54 面接2
フィルミーノは緊張の面持ちで目前の建物を見上げていた。
豪華な作りだ。
農村出身のフィルミーノにとって、王都の建物はみな素晴らしく見える。
王都外や、内側でも外の郭のすぐ傍は、木造の家もあって、郷里によくあった家屋と大差ないものもあったけれど。中の郭の内側にある家や店は、大方が立派に見えた。
昨日もらった地図に目を落とす。
(確かにこの建物で、あってる、はず)
だが本当にこんな立派なお店で自分が働くのだろうか。
初めて領主の館へ行ったときも酷く緊張したけれど、あの時はアロイスに連れられていたためフィルミーノにはよそ見をしたり圧倒されているゆとりがなかった。
今日は、面接のために来たので、一人だ。
表は閉めているため裏口から入るように言われているが、そもそも敷地へ踏み込むのに勇気がいる。
フィルミーノは地図を握りしめ、ごくりと唾を飲んだ。
気合いを入れて、一歩を踏み出す。
地図に描かれたとおり、建物西側へ向かう。
木枯らしで転がってきた落ち葉が足の下でさくさくと鳴る。
領主のタウンハウスだって豪華だった。領地の館より小さいけれど、フィルミーノからしたらお城のような大きさだ。
王都へ来てしばらく経って、本物のお城を見たときは、あまりの大きさにたまげたものだが。
それと比べれば、この店はちゃんと庶民的だ。
「アロイス様は、平民でも入れる店だって言ってた。大丈夫だ」
自らを励ましながら、ゆっくり敷地を奥へ進む。
やがて地下へ続く階段と、その手前にドアが見えた。
地図には、地下へ来るよう指示が書かれている。
フィルミーノは、字の読み書きができなかった。
だが縁あって領主館へ奉公へあがり、さらには王都のタウンハウスへまで呼ばれた。その一年でフィルミーノは他の使用人達から字を習った。
単語はまだ知らないものも多いため、本を読むのは難しいが、渡されたリストに従って買い物をするのは難なくできるようになった。
ついでに基礎の算術も習ったから、おつりをちょろまかされることはない。
この店へ勤めるかどうかは、ここへ来て仕事の説明を受けてから決めるのでいいと言われている。採用されるかどうかも、面接で決めるそうだ。その後でフィルミーノの意思をきくらしい。
この店のオーナーはアロイスではなくデルフィーナだ。
自分より五つも年下の女の子。けれど子爵家のお嬢様。
その子は、普通の子ではないらしい。
しばらく前に、使用人が全員集められて、魔法誓詞書で誓約を結ばされた。フィルミーノには何が何だかよくわからなかったが、デルフィーナと使用人、どちらも守るためのものだったらしい。後から詳しい説明を使用人の先輩達がしてくれた。
主人は、魔法で縛られたくないなら誓約しないでもいいと言っていたが、それは同時に解雇されることでもあった。フィルミーノは王都に伝手などない。田舎へ帰る旅費くらいの貯金はあるが、帰ったところで仕事はない。
実家は農家だが、兄弟がたくさんいた。姉達は嫁いで家を出て行ったが、兄達は親を手伝って農業をしている。他所へ奉公へ行くには早い年齢の弟妹が、さらに下の子の面倒を見ていて、フィルミーノはあの家に戻ってもやることがなかった。単に食い扶持を減らすだけだ。
邪険にはされないだろうが、一度家を出ている以上、家族の負担を考えれば、他所で仕事を見つける方がいい。
しかし田舎には勤め口があまりない。
近隣は皆農家だし、商家の伝手はない。だからフィルミーノが領主館へあがることになったのは本当に快挙だったのだ。
秘密を守るだけで解雇されずに済むのなら、魔法で縛られようと、そちらを選ぶ。
エスポスティ家は勤め先として使用人達の評価も高く、ここ以上に良い勤め先などないよ、とよく聞かされていた。
フィルミーノも、字や計算を教えてもらえるなんて思ってもみない特典があり、本も、まだ大変苦労するものの読みたいものを読むことができる。
とても良い職場だ。
使用人は、もちろん相性の良い相手ばかりではないが、かといって理不尽な意地悪をされたことはないし、仕事でミスをすれば叱責されるのは当然だ。
料理長は厳しい人だったけれど、「食事」に拘りのある人で、作り手もその範疇と考えているらしく、必要なことは根気強く教えてくれる。
フィルミーノの他にも料理人見習いはいて、先輩風を吹かされたが、効率のいい仕事の仕方などを教えてもらえたし、なにより肉が食べられた。
家は農家だったから野菜や季節ごとにたまに採れる果物なんかはいくらでも食べられた。だが肉はいつも少なくて、大きなものは兄弟と競っても僅かしか口にできないものだった。
そんな肉が自由に食べられる。それが嬉しかった。
それから、ごく稀に味わえる、甘いもの。
実家では年に一度、収穫祭の時ぐらいしか食べられなかった。肉以上に貴重な存在。はちみつを食べられるのはその時だけで、兄弟と分けるから量は少ない。
それ以外は、春に花を摘んで蜜を吸う。夏になったベリーを食べるくらいしか、甘い物は得られなかった。
エスポスティ家へあがってからは、その頻度が五倍くらい増えた。
秋の収穫祭だけではない。子爵様の誕生日、建国祭、商会設立記念日、などの祝いごとがある日には使用人にも振る舞われる。
フィルミーノは王都へ来てまだ半年だから二回しか機会がないが、先輩使用人から聞くところによれば、かなり回数はあるらしい。
幸せになる。元気になれる。走り回りたくなる、美味しさ。
その甘い物特有の香りがふっと鼻を擽って、フィルミーノは顔を上げた。
ふわふわと漂う匂いは、春の花畑でかぐよりももっと甘い。
フィルミーノはドキドキと逸る心を抑えるように、ぎゅっと胸を握った。
デルフィーナには、こことは違う世界の知識があるのだという。
たった七歳の少女は、普通の七歳ではないのだ。誰も知らない知識を使って、美味しいものを飲ませたり、食べさせたりするという。その店で本当にフィルミーノは役に立てるのだろうか。
(今日の面接で普段は縁遠いお嬢様とお会いして、それから決まると言われたけれど)
こんな甘い香りの中で仕事をするなんて。
味見や、出来損ないが出たら、この香りの元を食べられるかもしれない。
幸せになれる甘いものに、もっと近づけるなら、そのチャンスを逃す手はない。
食べたい。
アロイスの甘味好きは有名だが、誰だって“高貴な味”は好きだ。好きとか嫌い以前に、滅多に口にできないから、ありがたいもので、誰だってそれは喜んで食べる。
フィルミーノも甘いのは大好きだ。
「ここで働けるよう、頑張ろう」
まずは面接からだ。
気合いを入れたフィルミーノは、コンコンとドアをノックした。
今回は少し短めになりました。
いつもお読みいただきありがとうございます。感謝感謝です!





