86 パイのトッピング
デルフィーナは暖かな暖炉の前でソファに座り、にへにへと笑み崩れながら、口の中で溶ける甘さを味わっていた。
「お嬢様、回復されたばかりなのですから、あまり冷たいものを召し上がるのはよくありませんよ」
「大丈夫よ、お腹を壊すほどは食べてないわ」
エレナのお小言を右から左に聞き流し、お行儀悪くふりふりと銀のスプーンを揺らす。
「ですが、お顔がアロイス様のようになっていらっしゃいますよ?」
「えっ!」
それはよくない。全くもってよくない。
甘味を口にしたアロイスの表情は、本当に蕩けていて、他人に見せるのはかなり危険なアレだ。
格好悪くなるわけではないが、自分があんな顔をしているかと思うと、改めねばという気になる。
それをエレナもわかっているのだろうが、主家の人間なのに揶揄するような名前の挙げ方をするのもどうなのか。デルフィーナもアロイスも咎めないとわかっていてこそだが、中々にエレナも強かだ。
デルフィーナは手にしたガラスの器に目を落とし、はぁ、と一つ溜め息をついた。
彼女が食べていたのはバニラのアイスクリームだった。
新鮮な乳製品、新鮮な卵、マリカの殺菌魔法、リーノの回転魔法、フィルミーノの温度調整魔法、イェルドの菓子作りの腕が合わさって、完成したものだ。
夏の目玉になるのは確実なアイスクリーム。
それをデルフィーナは、というよりコフィアの面々は、作り上げたのだった。
実は昨日のデルフィーナは熱を出して寝込んでいた。
プレオープンの後で知恵熱を出したのと同じように、また熱を出したのだ。
アロイスの襲撃事件がショックだったのに加えて、その後、どうしたらいいかとずっと悩んでいたため、考えすぎての知恵熱だった。
情けなく思いつつも、その前日に完成していたアイスをここぞとばかりに味わった。
熱で火照った身体に氷菓は口の中が冷えてとても美味しい。
今回は一日で熱も下がって、酷くならなかった。
念のため今日は大人しく部屋で過ごしているが、動けないからこそ、のんびり味わえる。
以前買っておいたバニラビーンズの使い方も、しっかりイェルドに伝授したし、後はまた別の料理に使うときも問題ないだろう。
イェルドなりのアレンジにも今後期待できる。
この冬の時期にバニラアイスを作ったのには、訳があった。
コフィアでは今、秋に収穫した果物を使って、タルトとパイを出している。
夏から持ち越しているものもあるし、温室で作った果実を使ったものもあるが、それらは出せる数が少ない。
そこで一番目玉にしたのが、梨のタルトと林檎のパイだ。
この北大陸で採れる果物の中で一番収穫量の多いのが、林檎、ついで梨だった。
バルビエリ国内でもそれは同じ。
どちらもデルフィーナの過去世で知るより小ぶりで、酸味が強く、固い。
これまでは生で食べるのが基本だったそれを、デルフィーナはコンポートにした。
火の入れ方は浅めにして、砂糖で甘みが増すようにした後、タルトとパイに仕立てたのだ。
梨のタルトはナパージュしてつやつやに仕上げた。
宝石のような煌めきをまとった果物などこれまでなかったから、あっという間に人気商品となった。
一方のアップルパイは、パイ自体は料理にあったため、そこまで人気が出なかった。
肉や野菜を包んだものは食べ慣れており、中身が普遍的な林檎であったため、客は他のメニューを選ぶことが多かったのだ。
食べればその美味しさがわかるのだが、選んでもらえない、口に入れてもらえないとなれば、その良さも伝わらない。
そこで考えたのがバニラアイスだった。
寒い時期、熱々のアップルパイに、冷たいバニラアイスを乗せる。
アイスが溶けるのと競うように口に入れ、熱さと冷たさを味わう、あの食べ方がデルフィーナは好きだった。
コフィアのアップルパイは当然しっかりシナモンを効かせてある。
それだけで客の興味を引けないのなら、トッピングだ! と自分の好きな食べ方を再現できるよう、アイスを作ることにしたのだ。
今のうちに作っておけば、夏のメニューに採用したときにも、手早く作れるだろうという計算もあり。
完成した! というところでデルフィーナが熱を出したので、アイスの試食会は終わっているが、アップルパイに乗せるところまではいっていない。
そもそも、アップルパイに乗せるために作っている、ということも明かしていなかった。
アイスクリーム自体が革命的な菓子であり、それを食べたスタッフ一同は泣いたり祈ったり量産しようと計算を始めたり、狂乱の相を呈していたため、そこまで到達しなかったのだ。
二日空けて、彼らも落ち着いている頃だろう――連日作って食べて、お腹を壊していなければいいが。
食べ終えたバニラアイスは名残惜しいが、明日は店へ行って、アップルパイと共に食べられる。
冬の美味しさを楽しめる。
空になった器を、デルフィーナは改めてしげしげと眺めた。
くるりと回すと、暖炉の明かりを受けてぼんやり色を透かす。
ガラスでできたデザートカップも、デルフィーナが伝えて作ってもらったものだ。
薄く伸ばすのは強度の面で難しかったため、切子細工を簡単に入れてもらった。
透明度は低いが、加工としては十分な仕上がりとなった。
(これなら貴族のお客様にもご満足いただけるわね)
シンプルにバニラアイスのみ、小さなチュイールを添えるくらいでも、貧相にならない。
ゼリーを乗せてもいいし、夏向きの器として最良のものができた。
それでもデルフィーナは、はぁ、と寂しく溜め息をついてしまう。
(アッフォガートが食べたい……)
バニラアイスで一番好きなのは、珈琲をかける食べ方だ。ミルクアイスでもいい。
どちらにしろ、珈琲がなければ始まらない。
チェルソは色々と送ってくれているが、未だ珈琲らしきものは見つかっていなかった。
赤い小さな実、で別の植物なら見つかったが、これは珈琲ではなくデルフィーナも知らない果実だった。
種の形は梅のようだったから、バラ科の植物らしい。よく実がなるので種を抜いて、菓子に使っている。
色鮮やかなため、ゼリーにもタルトにも向いていて、これはこれでありがたかったのだが。
「珈琲が飲みたいなぁ」
体調を崩して、気が弱くなっているのだろうか。
デルフィーナは首を振ると気持ちを切り替えた。
(やめやめ。今は待つしかないんだから! さっさと寝ましょ)
体調が万全でないから落ち込みやすいのだ。鬱々と考えたところで何も変わらない。
こういう時は寝るに限る。
エレナに片付けを頼んで、デルフィーナは歯を磨きに行く。
明日はアップルパイだ。
ついでに何か別のものも考えて作ってもらおう。
歯磨き粉のしょっぱさを味わいながら、デルフィーナは脳内でレシピを検索するのだった。
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