初陣 Ⅳ
火兎とシェンタオは魔鎧と剣を取り上げられ、持っていた手錠で後ろ手に拘束された。そのまま地下通路を歩かされ、連れてこられたのは通路の奥、小さな部屋だった。南京錠がかけられた木製の扉を若者が鍵を開けて開く。火兎とシェンタオは中に突き飛ばされ倒れ込む。狭く薄暗い部屋の奥には三人の少女が身を寄せ合って座り込んでいた。行方不明になっていたあの三人だ。
「良い子で大人しくしてろよ、騎士様」
火兎とシェンタオを捕らえた三人の男たちは嘲笑った。
「俺たちを殺すのか」
火兎は男たちを鋭く睨む。体格の良い中年の男が屈み、火兎の前髪を掴んだ。強く引っ張られ、痛みで火兎は短く声を上げた。
「殺さないさ。お前たちも、あのジジイに渡すんだよ」
「あのジジイ?」
シェンタオの問いに中年の男がにやりと歯を見せる。
「金持ちのジジイだが、趣味が悪くてな。あの歳で娼婦をお求めなんだよ。中でも十代の子供、特に小柄が好きなんだとか。金を出すから連れて来いと言われてな」
中年の男は喉でくくと笑った。
行方不明になった少女たちは皆十代で、背が低めだった。男たちは少女たちをその金持ちの変態に売るために誘拐したのだ。汚れた欲を満たすために、無関係な少女たちを巻き込むなんて。火兎とシェンタオは怒りに燃えた。
「ついでに言うと」
中年の男は舐め回すような視線を火兎に向ける。不快な視線に火兎は吐き気がした。
「あのジジイ、若くて小柄なら男もいけるんだよ」
火兎は一瞬何を言われたのかわからなかった。
男もいける。つまり、それは――。
火兎の顔が真っ赤に染まった。火兎の顔を見、三人の男たちは顔を見合わせ声を上げて笑った。
中年の男は前髪を掴んでいた手を放し、火兎の兎の耳を不気味なほど優しく撫でた。
「お前なんか、特に可愛がってもらえるんじゃないか。アニーミャの兎ちゃん」
火兎の頭に一気に血が上った。火兎は耳に触れる中年の男の手を頭を振って払い、男の額に強烈な頭突きを食らわせた。鈍い音と共に男は声を上げた。
「いってえな……」
中年の男は赤くなった額を押さえ低い声で唸る。男は腰から雷の魔石で作られた棒を取り出すと、火兎の胸倉を掴み乱暴に叩きつけるように地に倒した。肺を圧迫され咳き込んだ火兎の首に棒の先が当てられる。
「ぐ、ああっ!」
全身に襲う激痛に火兎から悲鳴が上がる。小さいとはいえ雷を流された身体は痛みと衝撃で大きく震えた。棒が離され、痛みが消える。
それも束の間、男は今度は腹部に棒を当てた。火兎は身体を仰け反らせ再び声を上げた。男は何度も、何度も火兎に責め苦を味わわせた。
ようやく痛みから解放された時には、火兎の意識は朦朧としていた。心臓は暴れたようにうるさく鳴り、息を荒げ胸で大きく呼吸する。
「大人しくしてろ」
中年の男は火兎の顎を掴んだ。火兎は震えながらも刺すように鋭く男を睨んだ。
男たちは部屋を出ていった。外で扉に鍵がかけられる音が聞こえた。
「火兎くん!」
シェンタオは不自由な身体で火兎のそばに寄った。
「火兎くん、大丈夫? ねえ火兎くん!」
「うるせえな、何ともねえよ」
起き上がるのが怠く横たわったまま火兎は答えた。
「火兎さん?」
鈴のような愛らしい優しい声と共に火兎に駆け寄ったのは一人の少女。栗色の長い髪に黒い瞳。
「ああ、リサちゃん」
三人目の行方不明者。火兎の親友の妹、リサだった。見つけた、こんなところにいたのか。生きて見つけられたことに一安心した。
「大丈夫? 怪我はしてない?」
「私は大丈夫。でも火兎さんが」
「俺は大丈夫だ」
火兎は呻きながら身体を起こす。リサはその背中を支えた。
「火兎さん、どうしてここに」
リサに尋ねられ、今騎士団では少女連続行方不明事件の捜査をしていることを説明した。自分たちが勝手に捜査していたことはぼんやりと誤魔化す。
「私たち、三日後には連れて行かれるんです。さっきの人たちが言っていました」
部屋の奥から最初に行方不明になった少女が火兎たちに歩み寄る。
「私、嫌だ。家に帰りたい」
二番目に行方不明になった少女の目から涙が零れる。引き攣った嗚咽を漏らす少女の背中をリサが撫でた。
火兎は必死に考えを巡らせる。少女たちを見つけられた。彼女たちを連れてどうにか脱出できないだろうか。
部屋の扉には鍵がかかっている。窓もない。では扉が開けられた時に隙をついて逃げるか。いや、できない。少女たちを守りながら逃げる必要がある。しかし拘束された身体では、少女たちを守れない。
火兎は考えたが、答えは見つけられなかった。己の情けなさに、後ろで拘束された手を握り締める。
火兎が顔を上げると、目の前に座るシェンタオがじっと上を見ていた。
「何を見ている」
「火兎くん、見て」
火兎は訝しげにシェンタオの視線を追った。部屋の天井。そこに小さな格子状の扉のようなものがあった。
「あれ、通気口か?」
「多分。ねえ、あそこから出られそうじゃない?」
シェンタオは希望の光を見つけ、微笑みながら火兎に目を向けた。火兎は首を横に振った。
「恐らく通れるが、ここからだと高さがある。俺たちじゃ手が届かない」
火兎は自分が小柄であることを呪った。小柄なのはアニーミャであるため仕方ないことなのだが、火兎にとってはコンプレックスの一つだった。
「僕ならいけるかも」
「どういう意味だ」
「僕、トカゲのアニーミャだから壁を上れるんだ。頑張れば少しなら天井も歩けるし」
火兎はシェンタオの顔の青緑色の鱗と腰から伸びる尻尾に目を向けた。
「僕が外に出て助けを呼んでくる」
「だが、拘束された状態でどうやって」
ちゃり、と鎖が擦れる音が鳴る。シェンタオはしばらく身を捩ると、突然あっ、と声を上げた。
「どうした」
「取れた」
「は?」
シェンタオは後ろに拘束されていたはずだった両手を前に出した。片手には外された手錠を持っている。火兎は目を見開いた。
「お前、どうやって」
「僕の両親、二人ともアニーミャなんだけれど、父さんがトカゲで、母さんが蛇なんだ。蛇も入ってるからだと思うんだけど、関節が他の人より柔らかくてね。だから頑張れば手錠から手を出せるかなと思って、それでやってみたらできた」
シェンタオはひらひらと手を振る。関節が柔らかいとはいえ、外すのは苦労したのだろう。手首に赤い擦過傷が見えた。
「火兎くん?」
火兎はシェンタオの手首の傷に目を向けて顔を曇らせる。
「手首、傷が」
「あ、これ? 大丈夫、全然痛くないよ」
シェンタオは優しく笑うと外した手錠をポケットにしまい、顔を引き締め壁に触れた。
「この壁なら、うん、いける」
「ちょっと待て」
火兎は扉に耳を当てる。扉の外は声も、気配もない。
「外には誰もいない」
火兎とシェンタオは頷き合った。
シェンタオは靴を脱ぎ、壁に手を当てる。両腕を伸ばし右足を壁につけ、次いで左足を浮かせた。シェンタオの身体は落ちることなく壁に貼りついた。そのまま腕と足を交互に上へ伸ばし、トカゲが壁を上るように壁を這う。火兎と三人の少女は思わずその姿に見入った。
シェンタオは壁を上り切ると、慎重に天井に手をつける。ゆっくりと天井を這い、通気口の格子状の蓋に手をかける。固く閉じた蓋を力を込めて押したり引いたり、何度か繰り返すと蓋が開いた。重さのある蓋を外し、シェンタオはそれを抱えながら一度床に音もなく飛び降りた。
シェンタオは蓋を壁に立てかけると、開いた通気口を見上げる。その先は闇が広がり、何も見えない。
「真っ暗だな」
火兎はシェンタオの隣に立ち、顔を上げる。先へ行くには灯りが必要だ。しかしこの部屋にはランプが一つしかない。火兎がシェンタオにランプを持って行かせるべきか考えていると、シェンタオはシャツの襟元に指を入れた。
「大丈夫、これは取り上げられなかったから」
シェンタオが取り出したのは黒い紐に透明の石が下がったペンダント。シェンタオが父親から貰ったという光の魔石だ。シェンタオが光の魔石に触れると眩しいほどの白い光が放たれた。
シェンタオは三人の少女たちに目を向ける。
「必ずみんなを助けに来るから、ちょっとだけ待っててね」
不安げに瞳を揺らす三人の少女を安心させるようにシェンタオは微笑んだ。次いでシェンタオは火兎に目を向ける。
「気をつけろよ」
「うん、ありがとう」
シェンタオは真っ直ぐに向けられる火兎の赤い瞳をしっかりと見つめ返した。
シェンタオは壁を上り、天井を這い、そして通気口の中へ身体を滑らせた。
通気口の中は暗闇だった。灯りを照らすと先には狭く埃っぽい空洞が伸びていた。立ち上がることはおろか、座ることもできない狭さだ。しかし這っていけば通れる。
少女たちも、火兎も、必ず助ける。強い決意を胸に、シェンタオは光の魔石をしっかりと握り、先を照らしながら狭い空洞を這い進んだ。