52 歯みがき計画
とはいえ、歯みがき粉を作るにあたって、有効なのが分かっていて手に入れられるのは、塩と炭くらいだ。それにミントが足せる程度。
重曹は今探してもらっているところだし、ココナッツオイルは南大陸の輸入品であるかどうか確認しないと分からない。
香辛料の一部は使えたような気がするが、記憶が曖昧だ。
(キシリトールってなにからとれるんだっけ? たしか、白樺とか樫とか……あとなんか野菜にも含まれていた気がするけど、そこから抽出するのは無理!)
そんなわけで、確実に歯みがきに使えて入手できるものは僅かだった。
あとはもう、甘いものを食べた後はストレートの紅茶を飲むしかない。紅茶の殺菌作用に頼ろう。色素沈着よりも虫歯のほうが恐ろしいのだから。
もう少し使えるものを見つけてからと思っていたが、現状のアロイスを放置するのは危険すぎる。デルフィーナも、控えめにしているが、あればどうしても甘い物は食べてしまう。
大半の歯がまだ永久歯に生え替わっていない身とはいえ、やはり虫歯になるのは遠慮したい。
カフェテリアの儲けのために、お菓子の普及が外せない以上、虫歯対策も講じる必要がありそうだ。ならば一緒に、歯みがきの普及もしてしまえばいい。
セットにしておけば、歯が痛くて甘い物を控える、というお客もきっと減らせる。
そのうち店で持ち帰りの菓子を売るつもりだったが、同時に歯ブラシと歯みがきもセットで販売しよう。
現在一般的に使われている歯ブラシは、枝の先を細かく裂いた、小さな箒みたいなものだ。
なぜ歯みがきに関して、デルフィーナより前の転生者は前世で使っていた物に近い品を作って流布させなかったのか。
下水を含むトイレ事情に関しては、デルフィーナが生まれる以前に大改革があったと聞くのに、歯みがきに関しては何故スルーだったのか。
はなはだ疑問だが、ないものはないので、デルフィーナが作る――エスポスティ商会に作らせるしかない。
まずは試作として、木材に豚毛か猪毛か馬毛を植えたブラシを作ってもらおう。
そこから発展して、銀や銅の抗菌作用のある金属で作ってもらえば、貴族へ売るのも問題なくなる。毛を植え替える手間がかかるが、そこは貴族仕様ということで。
歯ブラシが出来上がるまでは、歯みがき粉を自作して、指でみがいておくしかないだろう。木の箒のようなブラシは奥歯がみがきにくいし、デルフィーナには未だに上手く使えずにいた。
まずは歯みがき粉作りだ。
必要な物をまた羅列するデルフィーナに、アロイスはささっとメモを取る。
今日の予定が変更された瞬間だった。
イェルドは今の仕事を気に入っていた。
だが、なぜか続かない。
正確には職場が中々定まらない。
勤め始めても、客に怖がられるから辞めてくれと言われたり、店の給仕が怯えて仕事にならないと解雇されたり、客に絡まれて問題を起こすものは使えないとクビになったりする。
それなら一人で屋台でもするかと、商業ギルドに登録して貸し出しの屋台を借りてみたところ、閑古鳥が鳴いていた。
何が悪いのか。顔か。
イェルドは、物心ついた頃には娼館にいた。どこかの商人か傭兵が父親なのだろう。母親に聞いたことはないが、客層をみれば自ずと分かる。
十歳になるかならぬかという辺りで娼館を追い出された後は、傭兵団に入り雑用兼見習いとして成長した。一人前の傭兵として前線に立ち始めてすぐの頃、稼ぎの種だった戦自体がなくなった。遠方へ移動すれば戦場はまだあったが、傭兵団の頭はもういい年で、幹部と相談した結果、兵団は解散となった。
イェルドは、傭兵の仕事は好きでも嫌いでもなかった。
傭兵仲間は巡礼者の護衛や行商の護衛の仕事に就いた。稼ぎを溜め込んでいた者は有り金全部を叩いて市民権を買い街の兵士になったり、自分で行商を始めたりしていた。金がない農家出身の者は、小作人になることもあった。
イェルドは戦う以外でできることが少ない。だが戦わなくていいのなら、戦場以外で生きたいと思った。
怪我をするか年をとるかで傭兵を辞めるなら、まだ潰しがきく今のうちに手に職を付けたい。
だが先立つもののなかったイェルドが、すぐにどこかの徒弟となるのは難しかった。
イェルドは美味しいものが好きだった。
酒や女に稼ぎをつぎ込む仲間が多い中、イェルドは食事に金をかけた。それで懐が寂しかった。本当に美味いものは高価なことが多いからだ。
だから傭兵を辞めてすぐは、巡礼者の護衛を仕事にした。
巡るところが決まっているとはいえ、色んな場所を巡る旅は、各所の郷土料理が食べられる。特産名産があるところばかりではないが、海辺と山辺では食べられるものが違う。その地方でしか食べられない料理につられてイェルドは護衛の仕事をしていた。
だが旅の道中、美味しいものが食べられる場所は半分もない。
野宿となれば食べるのは携帯できる保存食だし、安宿なら食事も値段相当だ。巡礼の旅で幾度も訪れた場所は、目新しいものがなくなっていく。
ある程度財布が潤ったイェルドは、護衛の仕事を辞めた。
年齢的に徒弟となるのは厳しかったが、傭兵時代の伝手を頼って、なんとか飲み屋を営む元傭兵の店に見習いとして入った。
ほとんどが下働きで、裏方仕事だったこともあり、店主が強面だったためイェルドが浮くこともなく、料理のいろはをたたき込んでもらった。
そう、イェルドは料理人になりたかったのだ。
自分で美味い料理を作れるなら、店をやれるなら、少し高い食材だって手に入れられる。収益が少なくとも美味い飯が食えればいい。そう考えていた。
料理人として必要なことを一通り身につけたイェルドは、先達の店に長く厄介になるのを避け、早めに店を辞めた。
イェルドがいなくても十分回っていたところへ入り込んで教わっていたのだ。迷惑にならぬようその街からもさっさと離れた。
海の幸、山の幸、香辛料や珍しい食材、それらが手に入れやすいのは交易の盛んな大都市だ。
美味しいものを食べたい。そのための店を構えるなら、その街で料理人として働いて資金を貯めるのがいいだろう。
そう考えたイェルドは、海辺の大都市である、バルビエリ王国の王都バルディへ移住し、料理人として務め始めたのだが――。
今に至るまで、結果は非常に芳しくなかった。
「エスポスティ家の新しい店? あんたんトコの系列店か?」
「違う違う。エスポスティ商会の店じゃねぇんだよ」
「意味が分からん」
バルディへ来て勤めた三軒目の店。
一番長く雇用してもらった店なのだが、給仕がイェルドを怖がって長続きせずすぐに辞めてしまうため、店長は苦渋の選択でイェルドの方を解雇した。
店は平民の富裕層や低位の貴族を対象としており、給仕は礼儀作法だけでなく見目の良さも必要としていた。そのため、新しい人材を見つけるのが難しい。客前に顔を出さない料理人より給仕を優先せざるを得なかった。
次の就職先も一応見繕ってもらったので、この店長には世話になったといえる。その紹介された店も、数日で、客に絡まれた結果解雇されてしまったので――客席からキッチンが見える形態の店だったのがまずかった――恩と言うほどではないのだが。
その店長がイェルドを探していると聞いて、久々に店を訪れた。
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