迸る聖なる焔
見渡す限りの木々。歩けど歩けど視界が開けることはない。気温が低いせいか生物が住み着くには過酷な地域だろう。時折、鳥が頭上を通過するのを見ては、自分も空を飛びたいものだと叶いもしない願いばかりが頭の中に湧いてくる。
冒険者パーティー聖なる焔は山脈越えを行っていた。来月に控えた賢闘都市アルフのセルヴィナ学園で行われる実技講習の講師を任されているからだ。要塞都市ザントガルツでの依頼を終え移動を開始しているが、アルフへ向かうには大回りして海岸線を進むか、帝都付近から山脈越えをして向かうかの二択が主な道である。帝都に一旦戻りたいというメンバーの意見を汲み、帝都で休憩を挟み、山を越えてアルフを目指すことになった。
何故わざわざ遠いアルフまで行くのか。それは単純に安全で報酬が良いからである。魔物と対峙することもなく、野宿をすることもない。学園特区には有名な飲食店が犇めいていて、食に困ることもない。衣食住が約束されているのだから、冒険者にとってこれほど有難い依頼はない。
どのパーティーでも依頼を受けられるかというとそうではない。学園で講師を務める以上、実力、実績、帝国への忠誠度、そして人間性を求められる。帝国側の定める項目をクリアした者が受けられる名誉ある依頼。聖なる焔のリーダー、カナン・サーストンはそう思う。
聖なる焔が今の地位まで上り詰めるまでには様々な苦労があった。一番記憶に残っているのは、パーティーの名が世間に認知された災害級の魔物カオティックヒュドラの討伐。強固な鱗に覆われ、闇属性魔法以外の魔法は鱗を通じて周りへ受け流す非常に厄介な魔物だった。
討伐したあの日も、今日のような寒空だった……。
―四か月前、港町フィース―
その日、活気ある港町は騒めいていた。
多くの怪我人が町の外から中へと運ばれてくる。良く見ると傷部分が紫色に化膿しているものもいる。どうやら山脈の麓に蛇型の魔物が現れたようだ。そこは町の食糧庫の一端を担う田畑からほど近い場所だ。元素濃度が若干高く食物の成長や実りの良い土地で、魔物はちらほら見られるが、組織的に警戒をしているので脅威にはなっていなかった。
今回現れた蛇型の魔物は町の警備の力を越えてくる存在のようだ。
「姉さん!大変だ!ヒュドラが出たって!」
不意に声を掛けられ振り返ると、海棠色の髪のウルフカットの男性――プロフェント・サーストンが声を荒げながら駆け寄ってくる。彼はカナンの弟で、共に冒険者として生計を立てている。
ヒュドラと言えば硬い鱗に覆われた九つの頭を持つ蛇型の魔物、猛毒を持つ厄介な存在で通常の毒消しでは効果が薄い。
「ユリカ、負傷者の治療を頼めますか?」
カナンの横を歩いていた紅碧色のストレートな髪を持つ女性――ユリカ・カムロギに問いかけた。彼女はこの世界で数少ない閃族の一人。安価な毒消しでは癒せない毒も取り除くことができる。
「ええ、行ってきます。ヒュドラ退治をするつもりなんでしょ?準備は任せたわ」
ユリカはカナンが正義感の強い人だと知っている。魔物が出たら討伐に動くのは何時ものことだ。ただ、無償で行おうとするのでパーティーメンバーに都度報酬は貰うべきだと諭されている。
負傷者に駆け寄っていくユリカを見送り、ヒュドラとの戦いに向けて準備を始める。
「プロフ、ガストンとリアを呼んできて。被害が拡大する前にヒュドラを叩くわよ」
プロフェント――プロフは頷くと宿屋へと駆け出した。
パーティーメンバーが集まるまでに装備と消耗品の確認を済ませ、移動の為の馬車を出してもらえないか掛け合っていた。
遠くからガチャンガチャンと金属がぶつかる音を立てて近寄ってくる足音が聞こえてくる。
「姉さん、お待たせ」
目を開けると毛先に動きのあるボブカットの銀髪のエルフ族の女性――リアスターナ・フィブロと、伽羅色の髪のツーブロックのドワーフ族の男性――ガストン・クロックアーツが戦闘の準備を整えた状態で立っている。
「こっちの準備はできてんぜ。その馬車で向かうのか?」
ガストンはドワーフ族で少年のような見た目をしている。そんな姿でオラつくようなしゃべり口調なのが難ともミスマッチだ。背伸びをしている少年のようで可愛らしくもある。だが、この中で彼が一番年長者なのだ。ドワーフの寿命は1000歳程らしく、ガストンは本人曰はく「たぶん350歳」らしい。たぶんという曖昧な表現をされているが、長く生きていると細かい年齢まで覚えておらず、大きな出来事が〇〇年前だから自分の歳は…、という感覚でしか数えていないようだ。
「交渉して今了承を得たところよ。ユリカが戻ってきたら出発します」
「で、肝心のユリカはどこだ?」
少し荒い言葉を扱うリアスターナ。パーティーメンバーからはリアと呼ばれている。剣術と魔法が得意なことから魔剣士を名乗り、その名に違わぬ実力で名声を集めつつある。鍛冶の才も持ち合わせているが、自身が身に着ける装備以外は打つ気はないようだ。
「今、負傷者の治療に出ています。人数はそこまで多くないようですから、暫くしたら戻ってくるでしょう。今の内に回復薬の確認をしておいて」
討伐する魔物がヒュドラともなると、ユリカの回復だけでは手が回らないことが出てくる。毒は特に優先的に治療しなければ、長期戦に陥った時に致命的だ。
「ああ、問題は無しだ」
「カナンが心配性なのは昔からだなー。私は嫌いじゃねーけどな」
ガストン、リアと出会ってカナンはもう十年ほどになる。楽天家な二人を反面教師にしたのか、物事をきちんとこなす計画性のある性格となった。万が一に備えていても、いつもこの二人は難なく仕事をこなす。それだけの実力を備えている。お守り的な意味合いで準備をするのが恒例だ。
「お待たせしました」
治療を終えたユリカが戻って来る。
「魔力の減りはどう?」
ヒュドラ退治に出かけるのだから準備は十全にすべきだとカナンは考える。
「ひどい毒だけに魔法を使ったから大丈夫よ。致命傷ではなかったから回復薬で凌いでもらってるわ」
カナンは頷くと皆を馬車へと促した。
町からおよそ三十分ほど馬車を走らせている。冷たい風が頬を撫で寒さに身体を震わせる。もうそろそろ畑に到着するはず、なのだが、まだ距離があるというのに異様な光景が広がっていた。
ヒュドラは大きくても三メートルほどの大きさが一般的だが、明らかに通常の個体よりも大きい上に何故か二本の足が生えていた。大きさだけならまだ良かった。もう一つ明らかにおかしいのが鱗の色が違う…。通常は深緑色だが目に映るそれは黒い鱗をしている。
上位種?いやいや、ヒュドラに上位種がいるなんて聞いたこともない。元素を取り込み過ぎて性質が変化した特異種かもしれない。
「見たこともない色したヒュドラだな」
リアが言葉を漏らす。
「長年生きてきてあんな姿なヒュドラは初めてだ。おめーらが見たことないのも無理もあるまいて」
最年長のガストンでさえ見たことがないらしい。通常のヒュドラでも厄介な存在なのに、特異種ともなると攻撃の予測がつきにくい。強力な新種の魔物と戦う覚悟が必要になる。逃げるなんて選択肢は毛頭ない。フィースは帝国の主要都市からはどこも離れている。支援を待っていたら町が一つ消し飛ぶ。
「覚悟を決めて行くしかありませんね…」
カナンは馬車を止めるように指示を出す。ヒュドラまではまだ距離がある。でも、これ以上近づけば巻き込まれる可能性がある、ここからは歩いていかなくては…。
「私達は全力で挑みますが、万が一私達に何かあれば避難してください。西に向かっていただければザントガルツに辿り着くはずです。その時は討伐隊の派遣をお願いしてください」
御者は頷き「ご武運を」と声を掛けてくれた。
馬車を降りた聖なる焔の一行は、特異種のヒュドラを目指す。
ヒュドラまでおよそ二百メートルの位置で戦闘の準備を始める。
「まずは俺とプロフで遠距離から攻撃を仕掛ける。こっちに引き付けてる間にカナンとリアは距離を縮めろ」
「了解!カナン、攻撃が始まったら駿動走駆で一気に距離を詰めるよ。遅れるな」
「わかりました」
ユリカはムーバル――移動速度向上と、インパクト――物理攻撃力向上、ブラスター――魔法攻撃力向上をカナンとリアに三つ支援魔法の掛ける。
「迅牙、鋼の矢」
ガストンは武技を発動させ弓と矢を強化した。
「プロフ、行くぞ!派手な一撃でこっちに意識を引き付ける!」
「はい!フルメシアを放ちます!」
杖を前方へと構えるとプロフは上級火属性魔法フルメシアを放つ。灼熱の炎が杖の先端から炎の塊となってヒュドラに飛んでいく。
「殻打衝撃射!」
プロフの炎の塊を目隠しとして利用し、ガストンは矢を放った。放った矢には、地の元素を集める性質が付与されており、進むほど元素を集め対象に投石で撃たれたような衝撃を与える、矢というよりも岩に近い攻撃である。
「駿動走駆!」「駿動走駆!」
二人の攻撃を合図に駿動走駆――風の元素を足に纏い移動速度を強化する武技を使用し、左右二手に分かれてカナンとリアは走り出した。
プロフが放ったフルメシアは、九つの頭を覆うほど広範囲に展開されており、ヒュドラの全身を襲う。
時間差でガストンの岩の如き矢が胴体に着弾。衝撃でヒュドラの身体が若干後ろへと流れる。
ヒュドラの頭の一つが口を開き、ガストン達の方へ闇の塊を撃ち出した。速度はそこそこ出ていたが人が一人覆えるくらいの大きさだった為、後方の仲間達は難なく避けている。
距離を詰めたリアの剣が煌めく。
「斬皇牙!」
発動された武技による二連撃。振り下ろしの一撃後、手首を返してもう一振り斬りかかる。あっけなく斬り飛ばされる首。斬り落とした首の切り口をフランツで焼き切る。
ヒュドラは生命力に溢れた魔物で、首を飛ばしても切り口を焼かないと首が生えてきてしまう。リアが取った行動は、ヒュドラと対峙したことがある者なら誰もが取る行動だ。
通常のヒュドラならばそれで良かったが……。
手応えがあったのに何故か嫌な予感がリアの脳裏に過る。一旦距離を取りつつ、今しがた斬った首の切り口に目をやると、断面が盛り上がってきていることに目が留まる。次の瞬間、断面から頭が飛び出してきた。
「な!再生しやがった…。カナン!やっぱりこいつは普通じゃねえ!何時ものやり方が通じない!気を付けろ!」
リアの叫びにカナンは斬撃から魔法攻撃へ手段を変えようとする。鱗が黒いなら闇の元素の影響を受けていそうだとカナンは考えた。初級光属性魔法ルイズを首の一つにぶつけてみた。
ヒュドラは嫌がる素振りも見せずにカナンに嚙みつこうと口を大きく開けて迫ってきた。
光属性魔法が効かない?あの鱗、闇の元素の影響ではないの?そうじゃないでしょ!魔物なのに光属性の影響を受けないなんて……魔法が無効化されている?試してみなきゃ…。
カナンは口の中目掛けてフルメシアを放ち、横へ飛び退き攻撃を避ける。ヒュドラの口の中に上級火属性魔法が広がり、首がぷくーと膨れ上がり…元に戻る。
それだけ!?全然ダメージが入っている気がしないじゃない!
「光属性も火属性も、もしかしたら魔法がダメなのかも!」
カナンはリアへと情報を流す。
「魔法が効かない。首は斬れるが再生する。どうやって倒せってーんだ!」
言葉とは裏腹にリアの表情は笑顔で満ちている。
首に意識をやりすぎていたせいで、リアは迫りくる尾に気づいていない。
「リア!尻尾!」
リアは短いカナンの言葉を瞬時に理解し「硬殻防壁!」を発動させる。硬殻防壁――魔力で全身を包み地の元素を集め殻のような防御壁を作り上げる武技、を駆使してヒュドラの尾の攻撃を凌ごうとする。
鋭く鞭のようにしなる尾がリアの身体を吹き飛ばす。
「リア!」
尾が直撃したことにより硬殻防壁は一瞬で崩れ去る。尾の直撃は免れたが十メートルほど吹き飛ばされリアは地を跳ね、転がっていく。左腕が地面に衝突したのか血をだらりと流れる。迷わず回復薬を使用し、ヒュドラへと向き直す。
追撃をかけようと顔の一つがリアを目掛けて突っ込む。
後方から黄色に輝く矢が現れ、ヒュドラの頭に着弾、後方へと吹き飛ばした。
矢張り物理なら攻撃は通るようだな。
リアは戦いながらも情報分析に思考を割いている。今までの攻略法が通じない以上、情報を集めるのを優先する。有効打が自分達に有るのか無いのか、そこを探らなければジリ貧だ。いずれ全員ヒュドラの養分になってしまう。光と火。通常のヒュドラなら弱点であろうものが効かない。
「このヒュドラには魔法の類が効きそうにない!私達が斬り合って弱点を探ってみるが無理なら一旦退却して立て直しが必要かもしんねーぞ」
リアが後方の仲間へと情報を伝える。後方の三人は徐々に近づいてきていたようで、もう目と鼻の先にいた。
「何よそれ。倒せるの?」
ユリカが語りかけつつ初級回復魔法ミライズをリアにかけ、マグナ――物理防御力向上、ムーバルの支援魔法を掛けなおす。
「やってみなきゃわからねえ。が、やるしかねえ」
「まったく…、リアは命がかかると笑顔になるのやめた方がいいわよ。気持ち悪いから」
リアは自分でも気づかないうちに満面の笑みになっていた。
「なーに、俺達みたいな長生きするヤツには良い暇つぶしの相手になるってもんだ」
「おいガストン。私を一緒にするんじゃない!私はこう見えてもまだ100歳だっつーの」
ガストンに対して不満を撒き散らすリア。支援魔法ももらっているのに動こうとしないリアにプロフが強めにツッコむ。
「あのー!お二人とも、姉さん一人で戦っているのでさっさと合流しますよ!」
駄弁っているガストンとリアを置いて、プロフとユリカは歩き出す。
「あれは私と遊ぶんだよ。駿動走駆!」
武技を発動させ、勢いよく飛び出していくリア。
「また突っ込んで行ってるな。しゃーなしだ、殻打衝撃射!」
ガストンの矢がヒュドラの胴体に衝撃を加えようと突き進む。
何度も同じ矢を受け続けたヒュドラが矢が飛んでくるのを察知する。一つの頭を矢に頭突きをするように飛び出してくる。
ゴンッ!と鈍い音を響かせ威力を相殺させた。脳を揺さぶったのか、頭は力なく地に落ちていく。
別の三つの首がカナンに向かって伸びていく。正面から噛みつこうとする頭をカナンは剣で受け流す。手と足を止めたところに、別の頭が口から放った炎弾が勢いよく飛んでくる。カナンは受け流しで重心を低く構えており、瞬時に移動ができる状態ではなかった。手を翳しフルメシアを発動させる。飛んでくる炎弾に、ほぼ同じ大きさの炎弾を叩きつけ相殺。ぶつかり合った火の元素の放流が衝撃となって身体を襲う。吹き飛ばされる瞬間に後方へ飛び退き体勢が崩れるのを防いだ。そこに三つ目の顔が現れた。噛みつくわけでも、地面に叩きつけるわけでもなく、跳躍中のカナンの目の前で口を開くと闇の塊を吐き出した。
まずい!避けられない…。
空中では躱すことができずに真正面から闇の塊を受け、その衝撃で吹き飛んだ。すぐにその場を離れなければヒュドラの追撃が来てしまう。身体に力を入れて立とうとする。
「がぁっ!!」
闇の塊を受けた腹部を中心に激しい痛みで思わず声が漏れる。咄嗟に視線を腹部に移すと、身に着けていた鎧が溶け、腹部の肌の表面が爛れ青紫色に変色している。ヒュドラの猛毒。瞬時にカナンは理解し、毒消しに手を伸ばそうとする。
この機を逃すまいと三つの首がカナンの肢体目掛けて口を開く。
カナンの瞳には迫り来るヒュドラの牙が鈍く光ったように感じられた。自分の身にこれから起こるであろう凄惨な姿を想像したため、そう見えたのかもしれない。思わず目をギュッと瞑る。衝撃は……軽いものだった。
駿動走駆で駆け抜けてきたリアがカナンを回収、肩に担いでユリカの元へと駆け出していた。
「間一髪、でもないか。ユリカのところまで戻るからそれまで我慢しな」
「…ご、ごめん」
目標を失ったヒュドラが地響きを鳴らしながらリアとカナンを追いかけてくる。
プロフはグラストを発動させると、ヒュドラの周り一帯を地割れ状態にする。進むヒュドラの身体が地割れでできた穴に挟まった。
その隙にユリカの元に辿り着きカナンを任せる。
「ユリカ!解毒は任せた!」
乱暴に投げられるカナン。ユリカは慌ててキャッチするも、女性といえど装備を身に着けた状態では重い。ましてや投げた勢いも乗っているため、カナン諸共盛大に倒れ込む。
「怪我人を投げるなー!」
ユリカの講義も気にも留めず反転、まだ抜け出せていないヒュドラへと駆け出す。いくつかの頭を支えに抜け出そうとしているが、不安定な大地が邪魔をし苦戦をしている。正面を向いている顔がリアの動きを補足しており、闇の塊をリアに向けて吐き出した。直線的な動きでしかない攻撃を横へ飛び退き避け、更に距離を詰めていく。
ヒュドラの全身を包むほどの巨大な光が突如として現れる。
魔法の類は効かないと伝えてある以上、これはヒュドラに対しての目眩まし。リアの動きに合わせてプロフが放ったのであろう。この機を逃さずリアは仕掛けた。起き上がる為に支えとしている首に向かって武技を発動させる。
「炎陣裂破!」
剣に魔力と火の元素を纏わせ、身体を一捻りさせたあと身体を戻し、遠心力で身体を横に一回転させながら剣を振り抜く。魔力の斬撃が広がり首を斬り裂いた。首との摩擦で火の元素が熱に反応し着火。首の断面を焼いていく。
光の霧散と首の再生を警戒しリアはすぐに後方へと距離を取る。
光は消え、起き上がるヒュドラ。激しく吠え怒っているように見えた。ヒュドラのすべての口が開き、闇が生み出される。
一つの頭だと無理だからって今度は全部の頭かよ!
先ほどカナンを蝕んだ闇の塊を見ているだけに、絶対に浴びてはならないと強く思う。
ヒュドラの口から広範囲に毒が吐き出された。
そこでふとリアは気づく。
首が一つ足りない。
すべての頭で攻撃すると見せかけ、何か仕掛けてくる!皆にこの事を伝えなければ……。
「頭が一つな…」「首が一つ再生していません!」
リアの声に重なるようにプロフが叫んだ。
咄嗟に視線を首元へと向けるリア。再生するものだと認識していたため、確認が疎かになっていた。
確かに首の一つが斬られた状態で再生していない。
「何やってる!回避が先だろ!飛べ!」
ガストンの檄が飛び、聖なる焔の面々は駆け出し飛び退く。闇に飲まれたメンバーはいない。先ほどまで居た場所には大きな穴が空いており、直撃していれば姿形残さず溶けて消えていただろう。
カナンの鎧も溶かしていた。単純な毒じゃねーな。相当な量の酸も混ぜてやがる。首を飛ばせた謎を暴いて早めに方を付けねーとまずそうだ。
思考を巡らせるとヒュドラへと駆ける。
普通に斬って焼くだけだと首はすぐ生えた。武技で焼いたとはいえ、炎を発生させた根源はどちらも火の元素。プロフが光属性魔法を使っても視覚を瞬間的に潰しただけで、カナンが言っていた通り光に対してダメージが入っている気配がまるでない。なら……。
ガストンが頭の動きを阻害するように、いくつもの矢を放っている。地の元素を纏わせているだけあって、当たる度にヒュドラの頭はぐらつく。地味ながら着実にダメージを蓄積できている。
『駿動走駆」
リアは移動速度を上げ一気にヒュドラの足元へと滑り込む。股の間を滑り抜けながら、初級闇属性魔法スヴェンを発動させ、闇の刃でヒュドラの足を斬りつけ、背後へとたどり着く。
ヒュドラは膝から崩れ、身体を傾ける。予想外のダメージだったのか尾が跳ね鞭がしなるように左右に何度も往復する。
突然の尾のうねりがリアを襲う。反射反動――認識してから身体が反応するまでのタイムラグを減らし即応する武技――で反応速度を上げ、剣で威力を受け流しながら尾の動きに合わせて自ら飛んだ。動きを合わせことでぶつかる衝撃を軽減し、今度は受け身を成功させる。
どんな反応を見せてくれるか実験的に闇属性魔法を放って見たが、そこまで喜んでくれるとは思わなかったぜ!あんな黒い鱗に猛毒を吐く蛇ヤローの弱点が闇属性とか、どんだけ弱点を隠したかったのか。でも攻撃は通るが初級しか使えねーのが難点だな。
離れた位置にいたガストンの目にも闇属性で傷つくヒュドラの姿が映っていた。
「おいおい、何の冗談だ?あんな闇属性っぽいのが、闇属性が弱点なんかよ!」
意外な弱点に、ガストンが吠える。
表面上に現れる色は元素との親和性を表してることが多い。人間で例えるなら最も顕著なのが髪の色。髪の色さえみれば、その人がどんな元素の扱いに長けるのかが察することができる。元素の影響が出ない者もいるが、そういった者は生まれつき魔力が多かったり、先天的な才を持つことが多い。
目の前にいるヒュドラにも同じことが言える。黒い鱗をしていれば、闇の元素に親和性が高いと思うのが普通である。ましてや魔物は闇の元素に好かれやすい。
「でも闇属性の魔法を扱えるのリアさんだけで、確か初級だけでしたよね?」
プロフが冷静に事実を告げる。
「そもそも扱える人がそんなにおらんからなー」
人間で闇の元素を扱える人間は極端に少ない。その理由は未だに解明されていない。
「あら、ヒュドラの首が一つ落ちてるわね」
治療が終わったカナンが二人の横に立ち状況を確認している。腹部の鎧が溶けている為、白く透き通る肌が覗いている。
「おお、ようやく復活か?リアが一人で捌いておるから、さっさと合流してやってくれ」
カナンは頷く。
リアには借りができちゃったわね。
「それで、首の落とし方はわかったのかしら?」
情報をもらっている間に、ユリカがムーバルとインパクトの支援魔法を掛けてくれる。
「プロフがルストローアを使ってリアが武技で斬って焼いたら落ちた。あと、弱点は闇属性らしい」
ガストンが要点だけまとめて伝えてくるけど、「は?」の一言だけしか返せなかった。とんでもなく間抜けな顔をしていたと思う。ユリカは闇属性が弱点のヒュドラがどうやら納得がいっていないらしい。「魔物なら闇属性くらい耐性持ってなさいよ!」とご立腹である。弱点が無い方が困りそうなものなんだけど…。
弱点はわかったけど、私には闇属性魔法は使えない。
「私は闇属性なんて使えないし、斬り飛ばして断面を焼くことに全力を注ぐわ」
「リアがダウンする前に頼む」
頷くと駿動走駆を発動させて駆け出す。走りながら愛剣の状態を確認してみたけど、刃こぼれが所々あるけど戦闘には問題はなさそう。
「プロフ、もう一発ルストローアを頼めるか?さっきの状況を再現したい」
プロフは頷くと駆けて行く姉に視線を送る。
「姉さんの攻撃にタイミングを合わせますね」
ユリカが支援魔法のブラスターをプロフにかける。
「光属性は効かないって話だけど、一応ブラスターは掛けといたわ」
「さあ、どう転ぶのか見ものだな」
激しく動く尾を黙らせないとまったく近づけねえ……。
未だ立ち上がれないヒュドラを見て、リアは尾の根元に向け再びスヴェンを放つ。闇の刃は突き進み、尾の根元付近まで飛んだところで動く尾に当たり阻まれた。尾の動きが止まり、再びヒュドラは叫ぶ。
魔法が外れたことを確認すると、ヒュドラの身体の側面に回り込むように移動を開始する。
一人はぐれている状況は良くない。せめて連携の取れる位置まで戻らねーと。
リアが移動し始めるとヒュドラが再び光に包まれた。
先ほどと似た光景。リアは瞬時に首への攻撃へと切り替える。
「駿動走駆!」
一気に距離を詰め炎陣裂破で再び首を斬り落とし断面を焼いた。
光が霧散し、リアは瞬時に首の再生があるか確認する。
「はは、復活しねーでやんの!」
これで落とした首は二つになった。
いや、どうやら三つになったらしい。
いつの間にか戦線に復帰しているカナンの姿があり、同じタイミングで首への攻撃を加えていた。
「これで再生の謎が解けたな!」
「そうね、光の元素に包まれている間は再生することができない。これで合ってる?」
「正解だ!原理はわからねーが、光属性魔法はダメージを与えられないが再生の阻害ができる。謎が解けちまえば簡単よな。これでこのヒュドラはもう終わりだ!何てったって私達は!」
「「聖なる焔!!」」
二人の言葉が重なり、弾けるように行動に移る。
リアはルイズを首元へ放つと三度「炎陣裂破」で首を落とす。
これで残りの首は五つ。
怒り狂うヒュドラはリアに的を絞りすべての顔がリアへと向く。
ヒュドラの視界から外れたカナンがこの隙を逃すはずがない。
カナンが天から与えられた唯一無二の力を発動させる。
― 迸る『聖火』の導きを 我が手に ―
詠唱にも似た聖句をカナンは言葉に紡ぐ。
剣に白き炎が絡み付き纏っていく。
変化があるのは剣だけに収まらない。髪が毛先に向かうに連れ灰色に徐々に変化するグラデーションカラーになり、瞳の色も灰色へと変化した。
天技のすべてが外見の変化を伴うものではないが、聖火には変化が現れる。聖火発動状態では元素を濃く纏うことによって身体能力が強化される。効果は絶大だが元素の扱いに関わる魔力の消費量が跳ね上がる為、カナンは切り札的な使い方をしている。
「聖火よ、その首を薙ぎ払え!」
剣に纏う白炎が魔力で伸びていき七メートルほどの巨大な一太刀となる、
ただ力任せに横一文字に剣を振り払った。
視覚から聖火の刃がヒュドラに迫る。ヒュドラはリアに闇の塊を吐き出そうと口を開いていたが、聖火の刃にすべての首を薙ぎ払われ、作られた闇は地面へと零れ落ちる。動きを止めるヒュドラ。カナンが動きを止める気配はなかった。振り払った腕を引き戻し聖火の刃を振りかざす。
ヒュドラの魔力が尾に集まり尾が形を変えていく。尾の先は二股に別れ、間に刃のような鋭い物質が生えてくる。先端部分は膨れ上がり、二つの目が出現した。尾が変化したのは十個目のヒュドラの顔だった。
しかし、カナンは驚かない。聖火によって強化された肉体は、魔力の流れにも敏感になる。魔力の流れを感じ取り戦闘態勢を維持し続けていた。
ヒュドラの口が開き巨大な炎の塊が形成されていき、カナン目掛けて放たれる。
迫り来る巨大な炎を前にカナンは動じない。振りかざした聖火の刃を、炎の中心を斬り裂くように振り下ろす。聖火と炎の塊がぶつかる。
徐々に小さくなっていく炎の塊。反対に聖火は巨大に膨れ上がっていく。炎同士がぶつかれば本来は相殺され火の元素が弾け飛ぶ。だが聖火には同属の元素を取り込む性質がある。聖火はその名の通り光属性と火属性の複合属性である。カナンに向かって放たれた巨大な炎の塊は、言ってしまえば聖火の燃料そのもの。だからカナンは動じず刃を振り下ろすことができた。
聖火への元素の還元率はそこまで高くない。吸収できなかった炎は聖火の刃によって吹き飛び、巨大となった聖火がヒュドラの身体を跡形もなく消し飛ばした。
「お疲れさん」
リアがカナンへと労いの言葉をかける。
「本当に疲れたわ」
聖火状態が解除したカナンは何時もの姿に戻る。唯一毒をもらっていることもあり、疲れた表情を隠せない。解毒され見た目だけなら回復しているが、気力も体力も消耗しきっている。
「辛勝も辛勝だな」
苦戦を強いられたがリアは何故かご機嫌だ。
「カナン、リア、お疲れ様。今、回復するからね」
後衛組も合流してたようだ。
ユリカはミライズで戦闘でついた細かい傷を治していく。女性の身体に傷がついたままの状態なのが同性として気になるらしい。身体に傷がついてから回復魔法や回復薬で治すまでに時間が空いてしまうと、傷跡として残ってしまうことがある。自然治癒で組織の結合が強くなりすぎると、その部位は快復している状態と定義されるようで回復の対象外になる。閃族の回復魔法の研究で、そう定義づけられている。
ガストンは戦場の傷跡を見回す。畑には地割れや大穴。ヒュドラを倒した場所に至っては毒まで地に沁み込んでいる。当面ここで緑は育たないだろう。別の場所に畑を耕す必要がありそうだ。フィースの今後の食糧事情を思うと心が痛む。
ふと、ガストンの視界にヒュドラの首が一つ転がっているのが映った。
「ヒュドラの素材はあれっぽっちか……。もう少し手に入れば魔法への対抗策が伸ばせたのにな」
「贅沢は大敵ですよ、ガストンさん。今は命があることに感謝すべきです」
プロフは穏やかにガストンに言葉をかける。本心でそう言っていないことはプロフも理解している。特異体のヒュドラを倒せた喜びと、大地が荒れた辛い現実。複雑な感情を前向きに捉えようとした結果の言葉だ。だからこそ、プロフはあえてその言葉に乗っかっただけ。
「さあ、帰りましょうか」
カナンの言葉に一同が頷く。
遠くで戦闘を見守っていた馬車の御者が手を振り迎えに来てくれる。誰一人欠けることなく港町フィースに帰還することができる。聖なる焔の面々は穏やかな顔で馬車に乗り帰還するのだった。
残してきたヒュドラの首は、聖なる焔が帰還後、村の衆で町まで運び素材へと解体される運びとなった。素材の一部を聖なる焔へ、残りの素材は特異種のヒュドラということもあり、町長が帝国への献上品としてヒュドラの黒い鱗、牙を帝都へと運び、聖なる焔の活躍は帝国中へと広まっていくことになる。後に特異種のヒュドラはカオティックヒュドラと命名される。
― 帝都~アルフ間の山脈 ―
寒空と結びつくようにカオティックヒュドラとの戦いが記憶されているため、時折あの戦いを思い出し空を見上げてしまう。
「おい、カナン。ぼけっとしてると置いてくぞ」
リアは何時でもどこでも元気である。生きることを楽しんでいるように感じられることも多い。色々なことに首を突っ込んではトラブルを持ち込むこともあるけど、一緒に冒険していけることを嬉しく思う。
「いつもこっちが待ってあげてるでしょ?偶には待ちなさいよ」
リアに文句を垂れながら一歩一歩、着実に歩を進める。
アルフに着いたら、甘くて美味しい紅茶と果実たっぷりのケーキを食べなくっちゃ!山脈越えしてるんだし、カロリーなんて気にしない。キニシナイ。
「学園特区にあるお洒落なカフェ教えてあげないわよ?」
お洒落なカフェという言葉にリアは足を止める。笑顔で振り返りカナンへと言葉をかけた。
「足元気を付けろよー!ゆっくりでいいからな!ゆっくりで!」