94 朝食の席で
「ねえお兄様」
「なんだ?」
「学院では、年若い淑女についてのお話などなさいませんの?」
唐突なデルフィーナの質問に、朝食を取っていた家族の面々は手を止めた。
今日は週末で、いつもは寄宿舎に居るファビアーノも、昨夕帰ってきたので同席している。朝が弱いクラリッサのみ、姿を見せていなかった。
「淑女について?」
わからない、という風に眉を動かすファビアーノに、デルフィーナは頷いた。
「ええ。端的に言いますと――女性での失敗談とか、先輩方の武勇伝とかですわね」
ブフッと吹き出したのは二人。
聞かれた当人のファビアーノと、カルミネだ。
何を言い出すかわからない時は心構えするのが習慣になっているアロイスと、娘の突拍子もなさにそろそろ感覚が麻痺してきたドナートは、表情が変わっただけだった。
「なっなにを唐突に!」
焦りなのか何事かを想像したのか、ファビアーノの顔は真っ赤になっている。
「あら。だって、お兄様はまだ武勇伝を打ち立てるお年ではないでしょう? それともまさか、もう失敗の経験がおありなの?」
胡乱げな眼差しになった妹に、兄は更に動揺する。
「そんなわけないだろう!」
「ですわよね」
にっこりと笑ったデルフィーナに、これはいつまで経っても勝てなさそうだな、と室内にいた使用人達は思う。
元々、シスコン気味なファビアーノだ。デルフィーナの手のひらの上でコロコロされても苦にはならないからいいものの。朝からこの話題はちょっとヒドイ。
「突然どうしたんだ」
流れ矢に当たったカルミネが、果実水を飲みながら胸を叩いて聞く。むせて何かを誤飲しかけたのか。それは悪いことをした。
「私、考えましたの。次に狙われるとしたら、誰が、どんな方法でかしらって」
主語はないが、意味はわかる。
一歩引いて流れを見守るつもりだったドナートが、ふっとデルフィーナに視線を送った。
「それで?」
一声で、ピリッと空気が締まった。
「力業ではどうにもならないと、先般証明しましたでしょう? まぁ、軍クラスの武力があればこちらが負けるでしょうが、大人数を動かすのは大義名分がいりますし、近隣国とは諍いもほぼない現状、国内では謀反を疑われるから、まずもって武力での力押しはないかなと」
「ああ、そうだな」
エスポスティ家は商家あがりと揶揄されようとも子爵家だ。
低位とはいえ一貴族家が攻撃されれば、いずこかが仲裁のため介入する。王家か上位貴族か政府機関かはわからないが、余程の早業でない限り、短時間で制圧はされない。
王都内の屋敷は当然、領地だって、子爵家に相応しい守りは備えている。
だから、アロイスの馬車が襲撃されたような武力頼りのやり方は、もうどんな手合いでもできないだろう。
あの件で、今までアロイスの存在を知らなかった勢にまでエスポスティの――ロイスフィーナ商会のことが知れてしまった。
遅かれ早かれ衆目は集めていただろうから、そこに関しての計算違いはない。
だが、今までは単純に<商売敵>に知られているだけだった。
それが、“使える”と理解した他の商家、上位中位の貴族家がかなり増えた感触だ。
血のつながらない三男坊は大学まで出ているのに田舎でのんびりしている盆暗、と見なされていたのに、王都に戻ってきて、姪の面倒を見始めたと思えば、立てた商会がめきめきと力をつけている。
兄二人の全面的支援あってのことか、本人の力量か。
見定めているところに、メラーニ商会の襲撃事件だ。最近のエスポスティの飛躍はやはり彼由来か、とメラーニ商会の裏付けがあったものと考えたのが多勢だったのだ。
とはいえ、本当にアロイス個人が使えるのか、エスポスティ家か彼が別の伝手を手に入れたのか。そこは“外側”からでははっきりしない。
まずは実際のところ、今のエスポスティがどうなっているのか、それを把握する必要がある。
与力するにも支配下に置くにも、それをする意義があるのかどうか、その判断材料がいる。
そんな段階で、内部から情報を取るには。
「そう考えると、近い身内は――使用人も、コフィアのスタッフも含めて、ハニートラップが有効かなと思いまして」
「ハニートラップ?」
不思議そうに、あるいは怪訝そうにした大人達を見て、デルフィーナは首を傾げた。
「そういった言葉はないのでしょうか? ええと、恋人になるとか、気のあるふりをして、籠絡して、情報を引き出すスパイ活動、ですかね」
「色仕掛けで相手に迫る諜報活動のことか」
「ああ、そうです、そんな感じです」
「なるほどな」
アレッシアと、結婚、婚約の話をしていて思ったのだ。
七歳という年齢で、恋愛沙汰にはさっぱり掠りもせず、周りもそういったことはデルフィーナの耳に入れないようにしているため、全く意識も警戒もしていなかったが。
デルフィーナ自身はまだ七歳だからそうそう仕掛けられはしないだろう。とはいえ“未婚の女性”というくくりで、婚約や結婚をごり押ししてくる高位貴族は出かねない。
だがそれは、エスポスティ家に食い込むべき、と判断されてからになるはずだから、まだ猶予がある。
一方で、コフィアのスタッフを含め、デルフィーナの周りの面々は、独身者が多い。
ドナート、カルミネは、既婚者であり、その立場から元々色仕掛けにも警戒しているため大丈夫だが、他の者達はどうか。
デルフィーナとしては、一番年若く、ちょっと迂闊なところのある兄が一番心配だった。
「お兄様はまだ婚約者もおられませんし、どこかのご令嬢のふりをした諜報員や、大手商会が背後にいる女性に籠絡されやしないかと気がかりで」
「それで、学院で話していないかと思ったのか」
「ええ。ご友人方の失敗談を聞いていたら、少しは警戒されるのでは? と思いまして」
「どうだかなぁ」
自分は大丈夫、と何の根拠もない自信を漲らせている若者は多い。
若くなくてもそういう輩は一定数いるものだ。
ファビアーノがそれに当たらないとは限らないぞ、とカルミネは言外に匂わせる。
「コフィアのスタッフには私から話しますが、使用人にはどう伝えたものかと」
「うん。デルフィーナ、コフィアでの話も、俺の方からしておくから。家のことはドナート兄上、エスポスティ商会の関係者はカルミネ兄上に任せよう? ハニートラップだっけ、ちゃんと注意するように喚起しておくから。ね?」
めずらしくハキハキしゃべるアロイスが、笑っているのに真剣な眼をしていたので、デルフィーナは素直に頷いた。
やはり、襲われた本人は、思うところがあるのだろう、と。
「お任せいたしますわ」
「ああ」
「通達しておこう」
父と叔父の答えに、デルフィーナはほっと胸を撫で下ろす。そして。
「お兄様、魅力的な女性がいても、ちゃんと一度引いて考えてくださいね?」
「ああ、うん」
曖昧なファビアーノの返事に、デルフィーナは眉根を寄せる。
「お兄様? 本当に大丈夫ですの?」
「大丈夫だ」
「既に誰かに言い寄られているとかは……」
「ない! 違うから大丈夫だ!」
ファビアーノの返事に、ドナートも声をかける。
「違うとはどういうことだ?」
ぐっと詰まったファビアーノは、はぁ~と大きく息を吐いた。
「コフィアの予約が取れないって、学院でもよく言われるんだよ。連んでる奴らが、婚約者からねだられているから、どうにかならないか、とかさ」
困ったように両肩を竦めてみせる。
その言葉に、ドナートは眼差しを緩めた。
「それはまあ、そうだろうな」
学院は基本的に貴族の子弟か有産階級の商家の子息が通っているものだ。
コフィアの予約は来店時に次回の予約を取る客が多いため、開店当初から通っている客か、エスポスティ家またはリベリオのカザーレ家とのつながりがある客が多い。
学院でファビアーノと連むのは、上で伯爵家、下で騎士家の出が多いだろうから、年若い彼らが入り込む隙はまずない。
ファビアーノはハニートラップどうこう以前に、ファビアーノに言えばなんとかなるのでは、と考えた者達に迫られているらしい。
「上手く躱すのも学びだって父上なら言うだろうから、言質はとられないようにしてるけどさ。最近になって寄ってくるのなんて、男も女も、なれなれしくてちょっとうんざりなんだよ」
溜め息を吐いた。
お読みいただきありがとうございます。
なろうの仕様がが変わって、ちょっぴり手間取りました。
早く慣れられるようにしたいです。
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