81 二人のごめんなさい
こんなに泣いたのはいつぶりだろう。
過去世に関する記憶を取り戻してからは一度も泣いていないのだから、久々には違いない。
泣き止みたいのに、泣いていることで身体が興奮して、また泣いてしまうという悪循環に陥っている。
それでも、アロイスが慰めるように背中を撫でてくれるので、しゃくりあげは収まってきた。
大きな手に、少しずつ気持ちがほぐれていく。
過去世では、暴力とは無縁だった。人の時も、動物だった時も、ほぼ荒事には晒されない生だった。
だからリスクがあると理解していても、本当の意味では分かっていなかった。危険に対する認識が甘かったのだ。
アロイスの怪我を見て、やっと理解できた。
遅かった理解に、負わせてしまった怪我に、罪悪感でいっぱいになる。
まだ涙は止まっていなかったが、呼吸は整ってきたのでデルフィーナは顔を上げた。
抱っこされた至近距離にある、叔父の顔を見る。
「……気づかなくて、ごめんなさい」
言ってまたボロリと涙が零れた。
ぽん、ぽん、とデルフィーナの背中を撫でたアロイスは、困ったように笑う。
「いいんだよ。気づいてほしくなかったから、デルフィーナには教えなかったんだ」
「でも」
「俺が迂闊に怪我をしたから、バレてしまったけどねぇ」
最後は自分を嗤うように苦笑した。
本来なら怪我をする予定ではなかった。
襲撃者が襲撃の失敗を悟って、最後に破れかぶれで馬車を壊しにかかるとは想定していなかったのだ。
襲撃者にとっては馬車自体も目的だったのだから、壊すことはないだろうと考えていたのだが。指示者と実行犯の間で認識の齟齬があったらしい。
護衛のためにいたジルドや他のフットマンは馬車の外で戦っており、御者は馬がパニックを起こさないよう抑えていた。
たまたま郊外で訓練をする予定だった衛兵達が駆けつけたのを受けて、襲撃者の一部が、逃亡のために馬を奪取しようと考えたのか、はたまた馬車内の人間を人質に取ろうとしたのか、馬車へ持っていた武器を叩きつけた。
手綱を切ろうと走る者へは御者とフットマンが対応したが、その時点で馬車の中にいたアロイスは、壊された馬車の扉と砕けた木片がもろに当たる形となった。
押し入ろうとする犯人を扉ごと外に蹴飛ばして対処したが、頭部を守るため上げていた腕はしっかり打撲していた。
「避け損ねちゃったんだよねぇ。心配かけてごめんね?」
アロイスは正直なところ、デルフィーナがこんなに泣くとは思っていなかった。
膝上でまたぐずぐずとハンカチに顔を埋める姪は、頷きながら、また、ごめんなさい、と呟く。
「うん。デルフィーナも、俺も、どっちも謝ったから。これでおしまい。ね?」
俯いている頭を撫でれば、前髪の隙間から赤くなった瞳がアロイスを見上げた。
前髪の影で黒っぽく見えるそのブラウンの瞳が、探るように琥珀色の瞳を見つめる。
ね。ともう一度アロイスが零せば、うん、と小さく頷いた。
「ありがとう、叔父様」
アロイスは甘い。
父も、もう一人の叔父も、母も兄も。家族は皆、なんだかんだデルフィーナに甘い。
ずっとそれに、無意識に頼っていた。
守られている自覚が圧倒的に足りていなかった。
これからは、自分も皆を守れるよう、努力しなければ。
デルフィーナは固く決意した。
その気持ちが伝わったのか、アロイスは柔らかく微笑んで、頷きを返す。
それにまた涙してしまって、眉尻を下げたアロイスがもう一度ぎゅっとデルフィーナを抱きしめる。
しゃくりあげることはないものの、そのまま涙していたデルフィーナは、泣き過ぎて酸欠になっていたこともあり。
結局、抱っこされたまま、いつの間にか眠りに落ちていた。
「デルフィーナは落ち着いたか?」
アロイスより後に屋敷へ帰ってきたカルミネは、使用人達から話を聞いていたのだろう。シッティングルームを覗くことなく、いつも夜に兄弟が集まる部屋へと先に入っていた。
「酒――は、お前は今はダメだな」
ゴブレットにワインを注ごうとして、手を止める。
怪我人に酒を飲ませるのは、さすがにまずい。
昔は普通に飲んでいたそうだが、とある国の稀人が病気や怪我の時の飲酒は身体に悪いと教えたのが広まり、今は常識になっている。
「そうですね、今夜は止めておきます。デルフィーナは、落ち着いたというか、寝てしまったので」
再び布を結んで腕を固定していたアロイスは、一人がけのソファに身を沈めて、ふぅ、と息を吐いた。
そっと扉をノックする音がして、バトラーのアマートがワゴンを押して入ってくる。
ワゴンの上には、湯気の立つ紅茶とティーポットの他、エッグタルトとクレームブリュレ、ポテトチップスとサラミの盛り合わせが乗っていた。
サラミ以外は全て、デルフィーナのレシピから作られたものだ。
ワゴンからソファサイドの小さなテーブルへ移すと、一礼してアマートは退室した。入れ替わりに入ってきたのはドナートだ。
「怪我の具合はどうだ」
他から聞いているものの、アロイス本人は玄関でデルフィーナに捕まったため、まだドナートは直接報告を受けていない。アロイスを見た途端聞くのは、一応心配をしていたからだろう。
見る限り問題なさそうだな、と全身に視線を走らせる。
「大丈夫ですよ。施療院で、ひびの入った骨はくっつけてもらいましたから」
打撲だけかと思ったら、ひびも入っていたらしい。念のためと診てもらったのだが、施療院まで行って正解だった。
「油断はするなと言っただろうに」
「すみません」
ドナートの溜め息に、アロイスは苦笑する。
油断をしたつもりはないが、結果として怪我をしているのだから、怒られるのは仕方がない。
「あれほどデルフィーナが泣くとは思わなかったな」
父親として思うところがある様子で、定位置のソファに腰を下ろしながらドナートはこぼした。
「はい。想定外でした」
「お前が怪我などするから」
「そう言われても、まさか馬車を壊しにかかるとは思わなくて」
「ああ、それはなぁ」
苦笑するアロイスに同意するように、カルミネが頷く。
カルミネも、予期していなかったのだろう。
商人なら、情報を盗みたい商品を壊すことはまずない。壊しては解明できないのだから当然だ。
そう。
アロイス一行を襲撃したのは、エスポスティ商会と競合している商会の手のものだった。
「あちらは意外とかくれんぼが上手かったですねぇ。中々尻尾を出さないから、これでようやく捕まえられるかと思うとスッキリしました」
「で、どこだった?」
「メラーニ商会です」
エスポスティ商会と張り合う商会はいくつかある。
エスポスティ商会が大きくなる前から大商会として存在していた商会も、エスポスティ商会と競うようにして大きくなった商会も、後から興った商会も、手広く商売をする以上、ライバル関係になるのは必然といえる。
他国に本拠がある店、行商がメインの店、バルビエリでも王都以外に本店がある店、様々な商会があり、競合する部分が少ない商会ならば、提携をするなどして、友好関係を築いている。
持ちつ持たれつであったり、競合してもなんとなく棲み分けをしている商会は、それほど関係が悪くなかった。婚姻で姻戚関係となり、親和を図った過去もある。
そういった中で、エスポスティ商会を敵視している商会が、二つばかりあった。
どちらも友好を結べなかったのは、時に過激な手段を取る商会だったからだ。
他の貴族から所詮商人よと侮られているとはいえ、子爵家であるエスポスティは、あまりに犯罪的な行為に及ぶところとは、仲を深められない。明確に犯罪でなくとも、心証が悪くなるのは避けたい立場だ。
それこそ、他の貴族から非難されたり、痛くもない腹を探られる恐れがある。
危ない橋を渡る必要もない。
そのため、敵視されていても今までは適当に往なしていたのだが。
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