双子の誓い Ⅰ
空色の瞳に映るのは、不安と緊張。しかしその中に、強い決意の光が燻っていた。
少年は俯いていた顔を上げた。高い所で一つに結んだ、小麦のような金色の長い髪がさらりと揺れる。
走る馬車の中、金髪の少年の隣にはくるりと巻いた白髪を持つ幼い少年が座っていた。白髪の少年の顔、右の頬には青緑色の鱗が並び、同色のトカゲの尻尾が腰あたりから伸びている。
白髪の少年は隣の金髪の少年に赤い瞳を向けた。まだ大人になりきれない、あどけなさを残すその横顔。細い顎。引き締めた薄い唇。
「シャーロック様」
白髪の少年が発した低い男の声に、金髪の少年、シャーロックは顔を横に向ける。
「不安、ですか」
大人の男の声で白髪の少年はシャーロックに尋ねる。シャーロックは一度空色の目を伏せた。
「もうすぐ、なんだよなって」
「もうすぐ」
「あと二週間だろ」
「……そうですね」
白髪の少年は頷く。
「お互い納得して決めたこと。だけど、やっぱり不安なんだよなあ。俺、というよりも、あいつが」
シャーロックの瞳が揺れ動く。やはりそうか、と白髪の少年は心で頷く。シャーロックの決意の光が不安で吹き消されるその前に、白髪の少年は優しく明るい声をかけた。
「だから今向かっているんですよ。彼女のもとに」
白髪の少年はふわりと微笑む。
「彼女の腕は確かです。必ずシャーロック様の希望に応えてくれます」
「……シェンタオを信じるからな」
「ええ。ぜひそうしてください」
白髪の少年、シェンタオは再び微笑んだ。
僅かに馬車が揺れた。馬車が減速する。
「到着しますね」
シェンタオは赤く強い眼差しでシャーロックを見据えた。
「大丈夫です」
安心させるようにシェンタオは頷いた。シャーロックの瞳の奥、決意の光が輝きを増した。
馬車が止まる。到着した、という御者の声が聞こえた。
「行きましょう、シャーロック様」
「おう」
シャーロックはしっかりと立ち上がった。
六つの種の【人間】と、魔力を持ち人々に恵みを与える【幻獣】が共に生きる世界――アンリール。
アンリールを治める王が住む王都、ヴェレーネ。
小高い丘の上にある湖の中央には、尖塔が連なる石造の王城が誇り高く聳え立つ。
丘の下には王城を囲むように街が広がっている。アンリールの十二の地方の文化が混ざり合うこの王都は毎日賑やかで活気に溢れている。
商人が行き交い、立ち並ぶ出店には食料品や衣類、雑貨、流行り物から珍品まで、ありとあらゆるものが売買されている。石畳の広場では音楽家が自由に楽器を奏で、紡がれる美しいメロディーに誘われた人々は身体を揺らし、共に歌い、共に踊る。アンリールは現在大きな混乱もなく、安寧の時代を迎えていた。
馬車が到着したのは、賑やかな街のはずれ。民家や商店のない、木々の緑に囲まれた場所。葉の揺れるさわさわという音だけが聞こえる。
そこに建っているのは、古い小屋。木で作られており、蔦を伸ばした葉が壁を這っている。家の前には畑があり、あらゆる種の植物が植えられていた。薬のようなつんとした独特な香りを持つ星型の葉の植物、小さな赤い実をたくさんつけ蛇のように茎をうねらせた植物など、名も知らぬ植物が並んでいる。
シャーロックとシェンタオは馬車を降りた。シャーロックが先に扉の前に立ち、手を持ち上げた。
「お待ちください」
シェンタオの声にシャーロックは振り向いた。
「なに、シェンタオ」
シェンタオはシャーロックの前に立ち、制止するように目の前に手をかざした。
「私がノックしますので」
「別に大丈夫だろ」
「いえ、万が一のことがあっては大変ですので」
シェンタオは微笑みながらシャーロックを後ろに下がらせた。シャーロックは不満そうに口を曲げたが大人しくシェンタオの後ろに立つ。それを確認し、シェンタオは木の扉を拳で軽く三度叩いた。
奥で返事が聞こえた。女性の声だ。扉が開かれ中から現れたのはゆったりと波打つ長い水色の髪を持つ若い女性だった。髪の隙間から先の尖った耳が見える。
女性は背の低いシェンタオを見下ろすと笑みを浮かべた。
「シェンタオ、久しぶりね」
「お久しぶりです、リーア殿」
水色の髪の女性、リーアはシェンタオからシャーロックへと視線を移した。海のような青い瞳に見据えられ、シャーロックは思わず背筋を伸ばした。
「あなたが」
「シャーロック様です」
シェンタオが答える。リーアは胸に右手を当て、そっと頭を下げた。
「ようこそ、未来のアンリール王」
リーアの姿を見、シャーロックは居心地悪そうに頭を掻いた。
「ああ、別にそんな。いいよ、気にしなくて」
三週間ほど前のことだ。アンリールを治めていた王、エリックが病気で崩御した。まだ四十五歳だった。
エリックには二人の息子がいた。双子で、その兄に当たるのがシャーロックだ。
シャーロックはエリックの跡を継ぎ、もうすぐ弱冠十六歳でアンリールの王となる。王城で行われる王位継承式が二週間後に迫っていた。
父エリックの葬儀や残されていた王としての職務の代行など休む間もなく動き回り、気づけばあっという間に時が過ぎていた。なんとか時間を見つけ、ようやくこの小屋にやってきたのだ。
「どうぞ、中に入って」
リーアは扉を大きく開く。シェンタオが中を確認してから小屋に足を踏み入れ、次いでシャーロックが中に入った。
万が一のためにとシェンタオに中の確認をされたものの、リーアは嫌な顔をせずむしろ笑って二人を迎え入れた。
最初に二人を迎えたのは甘く独特なつん、とした匂い――薬の匂いだろうか――だった。
部屋の中は物で溢れていた。壁は全て棚であり、分厚い本や、薬草や粉状の薬品のようなものが詰められた瓶、鮮やかな赤やくすんだ青、白と紫がまだらに混ざったものなど、あらゆる色彩や模様のある石などが並んでいる。大きな木のテーブルにも本や瓶がはみ出し置かれている。すり鉢や天秤、空の瓶も並ぶ。作業中だったのだろうか、テーブルに置かれたすり鉢には何かをすり潰したような粉状のものが入っている。近くに乾燥させた植物が置かれていた。薬か何かを作っていたのだろうか。よく見ようとシャーロックは顔を近づけた。
「見てもいいけど触らないでね。この工房には危険なものもあるから」
リーアの声にシャーロックは顔上げた。リーアは笑っていた。
「ごめんごめん、俺こういうの見たことなくて」
シャーロックはテーブルから離れ苦笑した。あら、見るだけなら遠慮しなくていいのに、とリーアは再び笑った。
「それにしてもシェンタオ、あなたがここに来るのは何年ぶり?」
リーアはシェンタオに目を向ける。
「私がシャーロック様とアルフォンス様の教育係に任命される少し前ですから、十年ぶりでしょうか」
「まあ、あっという間ね」
リーアはシェンタオの足元から頭へ視線を動かし眺めると、首を横に傾けた。
「あなたは変わらないわね」
「……まあ、私はアニーミャですから」
「見た目じゃないわよ」
シェンタオの言葉にリーアは首を横に振った。
アンリールの人間は六つの種に分けられる。その内の一つがシェンタオの【アニーミャ】だ。
アニーミャは子供のような幼い容姿で、それは年老いても変わらない。成長するにつれ変わるのは声だけだ。シェンタオは十二、三歳ほどの少年の姿だが、その実三十八歳の成人男性だ。
また、アニーミャはその小さな身体に尾や角など、動物的特徴がある。シェンタオはトカゲの鱗と尻尾を持っていた。
ちなみにシャーロックは【ノマ】という種の人間だ。アニーミャや他の種のような身体的特徴はないが最も人口の多い種であり、手先が器用な者が多く、さまざまな開発や発明をしたのはノマがほとんどだ。
リーアは【エルフ】という種で、人間で唯一不老不死であり、成人した姿で身体の成長が止まる。魔力を持ち魔術を使える種であり、皆耳が尖っている。
リーアはきょとんと赤い目を丸くするシェンタオを見て笑みを浮かべる。
「あなたのそういう丁寧なところとか、穏やかなところとか、何かを守ろうとする強い意志とか。変わらないなあって」
「あなたも、変わらないですよ」
「私はエルフだもの」
「いえ、見た目ではなくて」
シェンタオとリーアは顔を見合わせて笑った。
仲良しなんだなあ、とシャーロックは笑い合う二人の顔を交互に見た。それに気づいたリーアはシャーロックを仲間外れにするわけにはいかない、と視線をシャーロックに向けた。
「今日は魔石を作りに来たのよね、シャーロック様」
「え? あ、そうそう!」
突然話しかけられシャーロックはわずかに声を裏返させた。
「シェンタオが言ってた。リーアさんは魔武器の力の核になる魔石を作る職人で、腕はアンリールで一番だって」
「アンリールで一番だなんて、大袈裟よ」
リーアは右手をひらひらと振った。
アンリールには【魔武器】と呼ばれる特別な武器が存在する。【魔石】と呼ばれる石を使って作られる武器のことだ。
魔石は大きく二種類に分けられる。一つは火、水などのエレメントと呼ばれる十二の属性を持つ魔石だ。
アンリールには十二の地方があり、それぞれの地方から一種ずつ、エレメントの属性を持った【聖石】という石が採れる。人々は聖石のエレメントの力を安全に使えるよう魔石に加工し、日用品などに使用している。火の聖石から作られた魔石は加熱調理の道具に、水の魔石は井戸に取り付けたりするなど、エレメントの魔石は人々の生活を豊かにしている。そのエレメントの魔石から作られた魔武器は、エレメントを操ったり、魔武器に纏わせて特殊攻撃をすることができる。
そして二つ。それは願いや思いが込められた魔石だ。魔石、または魔武器を持つ者の力や栄光、無事などを願い、その強い思いを魔石に込めたものだ。
「それで、シャーロック様はどんな魔石を作りたいの?」
リーアの海の色の瞳がシャーロックを強く見据える。シャーロックはその瞳をしっかりと見つめ返した。
「アルが……弟のアルフォンスが、騎士になるんだ」
――シャーリィ、王になってアンリールを守るんだ。そして俺は騎士として、お前を守る。
蘇るのは、お互いの道を決めたあの日のこと。アルフォンスの強い眼差しは今でもしっかりと自分を見つめているかのように目に焼きついている。
アンリールの王であった父が死んだ。母は十六年前、その弱い体で命懸けで自分たちを生み、そして亡くなった。王になるのは残された二人、どちらか。二人で長く話し合い、そしてお互いの道を決めた。シャーロックは王に。弟のアルフォンスは騎士に。
父親のエリックは王であったが、あまり良い王とは言えなかった。現在アンリールは安寧の時代を迎えているとはいえ、強引な政策が行われたことが何度かあった。その上、自分の息子たちへの関心も薄かった。愛情らしい愛情を受けたことがなかった。父エリックと、息子シャーロックとアルフォンスには大きな溝があった。それはエリックが死んだ今もまだ埋まっていない。
父親に愛されなかった二人にとっての本当の家族は、同じ顔を持つお互いの存在だけだった。大切な、大切な片割れ。
騎士とは、アンリールの治安を守る者。騎士になるということは、多くの危険に遭遇するということ。シャーロックは願った。唯一の家族が、大切な片割れが無事に生きて帰ってくることを。
「アルが無事に生きて帰ってこられるように、守りの力が込められた魔石を作りたい」
シャーロックは自然と拳を強く握った。そう。そのために今日はここに来たのだ。
シャーロックの澄んだ空色、その奥で輝く強い決意の光。
「大切なのね、アルフォンス様のことが」
「当たり前だ、俺の弟だからな」
「そうね」
リーアは優しく笑った。
準備をするため少し待つように言われ、シャーロックとシェンタオは離れたところから動き回るリーアを眺めた。
リーアは部屋の最奥へ移動する。そこには煉瓦で作られたかまどがあった。かまどには大人が一人でやっと抱えられるほどの大きさの鉄釜が吊るされている。鉄釜は火にかけられていた。鉄釜の中には黒く細かい鉱石のようなものが敷き詰められており、赤く熱を発している。
リーアはテーブルから数本の瓶を取り、中に詰められていた鮮やかな色のついた粉や植物の葉を鉄釜の中に入れた。粉や葉は溶けるように赤く燃える鉱石の中へ消えていく。
リーアは鉄釜に手をかざし、呪文を唱えた。すると鉄釜の鉱石の色が赤から青に変わった。そこでようやくリーアはシャーロックの方へ振り向いた。
「シャーロック様、こちらへ」
手招きされシャーロックはリーアの元へ、鉄釜の前に立つ。鉄釜が発する熱が身体に伝わる。
「この鉄釜の中には魔石になる前の石が入っているの。準備はもう整っているわ。あと必要なのは、あなたの強い思いと血よ。強く願いながらあなたの血をこの鉄釜の中に入れるの」
リーアはかまどの側のテーブルに置かれた小さなナイフを指差す。
「血は一滴で大丈夫よ。でも忘れないで。思いは強くなければいけない」
シャーロックはナイフを手に取った。そしてリーア、シェンタオに視線を向ける。リーアとシャンタオは頷いた。
シャーロックは光る切先をしばらく眺める。刃に映る自分の顔。それはもうすぐ騎士として危険な地へ行く弟の姿と重なった。
――大丈夫、必ずお前を守る。
「よし」
意を決してシャーロックはナイフを指先に強く当てた。傷から赤い血が滲み出す。
「守りたい人を思い浮かべて。強く願って。そして血を捧げて」
――アルフォンス。大切な片割れ。絶対に生きて帰ってこい。自分より先に死ぬなんて、許さない。
「どうか、アルを守ってくれ」
願いの言葉と共にシャーロックは鉄釜に手を伸ばす。指先から鮮血が落ちる。それは鉄釜の中へ吸い込まれていった。
次の瞬間。
「っ!」
シャーロック達は手で顔を覆った。鉄釜から青々と輝く炎が噴き出したのだ。青い炎は爆発したように弾け、嵐のように風が吹き荒れる。風で髪が後ろへと流される。部屋が眩しい青い光で満ちる。
「凄い、こんな強い炎見たことないわ!」
リーアは吹き荒れる風と眩しく輝く光に目を細めていた。その表情は興奮に満ちていた。
青い炎はしばらく風とともに弾け燃え盛っていたが、やがて静けさを取り戻し、ゆっくりと消えた。鉄釜の中で熱を発していた鉱石も燃え尽きたように黒くなっている。
リーアは薄らと煙が上る鉄釜の中に火箸を差し込んだ。黒い鉱石をかき混ぜると、中から大空を思わせる青々と輝く石が現れた。手のひらに収まるほどの大きさのその石を火箸で拾い上げ皿に乗せる。
「これが魔石よ」
それは宝石の輝きとは違う、ゆらめく陽炎を纏っているような、神秘的な輝きを持つ石だった。
「これが、魔石」
「ええ。こういう風に願いや思いを込めて作られる魔石は血を捧げた人の思いによって姿を変える。私は長い年月魔石を作ってきたけれど、こんなに美しい魔石は初めて見るわ」
シャーロックは顔を上げる。そこには微笑むリーアの顔があった。
「この美しい魔石は、必ずあなたの願いに応えてくれるわ。触ってみる?」
リーアに皿を差し出され、シャーロックは魔石に手を伸ばす。もう熱は持っていないようだ。心地よくひんやりとする魔石を手のひらに乗せる。空色で、中にはいくつもの小さな光が星空のように輝く。この魔石が、アルフォンスを守ってくれる。シャーロックは魔石を握り締めた。それを胸に当て、もう一度強く願う。
「アル。どうか、無事に帰って来てくれ」