36 初めてのお菓子作り、クッキー
量り終えたデルフィーナは、ボウルにバターを入れた。
「このバターを、クリーム状になるまで混ぜてください!」
木べらを持たせて、アロイスに指示を出す。
受け取ったアロイスは、無心で木べらを動かし始めた。
「クリーム状になったら、さっき煮詰めた物を加えてまた混ぜます」
適度に固まってきた砂糖を、だまにならないように少しずつ入れていく。アロイスが混ぜている間に、エレナに溶き卵を作ってもらった。
「卵を三回か四回に分けて加えてください。しっかり混ぜてくださいね」
「これ、明日は筋肉痛になってそうだなぁ」
ボウルを抱えて混ぜながら、アロイスがぼやいた。
確かに、いつもならしない動きを今日はずっとしてもらっている。使用人であるエレナがいるのだから任せればいいのに、甘い物に関しては譲れないのか、ほとんどアロイスが作業していた。
クスクスと笑いながら、デルフィーナはボウルを覗き込む。
「良さそうなので、小麦粉をさっくり混ぜましょう」
本当ならばふるいにかけて、粉をふわふわにしたい。けれど製菓用のふるいはないし、目の細かいざるもなかった。コランダーではあまり代用品にならない。
仕方なくそのまま混ぜることにしたが、曳いてからあまり経っていないのか、袋に入っていた小麦粉はサラサラとしており、ふるわなくても問題なさそうだった。
「切るように、こねないように、混ぜてくださいね」
まとまってきた生地を見て、デルフィーナはストップをかけた。
本来ならこの後冷蔵庫で寝かせる時間を作りたい。そうして型抜きをしたら、可愛い形のクッキーを作れる。
けれどここにはまだ冷蔵庫はないし、クッキー用の抜き型もない。
「同じくらいの大きさ厚さにして、鉄板に並べておいてください。膨らむので間を開けてくださいね」
手本としてデルフィーナは両手で生地をくるくる丸めて、ぺたんと潰した。ほんの気持ち、中心を薄めにしておく。そうして、バターを塗っておいた、オーブンに備え付けで置いてあった鉄板に乗せていく。
デルフィーナの作った物を見て、エレナもアロイスも、それに揃える形で残りの生地を成形していく。
三人で作ればあっという間に終わった。
「では、焼いてください。まずは焦げないように短めの時間で確認しましょう」
オーブンの温度が分からないため、焼き上がりにかかるのは十分か十五分か、もっと短くていいのか分からない。火に近い方がよく焼けるだろうし、途中で鉄板の向きを変えた方がいいかもしれない。
とにかく確認しながらでないと焼き上がりが心配だ。焦がしてしまってはもったいないし、やり直しとなってしまう。
エレナに鉄板を入れてもらって、デルフィーナは数を数える。
(数分計れる砂時計が欲しい!)
キッチンタイマーが是非とも欲しいところだった。
おおよそ五分経ったところで、一度開けてもらう。
「鉄板を回転させられる?」
高くてオーブンの中が見えないデルフィーナは、アロイスに抱えられて離れた位置から鉄板の上を覗き込んだ。自分で身体を動かせないから、火傷の懸念もない。過剰に心配されているような気がするが、現状七歳、仕方ないだろう。
奥と手前を入れ替えるようにして回してもらう。
これでまた五分ほど焼いてみよう。デルフィーナはまた頭の中で数を数えた。
厨房の中には、先程までとはまた違う、甘い香りが漂っていく。バターの、砂糖の、焼き菓子の香り。
ワクワクしながらデルフィーナは三百を数え終えた。
「開けてみてくれる?」
「はい」
匂いにソワソワとした様子のエレナが、オーブンを開けて鉄板を引き出してくれる。
その焼き具合を見て、デルフィーナは大きく頷いた。
「良さそうだわ!」
調理台に乗せてもらった鉄板から、空いたバットに移してもらった。
(ケーキクーラーがないとサックリ焼き上げてもダメじゃない?!)
針金のなかったここでは、網焼きという概念はないのだろうか。網焼きの網でもあればよかったが、オーブンには鉄板しか備え付けられてなかった。
コランダーはボウルと同じカーブがついているから、広げて並べることはできない。
(まだまだ必要な物は多そうね……)
不足を感じるばかりだが、どうしようもない。一つ一つ、作っていくしかなかった。
「デルフィーナ。これでできあがり?」
ソワソワと浮き足だった様子のアロイスが、バットの中のクッキーを指す。
焼き始めてからずっといい香りに晒されているのだ。早く食べたいのだろう。
「もう少し冷めないと、火傷すると思いますよ? 食感も変わりますし」
焼き上がりのクッキーは、サクッとする前で少ししっとりした食感なのだ。だがケーキクーラーで冷ませない分、粗熱が取れてもサックリした食感にはならないかもしれない。
「掌に乗せられるぐらいに冷めたら、食べられると思います」
どのみちクッキーを食べたことがないアロイスには、完璧にはほど遠いクッキーでも、きっと未知の味わいだろう。
器具も材料も、もっと改善して、もっと美味しいものが作れるはずだ。
それでも今はこれが精一杯。
デルフィーナは一つのクッキーを摘まんで、ふーっと息を吹きかけた。持てるようにはなったが、まだまだ熱が残っている。クッキーらしいクッキーにできるよう、息を吹きかけ続ける。
それを見ていたエレナが、ちょっと首を傾げてから、バットに向かって掌を広げた。
ふわわわわっと柔らかく空気が流れる。室内の空気は動かないのに、バットの上だけ風が吹いていた。
「冷ませばいいんですよね?」
お風呂上がりにいつも髪を乾かしてもらっていたのに、失念していた。
エレナは生活魔法が使える。一番得意なのは空気を動かすことだ。
冷風だの温風だのと温度を変えることはできないし、強い風でもない。だが一部の空気を動かすだけでも、乾きは早くなる。
弱風モードのドライヤーみたいだなと感じていたためか、こういう使い方は思いつかなかった。
あっという間に粗熱が取れて、クッキーは常温になる。
「エレナ、すごいわ!」
「先程鍋で煮詰めた物は、量がかなりあったので」
生活魔法は使えても、魔力量は多くないエレナには、大鍋半分量の液体を冷ますのは無理だった。だがクッキーぐらいならデルフィーナの髪を乾かすのと大差ない風量で済む。
まだ“砂糖”だと知らないエレナは、だいぶ固まってきた大きなバットに目をやった。
「いいのよ。あれは元から冷めるのにかかると思っていたから」
エレナの魔法は元々計算に入っていなかった。だからクッキーを冷ましてくれただけで十分ありがたい。
アロイスがアレに執着を見せていたからか、エレナは申し訳なさそうにしていたが、デルフィーナの言葉でほっと息を吐いた。
「冷めた? 冷めたよね?」
そんな会話をする二人を見もしないで、アロイスはクッキーに釘付けになっている。
「どうぞ、お召し上がりください」
苦笑を漏らしつつ、デルフィーナはアロイスに勧めた。
自分も手にしていたクッキーを小さくかじる。
サクッ、と音がして、口の中に懐かしい焼き菓子の味が広がった。
(ああ……クッキーだ)
覚えていた前世の味より、ほんのちょっぴり雑味がある。
けれど、まごうことなくクッキーだった。
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