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ep.99 嘆きの歌

 空が茜色に染まり、街全体が宵の時間を迎え入れようとしている。街を歩く人々の影は伸び、子供達は影遊びに興じはしゃいでいる。飲食店に明かりが灯り、住宅からは様々な料理の香りが漂って来る。中央広場を南下し、カミル達は宿への帰路につく。

 ザントガルツに立ち寄ったのだから、ダインの民であるオルトバース・リリーズに顔を出して行こうと詰め所である武家屋敷へと足を運んだのだ。だが、会うことは叶わなかった。武家屋敷には人の気配が無く、呼びかけても反応はなかった。仕方なく冒険者組合(ギルド)に立ち寄り、どれほど冒険者が増えたのか確認することとなった。そこでダインに関する話を聞くことができた。話によれば、オルト達ダインの民はすでにザントガルツからルナーナ大陸へと帰還しているらしい。


「一度ルナーナ大陸に戻ろうと考えている」


 オルトの口か聞いた通りにザントガルツから旅立ったようだ。武家屋敷は皇国軍が管理し、どのように扱うかは協議中とのこと。数少ない知り合いに会えず、カミルはがっかりとしている。

 ギルド内は前よりも人の出入りが多いものの、依頼に対して冒険者が足りていない感は否めない。いきなりすべての物事がうまくいくわけもなく、ギルドとしては予想の範疇にあるらしい。


「明日はいよいよ王国入りか」

 皇国での暮らしももうすぐ3ヵ月が経とうとしている。あっという間過ぎて、それだけの時間が経過しているのが噓のようだ。そう言えば、シクロッサさんが水の精霊の祭壇に連れて行ってくれるって約束してるんだよな……。このまま霊峰クシアラナダに向かうと、下手したら約束を反故する形になっちゃうな……。

「未来に来た始まりの地だし、思い入れあるわね」

「ニステルとも出会えたしね」

「そうだな。ドムゴブリンなんぞに殺られかけてたな」

 過去を思い出したのか、ニステルの表情が緩む。

「あー!!今絶対俺がやられてるとこ思い出してたでしょ!?」

「どうだかなぁ?」

「俺だって成長してるんだし、次遭遇したら完勝してみせるよ」

 カミルは胸の前でぐっと拳を握り、自信に満ちていた。

「あれ?そういうのって、ふらぐってやつなんじゃないのか?」

 カミルの表情がすぅーっと消えていく。

「い、今のは決意表明ってやつだよ。やだなー、俺がフラグを立てるわけないじゃないか」

 強がるカミルの表情は苦笑いを浮かべている。

「お前の場合は、ふらぐがなくても起こり得るからな……」

 呆れ顔のニステルに、カミルは返す言葉がなかった。

「今回は人数も多いんだし、大丈夫でしょ。変に緊張しても仕方ないわよ?」

 戦い慣れてきたとは言っても、油断はできないんだよな……。

 カミルが魔物とまともに戦い始めて1年も経っていない。元素への適正が低いことで武技に頼らざるを得ない点が、カミルの実戦経験に影を落としている。魔物1体当たりにかかる時間が長く、戦闘回数をこなせていないのだ。黎架(れいか)理外(りがい)の力を手にしたことで、足りない力を補えてはいるものの、物理攻撃の効果が薄い相手に対しては苦戦は必至なのが現状である。カミルの最大の弱点は、元素への親和性なのは間違いない。

 大通りから路地裏へ進むと、刺すような視線を感じ取り背後を振り返った。

 今、誰かに見られていたような……?

 道の先を確認するも、大通りを進んでいる人々が通過していくのみである。

 気のせい……?

「ん?どうした?」

 異変に気付いたニステルは足を止めカミルへと視線を投げる。

「今、視線感じなかった?」

「いや?俺は感じなかったぜ?」

「私もそんな感覚はなかったわよ?」

 感覚の鋭い二人が気づいていないのなら、きっと気のせいだ。

「うぅん、勘違いだったみたい」

「なにビビってんだよ。そんなにドムゴブリンが怖ぇのか?」

「違わいっ!!」

「なら行こうぜ。腹減っちまったし」

 先を歩く二人を追い、カミルは一歩踏み出した。その時、影が(うごめ)いた。

 ブゥンッ。物体が風を切る音が聞こえ、反射的に顔を向けた。迫るは一筋の影。赤い光の筋を携え、禍々しい闇がカミルの視界を覆っていく。

「うわぁぁぁッ!?」

 闇が前髪を斬り裂き、頭上から地面へと目の前を通過していった。攻撃が外れたわけでも、避けたわけでもない。ただ、驚きのあまりに体勢を崩したのだ。反射的にのけ反り、バランスを崩した身体は後ろに倒れ込むように闇との距離が開いたのだ。そのまま尻餅をつき見上げれば、凶刃を振った犯人の姿が目に飛び込んで来た。黒い装束と黒いロングコートに身を包んだ灰色の短髪の男が、その赤き目で忌々し気にカミルを見下ろしている。

 男の腕が振り上がる。闇が収束した剣が再びカミルへと向けられた。

 ドォンッ!!二人を隔てる岩の壁が地面から生まれ、闇と岩の壁がぶつかり合う。不思議と衝撃音はなかった。だが、目の前に広がる光景に目を疑った。

 闇の筋が岩を霧散させてる!?

 闇の軌跡に合わせて岩の壁が綺麗に消え去っていく。阻むものが無くなり、闇は勢いそのままにカミルへと迫る。


 そこで世界は白く霞んでいく。カミルの左目に宿る異能、心技が時の流れに逆らい時間を巻き戻していった。


 世界が彩を取り戻すと、リアとニステルが少し先を歩いていた。

「なにビビってんだよ。そんなにドムゴブリンが怖ぇのか?」

 そのフレーズを聞いた瞬間、圧縮魔力を脚へと流し、迷わず「駿動走駆(しゅんどうそうく)」で前方へと飛び出した。瞬間的に二人の間を抜け7mほど進んだ位置で着地する。込める魔力も、圧縮した魔力も微々たるもの。それでも、凶刃を(かわ)すには十分な距離を稼げている。

 唐突なカミルの行動にリアもニステルも呆気に取られていたが、黒い刃を握る男が路地裏に姿を見せたことで自ずと視線が集まった。

「勘の良いヤツめ。まあ、いい。簡単に死なれちゃつまらねーしな。せいぜい苦しんでくれや」

 大きく見開かれた瞳は焦点が合ってなく、こけた顔も相俟って不気味さが滲み出ている。不安を煽るように刃が(うごめ)いた。

「俺達を殺る?ふんっ、誰だか知らねぇが、刃を向けるんなら手加減はできねぇぜ?」

 シャナイアを構え、ニステルは挑発的な言葉を投げた。

「ったく、ニステルは血の気が多いんだから」

 かく言うリアもまた、エスティエラを抜剣している。男へと向き直るも、リアには見憶えがない男だった。

「人違いでは?貴方に恨まれるようなことをした記憶はありませんが?」

 はははっ。男は不敵に笑う。

「お前らにとっちゃ取るに足らない相手だったと?」

 男の首が僅かに傾き、焦点の合わない瞳がリアを捉える。

 あの男は、俺達を狙っている?……一人だけ思い当たる男はいるけど、あの男とは顔が似つかない。

「はっ?お前、なに言ってんだ?」

 噛み合わない会話にニステルが苛立ちを隠せない。

「俺の名はラルラタ・クワブシ。お前らに殺られたオルグ・クワブシの弟さ」

 ラルラタの発言に、三人は驚愕する。それと同時に警戒心が強くなる。

「オルグ・クワブシ……?貴方が弟……?」

「ようやく思い出したのかよ。確かに、俺の顔は兄貴と似ても似つかねーが。この髪色、この瞳の色、記憶にねーとは言わせないぜ?」

 そうか、似てない兄弟ってわけか。

 カミルはオルグの関係者だと推測していた。オルグとの戦いは、カミルにとって忘れられないものだった。初めて本気で人と殺し合ったのだ。その記憶は鮮烈に刻まれている。オルグを惨殺した感覚が未だに手に残っており、時折夢にまで見ることすらあった。

「俺を殺しにきたのか……?」

 ラルラタが歪んだ笑みを見せる。

「そうさ、()()()殺された兄貴の仇討ちだ」

「仇討ち?襲われたのはこっちなんだ。返り討ちにしてやっただけでしょうが」

 リアが抗議するも、ラルラタの心は動かない。

「経緯はどうでもいいんだ。兄貴を殺したって事実は揺るがない。幼い頃に両親が死んでから、兄貴だけが血を分けた唯一の肉親だった。それを奪った相手に復習するのは当然だろうが!!」

 傾いだ首が逆側に倒れる。

「話し合いで終われる相手じゃねぇ!!覚悟を決めろッ!!」

 ラルラタの握る闇が深くなる。魔力を吸い取り刃の赤い光の筋がより一層どす黒く輝いた。

「まさか……、あれは魔剣!?」

 リアの叫びに「そんなはずないッ!!」カミルは即座に否定する。

「魔剣はあの時回収した…じゃない……か―――」

 何かを忘れているような焦燥感に駆られた。

 なんだ……?なにが心に引っ掛かってる……?

 そこではたと気がついた。

 バルディスの木剣!?そうだ、なんで今まで気がつかなかったんだ……。魔剣スヴォーダはイヴリスさんの手で回収されたけど、バルディスが握っていた木剣はそのままだった。あの時、刀身部分は吹き飛んだ。だけど、握っていた柄の部分は回収されていない。それをラルラタが手に入れていたとしたら……?

「くくくっ。その顔、思い至ったか。そうさ、これはジスタークの町の前で拾ったものだ。影から生まれた男は影に還る。柄部分しか残らなかった木剣は、ただの木の欠片として放置されていた。そいつを拝借したのさ。後始末を怠った己の無能さを恨むんだな」

 柄部分だけの魔剣がどれほどの力を発揮できるかはわからない。だけど、さっき岩の壁を霧散させたからには、黄の元素は魔剣の対消滅の力に呑まれ霧散してしまったのだろう。

 確かに元素を対消滅させる魔剣の力は侮り難い。だが、カミルにはそれ以上に気がかりなことがあった。

 あの魔剣と打ち合って黎架(れいか)が砕けでもしたら……。

 かつて黒の元素の剣と称された不滅のはずの黒い日本刀は、魔剣との戦いで砕け散ってしまった。同じ力を宿しているあの黒い剣と打ち合えばどうなるか見当もつかない。最悪、また刀が無残に砕け散るのでは?とカミルは考えてしまうのだ。

「カミル!!呆けるな!!黎架を引き抜け!!その刀にも、魔剣の力の一端は組み込まれてるのよ!!打ち負けるはずないわ!!私達の刀を信じなさい!!」

 リアの激に、カミルの手が動く。柄を握り、抜刀する。砲金色(つつがねいろ)の刃がラルラタへと向けられた。

「へっ、三人同時に相手にするのは面倒だな」

 ラルラタの影が(うごめ)いた。

 やはりコイツも影を操るか。

 オルグは影の力を操る影法師と呼ばれていた。その弟であるラルラタもまた影法師である可能性は十分に想像できていた。

 影から2体の人影を生み出していく。その姿に、カミル達は言葉を失った。生み出されたのは間違いなく影男だ。だが、頭に付いたそれは、カミル達、いや、皇国の住民であるなら誰もが知るものだった。

「なんでさ……。なんでアンタが()()()()()のよッ!?」

 影から生まれたのは、頭に角を持つ異形の存在。長きに渡り戦いを繰り広げてきた鬼だったのだ。

「こいつは偶々さ。この辺は黒の元素が多く漂っている。それに釣られてか瘴気まで集まりやがる。そいつを魔剣が吸っちまったのさッ!!」

 2体の鬼がリア、ニステルに飛び掛かった。影から生まれた鬼――影鬼の腕が揺らぎ、刃へと姿を変えた。二人が攻撃を受け止めたその隙に、ラルラタはカミルへと駆けて行く。

 これだけ固まってたら戦いづらい。

 バックステップで3~4歩後退し、黎架に魔力を込めていく。

「うらぁぁッ!!」

 振りかざした魔剣が頭上から降りて来る。黎架で受け止め、魔剣の闇を奪わせていく。刀身が黒に染まるも、吸いきれない何かがある。そこでカミルは気がついた。

「これは、瘴気の塊!?」

「ご名答」

 魔剣から濃密な瘴気の塊が撃ち出され、黎架ごとカミルを吹き飛ばした。地面を転がり身体を起こす。すでにラルラタが魔剣を横へと振り払っている。迫る魔剣を黎架で受け止め踏み留まった。

「まさか、こんなに魔剣と瘴気の相性が良いなんて、なッ!!」

 ラルラタの前蹴りが腹へと突き刺さった。

「ぐぁッ!?」

 後ろによろめくも倒れることは何とか避けられた。

 防戦してるだけじゃいずれやられる。何とかして攻撃に繋げないと!!


― 我は闇を誘う者 汝は光無き世界で嘆くだろう

     黒に飲まれ 破滅の回廊を彷徨うがいい ズフィルード ―


 不味い!?

 言葉が紡がれカミルの周囲に闇が広がって行く。黎架で黒の元素を吸収できるとはいえ、上級魔法ともなると規模が大きすぎる。吸収し終わるよりも、カミルがズフィルードで倒れる方が早い。

 左耳のイヤリングに光が満ちる。身体を覆うように広がり、日の光が鳳凰型の衣へと変化した。

 闇が完全にカミルを覆った。だが、カミルに被害はない。光の衣が黒の元素を撥ね退け、ズフィルードの持つ疲弊の効果を凌いでいる。

 闇が晴れていく。目に飛び込んで来るのは歪んだ笑みを浮かべたラルラタの姿だ。だがその表情も長続きはしなかった。カミルの平然とした姿に「ちっ」舌打ちをする。

「おいおい、ズフィルードを受けて何ともねーってのはどういうことだ?黒への適正か?その身に纏う光のせいか?兄貴が手古摺(てこず)るわけだ」

 ラルラタの攻撃の手が止まったことにカミルは安堵する。それと同時に、纏う光の衣が霧散していった。

「魔剣で元素を霧散させるように、俺にも元素の力は意味を成さない。そのすべてを撥ね退けるんだ」

 はったりだった。月読同様、この光の衣の効果の詳細がわかっていないのだ。わかっているのは、元素による効果を無力化すること。それと、あの光を使えばやたらと身体に疲労を感じることだ。

 おそらく、あの光は体力を使って生み出されている。元素を無力化できるとはいえ、体力が続く限りという制限がある。特異な力の代償ってことなんだと思う。

「みてーだな。だが、瘴気までは防げなかったよな?」

 魔剣に瘴気が絡み付いていく。

「なんだ?喧嘩か?」

 通りがかった中年の男性の集団が野次馬として覗きこんできた。慌てて「駄目だ!!離れて!!」忠告する。

 ラルラタが魔剣が横に一閃、振るわれる。魔剣から瘴気が三日月を模り、野次馬の元へと飛んでいく。

「ちょ、うわっ!?」「ひぃぃぃっ!?」

 男性達は頭を抱えるように地面に這い蹲ると、頭上を瘴気の塊が飛んでいった。

「やめろ!!あの人達は関係ないだろッ!!」

「はっ、お前が嫌がってんだろ?なら続けるしかねえッ!!」

 振り切った魔剣を更に振るう。瘴気が飛び出し、這い蹲る男性達を目指し空を斬る。そして――男性達が肉塊へと姿を変えた。

 カミルはわなわなと首を左右に振る。

 くそッ、くそッ、くそッ、くそぉぉぉッ!!!!俺が瞬時に魔法を使えていたら、こんなことにはならなかったのに……。

 元素への適正が高く、魔法の発動速度が速ければ、あの男性達を救うことはできただろう。だが、カミルには元素への適正は低い。それが、カミルは悔しかった。リアのように風で吹き飛ばせていたら―――。ニステルのように岩で障壁を張れていたら―――。そう考えてしまう。たとえ時間を巻き戻したとしても、男性達がこの通りに来る未来は変えられない。どう足掻こうが彼らの命は救えないのだ。

「てめーのせいでおっさん共が死んじまったぜ?」

 その言葉が、カミルの胸を抉って行く。


 オレハ、シンダノカ?  タマタマトオッタダケナノニ


     フザケルナヨ!!オイッ!!    クライ……サムイ……


   イタイイタイイタイイタイ―――    ナンデオレガ……


 周囲に男性達の声が響く。

「この魔剣は瘴気の影響か、亡者の声を拾い上げる。おっさん共の心の声が、怨嗟の声が聞こえるだろ?お前が生きているばかりに被害が大きくなるんだよ。お前がさっさと死んでくれたなら、あのおっさん共も生きていけたのにな?ははっ、わかるぜ?誰だって自分が一番かわいいんだ。誰かを蹴落としてでも生きながらえる。それの何が悪い?俺もお前も、詰まる所は一緒さ」

 黎架を握る手に力が籠る。

「だまれ」

「あンッ?」

「お前と一緒にするな、人殺しが」

 許せない。許しちゃいけない。あの人達だってまだ生きていたかったはずだ。帰りを待つ人がいたはずだ。幸せな時間を送るはずだったんだ。

 カミルの心は怒りで満ちていた。戦って死ぬのなら、それはその人が選んだ道であり、意思である。だが、理不尽に一方的に蹂躙される。本人の意思に関係なく殺されるのは間違っている。

 黎架に圧縮魔力が満ち、刀身に朱色に輝く一筋の光が浮かび上がった。黎架の魔剣としての力が発動したのだ。

「人殺しはてめーもだろうがよおッ!!」

「それは否定はしないさ。どんな理由があれ、人を殺めたのは事実だ。だがな、俺はそのことを胸に刻み生きている。人の命の上でしか生きられないのなら、せめて、出会ったことを糧にしてやらねーと浮かばれんだろうがッ!!」

 カミルが大地を踏みしめ駆け出した。

「綺麗ごとを並べようと、罪だということに変わりはない!!」

 ラルラタが瘴気を身体に纏っていく。爪が鋭さを増し筋肉が隆起する。額には大きな角が生えてきた。その姿は鬼そのものであった。

「だからこそ、俺が裁きを下すのだ!!死を持って(あがな)え!!!!」

 振り下ろされる魔剣に、カミルの黎架が激突する。元素に頼らない黎架の一撃では、ラルラタの魔剣の力が発動しない。力と力、刀と剣のぶつかり合いだ。鬼化したラルラタの膂力は凄まじいものではあるものの、黎架の放つ破滅の性質がその力を削ぎ落す。(もたら)すは状態の変化の解除である。鬼化したラルラタの力を打ち消し、ただの人へと堕とすことに成功した。

「何故だ……、何故戻る!?兄貴の憎悪が俺に力をくれたはずなのに……」

「魔剣の力に頼り過ぎだ」

 鞘を引き抜き、魔剣へと押し当てた。

絶破衝(ぜっぱしょう)

 零距離から強烈な突きを放つ。

「ぐぁ゙ぁ゙ぁ゙っ……」

 黎架は魔剣を押し退けラルラタの心臓を貫き、時間差で訪れた魔力の衝撃波が後方へと吹き飛ばした。地面を転がり、リアとニステルの間へと滑り込み、うつ伏せの状態で動きを止める。それと同時に生み出した鬼が消えていく。



 兄貴、すまねえ……。殺すどころか、腕の1本すら奪えなかった……。

 胸を貫かれたラルラタの心臓は、機能不全を起こしていた。刃で斬り裂かれたことで弁は崩壊し、血流を送り出す為の筋組織も断ち切られてしまった。熱い液体が噴き出し、抗う力を削いでいく。

 兄貴―――。


 俺達が生まれたのはミトス大陸にある一年通して寒さの厳しいフィルという国だ。ホガミというリディス族の故郷とも呼ばれる地に生を受けた。兄貴とは7歳も離れていることもあり、生まれた時から面倒を見てくれていたらしい。だが、俺達兄弟は他のリディス達とは少し違う。極端にリディスの血が薄いのだ。代々、他種族と結ばれることの多い家系らしく、リディス、ヒュム、ドワーフ、エルフの4種族のルーツを持つ。それ故の苦労も多々あった。差別こそ無かったが、それでも物珍しいのか視線を集めることも多い。時に子供というのは残酷で、純粋さからか「なんでそんな髪色をしているの?変なの~」「回復魔法くらいまともに使えよ。俺達はリディスなんだぞ」見た目や先天的な才にまでつっこまれることもあった。様々な血が混ざりあった結果、リディスが得意とされる回復魔法の力は薄れ、元素の適正は満遍なく割り振られでもしているのか、突出した才には恵まれなかった。言ってしまえば器用貧乏だ。

 それでも、狭い家で家族が集まる瞬間が好きだった。それだけで充分だった。だが、この世界はそれすらも許してくれない。

 ラルラタが7歳を迎えたある日の事だった。記録的な豪雪が村を、国を襲った。元素の乱れから生じた青の元素の濁流が流れ込んできた影響らしい。家から出ることができない生活が1日、また1日と過ぎていく。雪国ということもあり、食料の備蓄はしていたものの、長く続く豪雪に1週間分の食糧はすぐに底をついた。食べ盛りの子供二人を抱えていたらそうもなるだろう。それからは飢えと戦う時間だけが過ぎていく。来る日も来る日も、雪が止むことだけを家族で祈り、身を寄せ合った。

 願いも空しく、一向に止む気配がない。生活の拠点を2階へと移すことで、何とか外の様子を窺い知ることができる。2週間が過ぎる頃には身体の脂肪と筋肉が落ち、骨が浮き始めた。3週間が過ぎる頃には、命の選択を迫られることとなる。


「おい!!ラルラタ!!しっかりしろ!!」

 父の叫びにふらつきながらも顔を向ける。

「くそッ!?このままだと不味い……」

 幼いラルラタの身体はすっかりと瘦せ細り、骨と皮だけの姿と成り果てていた。身体が出来上がり始めた兄――オルグとは違い、ラルラタの限界が近いことを家族は悟っていた。

「どうしてこんなことに……」

 母の目から涙が零れ、悲痛な面持ちでラルラタを見下ろしている。

「頼むから止んでくれよ……。このままじゃラルラタが……」

 祈る思いで窓の外を眺めるも、依然として雪の勢力は衰えない。3週間も雪が降り続けていれば家など埋もれそうではあるが、ミトス大陸の特殊な気候が阻害する。大陸南部にある砂の国ゴゥス。其処は赤の領域の影響を色濃く受けている。地脈を通じ、その恩恵がフィルにも及んでいるのだ。温められた大地が雪を溶かし、海へと流れていく。記録的な豪雪であってもそれは変わらない。だが、降り積もる雪の量が多く、着実に家を埋もれさせていっているのが現状である。

 険しい顔を浮かべた父は、悩んだ末にひとつの決断を下した。その姿は覚悟を決めた漢の姿だった。

 徐に立ち上がった父は調理場へと移動する。そこに置かれていたある物を持ち上げたのだ。

 父の動きを目で追っていた母が声を荒げる。

「あんた!?そんなもの持ち出して何するつもりなのさ!?」

 父が持ち上げたのは大きな包丁だった。捉えた動物を捌く為の包丁だ。大きさもあるが、切れ味が非常に鋭い。台の上に左腕を置くと、肘より先に包丁を押し当てる。

「やめなさい!?気でも狂っちまったのかい!?」

 ドタバタと駆け寄り、必死に包丁を握る右腕の動きを制止する。

「俺の肉でも食わせねーと、ラルラタが死んじまうんだぞ!!それでもいいのか!!」

 母を必死に振り剥そうと父が右腕を大きく前後左右に振る。

「だからってあんたの腕が無くなったら、誰がこの子達を守るんだい!?肉が欲しけりゃ、あたしの腕を使いなさいよ!!」

「何言ってやがる!?お前の腕はあいつらを抱きしめるのに必要だろうがッ!!」

 言い争いを始めた両親に「止めてよ!!喧嘩しないで!!」オルグが仲裁に入っていく。

 父の鋭い瞳がオルグを射抜く。

「ラルラタが死んでもいいのか!?このまま食べ物が無ければラルラタは……」

 きつく唇を嚙みしめた。

「でも!?でも!?」

 幼いオルグに決断を下すことはできなかった。

「オルグ、良く聞け。今日からお前が家族を守るんだ。俺の肉を……、ラルラタに食わせろ!!」

「あんた……」

 母も兄貴も、涙を流し父の言葉を聞いていた。

「それでも足りなかったら、俺の命を喰らって生き延びろ……。俺はお前達が死ぬ姿なんて見たくないんだ……」

 父の目に留まっていた涙が、(せき)を切ったように溢れ出した。

「俺だって……、お前達の成長した姿を見たいさ……。でも、それ以上にお前達を見殺しにすることなんてできねぇッ!!俺の命で助かる可能性があるんなら、喜んでくれてやる!!だから……、生きてくれ……」

 それ以上、誰も言葉を発することなどできなかった。このまま何もせず待つということは、ラルラタの命の灯火が消えることを意味する。生き延びる為には、食料を、命をいただくことしか残された術はない。回復魔法がまともに使えたなら、腕の修復も可能だっただろう。だが、リディスの血が薄れたこの家系ではそれも望めない。

 母の手が父の手にそっと触れる。

「……わかったわ。必ずこの子達を立派に育て上げて見せる」

 覚悟を決めたその瞳に父は安堵する。

「ありがとう。お前を選んで本当に良かった」

 父は泣きながら笑っていた。

 二人で握る包丁が父の左腕を傷つけ始めた。父の声にならない呻き声を最後に、俺の記憶は途切れている。それはきっと現実逃避だ。見たくないもの、信じたくないものを脳が蓋をし、記憶から消し去ってしまったんだろう。


 気付いた時には村の集会所だった。村の外れにある家から運び込まれたらしい。だがそこには、両親の姿はなかった。塞ぎ込む兄貴と、優しく肩を抱いてくれるご近所さん。

 後から聞いた話では、最後の記憶から4日後に雪が止み。それから1日をかけて家から脱出。倒れていたところを村人に救出されたという。母はどこに行ったのかと尋ねれば、家から出る時に兄貴と俺を雪の上に押し上げた後、雪の重みで家が崩壊。その下敷きとなって命を落としてしまったらしい。両親を同時に亡くしてしまったが、当然ながら実感などなかった。眠ってしまっている間にどこかに行ってしまった感覚に近い。いつかひょっこり帰って来る。そんな気さえしていた。

 それからだ。兄貴が力に憑りつかれたのは……。

「自分に力がなかったせいで両親が死んでしまった」

 事あるごとに兄貴はそう口にしていた。その姿を見て育った俺もまた、力こそが正義だと理解し力を合わせて生きてきた。兄貴との繋がりが何よりも大切であり、家族がすべてとなった。


 訃報は突然だった。冒険者として活躍していた兄貴が死んでしまったのだ。冒険者は命を賭けた職業だ。命を落とすことだってある。だから俺もそれを受け入れた。とある人物に惨殺されたと知るまでは―――。

 激しい怒りが心を支配した。

 なぜ兄貴が殺されなければならないのか。理不尽な出来事に、世界を呪った。両親だけじゃなく、唯一の肉親となった兄貴さえも奪って行く。

 許せなかった。兄貴を殺したカミル・クレストが―――。


 だから!!こんな形では終わらせられねーッ!!!!

 右手に握る魔剣の柄から瘴気を解放した。どれほど多くの瘴気を吸い込んでいたのか、周囲を瘴気で満たしていく。


― 我は闇に願う者 我が肉体を糧とし 力を欲する者也

   破滅を(もたら)す禍の風よ 我が意を汲み取り

     嘆きの歌を響かせろ 無に還れ ズフィルード・ロス ―


 ラルラタの五体が崩壊する。塵と成り瘴気に呑まれた。魔剣を取り込んだ瘴気の塊は、やがて人型を模り邪悪な存在を生み落とした。

 ラルラタを模っているのか、身体は人と大差はない。だが、溢れ出る瘴気の渦が街を汚染する。最も特徴的なのは、瞳だった。ラルラタの瞳は元より赤い。だが、瞳が赤く輝いているのだ。それはかつて魔族と呼ばれた存在と同種のもの。生み落とされた存在は、(よこしま)なる人の(ごう)、元素の乱れを体現した鬼だった。

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