25.日常
次の日から、また日常が始まる。
朝食準備の為キッチンに立った俺は、朝のキリリとした光が射し込むリビングに目を向けた。
ここに後一時間もすれば賑やかな声が溢れる事になる。漸く戻ってきた時間にほっと息をついた。
皆の協力があって、岳が帰ってきた。
亜貴は俺を気遣ってくれたし──受験生だというのにだ──真琴は俺の行動をずっと見守ってくれていた。他にも藤に牧、祐二に楠──いや、正嗣に。
挙げだしたらきりがない。
なにより磯谷には感謝しかなかった。あの磯谷の登場で、古山はやっとその手を止めたのだから。
あの時は茫然自失で感謝の意を伝えられなかったけれど、折を見てお礼を伝えに行かねばと思う。
つくづく、俺は人に恵まれているよな。
ただ一人、ほとんど蚊帳の外だった牧だけは怒りまくっていたが。
藤は仕込みのある牧に遠慮して、声をかけなかったらしい。
今はまだ一人で切り盛りしているラーメン店は通の間ではかなり人気で。真っ当な道を歩き出したのを、早々に休ませるわけにはいかなかったとは藤の談だ。
皆、それぞれの道を歩き出している。
岳だってそうだ。
あの時。
古山がまるで岳を一生閉じ込める悪の権化としか思えなかった。それを倒さないと、岳は自由になれない。そう思い込んでいた。
でも、実際道は色々ある。
それに、なによりそれは岳自身の問題だ。
岳ならきっと一筋、細い糸一本の光でも見つけ出し、なんとか逆境を切り抜けただろう。
それなのに…。
俺は本気で古山を消そうとした。それが岳の為だと思い込んで。
人の道に外れた身勝手な行動だ。そんな事をすれば、一気に闇へ転落するし、なにより生きてはいなかっただろう。
そうなれば、どんなに岳を傷つけたか。悲しませたか。岳以外にも俺に関わった人たち全員に悲しみを植え付ける。
そんなの、俺が望むことじゃない。
なのに、それを止めることができなかった。あの時はまともでは居られなかったのだ。
俺、こんなにやばい奴だったのか?
改めて思う。
前回は、岳の為に自分が傷つくのもいとわなかった。けれど、今回は逆に人を殺めようとして。
それじゃ、俺を殺ろうとした倫也と同じ。
同じ穴のムジナだったのか──。
いや。ムジナはアナグマだ。俺の場合はカワウソで。ん、でもググるとイタチ科だから一緒か? ……なんて、バカな事を考えている場合じゃない。
兎に角。岳はそんなことはないと否定してくれた。俺もそれを信じてここに、岳の側にいる。──けれど。
「…考える過ぎるのは、良くないよな…?」
胸に湧きあがる一抹の不安を、俺は頭を振って振り払った。
+++
岳がようやく家に帰り、また以前の様に賑やかな日々が始まる。
真琴は安堵する。夜、寝る際にベッドに空いてしまった空間を、少々寂しく思うが。
また、そんな機会もあるさ。
一緒に眠る事に抵抗はもうないはず。また、岳が大和を放っておくな事があれば、そんなチャンスもあるだろう。
その岳はまるで何事もなかったようにいつも通り。けれど、大和の表情はどことなく晴れない。
時折、表情が暗くなったりため息をつく。それを岳が気付かないはずがないのだが。
「大和。あいつとはどうなったの?」
亜貴が食べ終わった食器をシンクに置きながら、食後のコーヒーを用意している大和に声をかける。
「あいつって?」
大和はミルで豆を挽きながら亜貴を振り返った。
「浅倉! あいつが事の発端だろ? まさか、いまだに連絡取り合ってんの?」
「え…。まずいか?」
「まずいでしょ…。兄さんだっていい気はしないよ。ね?」
亜貴は話を、丁度食べ終わった岳に振るが。
「それは大和が決めることだ。ただ、俺は今後一切、自分から関わるつもりはない。それだけだ。──だが、また大和に何かするっていうなら別だな。次はない」
次があったら、きっと大希は二度と大和には会えないだろうし、顔を見せることもできなくなるだろう。
亜貴に対しての過保護っぷりはだいぶ収まったが、大和には自由にさせている様に見えて、かなり過保護になっている。
ま、可愛くてしかたないんだろうな。
真琴は大和の淹れてくれたコーヒーをダイニングテーブルについて飲みながら。
「そうは言ってもあれから、会ったのは一度きりだろう?」
「うん。あの後、少し話してさ。あとは大希も忙しそうだし、俺も直に山小屋の仕事が始まるから、当分会えないだろうな…」
どこか遠くを見るような目つきになった後、一瞬、その表情が曇る。
やはり、可笑しい。
真琴はちらと岳に視線を向けた。岳は淡々とコーヒーを飲んでいるだけに見えたが、きちんとその目は大和を追っていた。
気付いているのだろう。
「次話しに行く時も、俺が付いていく。当分、二人では会うなよ?」
「岳…」
そこまで心配しなくても、と大和は言いたげだったが。岳は受け付けない。
「俺が安心したいだけだ。大和を信頼してないわけじゃない…。ただ、相手を信用してはいないからな。──それより、この前の修正、結構うまくいってたぞ?」
「本当?」
これで大希の話は終了とばかりに終わらせると、次の話題に移った。やはり、本音は話題に上らせるのもイヤなのだろう。
大和はここ最近、少しではあるが、岳の仕事を手伝いだしている。勿論、山小屋の仕事が始まるまでの間だが。
「ああ。汚れが一つもなかった。いい出来だ」
綺麗に見える画像でも、埃やモデルのシミ、その他余分なものが入り込んでいる。それを修正していく地味な作業だ。
だが、案外ツボに入ったのか、大和は時間があるときにちょこちょこ手伝っている。
「へへ…。岳に褒められると、嘘でも嬉しいな」
「嘘じゃないさ。祐二の所へ行ったら暫くできないが、また帰ってきたら頼む」
「了解!」
いつもの大和の笑顔だ。
あの表情の陰りがなんなのか、気になるところだったが、今はまだ口を出すべきではないだろう。
暫く岳の行動に任せようと思った。