カナンの睨みはそれなりに効果があったようだ。

「発言内容は気になるが、意味がよくわからんな」

 思ったような内容ではなかったのか、エルンストは静かに目を伏せ考え始めた。

 クヴァが扱うという聖火に似た白炎。クヴァに対して言った『こっち側の存在』と『そんな力を使っといて』という言葉。白炎は魔族由来の魔法ということなのか?魔剣という可能性もあったが、見たところ騎士団から貸与されている剣だ。魔剣の類の可能性は捨てれそうだ。カナンに睨まれて尚、白炎の力のことを話さないところを見ると、周りに知られれば効果が消える制約があるか、我々では知覚できていない何かを利用しているのかもしれん。……情報が足りなさすぎる。結論は先送りだな。


 エルンストとの会話を終えると、クヴァはカミルの方へと向いた。

「で、俺が学園に来ているのはな、技能講習の終盤でカナンさんと模擬戦を披露してくるように、ラウ騎士団長から命を受けたから」

 拳を握り親指を立てて自分の胸を指し、

「これでも俺は闘技大会の新人部で優勝してるんだぜ!その力を示して卒業するまでの力量を目標にしてもらいたいらしい。急な訪問になっちまったから、やれるのは模擬戦くらいの予定だったんだけどな」

「ガナードからの申し入れなら断れん。技能講習の直前に到着したものだから、カナンにさえ伝えきれなかったが……それどころではなくなったしな」

 カミルはクヴァの成長具合に改めて驚いた。角付とまともにやり合える実力を示したばかりか、闘技大会の新人の部で優勝している。カナンすら知らない白炎の謎。クヴァという人間をカミルはより一層知りたくなった。

「アズ村にいた頃は突出した力はなさそうだったのに、学園でどんだけ修練をしたのやら」

「それはカミル、お前もだ。何だよあの蒼い輝きは。村にいた頃は使えなかったろ?」

 蒼い輝き、その言葉に食いつく者はクヴァだけではなかった。都市外戦闘訓練で言葉を介す魔族を討ち倒すのを目撃したエルンスト、角付を追い詰めた姿を見た聖なる焔の面々。誰もが疑問に思っていた。

「正直俺にもわからないんだよ。今回であの力が使えたのは二回目なんだ。何故あの力が使えるのかも、意識的に使うことができないのも謎でさ…」

 カミルは都市外戦闘訓練の臨時パーティーのメンバーと、お疲れ様会で話し合った内容を話すべきか悩んでいた。蒼い輝きのことを話すと、必然的に圧縮魔力のことにも触れることになる。ただでさえ不確実な力の発動条件である為、圧縮魔力という情報を省いて伝えたとしても、発動条件にはたどり着けない可能性が高い。

「ハーバー先生、先生の攻撃はまともにダメージを角付に通せましたか?」

 エルンストは考える素振りを見せると、

「いや、まともには通ってはいなかったな。本来の威力の半分も出ていなかった。それがどうかしたのか?」

 エルンストの言葉を聞き、カミルは角付にまともに攻撃が通るのは、現状クヴァの白炎とカミルの蒼い輝きだけだと判断した。角付がまだ生きているのだとしたら、対抗策を講じておかなければならない。

 後悔先に立たず。

 カミルは今持ち得る情報を、この場にいる者に伝える決心をした。


「ぜひ、皆さんにお伝えしておきたいことがあります」



 圧縮魔力のこと、蒼い輝きの再現を試みる段階であることを、この場にいる者にカミルは伝えた。

 カミルの話を聞いたエルンストは興味深そうに告げる。

「魔族を退けたその力はどうしようもないとして、圧縮魔力に関しては我々も挑戦してみる価値がありそうだな」

 クヴァも頷き肯定する。

「そうですね。うまく使えるようになったら戦力は上がります」

 クヴァはカミルの顔を見ると「村で見たフラムの種はこれか」と愉快そうに笑う。

「魔力の制御が難しなるので、いきなり実践で使わず鳴らしてくださいね」

 カミルは注意を促し、これからについて考える。

「ハーバー先生に打ち明けられたのは救いでした。先生ほどの魔力制御ができる人なんて早々いませんからね。実戦で使えるかどうか判断お願いします。卒業までにまだ四年半ほどあるので、その間に形になれば嬉しいのですが」

 掌を頭の後頭部を持っていくと「ははは」と楽観的な態度をカミルは取る。

 その姿を見たエルンストはカミルに告げる。

「おそらく俺はもうこの学園には居られなくなるだろう。これだけの被害を出した魔族が、俺の痣から出てきたとなると放って置くこともできまい。教職は解かれ、下手すれば隔離対象扱いをされるかもしれん」

「そんな…」

 カミルの顔から笑顔が消え、瞳からは悲しみを感じ取れる。

 カミル以外は何かしらの処置が下される可能性を考えていたのか、目を伏せるだけの様子だ。

 角付が倒しきれていない以上、エルンストの黒い痣から再び出現する可能性は否定できない。解呪すらできない代物をそのまま帝国が放置するとは到底思えない。

「だから、教師は今日で終わりだ。自ら帝都に出向こうと考えている」

 エルンストの言葉には力強い意志が宿っていた。言葉からそれを感じ取ったのか、誰として止める者はいない。

 エルンストはカナンの方へと顔を向けるととある提案をする。

「カナンにも、魔族の件の報告に同行してもらいたい。この後の依頼の受注状況を教えてくれ。日程を合わせたい」

「特に依頼はまだ受けてはいませんから同行は可能です。けど、皆がなんて言うか…」

 カナンはリアとユリカに視線を送る。

「問題ありません」と返すユリカと対照的に、リアは流し目でエルンストに視線をやると「カフェでケーキセットの奢りなら考える」と打算的だ。「リア~」とカナンに詰め寄られているが、ユリカの態度は素っ気なく「いつものことですから」と先を促す。

「早い方がいいだろう。明日の朝一アルフを発つ。宿街の広場に集合で良いか?」

 エルンストの提案にカナンは「ええ」と了承する。

 やり取りを見ていたクヴァが口を開いた。

「俺も一緒に帝都に戻ってもいいですか?とんぼ返りにはなるけど、メンバー的に移動が楽そうなんで」

 悪戯っぽい笑みを浮かべるクヴァ。エルンストと聖なる焔に同行するとなれば、これほど頼りになる存在はいないだろう。

「俺も言ってやりたいのは山々なんやけど、今学園を抜けるのは厳しいな」

 キョウは閃族の治療員だ。閃族自体が少ない上、実技に同行してくれる人材は稀である。回復魔法を専攻する者がほとんどの為、他の魔法や武技などは習得しないか、下級あたりまでしか扱えなかったりする。自衛手段と実践経験が乏しく、魔物が現れただけで身体を硬直させてしまう者がほとんどなのが実情である。優れた回復魔法を的確に扱えるキョウや、戦闘技能まで習得し前線に出て行けるユリカの方が周りからしたら異常なのだ。

「個人的な厄介事だ。気にするな」

 キョウが帝都へ向かわないのは予想済みだったのであろう。特に気にする様子はない。

 不意にエルンストはカミルに視線をやる。

 蚊帳の外のような気分だったカミルは、エルンストの予想外の視線にビクッと身体を震わせた。

「カミル、お前も帝国まで付き合え」

 カミルの頭の中が??でいっぱいになる。何故自分まで帝都に向かう必要があるのかわからなかった。

 きょとんとした顔をしているカミルに、エルンストは説明を始める。

「不完全とは言え、魔族の守りを突破できるのは蒼き輝きとクヴァの白炎のみだ。ありえないとは思いたいが、角付が再び現れる可能性を考えて、お前の力を当てにしたい」

 真っすぐ見つめられ当てにしたいと伝えられると悪い気がしない。純粋に、元帝国騎士団長からそのような言葉をいただけるのは光栄だとカミルは思った。

「それに…」

 エルンストが言葉を続けたことに、期待感を隠せないカミルの表情は煌めいていた。

「直に帝立研究所からお呼びがかかるだろう。俺達と移動した方が安全だからな」

 期待していた言葉からかけ離れた言葉に、目に見えてがっかりとしたカミルの姿があった。

 カミルのその姿を見たエルンストは問う。

「何をそんなに項垂れている?これだけのメンバーが揃うのは稀だぞ?」

 カミルの気持ちがわからないのはエルンストだけのようで、周りは「はははは」と笑いに包まれていた。

 エルンストは戦闘に関する知識や洞察は目を見張るものがあるが、こと人の心の機微には疎い傾向がある。カミルの期待感を煽ってから落とす、何ともテクニカル?な精神攻撃だ。

 気持ちを持ち直したカミルがエルンストに問う。

「帝都に向かうことは構いませんが、その間に学べる内容がもったいないですね」

 クヴァが呆れたように口を挟んだ。

「元帝国式団長、聖なる焔、闘技大会新人の部優勝者。移動の間に学べることは、学園にいるよりか遥かに多いぞ…」

 完全に盲点だったのか、カミルは「そう、だね」と人差し指で頬を掻いている。

「それなら俺が学園側に連絡入れとくから、今日はもう帰って休みや。角付との戦闘で体力も削られとるし、朝一で発つんやろ?」

 キョウが連絡役を買って出る。

「厚意に甘えさせていただきます」

 カミルは一礼をすると、学園を離れる際の手続きの手間をキョウへとお願いした。

「その代わり、また角付が現れた時は頼むよ」



 キョウの言葉をきっかけに解散になった。

 カミルは昇降口へ向かいながら怒涛の一日を思い返していた。

 一日に色んなことが起こりすぎて、身も心もひどく疲れた…。まさか明日、帝都へと旅立つなんて誰が予想できる?しかもメンバーが異様すぎる。明らかに俺だけ戦力外すぎやしないだろうか?学ぶことは確かに多いけど、それ以上に肩身が少し狭い気がする。


 昇降口を抜け、学園の門をくぐり抜けると学園特区の街並みが広がる。学園のすぐ外には四階建てや五階建てのビルが(ひし)めき合っている。それ以上高い建物が無いのは建築技術がないわけではない。昇り降りが大変になってしまうからだ。

 カミルはビルを見上げ感傷に浸る。

 この世界にもエレベーターがあったらまた違った姿を見せてくれたんだろうな。暫くこの景色も見れないと思うと、ちょっと寂しいかな。


 街中を歩いていくと、いつものチュロスの店の前へとたどり着いた。ここに来たのは言うまでもない。暫く食べることができなくなるからだ。明日の出発は早く、開店する前にアルフを発つことになっている。その前に食べておくには今しかないのだ。

 お店の扉を潜ると甘く、芳ばしい香りが漂っている。綺羅綺羅と輝くシュガー群のお菓子を抜けて、お目当てのチュロスの下へとたどり着く。一番のお気に入りのシナモンシュガーは季節が変わってしまったので売り場には並んでいない。この時期はフレーバーの数が少ないらしく、プレーンシュガーとチョコシュガーの二択になってしまう。カミルは迷いなくチョコシュガーを選び会計へと向かう。店員はいつものお姉さん。週一で通っていたためか、顔を覚えられてしまっている。いつもの曜日以外でお店に来ることはほぼないので、不思議なモノを見たような顔をしていた。「暫く帝都に行く」と伝えると納得した顔をして商品を渡してくれた。「美味しそうに食べてくれてたから、暫くお楽しみはお預けね」とシュンとした顔をしてくれた。お楽しみって何!?と思ったが、何とか口に出さずにお店を後にすることができた。変にツッコんで通いづらくなるのは避けたいよな。

 いつものように人の邪魔にならない場所に移動すると、袋からチョコ色のチュロスを取り出した。シュガーが夕陽で綺羅綺羅と輝いている。

「いただきます」

 甘い香りを醸し出すチュロスをひと齧りすると、口の中にチョコの香りが溢れ出す。サクサクとした表面を抜けるとフワッとした優しい食感へと変化する。粗目のシュガーのジャリっとした食感が良いアクセントになっていて、食べてる感ましましだ。個人的にはもう少し甘さ控えめの方が好みだが許容範囲内。

 いつもはチュロスの味に集中しているので気づかなかったが、暫く来れないこともあって街並みを眺めながら食べていた為、何故か街行く人がこちらをチラチラと見ていくのに気づいた。特に女性が微笑ましい視線を投げてくるのに気づいて気恥ずかしくなり、チュロスをモグモグと口いっぱいに頬張り噛みしめる。

 その小動物っぽく口いっぱいに頬張る姿が、逆に視線を集める形になったのにカミルは気づかない。美味しそうに食べる姿は、人を幸せにする力がある。図らずも、お店の宣伝効果となっているようだ。

 最後の一口を名残惜しみつつ口の中へ運ぶ。何度も噛みしめ、完全に形を失ったチュロスを飲み込んだ。

「ごちそうさまでした」

 胸の前で手を合わせ呟いた。食事の前後で感謝の言葉を唱える、日本で染みついた習慣の一つだ。これはこの世界に浸透しても良い文化だとカミルは思っている。


 食べ終わった袋をお店へと捨てに行き、寮に向かって歩き出す。この道も暫く歩かなくなる。そう思うと、足取りは自然とゆったりとしたものになった。一歩一歩を踏みしめるように。

 ゼルやファティに挨拶を仕損じてしまったな。急にいなくなるから帰って来た時が面倒そうだ。

 溢れ出る様々な想いを胸に帰路に就く。



 翌朝、早い時間に目が覚めた。心身共に疲弊していたのか、寮に着くなりひどい眠気に襲われた。さすがに風呂は入らないとまずいと思い、何とかベタベタな状態で布団に転がり込むのは回避した。そのおかげかぐっすりと眠ることができ、自然と朝日と共に目が覚めたようだ。

 時間の余裕はまだまだあるが、十分前行動が身体に染み付いてしまっている。荷物をまとめて寮の出入口を潜った。

 時間が早いせいか、寮の外には誰もいない。凛とした空気と朝日を纏う景色。道行く人のいない街を歩いていく。半年ほど暮らしているにも関わらず、この時間帯に起きているのは稀だ。帝都へ向かうことにならなければ、ギリギリまで布団の中に潜り込んでいたことだろう。新鮮な姿の街並みを進み、待ち合わせの宿街の広場を目指す。


 自分が一番乗りだろうと思っていたが、集合場所にはすでにカミル以外は揃っていた。時間を間違えたかと思い、焦って声をかける。

「あれ?集合時間間違えましたっけ?」

 カナンはにこやかな笑顔で語る。

「間違ってないわよ。リアが毎回集合時間に遅れてくるものだから、引きずるようにして連れて来ただけよ」

 リアが恨めしそうな顔をして訴える。

「美容ってのは睡眠時間が大事なんだ。無理やり起こされた挙句、肌のケアが終わる前に連れて来られたらこんな態度にもなる」

 リアは美容に関しては人一倍気を遣う。スタイル維持の為に、筋肉をつけ過ぎず筋力を補うために独自の魔法を編み出すほどだ。

「それならもう少し早く起きて準備をしなさいな」

 ユリカが半眼でリアを見つめている。

 普段の聖なる焔の力関係が良くわかる光景だとカミルは思った。

 男性陣は触らぬ神に祟りなしとばかりに無視を決め込んでいる。これが何時もの光景なのかもしれない。

 クヴァは何故か楽しそうに眺めている。

「揃ったのだから少し早いが出発するぞ」

 聖なる焔のやり取りを意に介さないエルンストという存在。存外マイペースなのかもしれない。カミルは密かに心に刻んでおいた。

「まずは山脈とアルフの中間にあるウィズ村を目指す。そこで山脈越えの準備を整え帝都へ向かおう。西門の外に馬車を手配してあるから今日中にはウィズ村にたどり着けるだろう」

 エルンストの指示の下、一行はアルフの西門へ向けて歩き出した。

 歩きながらカミルは顔を後ろへと向け、アルフの街並みを心に刻む。


 誰に言うわけでもなく呟いた。


「行ってきます」

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