39 使用人達と魔法誓詞書
声を漏らす者はいないが、驚きに息を呑む者、身動ぐものがいたためだ。
主人の、仕える主一家の秘密は、漏らさないのが基本だ。
辞めた後でも、良い雇用主だったのならプライベートについてなどは他へ話さない。それが本来の使用人である。
それなのにわざわざ魔法誓詞書での契約を求めるのだから、よほどの内容ということになる。
誓約を求められたことと併せて、使用人が動揺するのも致し方ない。
「誓詞書へのサインは、魔法で縛られる。これが嫌な者は、話を聞かなくてもいい。その代わり、雇用の継続はできない」
「もちろん紹介状は書く。だから、ここを辞める選択をしてくれても大丈夫だよ」
ドナートの説明を補足するように、アロイスが続けて話す。
「あまり、堅苦しく考えなくていい。これは、君たちを守るためでもある」
アロイスの柔らかな声は、使用人達に走った緊張を少し解した。
これは、昼のお嬢様の行動に関係があるのだろうか。問うように見つめたエレナの視線に気付いたのか、アロイスが微かに頷いた。
「誓約をしてくれれば、今まで通りこの屋敷で働ける。特に変わりはない生活を約束する」
「お言葉ですが兄上。変わりは多少あると思います」
ドナートの言葉に、アロイスが軽く反論した。
考えるように、ドナートは左手で顎を擦る。
「そうか?」
「はい。でも、悪い方には変わりませんよ。……多分」
ちょっと自信なさげな最後の様子が気になるところだが、概ね問題はないらしい。二人のやり取りに、張り詰めていた空気が緩む。
その空気をまた引き締めるように、ドナートが一同を見渡した。
「誓約を断る者は、申し出てくれ。話の聞けない部屋へ移ってもらう」
だが手を上げる者、名乗り出る者は一人としていない。
「誰もいないか?」
ドナートの確認に、全員が頷いた。
「そうか」
ホッとしたようにドナートが表情を和らげた。
急に辞めさせるのは本意ではない。使用人をそれなりに大事にしている子爵だからこそ、彼らの忠勤を知っているからこそ、強制的に誓約を求めるのが理不尽であるとわかっているからこそ、一人も欠けず従ってくれたことに安堵していた。
「では、各々魔法誓詞書へのサインと拇印を」
アロイスの指示で家令がワゴンを押してくる。
部屋の端に置いてあった小ぶりのテーブルを、バトラーがドナートの前に移動させた。
テーブルの上へ、小さなナイフ、針、布巾、ペンなどが並べられていく。準備が整ったところで、家令が誓詞書の内容を読み上げた。
簡単にまとめると、エスポスティ家の秘密を部外者へ一切口外しないこと、となる。
含みを持たせた文面もあったが、これまで使用人として守ってきた倫理を明文化したようなものだ。
誰も違和を唱えず、一人ずつ粛々と署名拇印していった。
誓約に必要なのは、本人の血だ。ナイフで指先を切ったり針で突いて、その血でサインをして拇印を押す。
サインを終えた者は指先に止血の軟膏を塗ってもらい、他の者が誓約を終えるのを待った。
全員の誓詞が終わったところで、抜けはないか、家令が確認していく。チェックを終えた家令が頷いたので、ドナートも頷きを返した。
「では皆に、改めて説明しよう」
ドナートが静かに話し出したのは、デルフィーナのことだった。
稀なる人――“生まれ変わり”だと先日判明した。
本人は誤魔化せているつもりのようだが、まったくできていない。そのためおかしな行動を取る場合があること。
不思議に思う物を求めてきたり、ときに七歳児とは思えない言動をすること。
使用人達は、思い当たることがあるのか納得の表情を浮かべている者、デルフィーナとの接触が少なく戸惑っている者、普通ならまず出会うことのない“稀なる人”がどんなものなのかと首を傾げている者、それぞれの反応を示す。
客人、異界人、転生者、総合して“稀なる人”というが、その存在は一般には余り知られていない。
その説明をアロイスがして、ようやく使用人達は危機感を覚えた。
つまるところ、デルフィーナは普通では持ち得ない知識を持ち、その知的財産の価値は計り知れず。貴族や他の大商人に狙われる存在なのだ。
大学の研究者や、バルビエリの王族に協力を求められる程度ならまだいい。他国の者や軍属の者、エスポスティ商会と敵対する者に目を付けられた場合、デルフィーナの安全は保証できない。
力ずくで知識を引き出そうと無体を働かれる可能性は高く、常に危険と隣り合わせの生活となってしまう。
だから、デルフィーナが“稀なる人”だとは他所に漏れないよう、エスポスティ家のことは口外を禁じる、特にデルフィーナに関しては屋敷の中であっても噂話などもしないように、とドナートはまとめた。
「今回の誓約で、皆は外でエスポスティ家について話すことはできなくなった。気をつけて欲しいのは、屋敷内での他愛ない会話だ。
来客がある時、他所の商人や使用人が訪れている時、気付かぬまま情報を提供している場合がある。立ち聞きされる危険を常に考え、デルフィーナについての話は控えてもらいたい」
使用人達は一様に頷いた。
ドナートの要求はもっともなことだ。
大切な娘を危険に晒したい親などいない。ましてまだ七歳、世間について何も知らないお嬢様が誘拐されて酷い目に遭うなど、一般的に考えても許容しがたい。
屋敷を明るくしてくれるエスポスティ家の花は、使用人達にとっても大事な存在だ。守るのは吝かではなかった。
まして、今回ドナートが求めた誓約は、ある意味使用人達を守るものでもある。
デルフィーナを直接狙えなくても、使用人達を脅してデルフィーナの知識を盗ませることは容易い。
万が一秘密を狙う者に誘拐されて脅されても、誓約が効いていると分かれば拷問などの危害は加えられない。どうやっても情報は引き出せないと分かるからだ。反対に、誓約をしていなければ、無理矢理にでも秘密を聞き出せることになる。
逆に殺されてしまう可能性は否定できないが、一人でも使用人が行方不明になればエスポスティ家は不審に思って犯人を捜すだろう。
捕まれば単なる平民同士の事件とは違って、犯人は徹底的に絞られる。貴族家を狙った犯罪者は、身分差のある社会では絶対に許されない。
そのリスクを冒すほどの手合いなら、元よりデルフィーナを狙うだろう。
だから、この誓約はデルフィーナと使用人達、双方を守るためのものだった。
「今後は私用で外出する際も、単独行動は控えるようにしてほしい。必要があればこちらで護衛をつけるので、外出時は必ずアメデオに報告するように」
ドナートは近くに立つ家令を示した。
まだデルフィーナが“稀なる人”だと知る人間は少ないが、行動には気をつけておいた方がいい。今のうちから慣らしておけば、いざ知れ渡ったときにも、動揺なく行動できる。
王都はそれほど治安は悪くなく、物騒なことは少ないが、だからこそ油断が生じやすい。使用人達は改めて気を引き締めた。
「質問はないか?」
ドナートの問いに、一同は沈黙で答える。
今はまだ、気をつけることだけしか分からず、質問すべき事は浮かばない。
「なにもないならこれで解散とする」
深夜にかかる時間帯となってしまった。
ドナートの声に、揃って頭を下げると使用人達は粛々と下がっていった。
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