漆黒のエルンスト
圧縮魔力を臨時パーティーの面々に教えてからと言うもの、俺は平和な毎日を過ごしている。以前はファティやゼルがどこに行こうとも口煩く秘密を探りに来ていたけど、今では魔力制御の練習に勤しんでいるらしい。少し寂しさがあるような気がするけど、きっと気のせいだろう。
授業が終わり特区内を散策している。一通り巡ったつもりだが、季節が廻れば新しい姿を見せてくれるのが飲食店というものである。旬な食材を使った料理が移り変わり、村では味わえないメニューの数々が町中に犇めき合っている。
最近のお気に入りは、メイン通りから一本裏に入った道沿いに店舗を構える菓子屋。吸い込まれるように入店した。
焼菓子メインのお店の中で、ひと際異彩を放つ揚げ菓子のチュロス。数種類のフレーバーが存在しているが、俺のお気に入りはシナモンシュガーだ。シナモンの独特の香りが空きっ腹をぐぅ~と鳴らしてくる。シナモンの流通は決まった時期にしかないらしく、この時期だけの味覚。だからこそ、その味わいの尊さを後押ししている。
迷わずシナモンシュガー味のチュロスを一本取り会計へと進む。いくら美味しいからと言えど、何本も食べては自分の中でその味わいの価値を下げてしまう。一週間に一本。それが俺なりのルールとなっている。身体づくりも学園に通う者の務め、ストレスからの解放の一環でもある。
店を出るとすぐにチュロスを取り出す。店内で食べることもできたが、チュロス一本で居座っても邪魔になるだろうし、手早く外で済ますつもりだ。特区内は食べ歩きが推奨すれていることもあり、俺が一人で買い食いをしていても周りは気にする素振りもない。それでも他の人の通行を妨げないように配慮をするのも忘れない。
袋から姿を現したチュロスは、夕陽を浴びシナモンシュガーがキラキラと輝いている。砂糖が服に付かないように気を付けながら口に運ぶ。ジャリっと粗目の砂糖を砕き、カリっとしたチュロスの表面を歯で喰い破ると中にはもっちりとした柔らかい食感が顔を覗かせる。シナモンの香りと砂糖の甘みが口の中を駆け巡り幸福感を齎してくれる。揚げてある分、香ばしさもありしっかりとした食べ応えだ。多少カロリーは気になるが、ストレス解放の儀として諦めよう。背徳感がある方がよりチュロスというお菓子の味を押し上げてくれる。俺は今、幸せを噛みしめている。
幸せそうにチュロスを頬張るカミルの姿を、通行するお姉さま方は微笑ましく見守っていた。カミルが少し幼く見える風貌をしているのもあるが、美味しそうに蕩ける表情が子供が好物を与えられた時の嬉しそうな表情に似ているからかもしれない。ここはお菓子を販売する店舗がひしめき合う通り。自然と女性の通行量も多くなっている。
至福の時間を過ごしたカミルは、食べ終えた袋を店舗備え付けの回収箱に捨て街中を歩きだした。唇の端に甘い味を感じ取り指で拭う。唇に吹き損じがあったようで、指に砂糖が付着した。ポケットからハンカチを取り出し唇と指を綺麗に拭き取る。通りがかった店舗の窓の反射を利用して拭き損じがないかチェックしていると、店員のお姉さんと目が合った。お姉さんにクスクスと笑われ、恥ずかしさのあまり逃げ出した。
あの店舗付近は暫く近づけないな…。
チュロスを食べに来たのは食べたい衝動に襲われたからでもあるが、ここ最近不審な視線を感じているのも理由だ。最初に感じたのは学園内。魔族の討伐を果たしたから注目を浴びたのも確かだが、普通の視線とは思えないものもある。明らかに行動の一部始終が見張られているような纏わり付く視線を感じていた。女性が多いこの通りなら、変な視線を感じたらすぐ気づくと思っていた。現実はそう甘くなく、視線は感じるものの姿は確認できなかった。気持ち悪さを感じながら帰路についた。
冒険者による技能講習まであと一週間と迫ってきた。聖なる焔がアルフ入りしたと街が活気づいている。先日お疲れ様会を開いたカフェの特別室。そこを聖なる焔が利用したとクラスメイト達が話しているのを聞いた。元々お洒落な造りなカフェの特別室ということもあり、かなり高めの金額設定になっているが、聖なる焔が利用したことで人気が集まり、庶民のカミルには手の届かない金額になってしまった。行けた場所に行けなくなるというのはどこか寂しい。
寮から十五分ほど歩くと学園に到着する。顔馴染みになった店主のおじさんやおばさんと朝の挨拶を交わすのがルーティーンになりつつある。
学園の門を抜けると普段はない人垣ができているのに気づいた。何かあったのだろうか?人垣の上から覗こうとするも、少しだけしか見えない。海棠色のポニーテイルの女性と銀髪のポニーテイルの男性、男性の方はハーバー先生か。髪色は違えどどちらもポニーテイル。兄妹か何かか?でも人垣ができる理由がわからない。先生や上級生に恋心を抱く人もいるにはいるが、遠巻きに眺めて通過していくのが関の山である。
人垣の中から「あれが噂の聖なる焔のリーダー、カナン・サーストンだよ」という声が聞こえてきた。その言葉にもう一度姿を確認しようと背伸びしてみるが、ほとんど見えない。噂の冒険者パーティーのリーダーが来ていたら、そりゃこんな人垣ができるはずだよ。俺もその一人なんだけどさ。
もっと姿が見える位置はないかと歩き人垣の端までたどり着く。ようやく見えたその姿は、一言で言えば才色兼備。冒険者としての才もありながら、凛々しく美しい女性。この人垣にも合点がいく。
「カナン・サーストン。聖火を操りし聖人」
声に気づき振り返るとファティが先生達を見つめている。何故だろう、どこかしらその視線には敵意が感じられた。
「ファティ、聖人様と何かあったの?」
「姉様とライバルの冒険者パーティーですからね。姉様に天技さえあれば、聖なる焔以上に名声を集められたものを……」
ファティは姉のティナリーゼを崇拝している節がある。実際に言葉を交わした身として、ティナの実力も人間性も尊敬できると確信している。同じ冒険者としてその姉以上に人望を集めているのが気に障るのだろう。
「実力がどうこうはわからないけど、ティナさんも負けず劣らずの美貌の持ち主だったなー」
思わず感想を口にしてしまった。それがファティのスイッチを入れることになった。
ファティは顔をこちらに向けるとバシバシ俺の背中を叩きながら声を張り上げる。
「わかってますね!カミルは。でも、負けず劣らずではありませんよ?姉様の方がお綺麗です!」
「お、おう。そうだな…」
心からの笑顔だったのに、途中から目だけ笑わなくなるのは止めてくれ…。
「さあ、聖人様は置いといて教室いきましょう」
首根っこを掴まれ教室へと連行される。せめてもう少しだけ拝んでおきたい男心を汲んで欲しい。あ、聖人様がこっち見た。
賢闘都市アルフの宿屋街は、出入口の門から街の中心に近い大通り沿いにある。学園までは少し距離はあるが、子爵が住まわれている屋敷や闘技場、ギルドといった主要施設にアクセスがしやすい位置にある。どの用途でアルフに来ても良いように設計されている。
聖なる焔も例に漏れず宿屋街にいた。
「プロフ、ユリカ。講習前に打ち合わせも兼ねて学園に挨拶に行ってくるわ」
朝食を終え、寛いでいる二人に行き先を告げる。
「ずいぶん早いわね。まだ先生方も出勤されてないでしょうに」
「朝の凛とした空気が好きなのよ。静かな街の中を散策しながら学園を目指すから大丈夫よ」
「それなら僕も…」
プロフの言葉を手で制す。仲の良いパーティーと言っても、意図的に一人の時間を作ることは大切だ。
「一人でだいじょーぶ。五年もここで過ごしたのよ。迷子にだってならないわよ」
二人を宿に残し学園に向かう。
「迷った…?」
カナンは見慣れぬ店舗群の中を彷徨う。確かに五年間学園に通っていたが、卒業してからすでに五年が経っている。五年もあれば流行も変わるし、技術も進歩する。店の外観だって変わってしまう。大方、看板か何かを目印に道を覚えていたのであろう。それらが撤去されてしまえば、見慣れた道は消え去り、初めて訪れる地に様変わりしてしまう。
そう、カナン・サーストンは方向音痴だ。
それを心配したプロフが付き合うという提案をしていたにすぎない。
カナンは途方に暮れていた。
なんでお店が無くなってるのよ!黄色い看板を曲がれば学園方面に進めるはずなのに……。あ、慌てちゃ駄目。良い大人が迷子になるなんて知られるわけにはいかない。うろうろしている間に学生達も登校を始めているじゃない…。焦ったら駄目よカナン。優雅に淑やかに、大人の余裕を持って歩くのよ。
盛大に焦っていることに本人はまったく気づいていない。カナンは思い至っていない。登校を始めた学生達について行けば、学園にたどり着けるということを。カナンは気づいていない。その一部始終を見ている教師がいることを。
「カナン、アルフにもう着いていたのか。……相変わらず地理には弱そうだな」
声を掛けられカナンは振り返える。そこにいたのはかつての恩師、エルンスト・ハーバーだった。
エルンストとカナンが最後に会ったのは学園卒業の日。カナンが冒険者になって以降、帝国各地を渡り歩き依頼をこなす日々だった。アルフに寄ることもあったが、学園に立ち寄る時間が確保できなかった為、五年間という歳月が流れてしまった。
「ハーバー先生!ご無沙汰しております」
カナンは深々と頭を下げると、懐かしさのあまり思わず笑顔になる。
「久しぶりだな。聖なる焔の名声は俺の耳にまで届いている。頑張っているな」
久々に会う恩師から褒められて嬉しくない者はいない。カナンは心の中でガッツポーズをとる。五年の歳月を感じさせないエルンストの風貌に嬉しくもあり、物足りなさも感じてしまう。
「学園に行くのだろう?歩きながら話そうか」
道に迷っていたカナンには嬉しい申し出だった。即座に「はい!」と返事をしてしまうほどに。
「久しぶりの学園特区はどうだ?ずいぶん様変わりしただろう?」
「お店が変わりすぎて変な感じですね。新しい土地に来た気分ですよ」
決して迷っていたなんてカナンは言わない。ハーバー先生がたとえ察していたとしても自分の口から言う気はない。
「講師に招かなければ暫く近寄りもしなかっただろう?私もそうだった。教師にならなければ近寄ることもなかったと思う」
過去を振り返っているのか、ハーバー先生の横顔はどこか寂し気な表情をしていた。
「ハーバー先生の場合は私とは違いますよ」
カナンは恥ずかしそうに笑う。聖人として周りから特別な目で見られることが多いが、そんなカナンからしてもエルンスト・ハーバーという男は特別だった。異性として特別というわけではなく、一人の魔導師として傑出した才能と実力を持ち合わせていたのだから。
気づくと学園の屋根が見え始めている。
「あれ、意外と学園近かったですね?」
学園周辺は大型店が多い。学園で使う物資を取り扱う店が多く連なり、必要な物は学園前のこの通りだけで揃えることができる。合間合間に飲食店が多いのは、休憩できる場所として重宝されているからだろう。
「近いも何も、すぐそばなのにカナンが挙動不審に歩いていただけだが…?」
カナンは満面の笑みを浮かべる。笑顔で乗り切るしかない、誤魔化すためにそれしかなかった。
不意にハーバー先生の表情が引き締まる。
カナンは空気感が変わったのを感じ取り、エルンストの顔を見つめた。
「ここで出会ったのも何かの縁だろう。折り入ってカナンに頼みたいことがある」
「ハーバー先生がそんな顔するってことは、重要な任務ってことですか?」
「そう受け取ってもらって構わない」
無言のまま学園の門を抜け、正面玄関までたどり着く。
意を決したのかハーバー先生は振り返り口を開いた。
「今回の技能講習でとある生徒と模擬戦を行ってもらいたい」
技能講習で講師と生徒が模擬戦をすることは今までにもよくあることだった。それをあえて今言ってくるということは、特別な意味合いが含まれている。カナンはそう受け取った。
「ハーバー先生からの直々のお願いですから、お引き受けいたします。それで、その生徒さんはどんな方ですか?」
ハーバー先生が一目置く生徒。それだけで興味を引くには十分だった。普段のハーバー先生なら特定の生徒に興味を示さない。示さないというよりも、興味を抱ける人材がいないと言った方が良いのかもしれない。価値観を共有できる者同士でしかわかり合えない一面もあると思う。
ハーバー先生は考え込むように虚空を見つめる。その仕草にカナンは不自然さを覚えた。わざわざ模擬戦を依頼してくるような生徒のはずなのに、言い淀む要素なんてあるの?一生徒に対して?
「正直に言ってしまえば、良くわからない」
「わからない?」
ますますカナンは困惑した。わからないのに模擬戦をやれというのは…一体……。
「一般的などこにでもいる生徒とも言えるし、逸脱した力を持つ生徒とも言える。入学してまだ数か月しか経っていない上、授業を担当したのも数える程度なんだ」
「何ですか、その生徒は」
「今わかっているのが、魔力の扱い方が普通とは違うということ。同じ規模の同じ魔法を使っているはずなのに、彼の魔法は威力が明らかに高くなっているということだけだ」
ハーバー先生が何を言っているのかカナンには理解できなかった。魔力の扱いは、世界の理に則って力が働く。扱う魔力量が一定ならば行使される力は常に一定である。極論を言えば、魔力というモノを制御できるかできないか、魔法を使えるか使えないかの二択でしかない。そこに威力という概念が介入してくることはない。威力が変わるとするならば、魔力ではなく元素との親和性である。親和性が高くなれば、魔力が及ぼす影響力が大きくなり威力が変わってくる。これは学園でも教えているはずの内容だ。
「単純に元素に愛される存在、ということではありませんか?」
ハーバー先生は首を横に振る。
「それは真っ先に私も疑った。が、彼の元素適正は平凡も平凡。人族であるから火属性は他の属性よりも適正があったくらいだ。なのに明らかに魔力制御、魔法の威力が他の者と違うのだよ」
カナンは言葉を詰まらせる。思考を巡らせたが何も思いつかない。教師であるハーバー先生が解決できていない問題なのだから、それも当然とカナンは割り切った。
「それに……」
エルンストはカナンの耳に近づき小声で語り掛ける。
「都市外戦闘訓練で俺達教師陣が壊滅し、冒険者パーティーが全滅した強力な魔族を相手に謎の力で倒し切った」
言い終わるとエルンストはすっと耳元から離れた。
ハーバー先生でも倒せなかった魔族!?そんな化け物じみた魔族を一生徒が倒しきるって!?どういうこと??
カナンは反射的にエルンストの顔を見つめ、真偽を問う。
「今言ったことは事実だ。俺も回復が間に合っていなかったら命を落としていただろう」
ハーバー先生が魔族に負けたという事実もショックだが、そんな強力な魔族がアルフの近くに出没したということにショックを受ける。魔族であれ、魔物であれ、強力な存在が姿を現すときにはそれなりの予兆がある。縄張りの中でしか活動しない魔物が大移動を起こしたり、一部の種族の魔物だけが異常に繁殖していたり、人が襲われる事例が増えたりしてくる。今回はそんな予兆は無かったはず。あったのならギルドを通して依頼が掲示されていてもおかしくない。
「今の内容は伏せといてくれ。帝国側から情報統制が敷かれている内容だ。まあ、漏れたとしても、そんな話を鵜呑みにする人間はいないだろうがな。何にせよ、帝国はその生徒の力の根源の情報を求めている」
一介の生徒の情報収集を帝国が求める?一体私はどんな化け物の相手をするのだろう……。
カナンから笑顔が消え去り、不安そうな表情に変わる。
カナンの表情から心情を察したのか、エルンストは優しく言葉をかける。
「普段は口煩い仲間と過ごしているどこにでもいる平凡な学生だ。気負っても馬鹿を見るのはこちらになるだけだ、気楽にいけ。情報が得れなくとも現状維持でしかないからな」
エルンストの言葉にカナンは表情を緩めた。
「こんな話、玄関前でして良かったのですか?」
「こんな所で重要な話をするなんて思う人間なんていないだろう?」
エルンストが悪戯っ子のような表情を浮かべると、ふふっとカナンの笑い声が響く。
いつの間にか遠巻きに人垣ができており、学生達が二人の様子を眺めていた。登校時間に玄関で教師と話す見知らぬ女性がいれば気にならない者はいない。色恋沙汰の話しとはかけ離れたような存在のエルンストであれば尚更だ。様々な憶測で暫く学園の噂は絶えないだろう。
唐突に人垣の端から大きな声が聞こえてくる。
「わかってますね!カミルは。でも、負けず劣らずではありませんよ?姉様の方がお綺麗です!」
「お、おう。そうだな…」
「さあ、聖人様は置いといて教室いきましょう」
背中まで伸びた亜麻色の髪の女性が、特徴的な黒髪の男性を引きずるようにして校舎に入っていく。
「女子生徒の方はアロシュタット伯爵家の令嬢で、男子生徒の方が模擬戦をしてもらいたいカミル・クレストというアズ村出身の一年生だ」
「え?」
エルンストの説明に思わず素っ頓狂な声をあげるカナン。
あれが化け物じみた生徒…?本当にどこにでもいそうな青年じゃない。しかも女の子に引きずられるひ弱そうな感じの。
目を丸くしているカナンの心情を察したエルンストが言葉をかける。
「見た目ではわからないこともあるということだ」
「そ、そうですね?」
曖昧な返事を返すのが精一杯だった。情報量が多すぎて理解が追いついていない。
「一先ず職員室へ向かおう。講習についての説明もしておきたい」
エルンストが先導し、二人は学園の中へと消えていった。
― Cクラスの教室 ―
カミルは乱れた制服を直していた。ファティに引きずられる形で教室まで来てしまったためだ。飛び出たシャツの裾を直していると、ハーバー先生と聖人カナン、この二人の話題で教室のあちらこちらが賑わっている。ハーバー先生は見た目こそ20代後半に見えるが、実際は30代半ばの落ち着いた大人の魅力溢れる男性教師だ。女子の間で人気が高い。そのハーバー先生が女性と一緒にいた。今までそんな噂の類など無かっただけに、女子だけでなく男子までざわついている。しかもその相手が有名な聖人様。美形カップルの誕生となるのだろうか?
「おい、カミル。カナン様見たかよ!?」
やけにテンションの高いゼルに絡まれる。普段から煩いくらいの声が、今日は三割増しに感じられる。
「玄関で少しだけね。って、カナン様?」
突然の敬称付けにカミルは訝しむ視線を送る。
カミルの視線は気にもせず、ゼルは恍惚な表情で語り出す。
「一目見てビリビリ感じたぜ。あの気品溢れる佇まい。様付けしたくなるあの雰囲気いいよなー!」
もしかして、ゼルは強い女性が好きなのかも?普段から気の強いセルティに絡むのも、そういったわけなのか?
冷静に分析しているとゼルを蔑む声が聞こえてきた。
「気持ちの悪い行動は慎みなさい、ゼル。今の貴方では聖人様には見向きもされないわ」
ティナさんのライバル?である聖人様の話題のせいか、いつもよりゼルへの当たりが強い。
「ふ、今はな。学園を卒業する頃には、もっと頼りがいのある男になる予定だから問題ない」
ファティの辛辣な言葉にも動じず、ゼルは穏やかな表情でにこやかに対応している。あれ、ゼル…。いつものダル絡みする勢いはどこいった?心なしか今日のゼルには余裕が感じられる。ファティも何か感じ取ったのか、露骨に嫌そうな顔をしているし。
「ゼル、貴方どうしたの?いつにも増して気持ち悪さが増しているわ。医務室に行った方がよろしいのでは?」
「いやいや、さすがにそれは言い過ぎだって」
思わずツッコんでしまった。
「良く考えてみなさい。卒業するまでに五年はかかるのよ?それだけの時間があれば良い男を捕まえていると思いますよ?ハーバー先生とかが良い例です」
相方のリズムが崩れると、もう一方もリズムを崩すのか。刺々しい言葉の代わりに現実的な意見を述べている。実際五年という歳月は長すぎると思うし、何よりも歳の差も考慮しないとね。そう考えるとハーバー先生はありなのか。
「確かに。教師という安定した職に就いていて、大人の雰囲気なハーバー先生とはお似合いかも?」
「それもありますけど、ハーバー先生の実力ならカナン・サーストンとも釣り合いが取れると思っただけです。似た境遇を経験していますし、同じ感覚を共有しているのって大事ですよ?」
カミルは顎に手を添えると虚空を見つめる。
ん?似た境遇?ファティは何の話をしているのだろうか。……考えてみたらハーバー先生の経歴をまじまじと確認したことはないな。
「ねえ、ファティ。ハーバー先生ってそんなに有名な人なの?」
カミルはアズ村を出るまで、世界の情勢にはかなり疎かった。村に入ってくる情報は限られていたし、何よりも魔力制御に勤しんでいた。知っている有名人は、村で習った帝国の皇帝の名前や隣国の王の名前くらいで、騎士団長や闘技場の優勝者の名前すらカミルは知らない。
「ものを知らないとは思っていましたけど、ハーバー先生の経歴も知らなかったのですね」
ファティが少し可哀そうな人を見る目で見つめてくる。そう、それ。その目つきが悪役令嬢を想起させる。
「エルンスト・ハーバー先生。かつては帝国騎士団の団長を務めていた方ですよ。数少ない闇属性魔法に適性を持つ方で、人族が得意とする火属性魔法よりも適正があったみたいです。付いた二つ名が『漆黒のエルンスト』。名前の由来は闇属性が得意ということもありますが、天技『僥絶』を使用した時の姿からだろうという話でした」
「え!?ハーバー先生も聖人だったってこと!?」
予想外の言葉に声を荒げるカミル。思っていた以上に大きな声が出ていたようで、クラス中の視線がカミルに集まる。ファティが咳払いを一つ挟むと、先ほどまでの騒がしい教室の姿を取り戻した。
「カミル、本当に知らなかったのか。さすがにネタかと思ってたぜ」
ゼルにまで馬鹿にされた…。腰に両手を添えて胸を張り「俺の方が知識量が上だな!」とかマウントを取り出す始末である。心なしか顔まで少し上を向いている気がする。ゼルの発言は聞かなかったことにしてファティに詳しい説明を促すことにする。
「僥絶自体も闇属性の天技で、使用すると身体が闇に包まれるとされています。闇に愛され包まれる姿は漆黒そのもの。国境でのザイアス王国との諍いの折に、王国兵の間で広まった名が漆黒のエルンストでしたと記憶しております」
帝国内では知って当然の知識。知らぬのは片田舎に住む者達くらいだろう。カミルもまた例外ではない。
実技を任される教師の時点で相当な実力者なんだろうと思っていたけど、まさか天技を操る聖人様だったとは予想外すぎる。しかも元帝国騎士団長。すごい人の授業を受けさせてもらっていたんだな。でも、騎士を辞めるには年齢的に早すぎないだろうか?後続の育成も大事だとは思うけど、帝国の最高戦力を教師にするのはおかしい。隣国と関係性が拗れた時に牽制できる人がいた方が良い気がするのに。
「闇属性魔法に適性がある人は少ない。そこはご存じでしょう?王国側からしたら、知性のある魔族が王国兵を蹂躙するように映ったのかもしれませんね」
知性のある魔族。その言葉を聞くと都市外戦闘訓練の時に遭遇した魔族を思い出す。あんな感じにハーバー先生も暴れていたとするなら、王国兵が恐れたのも理解ができる。
「でも、漆黒のエルンストとまで呼ばれたハーバー先生が何故教師になったの?」
カミルの質問にファティ、ゼルの顔が少し陰りを見せた。
二人がこの表情をするってことは、何か良くないことが起きたんだろうな。権力争いにでも巻き込まれたとか?
「カミルは帝都が魔族に襲われたって聞いたことはないかしら?」
十年くらい前に魔族が帝都を襲った。帝国の首都ともあり、警備は万全だったのにも関わらず突如として街中に現れたとされている。無差別に襲い掛かる魔族の影響で、帝国騎士団が到着する頃には街の一部が壊滅。騎士に犠牲を出しながら討伐した。俺が知っている出来事はそれくらいだ。
「街の一部が壊滅した出来事でしょ?」
「ええ、その事件です。その魔族を倒したのがハーバー先生です。騎士団長自ら討伐に動くのは稀ですから、強力な魔族だったのでしょう。討伐はできたものの、ハーバー先生も後遺症が出るほどの傷を負ってしまったようで、それ以来一線を退いて今に至ります」
一線を退くほどの後遺症。帝都であれば閃族は他の地域に比べれば多いはず。治療すら受けれないほど帝都が被害を受けたのか、閃族の回復魔法を以てしても癒せない何かがあったのか。
「今でもその辺の冒険者よりも強いってのに、全盛期はあれ以上とか…。王国側からしたらそりゃ悪夢そのものだよな。俺も天技を授かっていればなー」
その思いはゼルに限ったことではない。誰しも自分に特別な才があればと夢見ることがあるだろう。努力だけでも名を馳せる者もいるが、その道の第一人者になる者の多くは生まれ持っての才があるのが現実。世界は理不尽で不平等である。現実を受け入れ、それでも前に進む者が多くの分野で光を浴びているのも事実なんだけどね。
カミルも先天的な才は無かったが、努力だけはし続けることを忘れてはいない。
「貴方に才があったとしても、才に溺れて沈んでいくだけでしょう……」
飽きれ顔で皮肉るファティに、どこまでもポジティブな発言をする。
「進むことだけなら俺は得意だぜ?」
絶妙に嚙み合わない二人。二人のやりとりを無視して話題を戻す。
「確かに、ハーバー先生みたいな人なら聖人様と釣り合うのかもね」
俺にはまだまだ縁遠い話。……村を出発前の父さんと母さんの孫をせがむ顔が頭に浮かんだけど、その辺は独り立ちできてから。自分の力で生活を安定させてからだよな、無責任なことはできないしさ。
伯爵家の令嬢なら話はべつかもしれない。
「ファティはもう決まった相手はいるの?」
予想外の質問だったのか、ファティが珍しく「ふぇ?」と変な声を上げた。顔もほのかに赤みを帯びている気がする。これはこれでチョロいヒロインっぽい。……完全に日本という五年分の夢が俺に悪影響を与えている気がする。もっと純粋な人間でいたかった。
「いやさ、伯爵令嬢ともなると許嫁とかいるんじゃないかと思って」
こういう話題になると悪乗りしてくるのがゼルである。
「こんなに気が強いんだぜ?男の方が逃げちまうって。親に相手を探してもらわないとだよな!」
ギロっと擬音が聞こえるんじゃないかと思うような鋭い視線をゼルに送るファティ。
うん、その目は普通に怖い。
外見は綺麗系のお嬢様(悪役令嬢)で、割と面倒見も良い。時折口調がきつめになるところもあるけど、それはそれで需要があるだろう。魔法の才もありそうだし、思った以上に引く手数多なのでは?
「私に釣り合う男性はそう多くはないでしょう。家柄も実力も無ければ、逆に相手が惨めな目にあってしまいますからね」
顔が少し上を向いているのは自信の表れだろう。伯爵家に生まれたからには、期待というプレッシャーに晒される日々は想像に難くない。その中でここまでの自尊心を持ち続けられるだけの結果を残してきているのだろう。圧縮魔力を教えてからもひたむきに練習している姿も良く見かけている。彼女には幸せになって欲しいものだ。
知らぬ間にファティを見つめる目に感情が乗っていたようで「カミル、気持ち悪い…。ゼルに感化されました?」と言われる始末。
「一週間後の技能講習が楽しみだね!」
全力の笑顔で誤魔化しておいた。