79 夜の集い
明るさの減じた輝光石がほの暗く照らす部屋の中。
寝静まった館内は風のさざめきすらなく、パチパチとたまに弾ける薪の音が小さく響く。
火を弱めた暖炉の傍には、ゆったりと座れる一人がけのソファがあった。
真新しいソファに深く腰かけた男へ、そっと入室したアロイスは歩み寄った。
「お待たせしましたか」
「いや」
返答のみで視線すら寄越さない彼の兄は、手にしたゴブレットをゆっくりと回していた。中には、最近北方の国からの輸入量が増えた、蒸留酒が入っているのだろう。
「このソファはいいな」
ドナートはうっそりと笑う。
横になるほどではなく、しかしゆっくりと休憩したい時に、身体を預けるのにちょうどいい。
このソファも、デルフィーナの提案から作られたものだ。
ソファセットとは別に、のんびり過ごすのに欲しい、と彼女が言って、肘掛け付きの深い形のものを職人に作らせた。
「カルミネがまだだからな。お前も座ったらどうだ」
この集まりは、特に時間を決めていない。
集まることにしたのも明確に決めたわけではなく、なんとなくの成り行きだ。
日中は外に出ていることが基本の三人が顔を揃えるのは夜が多く、話す内容が人の耳を気にするもののため、必然的に夜更けにひっそりとなった。
「あぁ、兄上もお忙しいのでしょう、色々と」
「そうだな」
「それもあと少しだと思いますよ」
「ああ、そのようだな」
ドナートが口元だけで笑ったその時、ノックの音と共に扉が開いた。
「すまん、遅くなった」
慌ただしくカルミネが入ってくる。その手には、一本の酒瓶があった。
「俺も今来たところですよ」
「そうか」
アロイスの言葉にほっと息を吐いたカルミネは、ソファ脇の小テーブルをチラリと見てから、チェストを開けてゴブレットを三つ出した。
暖炉の傍には空いたソファがあと二つある。
促されてアロイスが一方に座り、カルミネももう一方へ腰を下ろした。
「あちらの準備は整ったようだ」
前置きなく切り出す。
その言葉に二人は、つと目を細めた。
「そろそろとは思いましたが」
「今日明日中にも動くだろう」
確信を持ったカルミネの声に、アロイスも頷く。
「これでようやく少しスッキリしますねぇ」
「それは事が上手く終わってから言え」
「はい」
言外に油断はするなと長兄に釘を刺され、アロイスは肩を竦める。
こちらも準備は万端に整えてあるが、万が一がないとは言い切れない。油断は禁物と戒めるドナートの反応は最もなのだ。
「しかし、これで忙しさが落ち着いてくれるとありがたいのは事実だな」
ゴブレットに持ってきた瓶から酒を注いで、カルミネがぼやく。差し出されたそれを受け取ってアロイスは苦笑した。
「どうでしょうねぇ。もっと忙しくなる可能性もありますよ」
「それは……」
「まだまだ作りたいものがあるようですからねぇ」
アロイスはくっくっと笑う。
三人は同じ顔を思い浮かべていた。
「ま、何にせよ一段落はつくだろう」
「店の方も上手く回っていますしねぇ」
「工房の方はどこもてんやわんやだがな」
カルミネだけ呆れを隠さず肩を落とす。
デルフィーナは、思いついたものを案として遠慮なく伝えてくる。
そこから実際に作るか決めるのはほぼカルミネに委ねられているのだが。作れるものであり、売れるとわかっている以上、商人として職人に伝えずにはいられず、教えられた工房は知った以上、職人として作らずにはいられず、結果、作っても作っても終わらないという状況に陥っていた。
カルミネが保留しておけばいいだけ、とわかっている兄弟は、自業自得だと諦めている。
体調を崩さない限り、口を出すつもりはない。
子爵家としても商会としても、好景気に忙しくなるのは悪いことではない。
とはいえ、作る予定のものと、作ったものの改良で、傘下含めどこもいっぱいいっぱいになりつつある。
ここら辺でブレーキをかけてもいいだろう。
「まぁ、これでデルフィーナも少しは自重を覚えるだろう」
そう呟いたドナートは、デルフィーナがあれでも一応案として伝える内容を選んでいるとは考えてもいなかった。
「とりあえず、今日出来上がってきたものの報告だが――」
話題は転じているのかいないのか。
カルミネの報告や、アロイスの報告を聞きながら、ドナートは必要な指示を出していく。
その空気は堅苦しいものではなく、兄弟で酒を飲みながらのゆったりとしたものだ。
小さくはぜる薪の音はもう聞き取れない。
三兄弟の夜は、今夜ももう少し続きそうだった。
ヴィットーレ・ラビアは、初めての味わいに溜め息を吐いた。
ヴィットーレは酒があまり好きではない。
アーモンドミルクも、果実水も、美味いとは思わない。
いずれも、喉が渇けば飲むが、それだけだ。
水分を取らないと人は不調に陥る。それがわかっているから飲んでいるだけで、好んで口にしているわけではない。
だが、これはどうだ。
初めて飲み物に感銘を受けた。
紅がかった湯、その名も“紅茶”というそれは、馥郁たる香りが鼻を抜けていき、飲むほどに冬の外気で冷えた身体を温めていく。
美味い。
ヴィットーレは少なからず感動していた。
紅茶に添えられた“クッキー”なるものは、サクサクとしていて口の中でほろりと崩れる。
見た目は保存食に似ているのに、食感は大違いだ。
“メニュー”なるものに書かれた料理の数々は、知らぬ名ばかりで、給仕の説明がなければ想像もできなかったものがほとんどだ。
多くが菓子――甘味であるのもめずらしい。
どれもこれも味の想像がつかなかったため、持ち帰りができないという<果実のゼリー>を頼んだ。
まだ食していないが、ガラスのように透明で、中のリンゴと何かの赤い実が見える。
南方の海辺の街で見た、魚の煮付けのソースが、もっととろとろではあったが、こんな感じだったように思う。
今まで食べたものの中で、強いて似たものをあげるとしたら、だが。
紅茶をもう一口深く味わってから、ヴィットーレはゼリーにスプーンを差し込んだ。
少しの抵抗の後、すっと通るスプーンに一口大掬い上げる。ふるふると揺れるそれはどんな味わいか。
ぱくりと口にして、なんともいえない食感に目を閉じた。
中のリンゴはシャキシャキとして、また小さな赤い実はプチッと弾けて、三種類の舌触りを楽しめる。
「ふむ」
悪くない。だが好みからいえば、クッキーの方がよかった。
このゼリーなるものは、喉越しが素晴らしい。食欲の落ちた時や、食事が面倒な時にはいいだろう。
だが一番は紅茶だ。
この感動は他の比ではない。
この飲み物は気持ちを落ち着け、頭の働きをハッキリさせたい時に欲しい。
是非とも仕事中に飲みたいものだ。
ヴィットーレは魔法伯をしている。
魔法伯は大雑把に言うと宮廷に雇われた高位の魔法士だ。
そもそもバルビエリ王国に魔法士は少ない。その中でも優れた力を持ち、研究論文や実働で大きく貢献した宮廷魔法士に贈与される位が魔法伯だ。
領地は持たず、爵位のみ授けられる。もちろん年金は位階に基づく。
ヴィットーレはかなりの資産家だった。
ヴィットーレは拝金主義ではないが、騎士爵家出身のため、金のありがたみをわかっていた。
だからもらうべきものはもらい、使い処がなかったため金を使わずにいたら、いつの間にかケチのレッテルを貼られていた。
能力もなく血統だけで不相応な地位にいるような輩に、何を言われても気にならない。
ヴィットーレの本質を知る貴族達は、彼の持つ力に配慮して、陰口をたたくことはない。
現実的に、魔法伯の力は一人の騎士などと比べものにならない。
魔法士は変わり者が多いため、賢明な者は逆撫でするまいと気をつけていた。
ヴィットーレを嗤うような者達は、思慮の足りない者だと公言するようなものであり、貴族達の中では、ある種の試金石になっているらしい。
それもこれも、無頓着なヴィットーレは気にせず仕事に没頭していた。
魔法士としての仕事は面白い。
研究は進まず苦しい時もあるが、宮廷から給与が出ているのだから時間をかけても問題ない。
その、頭を悩ます時に、是非ともこの紅茶が欲しい。
ヴィットーレは悩むことなく、壁際に控えていた給仕に向けてベルを振った。
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