初陣 Ⅰ
「汝、これを誓うか」
「誓います」
アンリールの王城。緋色に金の装飾が施された王座が置かれた豪華絢爛な王座の間に響く凛々しい宣誓。宣誓を述べた彼の目の前に立つのは、太陽を象ったアンリールの紋章が金で描かれた赤いマントを右肩に纏った男。この世界、アンリールを治める人間の王だ。王は跪く彼の肩に剣の刃を置いた。
「汝を騎士と認める」
六つの種の【人間】と、魔力を持ち人間に恵みを与える【幻獣】が共に生きる世界【アンリール】。
今から千二百五十二年前の黎明暦前七四五年、創造神エマによってアンリールは造られた。かつてアンリールは様々な問題や混乱を抱えていたが、現在は大きな揺らぎは少なく、人々は穏やかな生活を送っていた。
時は黎明暦五〇八年、春。アヴリル《四》の月、一の日。アンリールの王城がある王都ヴェレーネの桜が花開き始めたと人々が心を躍らせた、穏やかで暖かな日。アンリールの王城で春の騎士叙任式が行われた。騎士叙任式は毎年春と秋に行われている。
騎士叙任式では新しく騎士となる者が「勇敢であれ。強きを挫き、弱きを守れ。正しき信念を貫け。真を語り、高潔であれ。主に忠誠を示せ」という五つの誓いを立て、誓いの言葉を聞いたアンリール王が騎士の肩に剣の刃を置く。こうしてその者はアンリールの新しい騎士として認められるのだ。
今年の春、新しく騎士に叙任された者は七名。十五歳から二十歳までの若者たちだ。そのうちの一人が、彼だ。
十二、三歳ほどの子供のような小さな身体に鈍い銀色の鎧と若草のような黄緑色のマントを纏っていた。燃える炎のように鮮やかな赤い髪と、同色の吊り上がった大きな瞳。あどけない顔にはそばかすがあった。形の良い頭から天に向かって伸びるのは、二つの赤い兎の耳。
赤髪の彼はちら、と横に目を向けた。同じく小さな子供の姿の騎士だ。くるりと巻いた白い髪にルビーのような瞳。右頬には青緑色の鱗、同色のトカゲの尻尾が腰あたりから伸びていた。白髪の彼も黄緑色のマントを纏っている。
騎士団には十二の隊がある。十二の隊ごとにマントの色が違う。白髪の彼も黄緑色のマントということは、同じ隊に配属になるのだ、と考えながら赤髪の彼は白髪の彼を足元から頭まで眺めた。
視線に気づいた白髪の彼が赤髪の彼の方を向いた。白髪の彼は愛嬌良く無邪気に微笑んだ。赤髪の彼は慌てて目を逸らした。
騎士叙任式が終わると、新米騎士たちはアンリールを守る騎士団の長、騎士団長の部屋へ案内された。騎士団長から歓迎の挨拶と激励の言葉を受けた後、新しい騎士たちはそれぞれ配属になる隊の長に挨拶をするため、隊長室へ向かった。
赤髪の彼と白髪の彼は同じ四番隊の配属だ。四番隊隊長室の扉を、赤髪の彼が拳で叩いた。やや掠れた低めの女性の声が聞こえた。
扉が開かれ現れたのは見上げるほど背の高い女性だった。背は成人男性ほどはあるだろう。切り揃えた黒い艶やかな長い髪を高いところで一つに結っている。褐色の肌。エメラルドグリーンの瞳は、左側を黒い眼帯で覆っている。アンリールに生きる六つの種の人間のうち、唯一不老不死であり魔力を持つ種【エルフ】であることを示す尖った耳には銀のピアスが飾られている。
エルフの女性は微笑み「どうぞ、中へ入って」と促す。新米騎士の二人は断りを入れ部屋の中へ足を踏み入れた。
壁際に並ぶ本棚。広い執務机には書類が広げられている。
目を引かれたのは壁に立てかけられた一本の槍。幅の広い黒い鋼の刃。刃にはエメラルドのような緑色の煌めく石が四つ、十字に並ぶように埋め込まれている。
「フィーバス」
女性の声に赤髪の彼は振り向いた。エルフの女性は腕を組んで首を横に傾けた。
「その槍の名前。エマの聖語で『輝く者』って意味なんだって」
【エマの聖語】とは、創造神エマと彼女に仕える十二の聖女が使っている、神の領域の聖なる言語のことだ。この聖なる言語を、人間は子供や武器などに名前をつける際に用いることがある。
「私の長年の相棒なんだ」
低く掠れた、少年のような声音で女性は静かに笑う。
「まあ、それは置いておいて……君たちが新しく我が四番隊に配属になる子たちだね」
女性のエメラルドの眼差しが真っ直ぐ、二人の新米騎士に向けられる。
「私はアンリール騎士団四番隊隊長、エスメラルダ・エリッサ・エル・エレン。よろしく」
エルフの女性、エスメラルダは赤髪の彼に右手を差し出した。身長差が大きいため、僅かにエスメラルダは屈んだ。仕方ないこととはいえ、複雑な気持ちを抱きながら赤髪の彼は手を握り返した。
「琴 火兎と申します。よろしくお願いいたします」
「火兎、ね。よろしく」
赤髪の彼、火兎の兎の耳が自然と上にぴんと伸びる。
エスメラルダは次に隣の白髪の彼に目を向けた。
「シェンタオ・ミィです。よろしくお願いします!」
エスメラルダに差し出された右手を白髪の彼、シェンタオはしっかりと握った。トカゲの尻尾がゆらゆらと楽しげに揺れている。
「よろしく、シェンタオ」
エスメラルダは手を放し、屈んでいた背を伸ばした。やはり大きい、と火兎はエスメラルダを見上げた。
「副隊長は今外に出てるから、後で挨拶しておいてね」
そう言うとエスメラルダは執務机の上に置かれた二枚の紙を手に取った。ちらと見えたが、そこには火兎とシェンタオの名前や略歴などが書かれていた。
「琴 火兎、シェンタオ・ミィ。二人とも【アニーミャ】なんだね」
【アニーミャ】とは人間の六つの種のうちの一つだ。アニーミャは子供のように幼い容姿であり、年老いてもその姿は変わらない。声だけが成長と共に変わる。火兎もシェンタオもしっかりと変声期を終えた十八歳の青年だ。
またアニーミャは小さな身体に尾や角などの動物的特徴がある。火兎は兎の耳、シェンタオはトカゲの肌と尻尾を持っていた。
「アニーミャは身体能力が高いからね。重宝しているんだ」
エスメラルダは二人の略歴などが書かれた紙を交互に眺める。
「二人とも入団試験では優秀な成績だったようだね。教養も身体能力もある」
エスメラルダは二枚の紙を机に戻すと、切れ長の緑の瞳を火兎とシェンタオに向けた。
「その能力を十分に活かして、一緒にアンリールを守っていこう」
『はい!』
凛と美しく勇ましい声に、火兎とシェンタオは背筋を伸ばし、力強く返事をした。
挨拶や施設の案内など、一日歩き回り、最後に案内されたのは二人が暮らす寮、火兎とシェンタオの部屋だった。相部屋だ。広くはないが、息苦しくなるほど狭くはない。たくさん荷物は置けないが、不便になるほどではない。ベッドが二つ、左右の壁際に設置されている。
「どっちがいい?」
火兎はベッドを指差す。
「僕はどっちでもいいよ」
シェンタオはふわふわと笑いながら答える。
じゃあ、と火兎は右側のベッドへ向かった。シェンタオは遅れて左側のベッドへ。火兎は持っていた鞄をベッドの横に置いた。
「えへへ、疲れたー」
シェンタオは笑いながら鞄と共にベッドに飛び込んだ。
なんだこいつ、と火兎は目を細めてシェンタオに視線を向ける。シェンタオはベッドにうつ伏せになったまま動かない。
「寝たのか」
「寝てないよ、ふかふかで気持ちいいだけ」
シェンタオは顔だけ火兎の方に向けた。春の陽気のように穏やかで、ふにゃりと気の抜けた笑みを浮かべている。火兎は眉間に皺を寄せた。なんだこいつ、という気持ちがさらに膨れ上がってくる。
火兎は小さく息を吐き、鞄を開けて荷解きを始めた。
「火兎くん火兎くん」
「なんだ」
「火兎くんはどこから来たの?」
馴れ馴れしい、と苛立ちを覚えながら火兎は振り向く。
「俺は王都出身だ」
「わあ! そうなんだ、凄いね!」
何が凄いか全くわからず、火兎の眉間にはますます深い皺が刻まれる。
「お前は?」
「僕はオリヴィア地方から来たんだ。田舎の村でね、みんな美味しい野菜を作ってる農家なんだよ」
アンリールは全土の七割を占める三日月形の【月の大地】と、八つの島が星形に並んだ【星の大地】から成る。アンリールの中心には創造神エマが住む【ヴィタ・エレア】という海に浮かぶ霊峰があり、そのヴィタ・エレアを中心に十二方位に地方が分けられている。騎士団本部がある王都【ヴェレーネ】があるのは東南東のメリッサ地方。シェンタオの出身の地、オリヴィア地方はアンリールの西にある。
「お前は農家になろうとは思わなかったのか?」
「最初は悩んだよ」
シェンタオはベッドから起き上がった。ベッドの端に座り、足を伸ばす。
「皆と一緒に野菜農家やるのもいいけれど、でもやっぱり騎士になりたかったんだ」
「何か理由があったのか」
シェンタオは頷く。
「だって、アンリールを守る騎士ってかっこいいでしょ?」
「……それだけ?」
「そうだけど?」
きょとん、と火兎とシェンタオは顔を見合わせた。火兎は冷静になると、こいつは変なやつだ、と目を細めた。
「火兎くんはどうして騎士になろうって思ったの?」
シェンタオは首を傾げながら尋ねる。火兎は内心、どうして答えないといけないんだ、と思ったが、先に尋ねたのは自分だったことを思い出し後悔しながらも口を開いた。
「騎士だった父に憧れた。それだけだ」
「お父さん? 騎士なの?」
「怪我をして辞めたけどな」
火兎は腰に下げていた一振りの剣に触れた。小柄な火兎からすると、少し長く大きな剣だ。鍔には赤い石が嵌め込まれている。ゆらめく炎のような、神秘的な赤い輝きを纏う石だ。
「この魔剣【サラマンダー】は父から貰った。サラマンダーは火のエレメントの魔石で作られている」
魔剣というのは、魔石を使って作られた魔武器の一種のことだ。魔石というのは二つ種類があるが、その一つは火や水などのエレメントと呼ばれる属性を持ったもので、火兎の持つ魔剣サラマンダーは火のエレメントの魔石で作られた魔武器、ということだ。
エレメントの魔石で作られた魔武器は、エレメントを操ったり、エレメントを纏わせて魔武器の力を増幅させたりすることができる。
「この剣で、アンリールを守る騎士になる。そう誓った」
火兎の瞳が、サラマンダーの魔石のように、燃える炎の如く揺らめいた。
「へえ、かっこいいねえ」
火兎はずり落ちそうになった。真剣に話していたつもりだったが、シェンタオは気の抜けたふにゃりとした笑みを浮かべたのだ。なんなんだこいつは、と火兎はますます苛立つ。
「あ、僕もね、父さんから貰ったものがあるんだ」
シェンタオは首に下げたペンダントに触れる。黒い紐の先には小さな透明の石が下がっている。
「これ、光の魔石なんだ。小さくても力が強いみたいで、凄く光るんだよ。これがあれば、暗いところに行っても大丈夫」
光のエレメントの魔石は暗闇を照らすランプや街灯などに使われる。
シェンタオは見て見て、とペンダントを火兎に差し出した。
「そうか」
火兎は短く答えると、荷解き作業に戻った。こいつとは合わないな、と火兎は騎士生活一日目にして少し挫けそうになった。