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06 商会の顧問






 言われると思った。

 アロイスは自分で望んで領地に向かい、田舎での生活を決めた。そこから引き離すのだから、領地生活より魅力がなければアロイスは引き受けてくれない。予測できたことだ。

 だが、デルフィーナには秘策があった。アロイスを釣れるモノを、デルフィーナは知っている。


「ふふふ……アロイス叔父様。私、知っていましてよ? 叔父様が、お父様からどういった形で領主代行のお手当をいただいているのか」

「ん? 別に隠すことじゃないからね。知られていても困らないよ?」

「ええ。ですが私が、お父様よりたくさんの“アレ”を差し上げる、と言ったら?」


 ニヤリと笑って、アロイスの瞳を見つめる。

 琥珀色のそれは、驚きで目一杯開かれた。


「…………本気で、言ってる?」


 アロイスはこわごわと声を出す。

 信じられないものを見るように、けれど期待に満ちた様子で。


「もちろん本気ですわ」


 自信満々のデルフィーナに、アロイスはごくりと唾を飲んだ。


「兄上よりも多く用意できる、その根拠は?」

「まだ明かせませんわ。いずれこれも私の商会で扱うかもしれませんもの」

「……………………」


 疑いは当然。

 デルフィーナも、羽馬がもらっていたご褒美を見なければ、この秘策は思いつかなかった。


(ありがとう羽馬、ありがとうビート)


 甘味が大好物の羽馬へ与えた野菜こそ、この北大陸でも栽培できる“アレ”の材料。

 アロイスがドナートから融通してもらっているもの。

 それこそが、砂糖、だった。


 砂糖は、南大陸からの輸入品だ。

 北大陸では栽培できないサトウキビが原料であり、南大陸との貿易でしか得られない。

 南大陸で精製された砂糖は、水晶のようなごつごつとした大きい氷砂糖のような形状で北大陸へと運ばれてくる。

 しかし船の性能も航海術もまだまだ未熟で、大陸間の貿易はリスクが高い。

 当然、輸入されるものは食品薬品美術品に限らず全てが高値で取り引きされている。


 砂糖も、元は薬として渡ってきた。

 薬師が薬を飲みやすく加工して、あるいは摂取しやすい形にして貴人へ渡るようにしていたらしい。今では商人がメインで売買しているが、薬だったのだから高価なのも当然、と未だ普及はしていない。


 低位とはいえエスポスティ家も貴族であり、大きな商会を傘下に抱えて資金は潤沢にあるのに、滅多に砂糖菓子は食卓にあがらない。

 塊で家にあるのは知っていても、それを食べるのは祝い事の時、もてなすべき客が来たときに限られる。ハチミツだって採取量は多くないはずだが、それでもハチミツの方が口にする機会は断然多い。


 夏場は冷たい珈琲をほんのり甘くして、冬場はカフェオレをたっぷり甘くして。そうやって飲むのは幸せだ、と珈琲を恋しく思ったデルフィーナは、砂糖がないと安易に甘くできないことに思い至った。


 ビートを見つけられれば、砂糖が作れる。

 あれは蕪の一種で、その昔は家畜の飼料として栽培されていたとか。もしビートがこの世界にもあるのなら、輸入に頼らず砂糖を入手できる。

 珈琲と同時に探すしかない。ビートなら北大陸でもあるはずだ。甘い野菜と絞って調べれば見つかるはず。

 そう考えていた時に見かけたのが、羽馬がもらっていたご褒美の、その野菜。

 砂糖大根、甜菜、ビート。

 呼び方はともかくその蕪だった。


(ラッキーにも程があるわよ)


 驚きと、自分の持つ強運に苦笑を漏らしながら、デルフィーナは馬丁にビートの入手経路を確かめた。

 安くはないが、高くもない、とのことだった。

 そもそも、領地で領民が育てていた。それを買い取っているため、王都で販売されている野菜を買うより安価だという。


(ビバ! 領地経営!!)


 部屋で一人になってから思いきりガッツポーズを取ってしまったのは仕方ないだろう。


 ビートからの砂糖の作り方は知っている。

 甘味好きの友人に引っ張られて、ビーントゥバーのチョコレート作りもお店で体感したし、サトウキビは齧ったし、ビートからシロップを作るのも一緒にやった。

 一人暮らしだったから「キッチンを使いたい」と押しかけられたのに近いのが真相だが、それでも一緒にビートを細かく切ったり煮詰めたりするのは楽しかった。


(持つべきものは友達って言うけど、前世の友達に生まれ変わってから感謝するとは思わなかったわ)


 ビートは領地で手に入れられる。

 キッチンさえあれば砂糖を作れる。

 砂糖さえあれば、珈琲を甘くできるし、お茶請けも作れる。

 商会スタートの一歩としては最高だといえる。


(まだまだ課題は多いけど、これでアロイス叔父様を落とす!)


 デルフィーナは畳みかけるように、アロイスの視線を捉えた。


「それにね、アロイス叔父様。私、紅茶に合わせた新しいお菓子をこれから作っていくつもりですの」


 にっこりと可愛らしく笑う。

 きっと、アロイスには悪魔の笑みに見えているだろうが。


「……お菓子?」


 呆然としながら呟く叔父は、ちょっと可哀想で可愛い。

 カルチャーショックを受けるのはまだ早いのに、とデルフィーナは思う。


 砂糖が入手できるのなら、もちろん菓子も作れる。

 だが砂糖は高級品ゆえ、試しに色々作れるものではない。当然既存の菓子は種類が限られる。

 そもそもこの時代、砂糖を使った菓子は、混ぜたり漬けたりコーティングしたりするのが主だ。焼き菓子はそれなりに種類があるが、国によって違うだけで国際会議や王家の婚姻などの交流がないとレシピは伝わらない。

 砂糖をたくさん使えるのは財力のある家だけだし、それも祝祭の日や客をもてなすのが主目的のため、いつでも食べられる訳ではなかった。


 デルフィーナが店のために新しく作るのなら、何度も試作をするだろう。協力するのなら、そのたび味見ができる。

 販売できる菓子として完成しても、商会の顧問ならいつでも店で食べられる、とデルフィーナは仄めかす。

 それはアロイスにとって、非常に魅力的な話だった。

 それほどに、砂糖は高価で口に入る機会が少ない。


 そんな砂糖を惜しげもなく使える理由は何なのだ。


 アロイスには論拠が見えない。けれどデルフィーナは自信満々で、否定する材料も見えない。

 顔には出さず苦悩しているアロイスに、デルフィーナは追い撃ちをかけることにした。


「叔父様、お料理はできまして?」

「簡単なものならねぇ」

「でしたら、お店のキッチンができたら、そこで作りましょう」

「作る?」

「はい」

「菓子をかい?」


「いいえ、叔父様への報酬を」


 その言葉にアロイスは目を剥いた。


 作る、と言った。


(作る? 作るって言ったか? 一体どうやって!?)


 この姪はおかしくなってしまったのだろうか。アロイスは背筋が寒くなる。

 だがデルフィーナの目は正気だ。嘘偽りなく作れると確信して――いや、事実として話している。

 アロイスは己を落ち着かせるように大きくひとつ呼吸した。


 デルフィーナが何をしたいのか、本当のところは分からない。いずれ分かるのか、ずっと分からないままなのか、それさえ察することはできないが。この姪を一人で自由にしておくのは危険だ。


(兄上は、今のデルフィーナの状態を分かっているのだろうか?)


 迷う心を振り払い、アロイスは思い定める。


「――わかった。商会の顧問を、引き受けるよ」


 にっこりと、人好きのする笑顔を浮かべて姪を見返すと。


「本当ですか?!」


 デルフィーナの顔がこの上なく輝いた。

 驚きと喜びを押さえられなかったのか、ソファから飛び上がるように立ち上がっている。


「うん、なんだか面白そうだしねぇ」


 頬を紅潮させて胸の前で指を組んだデルフィーナは、本当に嬉しそうだ。

 数日前の彼女ならきっと跳び跳ねていただろう。


 笑顔の下にヒヤリとする思いを隠して、アロイスは姪っ子の喜び様を冷静に観察する。


 今のデルフィーナを放置するのは、彼女にとってもエスポスティにとってもリスキー過ぎる。

 傍に自分がつけるならベストだろう。

 ファビアーノでは到底足りない。アロイスでギリギリだ。

 だがエスポスティに成人した男性は、ドナートとカルミネと、彼らの父のガヴィーノしかいない。

 前子爵を引っ張り出してくるのは、逆に注目を集めて危険が増える。

 もうひとり隠居を決めている前子爵の弟、前エスポスティ商会長がいるものの、彼は根っからの商売人で兄の孫娘にどこまで配慮するかわからない。


 本来顧問などもっと経験豊富な者がつくポジションだ。

 商会も会頭も若いからアロイスが納まっただけで、アロイスとて若造の部類、他の商会や客から侮られる可能性は高い。

 会頭がデルフィーナということは伏せた方が良いかもしれない。その方が、デルフィーナを守れる。


 その頭脳や知識を狙うなら、七歳児は簡単に誘拐できてしまう。


 砂糖のためだけではない。

 可愛い姪っ子だ。家族として、守るべき存在なのだ。


 近くにいられる大義名分があるのだから、今後は必ず傍に自分か信頼できる者を控えさせよう。


 喜びに笑み崩れるデルフィーナを見つめながら、アロイスは不透明な先行きに覚悟を決めた。








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