16.古山の元で
大和に会ってから数日後、大希は古山の部下に組事務所に来るよう言われた。岳の件で頼みたい事があるらしい。
事務所を訪れるのは初めてで。悪い話では無いと言われたが、それでも恐る恐る出向く。ヤクザの組事務所に行くことなど、今までなかったのだから。
関わるなと言った大和の忠告が頭を過る。
やっぱり、一度関わってしまえば、関係を断つのは難しいんだ…。
それは岳も同じだと思った。
古山の組事務所は、他の住宅からは少し離れた、木々に囲まれた場所にあった。外壁は全て暗いグレーのタイル貼りで統一され、堂々とした造りの近代的な建物。
インターホンで名乗れば、すんなりと入室を許可された。自動で開いた門扉から中へと入る。敷石の先にあった玄関ドアは、弾除けなのか、やたら分厚く重かった。
入ると直に古山の部下が応対する。かなり下の者なのか、大希と余り年が変わらない様に見えた。
内装もコンクリートの打ちっぱなしの壁が続くシックな造りで。ヤクザと言えば、純和風な日本家屋を想像しがちだが、どうやら古山は違うらしい。
映画や漫画の見過ぎかな。
部下の案内で、大希は広めの廊下を抜け、応接間の一つに通された。そこもコンクリートの打ちっぱなしの壁が続く。
黒い革張りのソファに緊張した面持ちで座っていると、暫くして部下を一人伴った古山が現れた。
古山と直接会うのはこれが初めて。短髪にがっしりとした体躯。身長はそれほど高くはないが、他の者にはない威圧感があった。
連れてきた部下は岳の情報を掴むために大希が関係を持った男だ。こちらは大柄で同じくガッシリした体躯に冷たい表情をした男で、他人対して情を持つタイプには見えなかった。
大希と関係を持ったのも、単なる好奇心で、思っていたより楽しめた為、関係を続けているに過ぎない。自分さえ良ければいい、そういうタイプだ。
古山は立ったまま大希を見下ろすと。
「お前が浅倉か。前は上手くやってくれたな。お陰で岳はこっちに戻って来られた。礼を言う。──確かに、あのガキより随分増しな顔してるな? そっちもいいんだって?」
古山の意図を含んだ視線がその関係を持った部下の男に向けられた。男は僅かに頷いて見せる。
「これなら岳も納得するだろう…」
古山は満足げだ。状況がわからず大希は困惑するが。
「あの…岳って、いったい…。今日は何の用で──」
「岳の下で働いて見ないかと思ってな? 奴がいいんだろ? なら丁度いい。あいつはこっちでやってく人間だ。お前みたいな人間の方が付き合うにはいいだろう…」
おまえみたいな──。
それはすっかり自分もこちらの世界に染まってしまった者の様で。抜け出せない底なし沼に嵌ってしまった心地がした。
「俺は…そんな風に言われて付き合うつもりは──」
すると、古山は先ほどとは打って変わって鋭い目付きになると、大希の前髪をわし掴み、乱暴に引き上げた。
「──っ!」
目前に古山のギラついた顔が迫る。掴まれた前髪が引きちぎられんばかりだ。
「お前の意見なんざどうでもいい…。口答えする権利はねぇんだよ。こっちの世界で生きてぇんだろ? お前の働いてる店、あれは今は楠んとこが面倒みてるようだが、直にあそこもうちのもんになる。誰の下にいるのが得か、よく考えろ。な? ──おい。岳呼んで来い」
古山の指示に応じた部下はすぐに部屋を出て行った。古山は手を離す。どっと身体の緊張が解けてソファに投げ出されるように座り込んだ。
「いい子にしてりゃ痛い目には遭わねぇ。よく頭に叩きこんどけ」
「……っ」
冷たい言葉が頭上に響く。膝の上で手をギュッと握りしめた。先程から後悔しかない。
ほどなくして部下の男が岳を連れて戻って来た。
すらりとした長身に、襟足にかかる長めの栗色の髪。難なくスーツを着こなした姿は、ヤクザと言うよりモデルの様だった。
しかし、いつか見た時より、殺伐とした印象を受ける。冷たく無表情な顔。そこには以前あった柔らかな表情は何処にもなかった。
古山はニヤついた顔を岳に向けたあと。
「おう、岳。こいつ──」
古山が言い淀みこちらを振り返る。名前など覚える気も無いのだろう。
「浅倉…大希です」
「そうだ、浅倉だ。少しは知ってるだろ? ──色々あったからな」
古山は含みを持ったもの言いをするが、岳は冷たく突き放す。
「…名前を知ってる程度です」
「──まあ、いい。お前んところで面倒みてやってくれ。お前に世話係が必要だったろ? 丁度いいと思ってな。ついでにまだこっちの仕来たりには慣れてねぇようだから、しっかり仕込んでやってくれ」
「…はい」
岳はちらと大希を一瞥し、視線を逸らした。そこから既知の者同士だと言うことは読み取れない。
岳とは一度会っていた。祐二の店で撮った写真も見ている筈。覚えていないはずがない。しかし、岳はまるで知らぬ素振りだ。
「後は任せた。──うまくやれよ? いい子にしてな…」
ニヤリと笑って大希の肩を叩いた古山の顔は酷く下衆に見えた。大希は眉をしかめつつ、ただ無言で俯く。
古山が退出すると岳は暫くたって口を開いた。岳はソファに座る大希の斜め向かいに、腕を組んで立っている。
「…浅倉。ついてこい」
「あ…っ、あの! 俺──」
半分腰を浮かせば。
「黙ってついてこい」
厳しい表情で大希を見下ろしている。ここで何も語る気はないのだろう。
結局、何も言えず、そのまま岳のあとに大人しく従った。
+++
事務所を出て、部下の運転で向かった先は、古山の事務所にほど近い高層マンションの一室だった。そこを仮の事務所としているらしい。
中へ入ると数人の部下が待ち構えていた。皆、厳つい男たちで岳を認めると頭を下げ、次の指示を待っている様子。
案内されたリビングは、応接用に使っているのかソファセットが置かれていた。
そこへ座るよう勧められる。岳もその対面に座った。部下は別室で待機していて、部屋には誰もいない。岳は徐ろに口を開いた。
「…浅倉。お前、雅の所で働いているんだってな? 急に来なくなって心配している様だったぞ」
「あ…」
雅にはあれ以来、連絡していない。行けばまた大和に出くわしそうで、行き辛かったのだ。
「お前…、ヤクザになる覚悟がないんなら、これ以上、関わるな」
「……」
大和と同じことを言うと思った。岳は軽く息を吐いた後。
「…お前をここの事務所と俺が使ってる部屋のハウスキーパーとして雇うことにするが、それが終われば帰っていいし、夜は今まで通り雅の店に行け。それが俺の下にいられる条件だ」
「でも──」
掃除にはそう時間はかからないはず。午前中にでも終わってしまうだろう。あとは自由時間だ。雅の所へは夜九時過ぎに行けばいい。
それでは普段の生活とほとんど変わらない事になる。
「俺の部屋はこの上だ。ついてこい」
やはり有無を言わさない。そのまま無言で後に続いた。
岳が自室に使っている部屋は、事務所用の部屋の一つ上だった。隣り合っていないため、少し息がつける。
事務所と同じ間取りのそこは、一人で暮らすには大きすぎる程だった。がらんとした部屋には驚くほど私物がなく、まるでモデルルームの様。
リビングに入ると、ようやく岳は口を開いた。
「ここには事務所や車の中の様に盗聴器はない。俺も古山からはまだ信用されていないからな…」
「え…」
リビングのソファに座るよう促され、岳もその斜め向かいに腰を下ろした。岳は鋭い視線を向けると。
「浅倉…。お前、大和の拉致に手を貸しただろ?」
「……」
岳の詰問に大希は唇を噛みしめ無言で俯く。それは応と返答したも同じ。岳は視線を逸らさずそんな大希を見つめる。
「大和はお前を信頼してた。それを裏切った。…あいつと話したようだが、大和が許しても俺は許さない」
「…っ、で、でも! 俺は──」
「理由があろうとなかろうと、俺はそう決めた」
大希は言葉を失う。
「お前、ヤクザになりたいのか?」
「いえ…。俺は──ただ…」
「ただ、なんだ?」
「…あの…俺。一度、あなたに助けられたことが、あるんです…。きっと、覚えてないでしょうけど…。それで──ずっと、お礼を言いたくて…」
「覚えてないな。だが、それだけで俺の下についていいのか? ヤクザになるって事だぞ? 一生、暗い底辺の世界だ。光も当たらない。…その覚悟がお前にあるのか?」
すると大希はくっと顔を上げて岳を見据えると。
「俺、あなたに憧れているんです…! たった一度会ったきりですけど…。いつか、側にいられたらって…。ヤクザだっていいんです…!」
好きなのだとはさすがに言えなかった。しかし、岳はああ、と納得し。
「古山さんもそれで俺につけたのか…。お前をあてがって置けば、繋ぎ止めて置けるとでも思ったんだろ…」
まったく、とため息を吐き出した岳は髪を無造作にかき上げた。それは、ヤクザの岳の仕草ではなく、素の岳のようで。
「正直、俺はお前を側に置きたくない。だが、お前に何かあれば、大和が悲しむ」
「大和が…?」
「お前を助けるのは、大和の為だ。でなければ、お前のような奴、どうなろうと放っておく。──だが、お前が堕ちれば大和が悲しむ。それを見たくないから今は助ける。俺の目の届く範囲にいた方が安全だろう…。大和に感謝しろ」
ああ。この人は。
本当に大和が大切なのだ。大和の為だけに、自分を抑え嫌う相手さえ助けようとする。
──羨ましい。
そんな岳にどうしようもなく惹かれる自分がいた。
自分も同じように思われたい。好かれたい。
「分かりました…」
大希は俯くと返事を返した。
でも、俺も好きなんだ。
+++
次の日から早速、ハウスキーパーと言う事で事務所内の掃除やその部屋の掃除もすることとなった。
掃除洗濯の類は別段、得意でもないが苦手でもない。事務所の掃除──とはいっても、かるく掃除機をかける程度だが──が終わり、岳の自室の掃除となった。
昼過ぎ、指定された時間に行くと、岳は外出中だった。鍵は前日に渡されている。
部屋に入るとやはり人の生活している匂いがしない。本当にここに人が住んでいるのかと疑いたくなるほど。
ただ、寝室のベッドはさすがに乱れていて、それでここに人が寝泊まりしているのだと確認できる。
岳さんの香り──。
シーツや枕カバーのリネン類を替えながら、ふと手に取ったそれを抱きしめる。
まるで岳に抱きしめられている様な心地がした。
これを、大和は独占しているのだ。嫉妬と羨望、苛立ちが湧く。
でも、今の状況なら大和と会うことはないはず。
それがいつまでなのかは分からないが、当分は無理だろう。その間に古山の言うように、自分に振り向かせればいいのだ。
大和の件もあって岳は自分を警戒し、許さないと思っているのは事実だ。けれど、心とは別に、身体だけなら自分に振り向かせることはできるはず。
今まで付き合った男たちをかなり満足させてきた。
岳だって実際自分を抱けば変わるはず。
例え心は許されなくても、構わなかった。その瞬間は自分だけのものだと思えるからだ。
岳さんを俺のものにする──。
大希はその意思を示すようにシーツを固く握りしめた。




