75 リーノ2
王都へ行くなら様子を見て、と便り一つない息子を案じた母親に頼まれたフィルミーノは、自身が屋敷の料理人見習いとして落ち着いた後、会いに行った。
そこでリーノの現状を知り、手助けはできないながら、食事の差し入れをしたり、コフィアへの異動が決まってからは持ち帰った菓子を分けたり、と気にかけていたらしい。
「フィルミーノがここでなら回転の魔法が役に立つんじゃないかって言うんで来ました。オ――自分の魔法は使えますか?」
「回転は、何でも回せるの? というか、回すだけなの?」
「ハイ。ええと、何でも回せますけど、あんまりデカ――大きかったり、重すぎるものはゆっくりになります。小さいものは輪郭が見えるくらい速く回せます」
ふんふんとデルフィーナは頷く。かなり高速にできるようだ。
「回す以外は、多分できないです。あんまり使い処がなくて……粉挽き屋でやっと使えるって思ったんですけど」
しょんぼりと肩を落とす。
固有魔法を使える者は、生活魔法といわれる、少量の水を出したり風を吹かせたり、指先に小さな火を灯すことができない。
両方を使える者も稀にいるが、そういった者は魔力が多く、魔法を生業にしている者へ弟子入りして魔法師になるらしいが、バルビエリでは滅多にいなかった。
生活魔法は使えたら便利程度だが、せっかくある固有魔法が役に立たないのは悲しいものだ。
ガラスに使えると気付く前のデルフィーナも、こんな魔法より生活魔法がよかったと思ったものだ。
ガラス以外にも使えるのがわかっている今は、この魔法でよかったと思うが、それだけにリーノの気持ちが理解できる。
ましてそれのせいで借金まで背負う羽目になっているのだから。
「わかりました。まずはここで使えるか、試してみましょう。雇用するかはそれから決めるわ」
フィルミーノは、使えると思ったから紹介してくれた。
デルフィーナも、使えると思う。
だがお互いのためにも、確認は絶対に必要だ。
頷いたリーノを連れて、デルフィーナは厨房へと移動した。
「これで全部ですか?」
デルフィーナの指示の下、用意されたのは、ボウル、ホイッパー、卵白、砂糖。
絞り出し袋と天板も用意してあるが、リーノの前にはない。
皮の厚手の手袋を嵌めさせて、エプロンをつけたリーノにデルフィーナはホイッパーを持たせた。
「これはホイッパーというの。これを回転させてくれる? 段々泡立ってくるから、砂糖を少しずつ足していくわ。そのタイミングや量はこちらで指示します」
緊張した面持ちのリーノは無言で頷く。
「では回してちょうだい」
ごくりと唾を飲んだリーノは、ゆっくりホイッパーを回し始めた。
手はハンドル部分をそっと支えるだけで、手の中でホイッパーが回転を速めていく。
触れずとも魔法で回せるが、軸を固定していない道具は回転とは別に動いてしまい、軽いホイッパーなら跳んで行ってしまうだろう。
そのため摩擦熱で火傷しないよう手袋をして、手で支える形にした。
「壊れても大丈夫だから、もっと速く回して。回しすぎるようなら声をかけるから」
デルフィーナの指示を受けて、リーノはそっと魔法を強めた。
金属がぶつかる音と、革手袋が擦れる僅かな音が厨房に響く。
「止めて、砂糖を入れて」
何度かそう指示を出し、砂糖を入れ終えた頃には、電動ミキサー以上の早さでホイッパーが回転していた。
「止めて。もういいわ」
デルフィーナの声で、リーノは魔法を止める。
ボウルの中は、ピンと立つほど固く泡立てられた卵白。
「イェルド、銀貨と同じくらいの大きさに絞って、焼いてちょうだい」
リーノからボウルを受け取ったイェルドは、手早く作業をして、あっという間に全てオーブンの中へと移していった。
メレンゲが焼き上がるまでしばらくかかる。
ホイッパーで泡立てるのは、卵白だけでなく、生クリーム、全卵もある。
これは使える。
イェルドと視線だけで確認し合ったデルフィーナは、慎重を期して、他の菓子種も混ぜさせる。
木べらでサックリ混ぜるべきものはイェルドが請け負い、とにかく腕力で泡立てていたものをリーノに任せる。
イェルドとて腕の力は強い。早く泡立てていた方だろう。だがリーノの魔法にかかれば、その時間は半分ないし三分の一に減る。
いつもより断然早く数種類の菓子を作れてしまい、厨房は静かな興奮に満ちていた。
ただリーノだけが、いつもの厨房の空気を知らないため、気付かない。
「リーノ」
「はいっ」
デルフィーナに呼ばれて、次か、とリーノは手を出す。
その、手袋をしたままの手を取って、デルフィーナは大きく上下に振った。
「採用! 貴方を採用します! 明日から来てちょうだい!」
オーブンをフル稼働させれば店に出せる菓子の量が増える。焼き上がり前にはいつも売り切れている現在、量を増やせれば客も増やせる。
目当ての菓子がなかったとがっかりさせてしまうことが度々あったので、店側としても心苦しかったのだ。
ベーキングパウダーも重曹もない現在、生地を膨らませる要素は卵に頼っている。だから、かなり泡立てるものが多いのだ。
リーノが泡立てればそれらは解決する。
「ホントですか?!」
目を輝かせたリーノに、給仕から戻っていたフィルミーノも笑顔になった。
リーノの魔法は、探せば他にも使えるところがあるだろう。
未だモーターのない世界だ。上手く使えばその能力を生かせる場所は絶対にある。
だがデルフィーナは無用に文明を進める気はない。
自分が欲しいものは作るし、家族に求められれば持ちうる知識を伝えるのもやぶさかではないが、時代にそぐわない智慧はあまり広めたくなかった。
砂糖一つで身の危険を感じるのに、爆薬や化石燃料など、危険なものはなるべく教えたくない。社会の成熟度に合わせて発見してほしいと思う。
リーノの魔法も多分、発想を変えればもっと上位貴族や軍に重用される類いのものだ。
けれどそれを伝えて、リーノは幸せになれるだろうか。
焼き上がったメレンゲを前に喜びを湛えた青年は、コフィアで躍進するのが確定している。
他所へやるのはコフィアにとって損失なのだから、デルフィーナが見つけてしまった以上、手放す訳がない。
フィルミーノが焼き上がったメレンゲを冷やし、デルフィーナの許可を得て、皆で一つずつ摘まむ。
サクッとした後溶けるそれは、優しい風味で。
それぞれがじんわりと味わっていた。
「明日の朝一番で、雇用契約書にサインしてもらいます。その後からガッツリ仕事をしてもらうわ。どの程度魔法が使えるのか含めて、明日の様子を見て色々決めましょう」
「はい! よろしくお願いします!」
笑顔から一転、キリッと真顔になったリーノは、深く頭を下げた。
翌日。
アロイスの用意した魔法誓詞書と雇用契約書で契約を済ませたリーノは、初日から大活躍する。
おかげで、飛躍的に量が増えた菓子に、コフィアの顧客と人気はますます増したのだった。
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