84 カルメ焼き
数日後にはアロイスの腕の包帯も取れた。
念のため動かさないように、と吊られていただけだったので、外した姿に対する家族の反応もあっさりしたものだ。
それを見て、施療院でかけてもらったという治癒の魔法の凄さに、ひっそりデルフィーナはおののいた。
(これは確かに虫歯ができても治りそう! でも治癒費がお高いんだっけ?)
デルフィーナが詫びとして、エレナと一緒に屋敷の厨房を借りて作ったカルメ焼きを、嬉々として齧る目の前の姿はいつも通りだ。
本当に、すぐ虫歯になりそうなその食べっぷりには呆れてしまう。
「重曹、というものの苦味はごく僅かにしか感じないねぇ。焦がした砂糖の苦味と判断がつかないから、他の料理にも使えるんじゃないかなぁ?」
アロイスもデルフィーナと同じ感想だった。
探してもらっていた重曹らしきものの発見は、襲撃事件で放置されていた。
カルミネを通じて国内の行商をしている傘下の商人から入手した物のため、既に現物が屋敷にあった。
ベーキングパウダーを使う菓子は色々あるが、重曹がその代替になるかは試作を重ねてみないと分からない。
それなら初めから重曹を使う簡単な菓子で試してみよう、とデルフィーナはカルメ焼きをエレナに作ってもらったのだった。
屋敷の料理人に頼むことも考えたが、リスク軽減のため止めておいた。
レシピも知識の一端と考えると、外では常にデルフィーナの傍にいるエレナの方が守りやすい。デルフィーナとセットで守ってもらうようにすれば、エレナも少しは誘拐などの危険から遠ざけられるだろう。
使用人の一人が既に拉致されていたことを、デルフィーナはドナートから聞いていた。
話すべきか悩んだそうだが、結局、デルフィーナ自身が危機感をもっと持たないと危ない、と判断して、教えてくれたのだ。
自力で逃げてきたというその使用人に、デルフィーナは誠心誠意謝った。
主家の令嬢から頭を下げられて慌てていたが、それでも彼は、守れて良かった、と笑顔を見せてくれた。
詫びが何もできないから、と見舞金を包んだが、彼はそのお金でコフィアのポップコーンとポテトチップスを買い込むと言っていた。
食べきるのに一体何年かかるのやら、とデルフィーナは苦笑したが、それも彼の気遣いだったのだろうと思う。
それならば、コフィアにもう少しセイボリーを増やそう。
彼の好みを聞いておくようエレナに頼んで、デルフィーナはお金ではない見舞いをもう少しできそうだ、とほっとした。
屋敷では、甘い菓子は至上という派と、しょっぱい菓子派に別れていた。
両者ともにどちらも食べるのだが、コフィアでセイボリーとして出すような塩味の菓子は、酒のつまみにもなるため、酒好きの面々に喜ばれている。
使用人達の自由を制限してしまうデルフィーナとしては、屋敷内で彼らが楽しめるよう、もう少し色々考えようと思う。
その点、ポテトチップスとカルメ焼きは、安価に量産できそうだ。
ポテトチップスは、じゃがいものデンプンを得るためたくさん切って水にさらしている、その副産物でもある。
他の取り方が分からず、芋を切っては水にさらして沈んだ物を集める方法でやっているため、スライスした芋がかなりある。
デンプンを使う菓子は量産できないな、と思っていたが、ポテトチップスがあっという間に人気となり喜ばれたので、デンプン製作は既にエスポスティ商会の事業の一部にしてもらっている。
そのため、乾かし中で揚げる前のじゃがいもは望む分だけ得られるようになっており、屋敷でいつでも揚げたてが食べられる状態だった。
一方のカルメ焼きも、重曹が思ったよりずっと安く手に入れられたので、使用人達が食べる分には困らなさそうだ。
砂糖と水と重曹だけで作れるシンプルな菓子で、デルフィーナの過去の記憶では駄菓子に分類されている。
この世界ではまだ砂糖が高いため、駄菓子とはいえないだろうが、そこはそれ、結局砂糖も屋敷で消費する分は作っているため困らない。
「これも美味しいねぇ」
サクサクして溶ける食感は、ファッジともクッキーとも違って、美味しいものだ。
アロイスはこれまた幸せそうな顔になっていた。
(身代わりにしてしまったお詫びは、これで少しはできたかしら)
叱られてしまうので、必要以上に罪悪感を持たないよう、デルフィーナは気をつけている。
それでも申し訳ない気持ちはあるため、こうしてアロイス好みの菓子を貢ぐことで挽回しようと思っている。
「叔父様、あとできちんと歯を磨いてくださいね?」
歯磨き粉と歯ブラシの売り上げは、上々だと報告を受けていた。
重曹も含め、色々探してもらっているもの、作っているものはたくさんある。
デルフィーナが顔を見せず済むよう、職人や商人との間に立っているのは、基本的にアロイスとエレナだ。
そろそろエレナが侍女から秘書にシフトチェンジしそうである。
それはそれで困るため、本格的に業務の補佐をしてもらえる人員を募集すべきかもしれない。
「はいはい。ちゃんと磨いてるよ。歯抜けになったら美味しいお菓子が食べにくくなるものねぇ」
ニコニコと笑みながら、結局アロイスは試作のカルメ焼きを完食した。
たいした量ではなかったが、よくそれだけ食べて太らずにいられるものだと感心する。肌荒れも起こしていないから、デルフィーナは内心ちょっぴり羨んでいた。
「まだまだ作っていないものがありますから、しっかり食べられるようにしておいてくださいね。食べ過ぎて病気になるのも危険ですから、そこも気をつけてくださいね?」
糖尿病の薬など、今のこの世界にあるとは思えない。
施療院でどこまで治せるのか、そのうちきちんと調べておく必要がある。
そう思いながら、デルフィーナは今日の本題をアロイスに言問うことにした。
「どこかに燻ってる、貧窮している画家はいないかしら? そこそこに若くてデッサンが上手い人だといいのだけど」
唐突な話に、アロイスは僅かに首を傾げた。
デルフィーナが唐突なのはいつものことだ。だが画家とは。今までと分野が違う気がする。
「今度は画家かい?」
「ええ、二人ほどほしいの」
アロイスの疑問などどこ吹く風で、デルフィーナはしっかりと頷いた。
本当は保険のために四人ほしいところだが、この時代、そんなに画家がごろごろしているとは思えない。
絵の具は高価だ。
趣味として絵を描けるのは富裕層の人間で仕事には困っていないだろうし、絵を専門とする人間はパトロンを見つけない限り食っていけない。
絵を諦めて別の職に就くか、似たところで他の工芸職人などになるか。
いずれにしろ、どこの紐付きでもない画家はかなり少ないと思われる。
デルフィーナが今考えているのは、ボタニカルアートの画集を作ることだった。
過去世では、ワークショップでボタニカルアートを学んだことがある。
入門といった初心者向けの内容だったが楽しかったので、本を買ってしばらく家で描いていた。観察眼がなかったのかあまり上達しなかったが、水彩で色をつけるのは楽しかった。
他の趣味もあって、段々とやらなくなってしまったが、なんとなく技法は覚えている。
記憶通りに手が動くようなら、今の身体でも描けるだろう。
下手の横好きでしかないが、プロの画家に描き方を教えれば、そのうち勝手に育つのではなかろうか。
今のところ水彩絵具はないようだが、日本画やフレスコ画に使うような鉱石から作った顔料ならあるため、大差ない彩色ができるだろう。
お読みいただきありがとうございます。
☆評価、ブクマ、いいね、感想、いずれも励みになっております!
誤字報告も感謝です。
よろしければ応援よろしくお願いいたします。






