83 それぞれの苦悩
メラーニ商会の商会長、ロモロ・メラーニは湧き上がる焦燥から、手にしていた手紙を机に叩きつけた。
「くそっ、ふざけやがって!」
先代の頃から後ろ盾になっていた、伯爵家からの手紙だった。
貴族らしい言い回しで書かれているが、要約すれば縁を切るという旨だった。
一方的で、釈明の機会すら与えるつもりはない、とはっきり分かる内容。
持ちつ持たれつでここまで来たが、あちらは貴族でこちらは平民。身分差がある以上、関係を切ると一旦あちらが決めたなら、それを覆すのは難しい。
反駁の機会すら与えられないとあっては、もう無理だろう。
今まで、多少後ろ暗いことをしても、確証がなかったため目こぼしされていた。
だが街の治安を守る衛兵達に物的証拠と証人を押えられてしまった今は、伯爵家側としても身の安全を優先したと思われる。
もとより、メラーニ商会の無法なやり方は、伯爵家が主導していたわけではないのだ。関係を絶つだけで事足りる。
子爵家より上の伯爵家になんとか頼れないかと考えていたところに来た手紙だ。
雇った者達が捕縛されたとロモロが知るまでに時間があいたのも、おそらくエスポスティの手が回っていたため。
完全に後手に回っている。
「どうする……どうすれば……」
ロモロは冷や汗をかきながら部屋の中をうろうろと彷徨った。
うわごとのように呟きながら、今から打てる手段はないかと必死に知恵を絞る。
想定外、予想外と焦ったところで事態は変わらない。
父である先代から引き継いでからこちら、油断すると商会の業績はずっと横ばいだった。悪くすると落ちてしまう。
なぜなのかロモロには分からなかった。父と同じように運営しているはずなのに、むしろ自分の代でもっと商会を大きくする予定だったのに、上手くいかない。
強引な手段を使って保っていたが、そんなところに、商売敵のエスポスティの噂を聞いた。
新しいタイプの飲食店を、エスポスティ商会ではなく、エスポスティ家の別の人間が出して好評を博している。同時にエスポスティ商会も画期的な商品をいくつか発売して、開発中の物がまだまだある様子だという。
エスポスティ商会は国内で五指に入る大商会だ。
一方、メラーニ商会も十指には入るとロモロは自負している。
手広く商えば事業内容が重なることも多い。
メラーニ商会は後ろ楯が伯爵家ではあるものの、伯爵家自体は歴史があるだけで財力や宮廷での権勢はあまりない。
そんなメラーニ商会からしたら、エスポスティは目の上のたんこぶだった。
メラーニ商会が伸びるには、邪魔な存在。
商会の力で叙爵された子爵家も、その持つ力も、削げるものなら削ぎたい。
子爵家を落とせば商会も落ちると当て込んで、隙があれば両者の粗捜しをしたり妨害工作をおこなっていた。
今回も、新商品の発売前に盗めないかと考えたが、他の商会と違ってエスポスティ商会は隙がなく、今までは狙ってこなかった。だが、このままエスポスティ商会が繁盛するのを黙ってみている訳にはいかないと、手を出すことにした。
エスポスティは一度商品が完成しても改善点をじっくり見直すことが多く、完成から発売までに少し間がある。
その間に模倣品をこちらで作って先に売ってしまえば、その新商品はもうメラーニ商会のものだ。
商人ギルドへの対応はなんとでもなる。エスポスティ商会より“先に”同じような商品を登録していた記録があれば、盗用や剽窃の言い逃れはできる。
今までそうやって他の商会から“知恵を借りて”きた。
結果相手が潰れても、それはその商会の地力が足りなかったというだけだ。
同じことをエスポスティ商会にできれば、意趣返しも同時にできる。
今まで尻尾を掴ませずできてきたのだ、相手がエスポスティ商会でも、盗みさえすればあとは問題なく進むだろう。そう考えて動いてきたのだが。
ロモロはカフェテリアなる店に入ったときのことを思い出す。
行列こそないが、ひっきりなしに客が出入りし、笑顔で木の箱を抱えて帰っていく。あるいは優雅に店内で飲食をしている。
店内にいるのはおおむね貴族か有産市民で、店頭で購入して帰るのはどこかの使用人か、平民が多いようだった。
注文した紅茶なる飲み物は流行るのが当然と思うようなもので、添えられた菓子も、他の料理も、どれも見たこと聞いたことのないもので、味も格別だった。
今後も発展が約束されたような店。すぐさま探りを入れれば、エスポスティ商会とは別だがエスポスティ子爵家の人間が会長をしているという。
商売敵のさらなる発展を邪魔しようにも、このカフェテリアには貴族階級のファンが多い様子で、手出しをするのは危険だった。
全てにおいて新しい店に、画期的な新商品の噂。
両方の秘密を深く探るため、子爵家の使用人を捕まえた。
だが使用人は、“何か”はわからないものの、“何か”を口外できないよう、魔法契約をしていた。
他に手がないため、角度を変えて質問を重ね、多角的に得た情報を組み立てて推測するしかない。それでかなり焦れったい思いをしたが、なんとか隠したがっている存在を特定することができた。
状況と、引き出した情報とを総合して考えた結果。
新しい商会を作り、斬新な商品を作り、子爵家の中枢にいるのは三兄弟の末弟だ。
大学で学んだ知識か、独創的な考え方ができるのか、なにかの書物を得たのか知らないが、まだ若く伸び代すらある末弟は、今後のエスポスティを今以上に大きくしていくだろう。
彼さえいなければ。
エスポスティの繁栄を妨げるためには、今のうちに潰すべきだ。
その結論に達したから、襲撃をかけることにした。したのだが。
焦りから空回った部分もあるのだろう。ぼろが出たのか、そうなるよう仕向けられたのか。金をつぎ込んだはずなのに、得るべきものは得られず、メラーニ商会は苦しい立場に立たされている。
ロモロのなりふり構わないやり方は父親から学んだものだ。
だが父親と違って、ロモロは慎重さが足りなかった。
軽率でこそないが、父親が上手くやっていたのを見て、あれなら自分もできると思ったのがまず間違いだった。
商会の運営が上向かないのを踏まえて、不正なやり口を改めれば、また違った未来があったかもしれない。
それももう、遅すぎる話。
エスポスティに読まれて、張られた罠に引っかかったメラーニ商会は、証拠も押さえられて、頼ろうと思った伯爵家にも切り捨てられて、もはや風前の灯火だ。
どこで間違えたのか。
メラーニはいくら考えても巻き戻せない過去に歯ぎしりしつつ、憤懣やるかたない気持ちに苛まれていた。
大泣きしてそのまま寝入ったデルフィーナは、翌早朝、ベッドの中で目覚めた。
昨日は夕方と言うには早い時間だったのに、すっかり一晩眠ってしまった。
寝間着に着替えており、身体はスッキリしているから、エレナやメイド達が身繕いをして寝かせてくれたようだ。
(久々に、子どもっぽい……ううん、子どもらしい振る舞いをしてしまったわ)
思い出した恥ずかしさから、はぁ、と一つ溜め息をつく。
カーテン越しに見える窓の外はまだ暗く、暁の頃合いか。
起き出すには早そうだ。
ベッドの中でごろんと寝返りを打ったデルフィーナは、必然的に昨日のこと――アロイスが襲われた件に思考を流した。
自分も家族を守れるよう努力する、と決意したまではいいが。
実際どう守るのか、その手段を考えなければならない。
今のままでは、自分も家族も使用人達も、危険に巻き込むばかりだ。
ではどうすればいいのか。
そもそも、デルフィーナの存在を隠していたからとはいえ、アロイスが襲われたのは何故なのか。
コフィアの商品の情報が欲しいなら、料理人を狙えばいい。エスポスティ商会の新商品が欲しいなら、職人を狙えばいい。
一度に全部を狙ったからアロイスが標的になったのかもしれないが、仮にも貴族の一員を襲うのは、リスクが大きすぎやしないか。
平民が犯罪に巻き込まれるのと、貴族籍のある者が巻き込まれるのとでは、司法の対応が雲泥の差となる。
誰がアロイスを襲わせたのかデルフィーナは知らないが、ちょっと阿呆なのではないだろうか、と冷静な頭でふと思ってしまった。
コフィアが被害に遭わなかったのは、おそらく客が概ね地位のある方々だったからだろう。
低位であっても貴族は貴族。
婦女子であっても爵位を持たない男子であっても、何かあれば家が動く。
贔屓にしている店、まして代わりのない店とくれば、ひとたび椿事があれば派閥にかかわらず貴族が動く。司法を動かす。
エスポスティ家が商人あがりの子爵家と侮られたとしても、コフィアの紅茶や菓子類を熱愛する顧客達が守ってくれたのだ。
デルフィーナも、客達も、意図したことではなかった。
それでもいつの間にか、コフィアを庇護する形となっていた。
それを、もっと広げればいい。
曖昧な庇護ではなく、明確な後ろ盾があれば、エスポスティ家ごと守ってくれるような大きな権力を味方に付ければいい。
(つまり? 後ろ楯がないなら、作ればいいんじゃない?)
パンがなければお菓子を、ではないが、もっと強固な後ろ楯が欲しいなら、作ってしまえばいいのだ。
上手くいくかはわからないが、どうせならトップを狙うべきだ。
すなわち王家。
王家が相手なら、献上という手段が取れる。
(さて、なにを献上したら後ろ盾になってもらえるかなぁ)
公にできるものがいいだろう。
だが食品では難しい。政治的なしがらみから、口に入れるものは重々気をつける立場の方々だ。
献上品としての食べ物は、信頼を得てからでないと無理筋に近い。
それに、コフィアの評判が耳に入ったとしても、食べてもらえたとしても、一度では庇護をもらう関係にまではきっと至れない。
(うーん、物は色々作ったけど、庶民の生活に即した物か、自分が今より楽に生活できる物ばっかりなのよね)
馬車やベッド、ソファなどはエスポスティ商会から献上していると思われる。
王室御用達の立場は強固になったかもしれないが、それでは商会が守られるだけで、エスポスティ子爵家ごと守って欲しいというデルフィーナの要求には噛み合わない。
デルフィーナ個人か、ロイスフィーナ商会への保障がまずほしいのだ。
デルフィーナが要望したら、家族も守ってもらえるような、そんな大きな保障が。
稀人と明かせば、絶対に庇護は得られるだろう。
だが確実に自由は奪われる。
軍事に協力を求められる可能性もある。
それは絶対に嫌だった。
稀人のことは秘密にしたまま、王家の恩顧を受けるには。さてどうしたらいいものか。
デルフィーナはうんうん唸りながら、窓の外がすっかり明るくなるまで頭を悩ませるのだった。
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