5.忠告
それから数日後。
楠正嗣から連絡が入ったのは丁度、その日の仕事が一段落した頃。時刻は午後六時過ぎ。
久しぶりに早く帰れると、大和に連絡をしようとした所だった。
端末が着信を知らせる。表示を見て出ようとした手が止まった。
楠──。
あの事件後、正嗣とは連絡を取り合っていない。特に断りをいれたつもりはないが、関わりは絶とうと決めていた。
それを感じ取ったらしい正嗣も一切連絡はしてこなかったのだが。
何かあったのか──。
出ない訳には行かない。通話ボタンを軽くタップした。
「…久しぶりだな。楠」
『元気そうで何より…』
「挨拶はいい。…何があった?」
『察しが良くて助かる。実は古山の事で伝えたい件があってな…』
その名に、やはりそうかと思った。
「…分かった。聞こう」
『では今から言う場所に一時間後、いいか?』
「ああ」
その後、正嗣がとある場所を指定し、そこへと向かった。
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正嗣が指定したのは、夜も営業しているビル内に併設された水族館。
そこを指定された際、一瞬、沈黙したが、楠が生真面目な声でよろしくと言うものだから、結局、冗談も飛ばせず大人しく従った。
都会の中にあるとは思えない程、自然に満ちたそこは、夜間は照明が落とされ、館内には青白い光に照らされた魚や水生生物達がゆったりと、または忙しなく泳いでいる。
元々デートスポットではあるが、夜とあって更にカップルは多い。
男二人は完全に浮くが、逆に他にも厳つい男たちがいれば目に付く。同業者を発見しやすかった。
しかし──。
「よくここを指定したな?」
半ば呆れてもいたが。正嗣は笑いもせず肩をすくめると。
「部下の玉置がここがいいと。…確かに不審者は目立つな」
「ま、俺たち以上に目立つ輩はいないだろ。手でも繋ぐか?」
「岳。そう言う冗談は通じない」
正嗣はジロリと睨み返す。
「…分かってるって。言ってみただけだ。むさ苦しい男同志、冗談でも言わないとやってられない…」
雰囲気はいい。機会があれば大和を連れて来ようと思った。
大和は予想通り、動物園や水族館が大好きで。
いつだったか動物園ではミーヤキャットの前にへばりついて動かなかった。口の中で何事かブツブツ言っていたのが今でも気になっているが。
水族館だと、アザラシの水槽の前で動かなくなった。これは単に好きらしい。
コツメカワウソは見に行ったが、生憎巣箱に潜り込んで出て来なかった。
『どうせ笑われるからいい…』
どこかムッツリしてなるべく柵の中を観ないようにして大和は通り過ぎた。
その様子がかわいくて可笑しくて、また笑ってしまったのだが。前に酷くからかったのを根に持っているようで。
大和とそんなふうに過ごしたのは数えるほど。
だからこそよく覚えているのだが、そんな時間はもっと多くなるものと思っていた。
一つ一つが思い出せないくらい、沢山の時間を大和と過ごしたいのだ。
「…岳?」
正嗣の声に我にかえる。
「何でもない…。所で今日の要件は?」
正嗣は周囲に視線を走らせたあと。
「古山が妙な動きを見せている。会長宅ですれ違ったが、いつもの挨拶ではなく、何かの許可を得に来たらしい。それと、配下の連中に対して、組分けを変える指示を出した様だ。…誰か受け入れる準備の様だともっぱらの噂だが──」
「なるほど…」
何かするとは思っていたが、会長に直接願い出るとは。正嗣が怪訝な顔をする。
「知っているのか?」
「…この前、奴の誘いを断った。それで諦める様な奴じゃない。何かしてくるとは思ったが…」
「奴は会長に頼み込んで、お前を引き入れるつもりか?」
正嗣は顔をしかめる。岳は落ちてくる前髪を面倒臭そうにかき上げながら。
「会長の言うことなら聞くと思ったんだろう」
「聞くつもりはないと?」
「当たり前だ。そんなつもりはない。会長だってそんな事に首は突っ込まないさ。だいたい、聞いたらお前も困るだろ? 俺は一切そっちに関わるつもりはない。縁は切ってる」
正嗣は小さくため息をつくと。
「まあ、そうだろうな。お前はあの時にもう辞めたんだったな…」
正嗣の言葉に今度は岳が肩をすくめて見せ。
「俺は本来の場所に戻っただけだ。後のことはお前に任せてある。…それに、それが本来の姿だ」
「…そうだったな」
「お前だって勧めてたろ? 俺がもとに戻るのを…」
何処か残念そうにも見える正嗣に苦笑する。正嗣は至極真面目な顔つきになると。
「あの時は、な。だが、いなくなって分かる事もある」
「……楠」
「…だが、分かってる。お前を無理やり戻しても、もうあの頃には戻れない。あの頃のお前は『作り物』だからな?」
岳は館内で一番大きい水槽に悠々と泳ぐ魚の群に目を向けた。
「そうだ…。俺は自分の本来の居場所を見つけた。あれはまやかしだ。大和のいるところが俺のいる場所だ」
「…そうだな」
正嗣は目を伏せると静かに笑った。