95 朝食の席で2
確かにそれならば、ハニートラップにかかりようもない。
疲れた顔つきになったファビアーノに、デルフィーナはちょっぴり申し訳なくなる。
とはいえエスポスティ商会への伝手は欲しがる者が多いのだから、コフィアが繁盛していなくても、ファビアーノは誰かしらに何らかの無理難題をふっかけられていただろう。
今は冬で、学院に籍を置く彼らも、王都に家を持たない者は週末も寮にいるままだ。
逆にタウンハウスのある者は、ファビアーノのように週末は家へ帰る。
婚約者も王都にいて、会うような立場なら、そこそこのお家か、宮廷に出仕する官僚や騎士の子息に限られる。あるいは大商会の子息か。
それならば、今後のファビアーノにとっても、大事な友好関係と思われる。
「お兄様。それなら、週末にでも、小規模なガーデンパーティを開いたらいかがかしら?」
家の中はデルフィーナの工房や画家の出入りするアトリエがあるため、立ち入りを制限したい。その点、庭の四阿をメインにしたお茶会なら、レストルームを使うにしても、案内として使用人をつけられるから、勝手に動き回られる心配がない。
「ガーデンパーティ?」
「ええ。そこで、コフィアのメニューにあるお茶とお菓子、お料理を出したらいかが? 作り手は我が家の料理人になりますが、そこが逆に<店へ行っても食べられない>特別感を出せるでしょうし。ご家族へのお土産も用意すればよろしいのではなくって?」
婚約者に限り、同伴可とすれば、ねだられているという友人の面目も立つ。
レシピの販売を既にしている料理なら、レシピをお土産にするのもアリだ。
「なるほどな! それはいい!」
嬉しそうにファビアーノは両手を叩いた。
「だが、いいのか? 客に出しても」
「いいのではありません? お父様やお母様も、屋敷にお招きしたお客様へは普通にお出ししていますし。ただ、パーティという形では今までやっておりませんから、あまり口外しないようご友人方にお願いしておくほうが無難だと思いますね」
「それはそうだな」
今まで以上に、今度は「家に招け」と知らぬ相手から迫られるのはごめんだ。
身に沁みているファビアーノは深く同意して頷いた。
パーティを開くための細々した手配は、ファビアーノが自身でやれば、今後の社交の役にも立つだろう。
“お茶会”というものが未だないバルビエリで、もしかしたら、これが初の“お茶会”になる。
ファビアーノだけでは心配だから、家令のアメデオによくよく頼んでおこう。
朝食を終えた一同は、シッティングルームに場を移して食後の紅茶を楽しみながら、ファビアーノのティーパーティについて話を進めていく。
このファビアーノのティーパーティの後、エスポスティ家では小規模のガーデンパーティが頻繁に開かれるようになるのだが――それはまた、別の話である。
刺繍を施せる何か新しい品はないかしら? そうクラリッサに問われたのは、男性陣がティーパーティについて詳細を詰めている時だった。
朝に弱いデルフィーナの母は、朝食は取らず、大抵シッティングルームで紅茶を飲んで目覚ましとしている。
本当に起きられない時は、ベッドまで侍女が持っていき、そこで飲んでいるらしい。
カフェインの作用、身体を温める紅茶の働きを考えれば、モーニングティはクラリッサに合っている。
今朝もクラリッサは眠そうな雰囲気のまま、皆のいるシッティングルームに現れた。今日の眠気は幾分まし、といったところか。
いつもならそろそろ仕事へ行くはずの男性陣がシッティングルームで盛り上がっていることに驚いていたが、デルフィーナの掻い摘まんだ説明に納得して、クラリッサはゆったりとティーカップを傾けていた。
そして、二杯目のお茶へミルクを注いでから、ふと思い出したように言ったのだ。
「新しい品ですか?」
「ええ。ほら、がま口を前に作ってくれたでしょう? ああいう、何か。できれば布と糸だけで完成するものがあればと思って」
ちょっと困ったようにおっとり微笑む。
クラリッサはほうぼうの貴族家のご婦人達に昼餐やガーデンパーティの誘いを受ける。
晩餐は基本的に夫婦で受けるものなので、ドナートを伴わない女性のみの社交は、昼日中が中心だ。
そこで誰か、目上の相手から言われたのかもしれない、新しいものはないのか、と。
貴族は新しいもの、珍しいもの、変わったものが好きだ。
戦のない時代、他家との競争は、社会的地位――宮廷での役職や、社交でおこなわれる。
要職につけるかどうか、それも含めて人間関係は重要で、その関係をより良くするために贈答品は欠かせない。
希少なもの、印象に残るもの、既存にないもの。より良い品を見つけて、あるいは作り出して贈れば、もらい受けた側に目をかけてもらえるようになる。
今の地位を盤石に、そしてより上へ。そういう考えから、貴族達は目新しいものを好むのだ。
単純に、趣味として変わったものを蒐集する者もいれば、暇だから刺激が欲しくて珍しい物を追い求める者も、いるにはいるが。
クラリッサはその固有魔法から、どの貴族家相手でも邪険にされることはない。
だが所詮は子爵夫人。妬まれることも、見下されることもある。
特に親しくしているお家と対立する門閥の人からは、たまに無理難題をふっかけられることもある。
そういう時でも大抵は、親しくしている方々から庇ってもらえるのだが。
「新しいものは、どなたも求めていらっしゃいますものね」
温かい麦茶を飲みながら、デルフィーナは納得した。
布と糸だけでできるもので、今はなくて、少ない刺繍でも多い刺繍でも大丈夫なもの。
さて、何があるだろうか。簡単に作れる小物がいいようだ。
過去の自分が使っていたものを思い出す。
ティッシュケース、は、そもそもティッシュがない。
パスケース、は、革がいいし、入れるパスがない。
コインケースはがま口と大差ないし、ファスナーを使ったタイプは、ファスナーを作るところからだし、布と糸だけにならない。
シュシュは、ゴムがない。それっぽい木は見つかっているが、ヘアゴムにできる段階ではないし、やはり布と糸だけではない。
ハンカチは当然既にある。
「手帳、ペン、ペンケース、ポーチ……うーん」
鞄の中に入れていたものを考えても、パッと浮かぶ布製品がない。
ポーチだってペンケースだって、ファスナーが必要だ。
手帳はビニールのカバーがついているタイプだったし。ビニールに類するもの、代替できそうなものは見つかっていない。
「あ」
デルフィーナは小さな唸りを止めた。
「お母様、ブックカバーはいかがでしょうか?」
「ブックカバー、ですか?」
「はい。本も、だいぶ植物紙製のものが増えましたよね」
「そうね。私が子どもの頃には、羊皮紙の本しかなくて、本といえば貴重品でしたが」
植物紙が出回るようになり、識字率は未だ低くとも、エスポスティ家のように使用人が給金を貯めたり集めたお金で買えるくらいにはなっている。
聖書や聖典にあたるものがこの北大陸にはないが、代わりのように、高位聖職者、聖者と呼ばれる人々の名言や金言を集めた本ならある。いわば箴言集だ。それは今も羊皮紙を使っている。
宮廷の重要な書類、契約書の類いも、未だ羊皮紙のため、植物紙の本はどれほど豪華でも一段低く見られている。
とはいえ逆に、植物紙の本なら手に入りやすいとあって、戯曲を書き起こしたもの、吟遊詩人の綴る詩歌なども本になってきており、貴婦人方にも手に取られることが増えていると聞いた。
羊皮紙よりかさばりにくく、コンパクトに作れて軽いのも、好まれる要因だ。
だが厚紙があっても固さの足りない現状、植物紙の本は過去世で考えるとペーパーバックに近い。表紙がソフトタイプの本だ。
文庫本を鞄に入れる時、その本の角折れや汚れが気になる場合、ビニールのカバーをかけていたことを思い出す。
そして、友人は、ビニールでは味気ないと、お手製の布のブックカバーをかけていたことも。
絹は、それだけではカバーにできないかもしれないが、綿布と二重にすれば、厚さや機能に問題なくなる。
麻は向かないが、そもそも貴族は麻などほとんど使わないから、除外でいい。
刺繍を多くも少なくもできるし、布自体が高いもの安いものと選べる。染めによっても産地によってもピンキリなのが布だから、差異をつけることが容易くできる。
「お持ちの本、あるいはまだお手に取っていらっしゃらない本に合わせて、布でカバーをつけて差し上げるのですわ。本の内容に合わせて刺繍を入れるもよし、お持ちになる方の好まれる色やモチーフで入れるもよし。植物紙の表紙の頼りなさを補強しつつ、見目良くできます」
デルフィーナの説明に、クラリッサは深緑の瞳を煌めかせる。
「ええ、ええ、素敵だわ。それに、カバーをかけてしまえば表紙が見えなくなるのもいいわ。外で読む時に、何を読んでいるのかわからなくできるもの」
確かに、何を読んでいても、人の目を気にせずに済む。
どんな趣味なのか、他人にあげつらわれるのを防げる点で、カバーは有用だ。
「あとは、カバーにリボンや組糸で栞をつけるとか」
「まあ。リボンをそんな所に使うの?」
そういえば、バルビエリではまだリボンは男性の衣装にしか使っていなかった。
元来体な使われ方しかしていないから、幅広のものしかない。ラッピング用にいつか細いものを作れたらと考えていたが、他にやることがたくさんあって、そこまで手が回っていなかった。
「リボンは色々と使えるのですが、まだブックカバーに使うのは早いかもしれませんね」
栞をつけるにしても、まずは組糸からでいいだろう。
リボンに刺繍を施して装飾品として使えるという話は、心の内へしまっておく。
「そうね。あまりにも色々と出してしまうのは、きっとよろしくないわ」
ゆったり肯定したクラリッサは、それで、とブックカバーの詳細を問うてくる。
デルフィーナは口頭で説明しつつ、エレナに薄い紙を持ってきてもらう。それを見本代わりに折って見せながら、縫う所、余裕を持たせた方がいい所など、細かい部分を伝えていく。
楽しそうに話を聞いてくれるクラリッサに嬉しくなって、デルフィーナは意識しないまま、なんだかんだと案を語っていた。
そんな二人をドナートが温かい目で見守っていたことに、デルフィーナは気づかない。
クラリッサだけが、視線でドナートへ大丈夫だと告げる。
ブックカバーは、“稀なる人”でなくても思いつく品だ。出処がクラリッサなら、広い友好関係から拾ったと思わせることができる。
やんごとない方々へ贈る時には、その辺を注意すればいい。
組糸の色合わせについて案を語るデルフィーナに微笑みながら、クラリッサは手にしていたティーカップをおろす。
「色んな組み合わせができそうだわ。一緒に試してみない?」
「はい!」
元気よく答えたデルフィーナの頭を撫でながら、クラリッサは娘を自室へと誘う。
早速試作品を作ることにした母娘は、そのままシッティングルームを後にした。
お読みいただきありがとうございます。
キリのいいところまで入れたらいつもより少し長くなりました。
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