33 乳製品確保
触れた途端、冷たい感触がして驚く。
「えっ?」
隣でミルク缶とバターケースを受け取っていたエレナも声を上げたので、缶が冷えているのは気のせいではないようだ。
晩夏の今は、日陰に置いておいてもここまでひんやり冷えることはない。
「ああ、冷たすぎたか?」
「え、いえ、大丈夫です」
初めての客が驚くのはいつものことなのだろう。
問題ないと伝えれば、店主は小さく頷いた。
再度奥へ入った店主は、卵を手に戻ってくる。三つほど求めれば、藁を敷いた小ぶりな木箱に入れて渡してくれた。
アロイスが支払いをしてくれる隣で、驚きが落ち着いてきたデルフィーナは興味津々店主を見つめる。
少女の視線に耐えかねたのか、店主はちょっと眉根を寄せた。わりと無愛想な雰囲気なので、人と接するのが不得手なのかもしれない。
だが頓着しないデルフィーナは、缶が冷たかった理由を訊ねた。
言葉少なな返事から導くと、店主は氷を出せるらしい。ファビアーノと同じ能力だ。
だが魔力が少ないようで、販売できるほどの量は作れないらしい。だから、冷やした状態で販売したい物を扱う店をやっていると。
ミルクは劣化しやすい。常温保存できないから、牧場の傍か、運搬能力に長けていないと口にできないのだ。
冷やす手段と運搬用の馬車を持つ大手の商会か、貴族でないと、街では手に入れられない。庶民の生活には、アーモンドミルクの方がよほど浸透している。
王都近くの牧場主と契約しており、夜明けと共に馬車を出して、傷みやすい乳製品と、ついでに卵を購入して戻ってくるのだとか。
戻るのが昼頃なため、店を開ける時間は遅く、翌朝も早くから出かけるため、店じまいも早い。
だが短時間の営業でも、新鮮な乳製品を買えるとあって、街の人には人気らしかった。
ほとんどをその日のうちに売り切るというのだから、仕入れ量を考えているにしても、一定以上の顧客がいるとみえる。
(開店時間は短いのね。いいことを聞いたわ)
わざわざエスポスティ商会の伝手を使って乳製品を仕入れなくても、この近距離で買えるのならありがたい。
朝一に乳製品を使いたい場合はどうするか、だが。
「あの、氷は運搬用と保存用以上に出すことはできないのですか?」
「なんでだ?」
質問の意図が読めなかったのだろう。店主は胡乱げな顔をする。
「もし、氷をもっと作れるようなら、分けていただけないかと思って。もちろん、見合った額をお支払いしますわ」
氷を家庭で保存しようと考える平民はまずいない。
冷蔵庫の発想はまだないし、氷室は大きい物をイメージする人が多い。お屋敷の元々冷たい石造りの貯蔵庫の話を聞いていても、平民の家屋にはそういった部屋はないのが普通だ。
当然、氷菓もないし、そもそも氷を食べる発想がない。
氷室を持つ貴族なら固有魔法を持っている人を使用人として雇えばいいだけだ。だから、氷を分けてくれと言われることはあまりないのだろう。
店主は意外なことを聞いたという表情で、ちょっと目を瞠っていた。
「難しいかしら?」
デルフィーナは首を傾げつつ伺う。
「お客さんの欲しい量が出せるかわからんが。少量でよけりゃ、売ってもいい」
氷を何に使うのか、と困惑しつつも、店主は承諾してくれた。
「ありがとうございます!」
デルフィーナは満面の笑みとなった。
これで、店舗の貯蔵庫に、朝から使える乳製品を確保できる。
大きめの木箱の内側に、金属製の箱を作って入れてもらおう。厚めにしてもらえば、簡易的な冷蔵庫の出来あがりだ。
「まだしばらく先の話になりますが、近いところにカフェテリアを開く予定ですの」
「カフェテリア?」
未知の単語に、店主は首を捻る。
「お酒ではない飲み物と、軽食や菓子を提供するお店ですわ。王都初のお店になる予定ですの」
“お茶”がそもそも浸透していない現在、喫茶店も茶寮もパーラーも茶屋もコーヒーショップも通じない。
「そこで乳製品が必要になりますので、よろしければこちらで買わせていただきたいんですの。氷付きで」
殺菌という概念はまだない。
飲食店をやる以上、食中毒には気をつけなければいけない。その点からしても、牛乳や生クリームは絞りたてが冷やされ運搬されたものを使いたい。
当日の朝に牧場から直接買い入れるのは、他の商会と変わらないし、前世と違って、空気が悪い食べる牧草が悪い、ということもないから、牛乳の品質も他の商会と差はないだろう。
鮮度ではこちらが勝っている可能性すらある。
「いかがでしょう?」
デルフィーナの言葉に、店主は戸惑いつつエレナとアロイスを見た。この少女の言うことは本当なのか。疑うのは仕方ないだろう。
頷く二人に本当と分かったのか、店主はこれも了承した。
本格的に店舗を稼働させる時には、こちらが指定したものを希望の量、入荷してくれると話がまとまる。
店舗へ届けてもらって、ついでに氷も出してもらう形に決まった。
詳細な契約は改めて、店舗のオープン日程が決まったら、となった。
交渉成立にデルフィーナはこっそり喜びを噛み締める。
思わぬところでいい出会いができた。
カフェテリア開店への道は、一歩ずつだが前進している。
「それじゃ、私たちの店舗に戻りましょう!」
笑顔でデルフィーナは牛乳屋を後にした。
厨房入り口まで、買ってきた乳製品と卵を運んでくれた御者とフットマンは、グローサリーで買った惣菜と肉屋で買ったソーセージを手に庭へと戻っていった。
厨房の中はまだ匂いも何もないが、作業工程を見る人間は極力減らしたい。
外階段を下りたところで「ここでいいわ、お庭をお願いね」と伝えれば、二人とも笑顔で庭へ向かったので、特に違和感も抱かなかったようだ。
「さて、では次の作業に移りましょう」
惣菜の匂いでちょっと空腹を感じたが、砂糖作りの後に菓子を作る予定だ。それを食べるのだから、今なにか摘まむと夕食が入らなくなる。
デルフィーナの声に、アロイスは持たされていた荷物をビーツの入っていた木箱にそっと入れてから鍋の前に戻った。
鍋を包んでいた毛布を取り去ると、石鹸で手を洗った三人は、蓋を開けて鍋を覗き込んだ。
しっかりお湯にビートの成分は溶け出したようだ。デルフィーナの指示で、エレナがコランダーを通してビートを取り除いていく。
「アロイス、火の方はいかがです?」
「いつでもどうぞ」
一度埋み火にしていた火を熾してもらい、鍋をかけられるよう、かまどの準備をしてもらっていた。
まだ弱い火だが、鍋を乗せてから強めるのでちょうどいい具合だ。
エレナの作業が終わったので、ビートのエキスが出たお湯を煮詰めていく。
「これがとろとろになるまで煮詰めます。時間がかかりますが、じっくりお願いしますわ」
少なくとも一時間は煮詰める必要がある。固形にするまではかなり時間が必要なので、しっかりお願いしたい。美味しさを左右するため、灰汁取りも大事だ。
前世で使っていたような灰汁取りはなかったので、おたまでちょっとずつ掬っていく。
できあがり量が減りますよ、とアロイスに言ったら、スープを減らさないようにがんばって灰汁だけ掬っていた。
彼の砂糖にかける情熱は本物だ。
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