初陣 Ⅱ
火兎とシェンタオが騎士になって五日後の早朝、召集がかかった。
大会議室と呼ばれる長い机と椅子が並べられた広い部屋に騎士団本部所属の四番隊が集まった。ちなみに地方所属の騎士も存在しており、彼らはアンリール全土に散らばっている。地方所属の四番隊の騎士はアンリールの東、アヴリル地方を守っている。本部所属の騎士は最も人口の多い王都ヴェレーネを守っている。
今回の召集は本部に所属する四番隊の者、四十名。任務ではなく召集がかかっただけなので、騎士たちはまだ鎧を纏っていない。シャツやパンツなど、ラフな姿だ。
一体この召集は何なのだろうと火兎は緊張し、腰から下げた魔剣サラマンダーを撫でた。
隣にはシェンタオが座っている。緊張感がないのか、ぼんやりと斜め上を眺めていた。トカゲの尻尾がゆらゆらと揺れている。大丈夫かこいつ、と火兎が目を細めた時、大会議室の扉が開かれ四番隊隊長のエスメラルダ、そして副隊長の男が入ってきた。
副隊長の名はエルヴィス。癖のある短い黒髪で瞳は紫色。背の高いエスメラルダとほぼ同じ背丈で、鍛えられた身体は上半身が大きく、脚はすらりと長く伸びる。
「皆、おはよう」
『おはようございます!』
エスメラルダの挨拶に、四番隊の騎士たちは大きく返事をした。
「今日集まってもらったのは、皆に事件の捜査をしてもらうためだ」
エスメラルダはエルヴィスの方を向き頷く。エルヴィスも頷くと手に持っていた書類を四番隊の騎士たちに配った。全部で三枚の紙だ。火兎は書類に目を落とす。
一枚目には十代半ばごろの少女の写真が印刷され、名前や年齢、出身地、通っている学校などの情報が書かれていた。書類をめくると、二枚目も同様だった。
「その少女たちは、ここ一週間で行方不明になっている子たちだ」
紙をめくり、三枚目に印刷された少女の写真が目に入ると、火兎は息を呑んだ。恐る恐る名前を見る。信じたくない事実が、そこには書かれていた。手が震える。
「火兎くん、大丈夫?」
火兎の異変に気づいたシェンタオが不安げに眉を寄せ小声で尋ねる。火兎は「なんでもない」と紙を一枚目に戻した。
「種族は違うが三人とも年齢が近いこと、そして同じヴェレーネで短期間で行方不明になっていることから、三人は同じ事件に巻き込まれている可能性がある。昨日の隊長会議でそう判断された」
エスメラルダは凛と引き締めた美しい顔で四番隊の騎士たちに緑の瞳を向ける。
「この事件を解決するよう、我々四番隊が指名された」
エスメラルダの強い眼差しに、騎士たちの背筋が伸びる。
「必ず、三人を見つけ出すぞ」
『はい!』
アンリールを守る誇り高き騎士たちは、力強く返事をした。火兎だけが、強く返事をできなかった。手はまだ震えていた。
行方不明になった少女たちの家族や関係者への聞き込み、目撃者探し。騎士たちは事件を解決すべく奔走した。
夜、残り一時間ほどで日付が変わる頃。大会議室に四番隊は集まりそれぞれ調査報告をするも、めぼしい収穫はなかった。騎士たちは肩を落とした。
「明日は聞き込みの範囲を広げよう。それから魔術が使われていないか、痕跡を探す。諦めるのは早い」
エスメラルダの瞳は強く煌めいている。その眼差しに騎士たちの心は強められ、改めて早期事件解決を誓う。
エスメラルダは一度エルヴィスと顔を見合わせて頷くと、再び顔を騎士たちに向けた。
「皆、お疲れ様。今日はここまで。解散」
エスメラルダの言葉に騎士たちは立ち上がり、右手の拳を胸に当てて背筋を伸ばした。騎士たちは一礼をすると各々動き出し、大会議室を去っていく。
エスメラルダは大会議室に残り、副隊長のエルヴィスと共に書類に目を向けながら話し合っていた。
火兎はその場を動かず、顔を伏せて立ち尽くしていた。
「火兎くん?」
隣に立っていたシェンタオは、動かない火兎の顔を覗き込む。火兎は突然動き出す。早足でエスメラルダのもとへ向かい、彼女の前に立った。
「エスメラルダ隊長」
火兎は背の高いエスメラルダを見上げる。エスメラルダは書類から目を離し火兎を見下ろした。
「火兎、どうした」
「悠長にしていて良いのですか?」
火兎の声が大会議室に響く。まだ大会議室に残っていた騎士は何事かと火兎に目を向けた。
「我々が休んでいる間に、行方不明の少女たちに何かあったら」
「火兎」
エスメラルダの低く掠れた声は火兎を落ち着かせるように、穏やかに彼の名を呼んだ。
「疲れた身体では戦えない。守るべき者も、守れなくなる」
エメラルドグリーンの瞳は、諭すように火兎を静かに見据える。
「気持ちはわかる。だが我々は人間、無理をすれば死ぬ。休むことが必要なんだ」
エスメラルダは屈み、目線を背の低い火兎に合わせる。煌めくエメラルドの瞳に真っ直ぐ見つめられ、火兎は何も言えなくなる。
「五番隊と六番隊が警らを強化している。何かあればすぐに四番隊に伝えるように言ってある。いつ何が起きてもすぐに戦えるように身体を休めて備えておくんだ」
エスメラルダは火兎の両肩を叩いた。火兎は俯くことしかできなかった。
シェンタオは遠くから不安げに火兎とエスメラルダを見つめていた。
夜中。自室のベッドで眠っていたシェンタオは物音で目を覚ました。寝返りを打ち横を向くと、同室の火兎が小さなランプを点け、剣を腰に下げているところだった。
「火兎くん?」
シェンタオが声をかけると、火兎は顔を上げ、シェンタオに目を向けた。兎の耳はぴんと伸び、赤い瞳は大きく見開かれている。
「起きたのか」
「火兎くん、どうしたの? まだ夜中だよ」
シェンタオが時計に目を向けると、短針は三を差していた。窓の外は真っ暗だ。
「お前には関係ない。お前は何も見なかった」
火兎は踵を返し、部屋の扉へと向かう。
「火兎くん待って! 待ってってば!」
シェンタオは布団を跳ね飛ばし、部屋を出て行こうとする火兎の手を掴んだ。
「放せくそっ!」
火兎は振り払おうとするが、シェンタオは放さない。
「せめてどこに行くか言ってよ!」
「なぜお前に言う必要がある!」
「心配だからだよ!」
火兎が乱暴に腕を引く。シェンタオは放さない。攻防が続いたが、やがて火兎が「ああもう!」と音を上げた。
「わかったよ、話してやる。ったく」
火兎はうんざりと溜息を吐いた。手を放して欲しかったが、シェンタオには手を放す気配がない。苛立ちながらも火兎は口を開いた。
「リサ・マーキュリー」
「リサ・マーキュリー? あ、行方不明の女の子の?」
「ああ」
火兎は頷く。
「もしかして、知ってる子なの?」
「俺の親友の妹だ」
シェンタオは息を呑んだ。
朝、大会議室で渡された書類の三枚目にはリサ・マーキュリーについての情報が書かれていた。まさか火兎の親友の妹だったなんて。だから火兎の様子がおかしかったのだと、シェンタオは納得する。
火兎は痛みに耐えるような、苦しげな顔で言葉を紡ぐ。
「もしリサちゃんに何かあったらと思うと、居ても立っても居られない。だから、俺は早く事件を解決させたいんだ」
「それで、こんな夜中に調査に行くんだね」
火兎は唇を噛み締めて俯いた。シェンタオは火兎の手を強く引いた。
「僕も行くよ」
「はあ!?」
火兎は顔を上げた。眉間に皺を寄せ、細めた目でシェンタオの方を向く。
「お前は関係ないだろ」
「僕も騎士だよ。それに火兎くんと同期だし、同室だし」
「あとの二つは全く関係ないだろ」
「あと、火兎くんが心配だから」
シェンタオは真剣な眼差しで火兎の顔を見据えた。その赤い眼差しに、火兎は眉間の皺を消し、目を丸くした。
シェンタオはもう一度強く手を引いてから火兎の手を放した。シェンタオはベッドに駆け寄り、立てかけていた細身の剣を腰から下げる。
「剣と、あと魔鎧もだね」
魔鎧というのは、普段は指輪やペンダントなどの装飾品の姿だが、持ち主の呼びかけに応え鎧へと姿を変える特別な鎧だ。普通、鎧は身に纏うのに時間も手間もかかる。その無駄にかかってしまう時間や手間を、魔鎧は解決している。普段は装飾品として持ち歩き、身に纏いたい時に呼びかければすぐに鎧を纏った姿になれる。魔鎧は今から百年ほど前に開発され、騎士や傭兵など、鎧を纏う者たちに大きな革命をもたらした。
魔鎧は、アンリールの全ての騎士が持っている。火兎とシェンタオも騎士になる際、騎士団から支給された。火兎は赤い石が下がるペンダント型、シェンタオは小さな青緑色の石が飾られた指輪型だ。
シェンタオは右手の人差し指に魔鎧の指輪が嵌められているのをしっかり確認し、火兎のもとへ駆け寄った。
「じゃあ、行こ!」
「お前なあ……」
やっぱりこいつは変なやつだ。火兎は赤い髪を掻き上げ、深い溜息を吐いた。