ep.104 水の継承者
闇夜を妖しく照らし出すオレンジ色の炎が舞い、姿形を変えながら形あるものを蹂躙する。木材が燃え、ベッドに移り、カーテンを灰に変えていく。大気を焦がす熱気と焦げ臭さが渦巻き、逃げ惑う人々は混乱の中にいた。
ティアニカが血相を変えて駆け出した。
「ちょっと!?ティアニカっ!!」
リアもまた、ティアニカの後を追う。
アパートを包む炎は勢いを増し、窓ガラスが吹き飛んだ。酸素の供給を受けた炎が窓から噴き出す。窓の開いている隣の部屋のカーテンへと広がり始めた。
「俺の、俺の部屋がぁぁぁ!?」
40代後半のおじさんが頭を抱えて叫び出す。避難した住民と野次馬達が水属性魔法を放っているが、もはや並みの水属性魔法では消火は間に合わない。
ティアニカが入口に差し迫ったところで、リアがその腕を掴みその場に留める。
「危ないでしょ!?離れて!!」
「放して!!部屋にはまだっ!!」
必死な形相に、部屋に誰か取り残されているのかとリアは焦燥感に襲われた。
「50年もののお酒が取り残されてるのよ!!まだ間に合う!!私ならやれるわ!!」
ティアニカの残念な発言に、リアの表情はスンと消え、腕力に物を言わせて引きずるようにアパートから離れていく。
「あぁっ!?私の、私のお酒がぁぁっ!?」
暴れるティアニカの抵抗も空しく、二人は野次馬の中へと遠ざかる。
ティアニカ、貴女、ただの酒カスだったのね……。
アパートは全焼する、誰もが諦めかけたその時、宙を突き進む水の波が押し寄せた。燃え盛る炎を薙ぎ払い、部屋の中へと押し入って行く。だがそれも焼け石に水。絶対的に水の量が足りていない。
道を挟んだ建物の屋根の上。そこにひとつの人影があった。鴨頭草の髪をスジ盛りにしたロン毛の男――ウルシンキ・ホブランは放った水が一時的に炎の勢いを削いだことに納得し、青く透き通るロングソードに魔力を込め言葉を紡ぐ。
― 包み込むは青の息吹 暴虐たる行いに戒めを
願わくば 安らかなる眠りを与えたまえ アーリアル ―
青き剣に水が纏わり付いていき、魔力を吸い上げ輝きを放ち始めた。蠢く炎とは対極の青の輝きに、集まった者達の視線が集う。
ブゥンッ。
青き剣が真横に振るわれる。水は刃から飛び出し、まっすぐ燃え盛る炎へと突き進む。水量は先ほどの水と大差はない。誰もが同じ結果が繰り返されると思ったその時、水は大きく膨れ上がった。うねりながら進む姿は、空を翔る大波。ティアニカの部屋へとぶつかると、一気に水が窓へと侵入していく。壁に当たり弾けた水でさえ、まるで吸い込まれるように再び窓を目指して進む。地上に一滴の水も落とさぬ大波は、ウルシンキによって完全に制御されていた。ティアニカの部屋を鎮火させると、水はまるで蛇のように窓を通り抜け、飛び火した隣の部屋へと滑り込んでいく。炎は呑まれ、力無くその姿を消滅させた。
歓声が沸き立つ中、ウルシンキは視線を巡らせ残り火が無いか確認する。
「うん、鎮火完了っと」
青き剣を鞘に戻すと、人込みを避ける為に屋根伝いに移動し、街の中を駆け巡る。
亡者で忙しいってのに、火事まで起こす馬鹿がいるなんて堪んねえっての。さっさとクソして寝ればいいのにな。
心の中で悪態をつき、長い髪を靡かせながら街の巡回へと戻って行った。
あの男、タイミングを計ったかのように現れたけど何者なの……?
去る鴨頭草の髪の男の姿を見送っていると「ウルシンキ様々だ」手を合わせ拝むおじいさんの姿が目に留まった。どうやら街の住民には名の知れた男のようだ。
ウルシンキ、それがあの男の名前らしいわね。手際の良さといい、魔力の制御といい、ただ者ではなさそうなのは確かだわ。
部屋が水に呑まれたティアニカは、地面に四つん這いとなり嘆く。
「私の、私の部屋がぁ……。私のお酒がぁぁ……」
「命があっただけ良かったでしょ?これに懲りたら火の取り扱いには注意しないと」
ティアニカの顔がぐるりと回りリアを捉える。涙を零すその目には、哀しみと怒りが織り交ざっている。
「私がそんなズボラに見える?あれはきっと放火よ……。許せない……」
徐に立ち上がると、とぼとぼとアパートの中へと入って行く。
「ちょ、ちょっと!?」
慌ててリアもその後を追った。
集合住宅ならではの並んだ郵便受けの脇を通り過ぎ、階段を登り通路を進む。一番奥の扉――だったものの前にティアニカはいた。呆然と部屋の方を向き立ち尽くしている。木と鉄板でできた扉は燃え変形し、水の圧力の影響か、大きく拉げている。熱で変形して入れないよりかはマシなものの、扉の奥の光景は惨たらしい惨状だった。ベッドやカーテンは焼け落ち、クローゼットや箪笥の中まで燃えてしまっている。動けず固まってしまったティアニカをその場に残し、リアは無事なものの回収へと初級光属性魔法ルイズで照らしながら中へと踏み込んでいく。鎮火して間もないせいもあり、壁や天井は煤けていた。ハンカチで鼻と口を覆いながらでも焦げ臭いのが伝わって来る。どうやら出火元はベッドの横に置かれていたソファとテーブル辺りからのようだ。激しく燃えたせいか、原形をほとんど残さず金属部品と灰だけを残して空しく朽ちている。部屋の中央から燃え広がったことで、満遍なく部屋が焼かれてしまっていた。
あれは……?
ふと、金属製の棚があることに気付き近寄ってみれば、飴細工のように様々な形をした瓶だった塊が並んでいる。
ティアニカが言ってたお酒って……。
高級酒ともなると化粧箱に入っている。そのまま部屋で保管していたとするなら、燃え尽き、中の瓶の形状が変わり、中からアルコールが飛び出し引火したことが容易に想像がついた。
リアはそっと目を伏せ、ティアニカを連れて宿へと連れ帰って行く。その日、意気消沈のティアニカを抱きしめ眠りについたという。
― 王都アルアスター壁外 本部 ―
ストラウス山脈から溢れ出た亡者は、ククノチの森を抜け王都へと押し寄せる。これに対し、王国軍は王都の内外を昼夜問わずに警戒態勢を取っている。夜間は王都の門が締まる為、壁外に本部を置き、夜間の戦闘に備えているのだ。
「ほら、歩け」
兵士に押され、男は兵士を睨みつけ渋々本部のテント内へと歩いていく。男の両手は後ろ手で縄で結ばれ、魔封石と呼ばれる魔力を乱す石をあしらったチョーカーが取り付けられていた。テントの中は簡易的なテーブルと椅子が並べられた空間が広がっており、中央にウルシンキ・ホブランが座り、指を組んだ状態で入ってきた男へと視線を移す。
「先刻の火災の一件について報告します。目撃者の証言から、物陰から燃えたアパートを覗いていた放火の犯人らしき人物を捕らえました。問い質したところ、犯行を認めた為拘束し連れて参りました」
赤みがかった短髪の男はまだ若く、20代前半といった風貌である。
「なぜ放火をした?」
ウルシンキが率直に問うと、男は薄ら笑いを浮かべ、まるで誇るように語り出す。
「愛しているからさ。彼女と僕は結ばれる運命にあるのさ。なのに頑なに僕と同棲してくれない。そこで僕は思ったのさ。帰る家さえ無くしてしまえば、彼女は僕の部屋に来る口実を作れるってわけ。男の部屋に入り浸る女って思われることなく、住む場所を失くして仕方なく男の下へ向かったって体裁も整えられるだろ?これで四六時中一緒にいられるんだ。彼女も喜んでくれるさ」
ウルシンキはため息をついた。この手の話は幾度か聞いてきたことがある。というのも、ウルシンキは本来市民の安全保護部隊の隊長を務めている。治安維持から防災、調査まで手掛ける救援隊として活動しているものの、昨今の竜討伐から端を発する亡者の一件以来、活動拠点を壁外へと移し、王都の内外の巡回、亡者への対処をする運びとなったのである。市民の相談の中には、つきまといによる相談も数多く存在した。その多くは思い込みが激しいことが原因であった。自分は愛されている。これは愛情表現だ。相手も喜んでくれている。幾度となく聞いた言葉であり、好意を向けられた方は堪ったものではない。この手の類は証拠を押さえ辛く捕まえにくい。だが今回は実害が出ている。
「出火元は室内だそうだが、どうやって侵入した?窓か?」
男は鼻で笑う。
「愛し合う者同士、合鍵があるのは当然だろ?何を馬鹿なこと聞くんだ」
再びため息をつくウルシンキは男の発言を無視する。
「一夜、この場に拘留した後、明朝王城に連行し引き渡す。連れて行け」
「ハッ!!」
男の高笑いが遠ざかり、ウルシンキは深く溜息をついた。
「ティアニカさんが死んだ魚の目をしている」
翌朝、食堂に降りて来たカミルが目にしたのは、リアとアリィに挟まれた、首の座らないボサボサな金髪頭のティアニカだった。それどころかメイクすらしていないすっぴんなのだ。
「ほら、男衆。今はこっち見ないであげて。ティアニカは今傷心中なの」
離れた席で珈琲を啜るニステルは、相変わらず我関せずを貫いていた。
「ニステルさんの方へ向かいましょう」
同じタイミングで降りて来たククレストに促され、ニステルの横に座った。
「ティアニカさんどうしたの?」
「部屋が燃えたとか何とか喚いてたな」
「え?」
ククレストは拳を顎に添え「そういえば」思い出しながら語り始めた。
「昨夜、西方で火事が起きたとか小耳に挟んだんですよ。そこが彼女の部屋だったのではないでしょうか?」
「それは……」
そうもなる。住む場所が失くなっただけじゃない。お気に入りの服も家具も、思い出深い物たちが一夜にして消えてしまったのだ。
「今日は仕事を休んで、新しい住居を探しましょ?」
「うん、そうするわ……」
住居探しは大変な作業だ。自分の望む立地や間取りなどを実際に空いている部屋と擦り合わせて妥協しなければならない。ましてや女性の一人暮らしともなれば殊更だろう。
「ねぇニステル。どこか良い物件ないの?」
「俺はお前達と皇国に行ってたんだぜ?そうじゃなくても、俺は親から引き継いだ家を持ってるんだ。物件情報なんて探すわけねぇだろ」
尤もである。
「それじゃあ、ニステルの家を貸してあげればいいんじゃない?」
ニステルがカミルを睨む。
「おい、なんで俺がエルフの女を家に引き込まないといけないんだ?」
「いや、そうじゃなくってさ。これから俺達は霊峰に向かうわけじゃん?その間、仮の住まいとして使わせてあげたら?て提案だよ。2~3ヵ月は家を空けるわけじゃない。それだけの期間があれば次の住居は決まるって」
リアが指を鳴らしカミルの提案に食いついた。
「それは良い案ね。どう?ティアニカを住まわせてあげるのは?」
ニステルの視線がティアニカを捉え、リアへと移る。
「お前は男の家に泊まれと言われて止まるのかよ」
「それは……」
リアは言い淀むも「状況が状況なわけだし、背に腹は代えられないわ」妥協案的に受け入れるだろうと告げる。
不意にティアニカの顔がニステルへと向いた。
「ご迷惑でなければお願いできませんか?」
力のない目で懇願され、さすがのニステルも哀れに思ったのか「家の掃除をしてくれるのなら考えなくもない」歯切れの悪い言葉が漏らし、視線が宙を彷徨った。
「よし、決まったわね」
ティアニカの返事を待たずにリアはさも決まったかのように振る舞い、一人喜んでいる。
「おい、俺は掃除をするならって言ったんだぞ?」
「大丈夫よ。ティアニカは綺麗好きだから、ニステルが住んでた頃よりも綺麗になってるわよ」
「あん?お前は俺の家に来たことがねぇだろうが。勝手に汚い印象持たれるのは心外だぞ」
実際、ニステルは家を大事にしている。両親との思い出の詰まった場所だからこそ、綺麗な形で残しておきたいと考えているのだ。
「ははは、お眼鏡にかなうかは分かりませんけど、お借りする以上、誠心誠意努めさせていただきますよ」
住居を確保できたおかげか、ティアニカに表情が戻ってきた。
「触られたくない場所もあると思いますし、ご自宅まで一度ご一緒していただけませんか?」
「構わねぇぜ。どうする?今から向かうか?」
「そうですね。早い時間帯にお伺いできれば、すぐに掃除を始められますが」
「わかった。それじゃ、ついて来いよ」
席を立つ二人が出入口へと歩き出す。
「ニステルが女性の連れ込みに成功してる」
カミルの呟きに「人聞きの悪ぃこと言ってんじゃねぇ!!」即座に抗議する。
「あら、間違ってないじゃない。ティアニカが可愛いからって手を出したらダメだからね」
「出さねーわ!!お前らは俺をなんだと思ってやがる」
カミルとリアは顔を突き合わせると、
「むっつり助平?」「不埒者?」
「違ぇーよ!!!!」
散々な言われようである。
「はぁ、山越えの準備は任せたからな」
気怠そうにティアニカを連れ立ち、宿の外へと消えていくも、ティアニカは焦ったように戻ってきた。
「こんな姿だと外歩けるわけないじゃない!?」
リアが付き添い、髪とメイクを施したティアニカは今度こそニステルの家へと向かうのだった。
「あぁは言っても、ニステルも男の子ですからね~。ふとした拍子に――てこともあり得えそうですよ」
話はニステルとティアニカの話に戻っていた。目を輝かせたアリィが力説する。彼女もまた色恋話には目が無いらしい。
冷ややかな目をしたククレストは「隊長、任務優先です」素っ気ない言葉で諫める。
「ククレストって、つまらない人よね」
シラけた視線を送るも「任務に忠実と言ってください」素知らぬ顔で言葉を受け流した。
「はいはい、きちんとお仕事はこなしますよ」
ガラガラと椅子から立ち上がると、ククレストも倣い従った。
「準備はしといてあげるから、ティアニカさんのことはお願いね」
手を振ると二人は行ってしまった。残されたカミル達は顔を突き合わせる。
「とりあえず、ギルドまで行ってティアニカが休むことを伝えて来るわ」
「うん、付き合うよ。行こう」
それぞれがすべきことに向け動き出す。
ギルドにティアニカの欠勤を告げた帰り道、再び空模様が怪しくなってきた。昨日と同じどす黒い雲。ストラウス山脈から瘴気を吸着し、王都に禍を運ぶ忌まわしき現象だ。
「雨の匂いがしてきたわね。これは宿までもたないかも」
エルフの感覚が鋭く天候の変化を感じ取る。
「水属性魔法を傘代わりにして帰るしかないかな」
この世界にも傘は存在する。だが、長距離の移動でもない限り使われることは少ない。傘の代替として魔法による傘を生み出すことが可能だからだ。主に使われるのは初級水属性魔法スプラだ。扱いも簡単且つ魔力の消耗も少ない。短時間の移動だけなら風さえ強くなければ困ることはほとんどないのだ。魔法で生み出すものであるから、柄すら必要のないお手軽な防雨対策である。
二人は半球型の水の膜を作り上げる。カミル達が水の膜を作るのを待っていたかのように、途端に空が泣き出した。瘴気の溶け込んだ大粒の雨が地面を叩く。人々は水の膜を展開しながらも、少しでも濡れまいと駆けて行く。
生み出した青き水の膜に黒き雨粒が突き刺さる。色が混ざり、徐々に徐々にくすみ始め、仕舞いには黒く染め上げた。
「前に王都にいた時は晴れ間ばっかりだったのにな。これも瘴気の影響なのかな?」
初めてこの世界に訪れてから、王国内で雨が降ったのは数えるほどだった。連日の雨は偶々なのか、瘴気が悪影響を及ぼしているのか判別がつかない。太陽が昇る以上、この星もまた太陽の周りを移動しているはずであり、季節というものが存在していてもおかしくはない。
「悪影響は及ぼしているだろうけど、雨を降らせるものではないし、偶々なんじゃない?」
ダッダッダッダッダッダッダッダッ
「次の角を左に曲がって真っすぐです!!」
カミル達のすぐ横を白衣を着た男女が駆け抜けていく。遠ざかる背中からは焦燥が感じられ、ただならぬ雰囲気であった。
「急病、かな」
昨日も雨が降ったし、きっと風邪でも引いたのだろう。そう思い込むことで不安を掻き消した。
「医者が駆けるってことは、そうなんでしょう」
この雨は長く続き、夜中まで降り続くこととなる。
― フィルオーズ宅 ―
ティアニカは案内された家を見て驚いた。周りの家に比べてこじんまりとしているものの、造りは現代的で洗練されている。所謂、注文住宅の部類に入るのが一目でわかった。そんな家を建てられるのは、裕福な家庭である。亡くなられたニステルの父親は、王国軍の元副兵士長だと伝え聞く。想像以上の収入があったことが窺えた。
「おしゃれな家ですね」
感嘆の声を漏らすと、ニステルの表情が僅かに綻んだ。
「あぁ、親父達の努力の成果だ。自慢の家だよ」
穏やかな表情を浮かべるニステルに釣られ、ティアニカもまた微笑む。
「では、粗相のないように気を引き締めないといけませんね」
「そんな気負う必要はねぇよ。誰かを招くことなんて滅多にないことだ。親父達は喜んでくれるだろうさ」
「それでもですよ」
「そうかよ」
手入れをする人がいない荒んだ庭を抜け扉が開かれた。
「お邪魔します」
玄関を潜ると、そこは開放感溢れる吹き抜けと繋がっていた。降り注ぐ光に照らされ、白い壁紙に反射し明るさをより際立たせている。リディスの習慣を取り入れているのか、玄関で外履きと内履きを変える家庭だったようだ。皇国から帰ってきたばかりだというのに、家の中は埃っぽくもなく、カビの臭いさえもしない。棚の上を触れても、埃が手に付くこともない。手入れの行き届いた家だった。
ニステルさん、案外綺麗好きなのかしら?顔に似合わず家事が得意だったりして?
まめに掃除するニステルの姿を想像し、ティアニカはくすくすと笑った。
「なに笑ってんだよ」
訝しむニステルを「本当に綺麗な家だと思ったまでですよ?」煙に巻く。
「なら、その含みのある笑みはやめろ」
機嫌を損ねたのか、ニステルはそっぽを向いてしまった。
「はーい、気を付けます」
視線を逸らし首を傾げる姿に「ったく……」呆れ顔を浮かべ家の中へと入って行ってしまった。
「あ、ちょっと!?お邪魔しまーす」
無造作に脱ぎ散らかしたニステルの靴と自身の靴を綺麗に揃え、ニステルの後を追う。扉を潜った先にはリビングが広がっており、この部屋もまた綺麗に管理されている。男の一人暮らしのせいか、物は少なめである。そこからキッチン、浴室、トイレなどを紹介され、ひとつの部屋の前で足が止まる。
「ここは俺の部屋だから出入りは禁止な」
誰かに自分の部屋に入られるのは確かに気分は良くない。ましてや男の部屋、女性に見せられないものの一つや二つあっても驚かない。ティアニカはその手の経験はすでにしてきている。以前、面白半分で侵入し、こっぴどく怒られたことがあった。人のプライバシーを侵害したのだから当然といえば当然だ。
「エッチな本の一冊や二冊見つけても驚かないから大丈夫よ?」
「そういう問題じゃねぇし!!そもそもそんなもん持ってねぇよ!!」
「あら残念。ニステルがどんな趣味してるのか知れる好機だったのに」
にやけ顔で視線を送るも、ニステルはしらけ顔である。
「別に無理して明るく振舞う必要ねぇんだぜ?」
ははは……。見抜かれてたか。
ティアニカは無理して明るく振舞っていた。そうすることで、自分の気分が戻って来るのでは?と考えてのことだった。だけどそれも効果はなく、心に空いた穴を埋められそうになかった。
「意外と鋭いんだ?でも、大丈夫」
「大丈夫って言うヤツほど大丈夫じゃねぇんだよ馬鹿」
ニステルは人の感情の機微に鋭かった。それは幼少の頃から、両親が心配をかけまいと気丈に振舞う姿に隠された感情を読み取ろうとしてきた経験からだ。表情の動き、声のトーン、それ以上に瞳に宿る感情を聡く読み取る。ニステルがぶっきらぼうになった原因でもあった。良い感情も、悪い感情も、機敏に読み取るが故、人付き合いに疲れ距離を置いて接するのが癖になっているのだ。
だが、ニステルは勘違いしていた。ティアニカが抱える哀しみの大部分を占めるのが、火事による住居の喪失ではなく、失われた50年ものの酒であるということを。
「本当に大丈夫だから。楽しみが50年先送りになっただけだから」
ニステルは目を瞬せ、呆けた顔を晒していた。
「なんだそりゃ?」
「気が向いたら教えてあげるわよ」
その後、2階にある両親の寝室であった部屋と物置を案内され、最期に客室に通された。そこが私の寝室になるらしい。二人して寝具の手入れをし、本格的に寝泊りができるのは明日以降になりそうだ。
中央広場を通過し、宿へと向かっていると、それは突然現れた。黒き雨が降りしきる中、肉体を腐らせ駆ける大型の猫科の魔物、エリアスタイガーの成れの果て。朽ちている途中なのか、動き回る度に死肉は墜ち、ヘドロのように溶けていく。
気付いた時には、リアの細剣がエリアスタイガーの爪を受け止め、その衝撃でリアにヘドロのような死肉が降りかかっていた。
「リアッ!?」
「大丈夫!!それより、他に同じのが2匹いるわ。気を付けて」
咄嗟に黎架を引き抜き、周囲を警戒する。二人が展開していた水属性魔法は解かれ、黒い雨粒が容赦なくその身に降りかかる。浄化の道具を持っているおかげか、目立った被害は今のところ出ていない。
「これがニステルが言ってた亡者なのかも知れないわね」
左右から隠れていた2匹がリアへ向かって飛び掛かって行く。1匹は大きな口を開け、黄ばんだ牙で喉元を狙い、もう1匹は伸ばした前足の鋭い爪で胸を貫こうとしていた。
リアの細剣――エスティエラに魔力が集い、淡い緑色に発光し始めた。その瞬間、リアの周りに風が吹き荒れた。聖なる颯を宿す風は、3匹のエリアスタイガーを吹き飛ばし、同時に浄化の力で身体を焼いていく。死肉は吹き飛び、白い骨が姿を見せ始めている。
リアの浄化の力はさすがだ。奇襲されたのに、逆にエリアスタイガーを追い詰めている。
そこでカミルは異変に気付いた。
「リア!!こいつら、身体が元に戻っていってる!!」
肉を撒き散らし失ったはずが、細胞が分裂し、増殖するかのように身体が修復されているのだ。
「これも瘴気の影響なの!?」
眉を寄せたリアは、目の前のエリアスタイガーを真一文字に斬り裂いた。だが、瞬時に肉体が再生していく。
ならば、と黒の元素の剣の力を宿す黎架で斬りかかるも、結果は変わらず再生されてしまう。
「こんなのどうしたら……」
飛び掛かってくるエリアスタイガーを避けながら、何度も、何度も斬りかかる。いくら回数を重ねようとも結果が覆ることはなかった。
「取り込んだ瘴気だって無限じゃないはずなのに、どうして……?」
そこでリアは答えに至る。空を仰ぎ見、エリアスタイガーの不死性の元凶を睨む。
「そうか、この黒い雨よ!!この雨には瘴気が溶け込んでる。そこから瘴気が供給され続けてるんだわ!!」
エリアスタイガーの爪を受け止めたカミルが嘆く。
「そんな!?それじゃ、この雨が止むまで倒しきれないの!?」
「そんなこと、私に聞かれてもわからないわよ」
聖なる颯でエリアスタイガーをいなし、エスティエラで一時的に脚を切断して耐え抜く。
「このまま戦っててもジリ貧よ。引き付けながら王城方面に向かいましょう。あそこなら兵士がいる。雨が止むまで耐久戦が必要なら、人手は多い方がいいわ」
エリアスタイガーの胴を斬り払い「了解」二人は亡者との距離を保ちながら移動を開始した。雨の影響もあってか、道行く人は誰もいない。街の人に被害が出ないことだけが救いだった。王城は見えているのに、全然近づいている感覚がしない。
くそっ……。手がビリビリとしてきやがった……。
降りしきる雨が体温を徐々に奪って行く。エリアスタイガーの攻撃を受ける度、斬り裂く度、衝撃が手を襲い、感覚が薄れていくのを感じていた。
「一旦、風で吹き飛ばす!!カミル、走る準備を!!」
エスティエラに魔力を集中し始めた、その時、降りしきる雨の時が止まる。地面に叩きつけられず、ただ宙で停止していた。それは超常の世界のような光景だった。
― 包み込むは青の息吹 暴虐たる行いに戒めを
願わくば 清浄なる刃を我が手に アーリアル ―
言の葉に乗せ、すべての雨粒が天へと昇って行く。黒き雨は無色透明へと変化していき、一点を目指して収束を始めた。目の前に広がるは、青の奔流、すべての水が、天へと掲げられた青く透き通るロングソードに集い、空に向かって放たれた。雲を裂き、天を貫く青き輝きは、王都に日の光を齎した。
「今だ!!葬れ!!」
鴨頭草の髪を持つ男の叫びに、カミルとリアは剣を振り切りエリアスタイガーの身体を斬り裂いた。無限に再生を続けていた身体は朽ち、骨を残して無に還って行く。
倒しきった、そう認識した瞬間、二人はへたり込む。
「二人で良く耐えたもんだ。すげーな、あんたら」
歩み寄る男はにこやかなに二人を賞賛した。
「危ないところをありがとうございます。その、どちら様で?」
へたり込んだままカミルは男二問いかけた。
「人に名前を尋ねる時は自分から名乗りなさいよ」
カミルを咎め、立ち上がると「私はリアスターナ・フィブロです。こっちはカミル・クレストです」代わりに紹介までしてくれる。
「はっは、律儀だねえ。俺は王国軍安全保護部隊長ウルシンキ・ホブランだ。よろしくな」
カミルが抱いた第一印象は、日本の平成と呼ばれた時代のホストであった。スジ盛りのロン毛で優男、中世的な顔立ちも相俟って、モテそうな雰囲気が漂っている。
「よろしくお願いします」
「さっきの魔法?すごかったわね。上級水属性魔法アーリアルも極めればあんなド派手になるのかしら?」
天に雨が昇り、雲を裂くなんて芸当。部隊長格にもなるとそこまでできるものかと、リアは素直に感心している。
「いや~、そうなのよ――て言いたいとこなんだけどよ。あれはこいつがあるお陰なんよ」
手の前に掲げられたのは青く透き通るロングソードだった。
「こいつは水の精霊アリューネの加護を受けた剣でな。名をフルーアウィズって言うんだ」
「アリューネの加護の剣!?」
重要なことをサラッと言ってのけたウルシンキに目を剥いた。
「あの~、そんなこと公にして良かったのかしら……?」
情報を秘匿した方が国の為になりそうなものだ。公にするってことは、抑止力として利用しているのか?
きょとんとした顔を浮かべたウルシンキは、胸を張り声高に宣言する。
「だって、そっちの方が格好良くない?」
「そんな理由……?」
二人は呆気に取られてしまった。
「俺がなんて呼ばれてるか教えてやるよ」
助けてもらった手前、聞かざるを得ない。
「ど、どんな呼ばれ方でしょう?」
ウルシンキはしたり顔になる。
「水の継承者『フルシンキ』だ!!」
「「お、おぉお~~」」
もはや棒読みである。
この時代で出会った3本目の加護の剣。不吉の象徴にしかカミルには思えなかった。




