38 実食2
「そろそろ、固まったかしら?」
叔父の心配など他所に、デルフィーナは木箱の蓋を開ける。
氷はかなり溶け出して、水がバットの外側をちょうどよく冷やしていた。
「うん、よさそう」
頷いたデルフィーナの指示でエレナがバットを取り出す。
静かにナイフを入れて、格子状にカットしていく。
たまにバットの底にナイフが当たる、カツン、カツンという音が鳴るものの、作業しているエレナも、見守るアロイスも息を潜めている。
崩れやすいファッジを、エレナは上手に切り分けた。
バットの底から剥がす時にある程度割れたが、概ね四角を保って取り出せたので、十分だろう。
「どうぞ召し上がれ」
二人に促しつつ、デルフィーナは自分も一つ摘まんで、小さくかじる。
クッキー以上に割れやすいファッジは、舌に乗せた途端、ほろほろと崩れた。
グラニュー糖を使ったのとは少し違う味わいだが、ほんのりミルクの風合いがあって、こくがあって、美味しい。
「……甘い」
聞いたことのない声音で零すように呟いたアロイスを見れば、蕩けそうな笑顔になっていた。
かなり甘いお菓子なのだが、それが良かったのだろう。
味わっては笑み崩れて、また一口かじって、とアロイスは、目をとろんとさせながら頬を染めている。
(これはまずいわ)
今までアロイスのこの顔を見た女性はいなかったのだろうか。
いたらアタックされて今頃結婚していてもおかしくない。
ということは誰も見ていないのだろう。
(これは客寄せに使うにはリスクがありそうだな~)
幸いエレナは、エレナ自身ファッジに夢中で、その甘さと美味しさに蕩けていたからアロイスを見ていない。
似たり寄ったりな反応をしているから、エレナもだいぶ甘党だったのだろう。
アロイスの表情を見たとしても共感が先に立って、彼に魅了される心配は少なそうだ。
高性能なアロイスが結婚でデルフィーナのアシスタント的お仕事をできなくなると困る。非常に困る。
ロイスフィーナ商会でどの程度接客をすることになるか分からないが、客の前でこの顔を見せるのは余りに危険だ。
もし高位貴族の令嬢に見初められたら、お断りできず有能な叔父を持っていかれてしまう。そんなリスクは犯せない。
(この表情は封印させてもらおう。スタッフはバックヤードだけ飲食可、表でのお相伴、お付き合いは全面的に却下で!)
友人知人が客として来ても、同席を求められても断ると決めてしまえば、個人的に茶会でも開かない限りアロイスが人前でファッジを食べる姿は見せずに済むだろう。
ファッジだけではない、他の甘いお菓子にも同じ反応をするだろうから、ともかく人前で甘みの強いお菓子を与えるのはなしだ。
(早めに知れてよかったわ!)
デルフィーナはヒヤリとした胸をホッと撫で下ろした。いきなり人前でこの表情を披露せずにすんで幸いだった。
アロイスの見目の良さは利用したいが、過ぎたるは及ばざるがごとしで、厄介の種になる。使い処や使い方はきちんと考えることにしよう、そう結論づけたデルフィーナは、かじりかけだったファッジを口へ放り込んだ。
アロイスは、クッキーよりファッジがより気に入ったらしく、これまた無言で口に入れては味わっている。ペースはゆっくりだが、ある程度で止めた方がよさそうな食べっぷりだ。
エレナもじっくり味わっている様子なので、ファッジは甘味好きには当たりのようだ。
包装について考えなければならないが、上手くいけば持ち帰り可能な菓子として売り出せる。
クリームを使った菓子、柔らかな菓子は持ち帰りに不向きだが、クッキーやファッジならなんとかなるだろう。
(紙箱は見たことないから、そこも相談かな。あと、ワックスペーパーがほしいな)
「はー、甘いな」
こちらに来てから――前世を思い出してから、初めての懐かしい甘さを、デルフィーナはじんわり噛み締める。
願わくば、珈琲も味わえますように、と祈る。まだ探し始めてもいないため、いつ出会えるか全く分からないが。
「甘いねぇ」
「甘いですねぇ」
甘党二人もデルフィーナの呟きにつられたように、幸せそうな声を漏らす。
とりあえずは、一歩前進した。
また生じた欲しいもの、やることについて考えることはたくさんあるが、今日の一歩を喜びながら、こうして味わえるのだから、幸せだろう。
出来映えと二人の反応に満足して、デルフィーナはひっそりと笑った。
エレナが侍女として仕えることになった令嬢は、ちょっと変わった令嬢だった。
いや、変わったのはわりと最近である。まだメイドだった頃、たまにお世話していたデルフィーナは、もっと活動的な子どもだった。
今のデルフィーナも活動的ではあるのだが、方向性が違う。
もっと天真爛漫というか、子どもらしい子どもだったのだ。
庭を走り回ったり、花冠を編んだり、綺麗な虫を捕まえたり、たまに食べられる菓子に笑み崩れたり。時に子ども特有の甲高い声ではしゃいで笑う、他愛ないいたずらをしてメイド達を苦笑させる、そんな子どもだった。
今だって子どもらしく、厨房を探検したり、唐突に叫んだり、エレナには理解不能なことをしゃべっていたりするが、なんとなく以前とは違うのだ。
それでもデルフィーナはデルフィーナだった。
いたずらはするが、どんな使用人にも分け隔てなく接するし、素直で優しい。よく笑って屋敷の雰囲気を明るくしている。そこに変わりはない。
ただ不思議と、以前のデルフィーナとは違っている。それは誰も口にしないが、屋敷の使用人は皆感じていた。
「エレナ、旦那様がお呼びよ」
「旦那様が?」
「皆を集めてらっしゃるみたい」
デルフィーナの就寝を見届けたエレナが廊下を歩いていると、メイドの一人に声をかけられた。
日暮れの遅い季節とはいえ、もう月も星も明るく輝いている時間。
使用人達はそれぞれの仕事を終えて、明日に備えて休んだり、自分のやりたいことに使う時間帯だ。
「こんな時間に皆を集めるなんて、何かあったのかしら?」
よその屋敷ではたまに理不尽な話も聞くけれど、エスポスティ家の主人は感情より理を、理より利益を優先する方で、理不尽からは遠い方だ。
そこら辺が子爵家なのに根っからの商人といわれる所以かもしれない。
そんな主人が、使用人の自由時間に呼び出すなど、普段にないことだ。
今日はデルフィーナの砂糖と菓子作りで疲れたため早く休みたかったのだが、雇用主の召集とあっては断れない。
パーティーも開けるホールに入ると、ほとんどの使用人が集められていた。いないのは家令と、ドナート付きのバトラーぐらいか。
ざわつくホールにエレナが不安を覚え始めた時、ドナートがアロイスと共に現れた。
「いつもなら休んでいる時間だろう。だが皆に話があって集まってもらった」
ドナートが話し始めると、途端にホールは静まる。
ここの使用人は本当に統制がとれている。主人に忠実で、真摯に仕事に取り組む。忠勤な者ばかりだ。それを誇りに思うような者だけがここにいると言ってもいい。そうでないものは、自然と辞めていったり、商会へ回されたりと、姿を消していくのが常だ。
そんな中で仕事ができるのが、喜びでもある。
使用人達はドナートの声を聞き逃さないよう、耳を澄ました。
「これから、他言無用の話をする。しかしその前に、魔法誓詞書へのサインをしてもらう。つまり、秘密を漏らさない、という契約が必要な内容だ」
ドナートの言葉に、静かだったホールの空気がざわめいた。
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