71 発熱と体力作り
プレオープン最終日の翌日。
デルフィーナは熱を出して寝込んだ。
いつも招いているかかりつけの医師曰く。
「この年頃のお子様特有の熱ですな。お話からするに疲れもあるでしょう。流感とは様子が違いますからな。ゆっくり養生すれば、二、三日で治るでしょう」
コフィアの成功で、気が緩んだため一気に疲れが出たようだ。
子どもは身体に見合った体力しかない。そして子爵令嬢の体力がそんなにある訳がない。デルフィーナも周りも、うっかり失念していた。
「ごめん、配慮が足りなかったねぇ」
「いえ。私も色々やりたくて考えなしに動いていましたから」
申し訳なさそうに眉尻を下げたアロイスへ、デルフィーナは熱でぼんやりする頭を小さく振った。
「その通りですよ。フィーナは予定を詰めすぎです。刺繍のお稽古が減っているくらいですもの」
ベッド脇に座って看病をしていたクラリッサが困ったように手を頬へ当てる。
字すら満足な美しさに書けないため、針を持ったところで簡単な縫い取りしかできないが、練習しなければ上達もしない。せっかくクラリッサという良き先生がいるのだからと、以前はよく針のお稽古をしていた。
空き時間だけでなく、その時間の大半が今はコフィアのために使われている。
クラリッサが心配するのももっともだ。
「すみません……」
さすがに義姉の発言には返す言葉がなかったのだろう。アロイスがしゅんとなる。
そして無言だがそばに控えていたエレナは、もっと肩を落としていた。
本来なら侍女の職務に体調管理は含まれないが、主が子どもの場合は違う。怪我をしないよう、病にかからないよう、大人として気をつける役目がある。
項垂れる様を見て、デルフィーナは申し訳ないことをしたなと思った。
自己管理をもっときちんとしなければならなかった。
考える以上にデルフィーナの身体は体力がないようだ。
(もう少し運動した方がいいのかも)
コフィアが軌道に乗るまで油断はできないが、概ねデルフィーナ自身が必要となる段階は通過した。スイーツもセイボリーも、料理人達がレシピ通り作れるようになったし、接客の問題点もプレオープンで洗い出して改善が図られることになった。
デルフィーナが直接確認しなければならないものは、もうない。
次に必要になるのは新メニュー、新しいスイーツを作るときだけ。それはしばらく先で大丈夫だろう。
クラリッサとの時間をないがしろにしていた訳ではないが、ガラス工房に赴いたり何だりで忙しすぎた自覚はある。
(当分のんびりしつつ、温室についての話とか、保留にしている他のことをゆっくり進めようかな)
休みの概念がかなり違っていることに、デルフィーナは気付いていない。
数日後。
完全復活したデルフィーナは、庭を歩いていた。
近くには、厩舎から出ている馬達が柵越しに見える。
以前からたまに庭へ出て馬を見ていたデルフィーナは、運動のため乗馬はどうだろうか、と考えた。だがしかし。いかんせん身長が足りなかった。
聞けば、令嬢はポニーから練習を始めるのが無難とのことだったが、今のエスポスティ家にはポニーがいない。兄のファビアーノは成長が早かったとかで、大人しい馬から始めたという。
デルフィーナのためだけにポニーを用意するのは勿論可能だが、そこまでして馬に乗りたいわけではない。
デルフィーナに使うはずの予算は商会設立のための融資にしてもらった手前、さらに何かをねだるのは気が引けた。
いずれは乗馬術も身につけたいが、それはもっと身体が育ってからでいいだろう。
というわけで、デルフィーナは一番簡単にできる運動として、ウォーキングを選んだ。
歩きやすい靴さえあれば他は特に必要ない。
日傘は、試作を経た完成品のひとつを工房の厚意でもらったので、背負うように持っている。
ずっとエレナが持ってくれていたが、腕力を鍛える意味も兼ねて運動中は自分で持つようにした。
のんびり歩いたり草を食んだり砂浴びをしている馬を横目に、少し早めの歩調で庭をぐるりと回るように歩む。
温室建設の許可は無事ドナートから取り付けたため、大工が下見に来ているのも見えた。
そちらの対応もアロイスに丸投げしてしまったので、デルフィーナは遠目に眺めるしかできない。
面倒な部分を全部投げてしまえるのは楽だが、アロイスは大丈夫だろうか。
自身が寝込んだため回復直後に確認したが、アロイスは問題ないという。
エスポスティの各工房との顔つなぎは終わったし、家の使用人は自由に使えるため、デルフィーナの案をまとめてそれぞれへ振るだけで、その道筋ができてしまった現在は、工房長以下職人達の方が断然大変らしい。
新しい物も、話を聞きに屋敷へ来て、アロイスの伝える物を作って、それを屋敷へ持ってきて見せて、改善点があればまた作り直して、と職人の方が断然動きが多い。
時間があればアロイスが赴くこともあるが、連絡を取る工房がいくつかあるため、一所に留まっていた方が結局のところ早いのだとか。
あまり出歩くと逆に捕まえるのが手間と言われて、ひとまず自重しているため、今後はコフィアにいるか屋敷にいるかになりそうだとか。
しかし「でもずっと同じ所にいると飽きちゃうしねぇ。お出かけがてら工房に顔を出す感じになると思うよ」とアロイスはにこにこ顔で言っていた。
口を出せないデルフィーナとしては、工房長達がアロイスを捕まえるのに苦労しないことを祈るばかりである。
(さて、温室ができたら何を植えようかな?)
輸入品店を見て、エスポスティ商会の扱う品を教えてもらって、概ね手に入る植物がわかった。
実際のところ、南大陸はそれほど遠くない。
昔は船の性能も悪く、航海術も発達していなかったため距離を感じたらしいが、船の性能が上がり、海図も正確さを増した現在、航海速度は飛躍的に伸びて、航行距離はかなり変わった。
移動速度が上がれば、遠かったところが近くなる。
必然的に南大陸は近くとなり、東大陸までも行けるようになった。
安定して交流ができるようになれば諍いも起きるし、それぞれの大陸に幾つもの国がある以上、政治的なやり取りも複雑になっているようだが、そこら辺は、国の中枢にいる人間が考えたり対処したりするべき事だ。
大きいとはいえ一商会に過ぎないエスポスティとしては、もめ事や衝突をなるべく回避し、友好的な関係を結べる相手と取り引きをしているのが現状。
街で見た輸入品店にあったものはエスポスティ商会でも仕入れられるようなので、現在取り引きのある物はそちらから入手するとして。
欲しいのは、“今はまだ北大陸にない”植物だ。
いずれコフィアでアフタヌーンティーを提供したいと考えた時に、キュウリがないことに気が付いた。
サンドイッチといえばキューカンバーサンド。
アフタヌーンティーができた頃は、アスパラガスやキューカンバーは高級な野菜だった。
同じ野菜を使う必要はないが、いずれ作りたい。
というよりデルフィーナがキュウリを食べたかった。
「胡瓜」の字から分かるように、発祥地をこの世界に当てはめるなら東大陸にあるだろうと予想している。
とはいえ地球の原産地がまるまる当てはまる訳ではない。
南大陸からの品にも「それってアジア原産じゃなかった?」というものが混じっている。
なので、一先ず南大陸でも探してもらうこととしよう。
南大陸との取り引きは、大陸の北側が主だ。
現地の人に話を聞いて運搬できる特産品はだいぶ北大陸へも渡ってきているようなのだが、それでも、南大陸の南側、北大陸から離れた方は、まだまだ探索されていないところがある。
そういった場所に、デルフィーナが求めるものがある可能性は高い。
不思議なことに、デルフィーナには「米を食べたい、和食が恋しい」と思う心は一切なかった。
珈琲への執着はあるのに、他への欲求はまったくない。
首を傾げてしまうほど、なんの感慨もなかった。
だから求めるのはひたすらに珈琲だ。
まだ北大陸へ来ていない多弁の薔薇や、キュウリや、他の色々も欲しいとは思うけれど、それは珈琲探しのついででいい。
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