51 消毒と殺菌、必要なこと
「その魔法で、毒は消せるのか?」
慎重にされた質問に、デルフィーナは瞬いた。
「いいえ。消毒は難しいと思いますわ」
「ふむ。なぜだ?」
「マリカの魔法は、微細な生物を滅するものです。毒は生物ではありませんから、まず無効でしょう」
「食中毒や病の元を殺せるのではないのか?」
「病の原因による、ということですわ。寄生虫や細菌によるものなら、元が微生物ですから防げます」
「細菌とは、微生物とはなんだ?」
「ああ、ええと――」
顕微鏡がまだ発明されていないこの世界では、細菌という概念がない。
寄生虫は動物や魚から稀に見られるし、感染する人間もままいるので知られている。蚤やダニは衛生管理の悪いところなら室内でも見かけるらしい。――幸いにしてデルフィーナは今世でも出会っていないが。
微生物も顕微鏡がないと本来指すものを伝えられないが、言葉としては意味が通じる。
微細な生物といってどの程度理解を得られたのか分からないが、デルフィーナも専門家ではないから詳細な説明はできない。
大まかに飲み込んでもらったところで、毒の説明に戻った。
「目に見えない生物とは違って、毒は生き物ではありません。毒は概ね何かから抽出されたものでしょう?」
「ふむ?」
「薔薇からローズウォーターとオイルをとるように、有毒植物や爬虫類や魚から抽出するのが主な毒です。それは生き物ではありませんから、マリカの魔法は効きません」
「なるほど」
「実験してみてもいいですが、まず無効だと思いますね」
「そうか」
どこか緊張していたドナートは、デルフィーナの説明で力が抜けたようだった。
デルフィーナは首を傾げる。ドナートは何を懸念していたのだろう。
「毒も消せた方がよかったですか?」
「いや……。もし解毒もできるのであれば、マリカは王宮や高位貴族の屋敷へやらねばならないところだった」
「え?!」
「政敵の多い尊い方々は、常に毒を警戒されている。それを消せるとなれば重宝されるだろう。能力を把握していたのに秘匿したとなれば角が立つ。人の口に戸は立てられないからな」
ドナートには子爵として貴族の付き合いがある。
他の低位貴族には侮られぬよう力を示さなければならないし、高位貴族には睨まれぬよう立ち回りが必要だ。
阿ること、圧力をかけること、友好を結ぶこと。どれも匙加減一つでかなり関係は変わる。
上手くバランスをとりながら、エスポスティ家が不利にならないよう巧みに動くのが子爵としての仕事だ。
家族はもちろん、領民にも使用人達にも影響を及ぼすのだから、貴族としての政治力が問われる。
デルフィーナのことのように、魔法での誓約がない情報はいずれ漏れ出る。
使用人の固有魔法がどれだけ有用かは貴族としての判断力も問われるし、秘匿が難しい以上、より必要とされる場に推すしかない。
マリカがどう思おうと、エスポスティ子爵としては能力を生かせるところへやる以外なかった。ある意味献上だ。
王宮勤めや高位貴族の屋敷に勤められるのは、誉れと喜ぶ者もいれば、重責にストレスを感じる者もいる。
デルフィーナの侍女ですらエレナに譲ったマリカだ。王族や公侯爵家へ仕えるのは苦とするに違いない。
殺菌だけでは用をなさないので、デルフィーナはほっとした。
壁際に下がっていたマリカも二人の会話を聞いていたため、声こそ殺していたが息を呑んでいた。王宮などに出されず済むと分かって、ほうっと肩の力を抜いている。
ドナートもマリカの性格を分かっていたため、懸念していたのだ。
実験の結果如何ではあるが、マリカが殺菌できると明確になった場合は、エスポスティ家のメイドをしつつ、エスポスティ家の飲食物や調理器具の他、カフェテリアの飲食物と調理器具の殺菌も仕事に加わることとなった。
とにかくまずは実験だ。有効な対象、その最大と、分かる範囲での最小を割り出す。
果物の酵母、キノコ、カビ、小魚をはじめとする海洋生物、爬虫類、思い当たる小さな生き物を集めてもらう。記録を取りながら魔法をかけて経過観察をする流れを確認し、実験に必要な道具をアメデオに伝え、使う部屋を決めてもらって、逐次そこへ入れてもらうことにした。
実験開始は数日後と決まった。
マリカの魔法は小さな小さな生き物を殺すものだ。
それは確かに、言いようによっては悪魔の力なのだろう。
ただ対象が余りに小さいため、普通に生活している人間となんら変わりがない。田舎の子どもなら虫や両生類や爬虫類で遊ぶのは当たり前だし、街中でも田舎でも害虫は駆除されるのが当然だ。
手で殺すのと魔法で殺すのと、手段が違うだけでなんら差異はない。生活魔法だって火を使ったり水を使ったり、駆虫に魔法を使うのだから。
ドナートもそこは理解していたから、忌避せずマリカをメイドとして雇い入れた。
実験の結果がどうあれ、マリカの、自分の固有魔法に対するマイナス感情が少しでも減ったらいい。
デルフィーナは、有用の公算が大きいと思っている。
「今から結果が楽しみね」
マリカにニヤリと笑いかけて、デルフィーナはドナートの執務室を後にした。
ファッジを全て食べてしまったアロイスは、砂糖もかなりのペースで消費しているらしい。
手持ちが少なくなったとさりげなくおねだりをされたデルフィーナは、既に製法を知っているのにあえてデルフィーナへ要求してくるアロイスにちょっぴり呆れる。
アロイスの立場なら、デルフィーナに言わずとも一人で密かに砂糖を作ることは可能なのに、それをしない。
量を作るなら一人では大変というのも分かるが、なんだかんだとこの叔父は欲深さに欠けるのだろう。デルフィーナには有り難いことだが、貴族として、商人として、それでいいのだろうかと疑念が湧く。
アロイスは聖職者にでもなった方がよかったのかもしれない――実際の聖職者が清廉かどうか、デルフィーナは知らないが。
とにかくデルフィーナが気になるのは、アロイスの、その消費速度だった。
思った以上に早い。
ということは、それだけ砂糖を食べているということで。
毎晩就寝前に気になっていたものの、後回しにしていたアレをなんとかしなければ、と奮起した。
「わかりました。近いうちにまたお砂糖を作りましょう」
「うん」
素直に頷いて、にこにことアロイスは笑み崩れる。
その笑顔を止めるように、デルフィーナは彼の眼前にピッと手のひらを開いて見せた。
「でもね、叔父様。追加のお砂糖を作る前に、やらなければならないことがあります」
「なんだい?」
「歯みがきですわ! 食べた後に必ず歯をみがく、そのための歯ブラシや歯みがき粉の用意をしなければ!」
(砂糖なんてめちゃくちゃミュータンス菌の餌じゃない!)
前世のように歯医者はいない。いや、いるが、ほとんどどうにもならなくなった歯を抜くだけだ。削って詰めてといったことはしない。試しに教養の授業の合間に聞いてみたら、そう教わった。
虫歯は高貴なる病。砂糖を食べられる地位や財産のある者しかかからない病で、だからこそそれで歯抜けになっても、間抜けとは思われないらしい。
一応、治癒魔法でなら治せるらしいが、治癒魔法を使える者は、魔法師か、教会の神官だ。
教会に大金を積めば治してもらえると聞くけれど、命の危機でもない限り、頼ることはないだろう。
その前に抜いてしまえ、と痛む歯を抜いて終わるに決まっている。
歯の抜けたアロイスなど見たくない。断じて容認できない。
ならば虫歯予防は絶対に必須である。
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