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93 アレッシアの悩み




 はぁ、と大きな溜め息が響いて、デルフィーナは顔を上げた。


「先生、どうかなさったのですか?」


 今は、計算式の問題を解いていた。

 いつもなら、家庭教師のアレッシア女史は、デルフィーナが解くのを黙って見守っていたはずだった。


 家庭教師として採用する段階で、生徒や家について得た情報は他所で口外しない旨を契約していたアレッシアは、デルフィーナが“稀なる人”となった後も、そこについては改めて契約していない。

 “稀なる人”であることは明言していないし、デルフィーナもあまり特異なところは見せないようにしているが、察するところはあるだろう。それはともかく。

 それはそれ、これはこれ、として。七歳の子爵令嬢として、必要な学問は一通り修めるようドナートに言われているため、デルフィーナは過去世を思い出した後も、変わらずアレッシアから授業を受けていた。

 今のデルフィーナからすると数秒で解ける、簡単な四則演算の授業を受けている最中だった。


 普段、優雅ながらキリリとしていて、所作を含めた行儀作法全般から、簡単な学問までをデルフィーナに指導している彼女は、伯爵家の四女で、いつもは頼りになる先生だ。

 欠けている一般常識――貴族階級におけるそれではあるが――を教えてくれる、大切な人である。

 いつもなら見せない彼女の態度に、デルフィーナは内心首を傾げた。


(先生がこんな姿を見せるなんて、珍しいな)


「まぁ。失礼いたしました。声に出ていましたか?」


 少しも慌てる様子は見せず、アレッシアはデルフィーナに謝意を告げる。

 慌てるのは淑女らしくない。深く謝るのも授業時間の二人の関係からはそぐわない。

 それを体現してみせるアレッシアは、さっきの溜め息が幻だったかのようにいつも通りだ。


「いえ、溜め息だけですが、かなり深かったので」

「ああ……申し訳ありません。デルフィーナ様にお見せする姿ではありませんでした」


 授業中は自身の振る舞いを含め“先生”をしているアレッシアは、ほんのり声を沈ませる。


「まぁ、先生。先生でもそのような素振りをなさることがあると知って、私は逆に安心いたしましたわ」

「安心ですか?」


 明るく言ったデルフィーナに、アレッシアは不思議そうに瞬いた。


「ええ。完璧な淑女とは、常に余裕があるものなのかと思っていましたもの」

「まあ。それでは人らしさがなくなってしまいますわ」

「ですから今、安堵したのです」


 デルフィーナの言葉にアレッシアはくすくすと笑った。もちろん口元は手で隠されて、そうでなくても歯など絶対見せないような笑み方で、声もほとんど出ていない。


「それで、先生のお心を煩わせているのは何なのです?」


 問うても大丈夫そうな雰囲気だと判断して、デルフィーナはペンを置いた。

 いつまでも持っているとインクが垂れてしまう。このペンも、改良できたらと少し思っている。


「ええ。私事でお恥ずかしいのですけれど。実家の母と叔母が、しきりと縁談を進めてきて、少々持て余しておりますの」


 端的に言えば、煩わしいということだ。

 耳障りだとか、うっとうしいとか、面倒だとか、うるさい等という言葉は使わない。流石先生。心の中で拍手を送りながら、デルフィーナは笑ってしまった。


「先生はご結婚のご意志は?」


 一般的な適齢期を僅かに越してはいるものの、アレッシアは十分若く美しい。

 四女ともなれば伯爵家からの支度金は微々たるものかもしれないが、それでもアレッシア自身を求める人はいるだろうに。


「幼い頃は夢も見ましたけれど。この年になりますと、本当に良いご縁があれば、という感じでしょうか」


 おっとりと、アレッシアは頬に手を当てて眉尻を下げる。


「お母様や叔母様が持っていらっしゃる縁談は、違うのですか」

「家にとってはそこそこいい相手なのでしょうね。ただ、私にはピンとこなくて」


 一応、釣書は見たらしい。

 更に聞けば、釣書を見て難色を示すと、じゃあ次こちらは! といった感で他の人物を紹介されるそうだ。その勢いと話の持ち込み方に、手当たり次第な気配を感じて、倦厭してしまったと。


「相手など誰でもいいから結婚しろと言われているようで、素直に従う気分にはなりませんの」


 それはそうだろう。

 アレッシアがもっと自立心のない女性だったら、諾々と従ったのかもしれない。

 だが彼女は家庭教師として、仕事を得て自立している。意思のしっかりした人なのだ。


 過去世で思い当たることもあって、デルフィーナは思わず笑ってしまった。

 どんな時代、どんな社会でも、人間関係というのは似たり寄ったりになるのだろうか。

 親や周りは身を固めろと進めてくる一方で、本人は仕事を優先したがったり、伴侶を迎えるにはまだ早いと逃げ回ったりする。

 それはこのバルビエリでも同じということか。


 くすくすと笑い続けるデルフィーナに、アレッシアも苦笑を漏らした。


「もう。笑ってらっしゃいますが、数年でデルフィーナ様も他人事ではなくなるのですよ?」


 アレッシアの言葉にデルフィーナは吃驚する。


「え? 私はまだ七歳ですよ?」

「七歳を越したら、流行病でもない限り成人するのが圧倒的ですから、早いお家はお相手を探し始めますよ」

「ええ?」

「正式な婚約は結ばずとも、候補を探したり絞ったりはいたしますわ。長じて性格や能力の変わる場合もありますし、不祥事や、領地経営が上手くいかず傾くお家もありますから、あくまでも候補としてしかお付き合いはしないのが普通ですが」


 早々に契約を結ぶのは、よほど結びつきを強めなければならない家同士の場合のみで、あとは時節をみて、成人後が基本だとアレッシアは語る。

 確かに、国家間の縁を深めるための王女の輿入れなどは、幼いうちから決めても不思議はない。そこには性格や容姿、能力などを考慮する余地はない。むしろ婚約などすっ飛ばしてほぼ婚姻となる。

 一方で、中位、低位の貴族は、家の浮沈があるため、結婚適齢期になってからより良い家や相手を選んで正式に決めるという。


「デルフィーナ様は長女ですから、エスポスティ家によりよい縁を結ぶためにご結婚のお相手は慎重に選ばれるのではないでしょうか」


 子爵家という低位であっても、王室御用達の大きな商会を抱える家だ。

 縁づく相手は、相当に吟味されるはず。


 だがエスポスティ家は、よくもわるくも商人の気質が強いため、結婚に政略を絡ませることが少ないように思う。

 既婚の親族を思い浮かべると、どうにも違和感しかない。


 縁は自分で繋ぐもの、相手は自分で選ぶもの、そういった意識がデルフィーナにはある。

 これは以前に、婚約者すらいないアロイスが語っていたことだ。


「まぁ、そうですね。先々を考えて、よくよく検討したいと思いますわ」


 ちょっと疲れたように真顔となったデルフィーナへ、アレッシアも微苦笑を浮かべて頷いた。

 なんにせよ、デルフィーナについてはまだ先の話だ。

 家を継ぐ身ではないのだから、嫁入りするのかもしれないが。“稀なる人”をエスポスティ家が手放すとも思えないから、どうなることやら。


「よい出会いがあると良いですわね」

「ええ、そうですね。でも私より先に、先生に良いご縁があることを願っておりますわ」


 互いを労るように見つめ合った二人は、刹那の後、くすくすと笑い出す。

 アレッシアも、溜め息をつくほどには倦んでいても、そこまで深刻な事態ではないのだろう。単純に家族の「結婚しろ」口撃が煩わしいだけで。


「まずは母と叔母をなんとかかわさないと、ですわね」

「あら、それならエスポスティ子爵に<良い方の紹介をお願いしている>ことにしたら良いと思いますわ」

「まぁ」

「貴族階級なら父、商人でもいいのならカルミネ叔父様が、どなたか良い方を見つけてくださると思いますけれど?」


 どちらも別の層に顔が広い。もちろん重なる部分も大きいが、エスポスティ家の顔の広さは伊達ではない。

 さらに言うなら、母のクラリッサが一番貴族階級には人脈がある。


「先生が望まれるのならいつでもお応えできると思いますわ。今は必要ないようでしたら、お母様と叔母様への言い訳に使うだけにしておけば、よろしいのではありません?」


 デルフィーナの悪戯っぽい表情に、アレッシアは瞬く。


「お名前をお借りしても、失礼に当たらないでしょうか?」

「大丈夫だと思います」


 もちろん後から了承は得るが、ドナートもカルミネもクラリッサも、難なく請け負うに違いない。

 過去世を思い出したからか、どこか常識外れのデルフィーナへ、丁寧に対応してくれるアレッシアに実は皆感謝しているのだ。デルフィーナへは秘密のため、表立ってアレッシアに感謝を述べることは控えているが。


「それならば、一気に解決ですわ」


 晴れやかに口角を上げたアレッシアは、その後、授業を終えるまで明るさを保っていた。

 帰りの足取りはかなり軽く、「あのような淑女でも、憂いが晴れると雰囲気に出るものなのですね」と、全てを見守っていたエレナにまで、しみじみとした呟きを零させたのだった。






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※3/12、表記揺れの訂正をいたしました

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― 新着の感想 ―
エレナの呟きが善き感じですね。 アロイスとくっつければいいのにw
[気になる点] 一部アレッシアが混じっていますが 正式にはアレッシアで、愛称がアリッサなのでしょうか
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