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57 イェルド2




 そんなデルフィーナの掻い摘まんだ説明を聞いて、イェルドはぽかんとしていた。

 渋面でなくなれば普通の男だ。いや、ちょっと顔がいいから普通ともいえない。


「あとは、そうね。貴方の表情が悪いのよ。だからせめて、しかめっ面じゃない普通の表情を作れるようにトレーニングしましょ」


 無表情でもいい、渋面でなければ文句は言われない。

 笑顔でなくていいのだから難しくないだろう――多分。


「とれーにんぐ?」

「んんと、訓練、ですわ」


 たまに前世の言葉が通用しない。

 アロイスの質問に答えると、こほんと咳をしてデルフィーナは誤魔化した。


「貴方、鏡は持っていて?」

「鏡、ですか」


 イェルドの眉間の皺が深くなる。


「ないのね。いいわ、こちらで用意します」


 デルフィーナが視線を送ると、スッとエレナが部屋を出ていった。外に待機している誰かに、馬車に積んであるものを持ってこさせるのだろう。

 鏡はガラスと同じくそこそこ高級品のため、おそらく近くの商店街では扱っていない。

 まだ七歳だが貴族令嬢のデルフィーナには簡単なメイク道具が持たされており、鏡もその中に入っている。持ち運び用なので飾り枠もなくシンプルなものだ。あれなら譲っても構わない。

 デルフィーナの固有魔法を使ったから、大きいだけで歪な鏡だったものが、今は綺麗に映る品になっている。イェルドの顔なら丸々映る大きさだ。


 鏡が来るまでの間に、デルフィーナはイェルドが料理人としてどの程度勤めていたのか、今は何をしているのか、雇用に際しての希望は、等々、本来なら先に済ませるべき確認を済ませた。


「デルフィーナ様」


 たいして時間をかけず戻ってきたエレナは、重さもあるためテーブルの上へ鏡を置く形でデルフィーナに差し出した。


「ありがとうエレナ。さ、これを持って帰って訓練してね」


 テーブルの対面に座るイェルドへとデルフィーナは鏡を押し出す。

 その大きさを見てイェルドは、給料何日分、と顔をひきつらせていた。そんな顔も怖い。

 大きい鏡はそれだけで高価だ。デルフィーナの固有魔法を知らないイェルドからすると恐ろしい品物に見える。

 イェルドは手を出し倦ねた。


 だがそんな躊躇いをまるっと無視して、デルフィーナは鏡を起こすとイェルドの方へ向けた。

 今まで全く縁のなかったつるっつるのピッカピカな鏡がイェルドの前に立てられる。それは低級品の鏡や水面に映すのとは違い、くっきりはっきりとイェルドを映した。


 初めてはっきり自分の顔を見た。

 イェルドは口こそ開けないが、驚いて目を瞠った。

 その表情に渋さは一切ない。


「ほらね、今の貴方ならそんな怖い顔じゃないでしょ?」


 呆けた面様のイェルドは鏡に映った己を見て瞬きをしたが、すぐにきゅっと常の渋面へ戻ってしまった。


「ああほら、またその顔。それがダメなのよ」


 つられたようにデルフィーナもしかめっ面になる。


「笑えとは言わないから、眉間の皺がなくなるように努力して」


 鏡をおろしたデルフィーナは、自分の眉間を人差し指で揉んだ。

 その姿を見て、イェルドも自身の眉間に指先で触れる。確かに皺が寄っていた。人差し指と中指で、広げるように押してみる。


「そうそう。鏡を見ながら渋面を直すようにしてね。普段の生活でパッと目に入る位置に鏡をかけておけば、都度自分の表情に気付けるはずだから」


 地下の厨房にも鏡を設置しよう、とデルフィーナは決める。

 鏡があれば部屋の明るさも増す。イェルドのためばかりではない。フィルミーノも給仕を兼ねるよう育てるなら、鏡は多い方がいい。


「あなたは声がいいんだから、せめて真顔になれば女性人気は出るわよ!」


 渋面さえなくなれば、イェルドが客への挨拶に出ても問題なくなるだろう。

 客層は、あまり酒を嗜まない女性が多くなるのではないか、と予想しているデルフィーナからすると、女性の人気を獲得できるスタッフに育てたい。

 素地はいいのだ。いけるいける。


「声がいい、ですか?」

「ええ」


 訝しんだのかまた眉を寄せたイェルドに、眉間! と示しながらデルフィーナは首を傾げる。


「あら? この世――ここら辺には、女は耳から恋をする的な表現はないの?」


 誓約がまだのイェルドの手前少し言い直して、唯一この部屋にいる同性のエレナを見れば、彼女もちょっと首を傾げていた。


「耳から恋をする、という表現は初めて聞きました。でも、仰りたいことはわかりますわ」

「慣用句みたいなものはないのね」

「はい」

「でも声のいい男性に惹かれる気持はわかる?」

「ええ、わかりますわ」


 肯定しつつエレナは苦笑した。

 七歳の少女が大人の女性のように語る姿はませているようで面白い。デルフィーナの中身を思えば違和感はないのだが。

 そして異世界でも女性は声のいい男性に惹かれるのか、と面映ゆい気持ちになった。


「へぇ、女性が惹かれるのは顔ばっかりじゃないんだねぇ」


 興味深そうにアロイスが呟く。


「そうですね。顔が良くても性格が悪ければダメですし。逆に性格が悪くても顔が良ければいいとか、顔より声に惹かれるとか、それより身体が大事だとか、好みはそれぞれだと思いますわ」


 人の好みは十人十色。顔に惹かれる比率は高いだろうが、声に惹かれる女性も数は多いと思う。

 顧客ターゲットを考えれば、女性に好かれるスタッフならより良い。


「だからねイェルド。貴方は表情を改めること。なにかというと顔をしかめるのを止めなさいね」

「は。わかりました」


 結論は出た。

 表情を改めれば問題がなくなるという説は、イェルドにすれば疑問でしかないが、雇用主が言うなら従おう。

 声云々も理解ができないが、接客の仕事ではないのだ、気にしないことにする。


「それじゃあ、早速契約しましょう!」


 デルフィーナは振り返り、そこでやっとアロイスが動いた。

 テーブル上にあった鞄から取り出された契約書に、イェルドは目をむく。

 なんと、教会製の魔法誓詞書ではないか。


「事情があってね。これにサインできないなら、この話はなかったことに」


 口を開いたアロイスは、ちょっと困り顔をしてみせるが、全然困っていないように思える。

 デルフィーナは即決したし、イェルドも雇用を願ったから契約となったはずだが、それとこれとは別の話なのだろう。


 イェルドが断れば、別の人間を雇う、それだけなのだ。


 エスポスティ商会に繋がりを持てるなら、と就職を希望する人間はごまんといるだろう。イェルドは応募の条件を聞いていたが、時間をかければデルフィーナの希望に合う人間は他にも見つかるはずだ。

 なにせエスポスティ商会は扱う品数と種類が多い。多くの被雇用者がいる以上、もっと探せば必ず他の料理人が絶対に応募してくる。

 イェルドの前歴がどう響いたのかわからないが、この顔にも関わらずデルフィーナがイェルドを気に入ったのは、イェルドにとって僥倖だった。


 この好機を逃してなるものか。


 イェルドは迷わず出されたナイフを取って、指先を傷つけた。







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