ep.13 聖火 × 白炎
静寂に包まれる訓練場。誰もが予想し得ない名前が呼ばれ困惑している。
呼ばれた当人ですら反応できなかったのだから、それも仕方のないことだ。
前へ出てこないカミルに、カナンは再び名前を呼ぶ。
「Cクラスのカミル・クレストさん」
分かれて講習を受けていたため、周りの生徒達は誰がカミルなのかわからずキョロキョロと周りを見渡している。
そんな中、リアスターナの講習を受けた者達はカミルに視線を送っている。「カナンさんの講習を受けていない奴がなぜ?」「なんでCクラス?」という言葉が周りから聞こえている。
動けずにいるカミルにリアスターナが促す。
「カミル、行ってこい。一撃でもカナンに入れれたら茶でも驕るぜ?」
リアスターナなりの激の入れ方だった。
「はい。行ってきます」
覚悟を決めたのかようやくカミルは動き出した。
自分の名前が何故呼ばれたのかまったく理解できなかった。そのせいか、身体が反応せず動けずにいた。リアスターナさんの言葉でようやく模擬戦をやるのだと実感が湧いてきた。
全生徒の視線を集めながら、中央で講習を受けていた者達の間を突き進む。露骨に「何でこいつ?」「Cクラスのやつだと一瞬で終わるだろ」とか聞こえてくる。そう言われるのも無理はないと思う。逆の立場なら俺もそう感じると思うから。
ハーバー先生と聖人様の前に到着する。
「よろしくね」と聖人様に挨拶をされるが、俺は疑問をぶつけずにはいられなかった。
「聖人様、お一つ質問よろしいでしょうか?」
きょとんとした顔で見つめてくる。
「聖人様はよしてよ。それで、何かしら?」
「何故、俺を指名したんですか?カナンさんの講習も受けておらず、俺達には面識もありません。どこをどうすれば模擬戦を行うことになるのでしょうか?」
周りの生徒達も「そうだよな」などの疑問の声が溢れていた。
そんな中、一人声を張り上げ抗議する者が現れる。
「私も納得できません!Sクラスの我らよりも、よりにもよってCクラスのヤツを指名するなど理解に苦しみます!」
蘇芳色の髪をツーブロックマッシュで七三分けにしたSクラスの剣士。モーガン・ザレッソォ学年主席。彼の瞳には怒りが満ちている。Cクラス且つ同じ剣士に出し抜かれたようなものだ。その怒りは尤もだと思われる。
カナンさんはモーガンを見つめ語り出す。
「その意見は尤もだと思います。本来ならSクラスの中から選ぶところでしょう。ですが今回は訳ありでして」
カナンの言葉にぎょっとするエルンスト。理由は伏せろと伝えてあるにも関わらず、何かを語ろうとしている。話に割って入ろうか悩んだが、カナンを信じ静観を決め込む。
「都市外戦闘訓練で魔族に襲われたのはご存じだと思います」
カナンさんの言葉にモーガンは頷き返答する。
「ええ、B、Cクラスでの都市外戦闘訓練での出来事だったので伝え聞く程度でしたら理解はしておりますよ。何でも、Cクラスの生徒が倒したとか法螺話がちらほら聞こえてきますが、……まさか、それを信じたわけではありませんよね?」
信じられないといった表情を浮かべるモーガン。
「そのまさかですよ。講習前の打ち合わせでその話を聞き、詳しい話をハーバー先生にお聞きしました」
カナンさんはハーバー先生に視線を送る。ハーバー先生の口は閉ざされたままだ。
「魔族を倒したと言われる生徒がそちらのカミル・クレストさん。大方、先生方や冒険者の攻撃で弱った後で止めを刺した。そんなところでしょう。ハーバー先生も詳しい戦闘を見ていたわけでは無さそうですので、ちょうど良い機会ですので指名させていただきました。実力のある生徒を埋もれさせるのは帝国にとっての損失になりますからね」
モーガンの視線がこちらに向いている。忌々しそう顔で睨むその姿からは、主席の余裕を感じ取れない。
「もし違っていたら、我々の研鑽の障害でしかありません!」
まだ納得のいかないモーガンは食い下がる。
モーガンに姿に呆れた顔を浮かべるカナンさん。
「わかりました。違っていたらすぐに模擬戦は終わるでしょう。その後でよろしければもう一戦設けましょう」
カナンさんの言葉に機嫌が直ったのか、モーガンの表情がいつもの不遜なものに戻る。視線をカナンさんに戻して答える。
「そういうことなら受け入れましょう」
最後にこちらへと顔を向けると「せいぜいカナン様の勇姿を長く拝ませてくれよ」と声をかけてきた。
口を閉ざしていたハーバー先生がここでようやく口を開いた。
「話はまとまったな。では、カナン・サーストン対カミル・クレストの模擬戦を行う。全員、壁際まで下がれ」
ハーバー先生の言葉に生徒は移動し始めた。
リアスターナさんから短く「頑張れよ」というエールをいただけた。
カナンさんが見たいものはわかりきっている。蒼い輝きのことだろう。でもあれはまだ再現することができていない。今この場の模擬戦を経ても、あの死が隣り合わせの感覚からはほど遠い。
三十メートルほど距離を空けカナンさんと向き合う。何故かカナンさんの表情からは緊張しているような雰囲気が漂っている。あの力が自在に操れると思っているのだろうか。
鞘から剣を抜き出し構える。
お互いの準備が整ったのを確認すると、ハーバー先生が開始の合図をする。
「模擬戦、始め!」
リアスターナさんの速さを体験しているから、自分からは動かずカウンターを狙おうとカナンさんの動きに注視する。だが、カナンさんに動く気配がない。中段に構えた剣がぶれることもなく、こちらの動きを観察しているようだ。
「先手は譲ります。いつでもかかってきなさい」
これは準備を整える時間あげるから、全力を見せなさいってことだよな?自分を強化できるのは纏くらいなものなんだが…。
「では行きますね」
剣を顔の横まで持ち上げ突きの姿勢を作り駆け出す。
今の力量差では一撃入れれる入れれないか、それが俺がチャレンジする目標だ。
お互いの距離はおよそ十五メートルまで詰まる。言葉通りカナンさんに動きはない。
十メートルを切る所で俺は魔力圧縮を始める。
五メートルまで近づくとスプラを発動させ、剣先に水弾を形成する。火属性を使いたいところだけど、火の元素が満ちればカナンさんにも有利に働く。だからあえての水属性。
更に一歩踏み込んだところで水弾をカナンさんの胸元目掛けて放った。
勢いよく撃ち出される水弾を、カナンは横に移動することで避ける。
追従するように構えた剣を突き出していく。狙うは着地した直後の太腿。
剣筋を読んだカナンさんの剣が刀身の腹部分を払うように俺の剣を弾く。
剣の払う動作でガードが緩くなった脇腹部分を目掛けて、中段蹴りを繰り出しカナンさんのバランスを崩す試みをした。
振り払った勢いに蹴りで押される形になり前傾姿勢になった。
それでもカナンさんに慌てる素振りはない。
気づくと俺とカナンさんの間に炎の壁が出現する。反射的に飛び退いた。
お互いに距離ができ一旦仕切り直しだ。
炎の壁が消え、カナンさんと視線がぶつかる。
真っ向から勝負していては駄目だ。奇策で攻めなければ突破口は掴めない。
俺は全身を覆うように纏を発動させ、指で拳銃の形を作ると前へと突き出す。
カナンさんは奇妙なものを見たとばかりに訝し気な表情を浮かべている。
人差し指一点に炎の塊が生まれるように言葉を紡ぐ。
「弾けろ!フランツ!」
凝縮された炎の塊が揺らめき、弾けるように炎弾となって発射される。
圧縮魔力で炎を作り、その炎すら圧縮してライフル弾並みに極小にした。
小さくした分威力を上げれるが、今回はそうはしなかった。放っても当たらないと意味がないからだ。炎の圧縮のエネルギーを撃ち出す爆発力に回す。
指から放たれた直後に炎弾は肩の鎧にぶち当たり、肩パーツを後方へと弾き飛ばした。
さすがのカナンさんでも炎弾の発射速度にはついてこれずに、弾かれた肩を見て驚愕している。
視線を外した瞬間を俺は見逃さなかった。
ついさっきまで練習していた武技をとあるポーズを取り発動させる。
「駿動走駆!」
まだ完全には習得できていない駿動走駆だが、これも使い方を変えれば今の俺には武器になる。リアスターナさんは「速く移動したいからと放出する魔力の量が多くなればなるほど、足は前へと突き出される。速度を明確に意識して魔力量を調節しろ」と言っていた。解釈を変えれば、放出される魔力のエネルギーが大きければ大きいほど前へと押し出されることになる。
クラウチングスタートのような姿勢になると駿動走駆を発動させ、足を伸ばしたままつま先だけで地面を蹴った。
圧縮魔力は最大出力。弾け飛ぶように一足でカナンさんへと迫る。
だが、急拵えの武技の発動で軌道は制御ができておらず、カナンさんの視線の逆側に飛んでいく。明らかにカナンさんの横を通過する軌道だ。咄嗟に剣をカナンさんへと伸ばすしてみるものの、肩の鎧に当てれたのが関の山。今度は反対の肩パーツを吹き飛ばすことに成功する。片足を着いて勢いを殺そうと試みるも、身体は流れ、自分自身も一緒に後方へと飛んでいった。
そんなマヌケな姿を晒したカミルは、訓練場にいた者を笑いの渦へと誘った。
リアは笑い転げる。今しがた教えたばかりの駿動走駆を一発芸のような使い方をされたら笑いも堪えられないだろう。
「ははっははっ、あいつ、笑っ、いの、才能っ、あるなっ!ははははははは」
息も絶え絶えである。
エルンストは虚をつく意味不明な行動に唖然としている。
カナンは認識できずに両肩のパーツが吹き飛ばされ、頭の中が??でいっぱいである。
さすがのモーガンもこれには笑っていた。
「最高の余興じゃないか!くくくくく」
盛大に失敗した。駿動走駆の爆発的な踏み出しという着眼点は悪くなかったと思う。予測が不完全過ぎて、起きた現象への対処が取れなかった。
片手を着いて半身を起こすと首を左右に素早く数回振った。カナンさんへ視線を送ると怪訝な面持ちでこちらを見ていた。訓練場は笑い声でいっぱいだ。訓練場にいる人達の虚を突けたのならある意味成功だったのかもしれない。誰も予想していなかったってことだろう?
立ち上がると再び剣を構えた。
カナンは意味もわからず両肩の鎧を剥ぎ取られたことに困惑していた。鎧との摩擦を防ぐクッション材としての白色のインナーが見えてしまっている。技能講習では生徒達のやる気を引き出させる為に、普段の装備姿で接するのが一般的だ。生徒達と同じように練習着だったらどうなっていただろうか?
認識もできずに二撃もらった?一体カミルって子は何なの?
都市外戦闘訓練で魔族を倒した謎の学生カミル・クレスト。ハーバー先生からの情報も極端に少なく、情報を集める為に攻撃を促してみたらこの結果。知れば知るほど彼がどういった存在なのかがわからなくなる。ハーバー先生もこんな気持ちだったのね…。
後ろに視線をやると、半身を起こし頭を振るカミル君の姿が映った。照れくさそうな表情でこちらを見ている。彼はフランツと叫んでいた。でも、私が知るような燃え盛るフランツではなかった。駿動走駆という言葉も聞こえたけど、そこまで飛んでいく武技ではない。彼は何かがおかしい。
カミル君が立ち上がり剣を構えた。
彼はまだやる気らしい。
攻撃の手段は良くわからなかったけど、ハーバー先生が見ていたんですもの。何かしら掴んでいるかもしれないわ。私が情報を探るというより、普通に戦った方がより多くの情報が読み取ってもらえるかもしれない。
カナンも剣を構え直した。
今度はこちらか攻めてみましょうか。
カナンは駆け出した。その動きを見たカミルも駆け出す。
剣を引き、横一文字に剣を振り横幅のある衝波斬を飛ばす。彼は前進してきている。純粋に左右に避けるといった行動では避けきれないはず。
カミル君に足を止める素振りが見られない。代わりに初級土属性魔法グランで自分が通れる幅分だけ岩をぶつけ衝波斬の中央を突き破り道を作った。できた穴を通りこちらへと進んでくる。
それは想定内。多くの人が突破するために同じ手を使う手段だもの。
反応速度の方はどうかしら?駿動走駆で加速し、距離を一気に縮め、突牙絶破刃――助走をつけ勢いを乗せた突き後、斬り払う武技――で仕掛ける。
一瞬で目の前まで移動するとカミル君は驚愕の顔を浮かべていた。
初撃の突きが彼の剣の腹にぶつかった。勢いの乗った突きの衝撃にカミル君は剣を落とした。
どうやら反応速度は一般的なようね。これで終わりよ。
追撃の斬り払いが彼の胴体へと迫る。
「スプラ!」カミル君の声で、彼の胴体を覆う水の壁が出現した。
それでは剣の威力を削ぐだけで、貴方の身体まで届いてしまうわよ?
カミル君の顔へと視線を移すと、彼の目にはまだ諦めの色は浮かんでいなかった。
まだ何か仕掛けてくる!剣を握る手に力が入る。
彼の行動に今度はこちらが驚愕することになる。
カミル君の足が前へ出た?まさか…踏み込み!?
剣を振り抜かせないように前へ踏み込むと同時に拳を後ろに引いている。カミル君は剣を気にせずそのまま拳を私の腹部目掛けて打ち込んできた。
私の刃の付け根に近い部分が、水の壁越しのカミル君の肩口の肉を突き抜け骨へとぶつかった。威力は消し切れてはいない。
私の剣の動きと同時に、カミル君の拳も私の腹部へと届いていた。
鎧越しとはいえ、押されれば後方へと身体が流れる。
カミル君を斬り払うことはできなかったけど、剣がぶつかった衝撃で後方へと転がっていた。
私も重心を崩され後ろに蹌踉ける。転ぶまではいかない衝撃だった。
「それまで!勝者、カナン・サーストン!」
ハーバー先生が模擬戦の終了を告げる。
痛む肩を手で押さえ起き上がると拍手が巻き起こった。
結局、大きな爪痕を残すことなく模擬戦は終わってしまった。せっかく選んでくれたカナンさんには申し訳ないことをした。
剣を鞘に納めたカナンさんがゆっくりと近づいてきた。手には俺の剣が握られている。
「お疲れさま。肩の傷は大丈夫?」
カナンさんの視線が傷を負おう手に向かう。
ここで無理、なんて言える人は早々いないだろう。女性の前では強がるのが男性。少なくとも俺はそう思っている。
「さすがに痛みますけど、これくらいなら大丈夫ですよ。聖なる焔には優秀な閃族もいらっしゃいますからね。治していただけますか?」
「ふふ、そうね。私達の頼れる仲間を呼びましょう」
悪戯っぽい笑顔を浮かべるカナンさん。その笑顔に心が跳ねた。
危ない危ない。俺もゼルのことを言えなくなるところだった。顔が赤くなっていないことを祈るぞ…。
「ユリカー!カミル君治してあげてー!」
ユリカさんを呼ぶために手を上げ左右に振り呼びかける。
その瞬間、目の前にいたハーバー先生が前触れもなく急に地面へと倒れた。
「「ハーバー先生!」」
俺達の呼びかけにハーバー先生は反応を示さない。駆け寄ろうとしたその時、ハーバー先生の身体が闇に包まれ姿が見えなくなった。
俺達は動けず様子を窺っている。何が起きたのかまったくわからない…。
眺めていると闇の中から脈打つように鼓動が響いてきた。
ドクンッと一度力強く脈打つと、闇の波動が周りへと広がり、俺とカナンさんを周りから隔絶するような結界のようなもので覆われた。
見渡してみると、薄い闇の膜に覆われているような印象を受ける。
結界の一部が突如として大きな光で包まれた。発生源を辿ってみると、カナンさんの弟、プロフェントさんが光属性魔法を放ったようだ。だが、その光は闇を晴らすことはできなかったみたいだ。
「カナンさん、闇属性魔法には結界を張るものがあるんですか?」
「いいえ、私も聞いたことないわ。プロフのルストローアも意味を成していないようだし…」
上級光属性魔法ルストローア。その光が効かない闇属性魔法…、すなわち極致魔法の域の力が目の前に広がっているということだ。
「ハーバー先生の闇を払えるか試してみます」
闇に向かってカナンさんはルストローアを放つ。闇を包むように広がる光。
「結界も晴れなかったので期待はできないと思いますが…」
光が消え始め……中には漆黒の闇が広がっていた。
「やっぱり…」
「今の光の消え方、おかしくありませんでしたか?」
カナンさんがこちら向き「え?」と声を漏らす。
「光が内側に向かって飲み込まれていったように俺には見えました。まるで、光の元素を飲み込んでいくように」
カナンさんの表情が強張った。目が泳ぎ動揺している、そんな印象を受ける。
「何か心当たりでも?」
「………」
カナンさんの言葉を待つ。
意を決したかのように語り出した。
「ハーバー先生が聖人であることは知っているわよね?」
つい先日聞いたばかりの内容だ。
「漆黒のエルンスト。僥絶という闇を纏う天技を扱うということは伝え聞いてます」
「その僥絶に酷似しているのよ…。僥絶は元素を取り込み、魔法や武技の一部の能力を溶かして元素を世界へと還元していく性質なの」
「ということは、ハーバー先生には魔法が効かないということですか?」
「そういうことになるわ。元素が無ければ魔法は発動しないもの。僥絶に触れた瞬間、魔法が分解されてしまうと考えた方いいわ」
それはとんでもない天技だ。魔法が効かないなんて魔導師にとって最も出会いたくない存在だろう。王国兵が恐れたのも納得だ。
「魔法が分解されると言っても、分解されるまでに起きた現象、炎による空気の温度の上昇といったものは残り続けますけどね」
カナンさんが闇に視線を戻した。
「この闇も僥絶と同じ性質なら魔法では払えない…」
闇を見つめていると、再びドクンッと鼓動が響いてきた。何かが脈づいている。
不意に闇がハーバー先生から浮かび上がり、人型を成していく。
闇が霧散していき、それは姿を現した。
筋肉が異様に隆起した二メートルほどの体躯。額には大きな一角、するどい牙と爪を持っている。長い乱れた黒髪と赤黒い肌が悍ましい姿をより際立たせていた。何よりも、瞳が赤く怪しく輝いている。
魔族。
ハーバー先生の中から魔族が現れた。
姿を現してからというもの、背中が寒くなるのを感じる。
聖なる焔として幾度か魔族と戦ってきたけど、ここまで威圧される相手は初めてね…。
剣を抜こうとして気づく。まだ手にはカミル君の剣が握られていた。
「カミル君、貴方の剣よ」
差し出した剣を、彼は受け取らない。いや、受け取れない?魔族の姿を見て固まってしまっている。無理もない。私ですら気圧されているのだから、学園の一年生が恐怖で動けなくなるのも理解できる。でも…。
カミル君の手を強引に引っ張ると剣を手に握らせた。そのまま彼の手を私の手で包み込んだ。引っ張られたことで硬直が溶けたのか、きょとんとした顔でこちらを向いた。
「肌で感じていると思うけど、あの魔族は強力な存在よ。結界に遮られて助けが来ることも望みが薄いわ…。でも、諦めちゃ駄目!あの魔族はここで倒しきるわよ。あんなのがアルフの街に飛び出して行ったら、街がぐちゃぐちゃになってしまうから」
彼は「はい!」とだけ返事をし、剣を構えた。
カミル君ごめんね。一年生の君に魔族に立ち向かえと言うのは酷かもしれないけど、今は一人でも戦力が欲しい。何より一人ではないということが唯一の心の支えなの。一人ではあんな化け物みたいな魔族に立ち向かう勇気なんて湧かない。
剣を鞘から抜き、構える。
出し惜しみなんてしない。最初から全力でぶつかる!
― 迸る『聖火』の導きを 我が手に ―
聖句を紡ぐと、剣に白炎を纏わせる。
外見的変化を齎す天技だけど、カミル君は気にしている素振りはない。魔族に意識を集中している。
漆黒の闇から生まれた魔族。触れれば元素が世界に還元されてしまうのはわかってる。でも、触れるまでの身体能力の強化までは打ち消せない!
「カミル君は後方から衝波斬で援護をお願い!」
そう言い残し駆ける。
現れてから未だに魔族に動きはない。目覚めたばかりで動けないのかも?動けないのならそれは好都合。駿動走駆を発動させ、一直線に魔族との距離を詰める。
剣を天へと掲げ踏み込んだ。
「天斬!」
魔力が剣へと流れ、掲げた剣を振り下ろす。
するどい太刀筋が魔族の胸部を縦へと斬り裂いた。だが、傷は浅い。
硬い!?いくら筋肉の壁があろうとも、天斬で斬れ味を強化した刃なら通るはず。カナンはそう考えていた。
何よりも以外だったのが、元素が吸われず剣に聖火が残っていること。
僥絶から出てきた魔族だから、性質も引き継いでいると考えていた。どうやらそれは考えすぎだったみたいね。それならまだ戦いようはある!
時間差で魔族の顔に衝波斬が飛んできた。顔面に当たりはしたものの、まったくの無傷だ。カミル君の魔力量の武技では傷をつけられないらしい。
「カミル君!どうやらこの魔族、元素を取り込む力はないみたいよ!聖火が消えていないわ!」
その言葉の意図を察したカミル君が、再び特殊な手の形にし「フランツ!」と叫んだ。先ほどよりも炎弾は大きい気がする。放たれたフランツは魔族の肩に直撃する。
僅かに煤けた様子はあるものの、ほとんど無傷と言ってもいい。
戦力としては数えられないのかもしれない。そう考えていると、目の前の魔族から強い殺気を感じ取り、咄嗟に後方へと飛び退いた。まるで私達の攻撃で目が覚めた、そんな印象を抱いた。
元素が吸われない。その情報だけが希望を示している。完全に動き出す前に仕掛ける!
剣に纏う聖火を介して上級光属性魔法ルストローアで魔族の身体を包んだ。魔族である以上、光属性に弱いはず。祈るような気持ちで光が霧散するのを待つ。
光が晴れ、魔族の姿が見えてきた。魔族は、苦しむ素振りも見せずに立っていた。
苦し紛れに聖火による斬撃を飛ばしてみるも、皮膚を少し剥した程度のダメージしか与えられていない。
聖火経由のルストローアも聖火の斬撃もほぼ無傷…。
カナンの心は折れかけていた。切り札である聖火も光属性魔法もほとんど通じない。聖火を使った事により、魔力消耗は格段に跳ね上がっている。魔族を倒しきるまでの未来が描けないでいた。
魔族が拳を振り上げるのが見える。大丈夫、距離は十分離れている。攻撃を見てから良けても間に合――突如として前方から飛んできた衝撃に身体が揺さぶられる。見えたのは拳を突き出す動きのみ。
不意の衝撃に尻餅をつく。
何をされた?
「カナンさん!立って!」
カミル君の言葉が耳に届く。視線を上げると魔族に飛んでいく衝波斬が見えた。魔族は虫でも払うように手で衝波斬を打ち消した。
その隙に立ち上がり剣を構える。魔法が駄目なら武技で攻める!
「駿動走駆!」
移動速度を高めると回り込むように、距離を取りながら魔族の側面を走る。
移動するカナンに、魔族は手を手刀のように伸ばすと、するどい爪に魔力を集中させている。
仕掛けてくる…。カナンは直感的に魔族の動きを感じ取る。
魔族の腕が振り抜かれ、爪の先から闇を纏う衝波斬のような斬撃が飛んでくる。
剣に纏う聖火を同じように斬撃にしてを飛ばして相殺。そのまま魔族との距離を詰め武技を発動させる。
「閃華殺皇!」
剣先に光の元素を纏う魔力の塊が生まれる。剣先を魔族の胸元に向けると光の弾丸は勢いよく放たれた。
魔族は腕を引き戻し光の弾丸を防御した。受けた腕には傷一つついていない。
カナンは防がれたことなど気にせず突き進む。防がれた腕に向かって踏み込み振りかぶった。聖火の白炎が再び揺らめき、刃に宿る。光の弾丸が当たったその場所目掛けて聖火の刃で斬りつけた。
その瞬間、燃料に引火するかの如く魔族の身体が白炎に包まれていく。
カナンは着火したのを確認し、飛び退きながらフルメシアを魔族へと叩きつける。
聖火はフルメシアの火の元素を取り込み、魔族の身体は次第に燃え広がっていく。
「グォォァア!!」
魔族の短く苦しむ声が響く。
効いてる!?ここまでやらないとまともにダメージを与えられないなんて…。聖火を使い始めてそこそこの時間が経っているはず。急がないと!
再び攻撃を仕掛ける為に踏み出した。魔族に点いた白炎が消える気配はない。
今度こそ斬り裂く!!
魔族との距離を詰めると剣を天へと振りかざす。
「天ざッ!?」
武技の発動の為の言葉を言い終わる前に、伸びてきた魔族の手によってカナンの首が絞められた。魔族の身体には未だに聖火が燃え盛っている。しかし、聖火の使い手であるカナンには聖火の炎の影響を受けない。それだけが救いだった。仮にこれが単なる火属性魔法だったのなら、カナンの首は焼かれ髪や衣服に引火していた可能性が高い。
カナンは魔族の手から逃れる為に剣を振り回す。硬い魔族の皮膚の前には無意味な行動だった。武技を使ってようやく傷をつけられる存在。首を絞められ酸素が足りず頭が働いていないのか、ただただ逃れるための本能的な行動なのかはわからない。抵抗する力がなくなってきたのか、カナンの両腕が重力に従って垂れ下がり、握っていた県が地面へと落ちた。同時に聖火の輝きが失われ、魔族の白炎が消え去った。
「カナンさん!!」
叫ぶカミル。成す術が無いにも関わらず、剣を構え魔族へと駆け出していた。本人は気づいていないが、胸元からは蒼い輝きが漏れ出していた。
バリィィィイイン!!
硝子が割れるような大きな音が上空から聞こえてきた。反射的に顔を上げるカミル。剣に白炎を纏わせた赤茶けた髪の男が飛び降りてくる。着地をすると男は魔族の腕に向けて斬りかかる。
「炎陣裂破!」
聖火と似たような白炎を纏った剣が、カナンの首を掴む魔族の腕を斬り飛ばした。
突如として現れた得体の知れない存在に、魔族は後方へと距離を取った。
魔族の手から解放されたカナンは、止まっていた呼吸をし始めむせている。
赤茶けた髪の男はカミルの方へと顔を向けると言葉を投げかけた。
「久しぶりだな、黒髪君。いきなり死にかけてるんじゃねーよ」




