初陣 Ⅲ
二人は密かに騎士団本部を抜け出した。王都ヴェレーネ、人口が最も多い都とはいえ夜中の三時は人通りはほとんどなく、時々すれ違うのは酒の匂いを漂わせた酔っ払いだけだ。
色彩豊かなレンガ造りの大小様々な建物が並ぶ商店街。火兎とシェンタオは商店街の石畳の道を、ランプを片手に進む。
「この道がリサちゃんの通学路なんだっけ」
シェンタオは捜査情報を記録した小さなノートをめくる。火兎は頷いた。
「二日前、リサちゃんは学校から帰宅する途中でいなくなった。考えたくないが、もし事件や事故に巻き込まれていたのなら、下校の途中に何かあったとしか考えられない」
商店街を進み、二人はガラス張りの飲食店の前で立ち止まった。営業は終了しているため中は真っ暗で、カーテンで締め切られている。シェンタオは再びノートをめくる。
「リサちゃんが最後に友達と別れたのがこの辺りなんだよね」
「この店の娘がリサちゃんと一緒に下校をしていた。最後の目撃者と言ってもいい」
「ここの娘さんが言うには、別れる前は特に変わった様子はなかったんだよね」
「ああ。リサちゃんもこの商店街で暮らしている。それに、その日は帰ったら母親と出かける予定を入れていたらしい。商店街から離れて寄り道をしたとは考えにくい」
シェンタオは指で自分の顎を摘む。
「もしもこれが誘拐だとすると、どうやって誘拐したんだろう」
シェンタオは商店街を見回した。
「ここは商店街。下校時間は買い物客で賑わっているはず。人通りの多い中でどうやって連れて行くのかなあって」
「俺なら、道を尋ねるなりして目立たない場所に連れて行く」
火兎は眉を寄せて腕を組む。商店街を見回していたシェンタオが動きを止め、一点を見つめながら腕を持ち上げた。
「ああいう裏路地みたいなところ?」
シェンタオが指差す先には、店と店の間の細い路地があった。
「そうだな」
「見てみよう」
火兎とシェンタオは頷き合い、狭い裏路地に足を踏み入れた。
街頭の灯りが全く入ってこない裏路地はさらに暗かった。幅は大人が三人並んで辛うじて通れるほど。空を見上げても星がよく見えない。二人はランプを掲げ、裏路地を見回しながら進む。
「お前なら、裏路地に誘い込んでそこからどうやって連れ出す?」
「うーん、地下とかお店の中とか」
「地下に繋がりそうな扉やマンホールは、ここにはなさそうだ。店の中……」
地面をランプで照らしながら火兎は呟くと、シェンタオが立ち止まった。
「こういうところからお店の中に連れて行く、とか?」
シェンタオの差す方には、レンガ造りの壁に埋め込まれた木製の扉があった。
「ちなみにここ、何の店だった?」
「ここ、看板なかったし、壁は汚れてたし、入り口の扉は鎖がかかってた」
「恐らく、使われていない店ってことか」
火兎とシェンタオは顔を見合わせる。
「怪しいね」
「ああ。試しにここ、開けてみるか」
シェンタオは表情を引き締め、腰に下がる剣に触れながら頷いた。
火兎は扉の取手に手をかける。
「いくぞ」
「うん!」
しっかりと頷き合い、火兎はゆっくりと慎重に扉を開けた。
ランプで中を照らすと、そこは倉庫のようだった。窓はなく、入り口は火兎が開けた扉だけ。荷物はなくがらんとしている。
「あれ、なんだろう」
シェンタオは部屋の隅に向かう。火兎が追いかけると、シェンタオの視線の先には一枚のカーペットが敷かれていた。荷物のない空間にカーペットが一枚。不自然だ。
シェンタオはゆっくりとカーペットをめくった。カーペットの下には、木の扉が隠されていた。シェンタオは一度火兎の顔を見上げた。火兎が頷くのを見ると、シェンタオはカーペットを取り払い床の扉を慎重に持ち上げた。扉の先は、暗闇。シェンタオは扉の奥に顔を入れ、ランプで中を照らした。そこには地下通路があった。シェンタオは身体を持ち上げ火兎を見上げる。
「地下通路がある。結構長そうだよ」
「ますます怪しいな」
火兎も地下通路を覗く。確認すると火兎は地下通路に降りようと足を持ち上げた。火兎の手をシェンタオが掴んだ。
「ねえ、僕たちだけだとまずいんじゃない」
「あ?」
突然手を掴まれ火兎はシェンタオを睨むが、シェンタオはそれに負けず首を横に振った。
「もしこれが事件に関係していたら、きっともう僕たちだけじゃ手に負えないよ」
「ならお前は戻れ。俺は一人でも行く」
火兎の燃える赤い瞳に映るのは正義、そして酷い焦りと恐怖だった。リサが心配でたまらないのだろう。火兎は冷静さを失っている。だからこそ一度戻った方が良い。そう思うも、きっと今の火兎は梃子でも動かない。シェンタオは迷い、そして答えを出した。
「わかった、僕も行く」
どうしても行くというのなら、一緒について行くのが良いだろう。火兎を一人にしている間に何か起きたら、と思うと火兎を置いて戻ることはシェンタオにはできなかった。
シェンタオは火兎の手を放した。火兎は地下通路に目を落とすと、再びシェンタオに視線を向ける。
「行くぞ」
「うん」
二人は頷き合い、暗闇が伸びる地下通路に足を踏み入れた。
火兎とシェンタオはランプを片手に地下通路を進んだ。地面をそのままくり抜いて作ったような地下通路は人が二人ほど横に並んで通れる程の狭さだった。先を照らすと一本道が続いている。
「こんなところに地下通路があったなんて。何のために作られたんだろう」
シェンタオが土の壁に触れながら小声で零した。
「シェルターだろうな」
「シェルター?」
「幻獣とエルフが迫害から逃れるためのシェルター」
「あ、なるほどそっか」
アンリールには暗黒の歴史がある。
アンリールは六つの種の【人間】と、魔力を持ち人間に恵みを与える【幻獣】が共に生きている。しかし今から七百年ほど前、五つの種の人間が魔力を恐れ、魔力を持つ幻獣と、人間でありながら魔力を持っている種【エルフ】を迫害するようになったのだ。その結果創造神エマは嘆き悲しみ心を閉ざし、五つの種の人間に祝福を与えることをやめた。
かつて全ての人間は不老不死であったが、祝福を得られなくなった五つの種の人間は年老いて死ぬようになった。
過ちに気づいた五つの種の人間たちは悔い改めた。
五百七年前、黎明暦一年。エマは心を開き始め、少しずつだが五つの種の人間に再び祝福を与えるようになった。
この地下通路はかつて幻獣とエルフが五つの種の人間に迫害されていた時代に作られた負の遺産なのだろう。五つの種の人間の一つ、アニーミャである火兎とシェンタオは迫害をしていた当事者ではないものの、身が引き締まる思いがした。もう二度と、同じ過ちを犯してはいけない、と。
二人はさらに地下通路を進む。すると突然前を歩いていた火兎が足を止めた。
「火兎くん?」
「しっ」
火兎は人差し指を立てる。シェンタオは慌てて口を閉じた。
「誰かいる」
火兎は囁くように耳打ちする。シェンタオは目を見開き火兎に顔を向けた。
「わかるの?」
「俺は耳がいいんだ」
シェンタオは火兎の長い耳を見上げた。音を拾っているのだろう、赤い兎の耳がくり、と左右に動いている。
「前から、二人」
「どうする?」
「会って話を聞き出す」
火兎は赤い石の下がる魔鎧のペンダントに触れながらシェンタオに目を向けた。
「鎧になるぞ」
「うん、わかった」
シェンタオは頷き、青緑色の石が飾られた指輪に触れた。
赤と青緑の光と共に、二人は身体に鈍い銀色の鎧を纏った。火兎は再び耳を澄ませる。
足音が近づく。やがてぼんやりと灯りが近づいてくるのが見えた。
「誰だ!」
前から男の声が聞こえた。現れたのは二人の男。一人は二十代ほどの細身の若者で、もう一人は中年だが背が高く、肩幅の広い引き締まった身体の男だった。
騎士団の鎧姿の火兎とシェンタオを見るや、若者は恐怖と不快を混ぜたように顔を歪ませた。
「おい騎士かよ!」
「騎士だと都合でも悪いのか?」
火兎は挑発するように顔を持ち上げた。若者が噛みつこうとするのを、中年の男が手で制した。
中年の男は火兎とシェンタオに目を向けた。足元から頭まで、じっとりと湿った視線で舐めるように眺める。視線の気味の悪さに火兎は鳥肌が立った。
中年の男が若者に短く耳打ちした。「こいつらを捕まえる」と火兎の耳には聞こえた。若者は頷くと、腰から短い棒を取り出した。振り下ろすとじゃきん、と音を立て棒が短剣ほどの長さに伸びた。中年の男も同じ棒を音を立てて伸ばし構えた。
「シェンタオ、いけるか」
「大丈夫!」
火兎とシェンタオの声を皮切りに、二人の男が飛びかかった。狭い通路で振り回される棒を二人は避けながら反撃の隙を探す。
火兎とシェンタオは剣を抜かなかった。否、抜けなかった。この狭い空間で長い剣を振り回すことは不可能だったからだ。しかし二人には体術の心得があった。勝算はある。
若者が火兎に棒を振り下ろした。火兎は後ろに飛んで避ける。空振りしたところをシェンタオが飛びかかった。若者の手を掴み棒を落とそうとする。
若者とシェンタオのもとに向かおうとする中年の男の前に火兎が立ち塞がった。男は棒を突き出す。火兎は軽やかに避けると前に突き出した手を勢いのまま引っ張り、足を引っかけ自分の背丈よりも大きな男を地に投げ飛ばした。火兎は押さえ込もうとしたが、その前に男は立ち上がった。振り向きざま棒を横に振るう。火兎は仰け反りながら後ろに避けた。
「火兎くん後ろ!」
シェンタオの声に火兎は勢い良く振り返った。若者と中年の男とは別の髭の生えた男が棒を振り下ろすところだった。いつの間にか後ろから仲間がもう一人来ていたらしい。火兎は屈んだ。髭の男が振るった棒は空を切る。火兎は低い姿勢のまま髭の男の横をすり抜け背後に回った。火兎は男の膝裏に強烈な回し蹴りを食らわせる。バランスを崩した男の背中を火兎は蹴り飛ばす。呻きながら前に身体を倒した男は中年の男も巻き込み地に倒れ落ちた。
奥で若者と揉み合っていたシェンタオだったが、シェンタオは若者の手を掴みながら隙をつき片足を引っかけた。そのまま背負い投げ、男たちが倒れる上に落とした。潰された男たちはぐえ、と呻き声を上げた。
男たちは動かなくなった。騒がしかった通路に静寂が戻る。
「シェンタオ、手錠持ってるか」
「一個だけ」
「俺も」
一人分足りないが、とりあえず二人は拘束できる。火兎は腰のベルトにかけていた手錠を取り出した。一番上に重なる若者の手に手錠をかけようとするが、武器である棒を掴んだままだった。取り上げようと火兎が棒を掴んだ、次の瞬間。
「うっ! ああっ!」
全身に針を刺されるような激痛が襲い、火兎は悲鳴を上げた。身体が震え、地に膝をついた。心臓がうるさく跳ね上がり、息が荒く乱れる。
若者は立ち上がり、棒を火兎の肩に当てる。再び激痛が全身を襲い、火兎は声を上げた。
「火兎くん!」
「動くな!」
若者は激痛に襲われ動けなくなった火兎を仰向け転がし、左胸に棒の先を当てた。シェンタオは立ち止まる。
「この棍棒は雷の魔石で加工されてるんだよ。小さい雷を起こすことができる」
地に倒れた火兎は唇を噛み締めた。だから棒に触れた時、針で全身を刺されるような激痛に襲われたのだ。最悪だ、と火兎は拳を強く握り締めた。
若者は棒の先を強く火兎の左胸に押しつける。
「もし心臓の上で雷を起こしたら、こいつはどうなるだろうなあ」
若者は歪んだ笑みをシェンタオに向けた。
「お前……!」
シェンタオの顔が怒りの色に染まる。
「大人しくしていれば殺しはしない」
地に倒れていた二人の男が立ち上がった。男たちは棒をシェンタオに向ける。この棒も恐らく雷の魔石が使われているだろう。形勢逆転。動けなくなった火兎とシェンタオは男たちの手に落ちた。