31 砂糖作り開始1
「エレナ、貴女料理はできる?」
朝食を終えて部屋へ戻ったデルフィーナは、エレナに外出の用意をさせながら鏡越しに問うた。
今日も外出するつもりのため、良家の子女らしくはあるが貴族的ではないワンピースに着替えている最中だ。
淡い若草色のワンピースは、襟元と袖口にレース飾りがあって可愛らしい。子どもが着るには落ち着いた色合いだが、デルフィーナは気に入っていた。髪は、町娘がよくするようなお下げ髪に結ってもらう。
「料理ですか? はい、子爵家へ上がる前は家族の食事を作っておりましたから、一応できますが」
「そう! なら貴女にお願いしようかしら」
「何をでしょうか?」
砂糖を作ると決めたはいいが、作業をどうするか悩んでいたのだ。
秘密を知る人間は少ない方がいい。
開店までには料理人を雇う予定だが、まだ決まっていない。募集をかけるか、エスポスティ商会関係者に声をかけるか、それすら未定だ。
アロイスも簡単な調理ならできると言っていたので砂糖作りは本人に任せようかと思ったが、煮詰めるのにそこそこ時間がかかる。どのみちエレナは常に侍っているのだ、交代の手が必要となった場合は彼女の手を借りてしまおう。
「ふふ、今はまだ秘密」
エレナの問いにここで答えることはできない。実際に作る段階で口止めをしつつ、教えるしかないだろう。
作り方は簡単で、材料も入手は難しくない。となると一度作った後は勝手に作れてしまうが、それをされると困る。だから作る前か後にでも、必ず魔法契約書にサインしてもらうつもりだ。
魔法契約書はアロイスが用意してくれた。まだ現物は見ていないが、誓約の内容――文面も決めかねているため、後でもいいだろう。
今日はレッスンもないし、鍛冶工房も銀細工工房も行く予定はない。借りた店舗の改装についての打ち合わせも日程はまだ先なので、一日空いているのだ。
店舗に入れる家具類の購入も、発注が必要のため早めにしたいが、まずは砂糖作りだ。
これがあれば、きっとアロイスは今以上に働いてくれる。快く働ける環境や報酬を用意することは大事だ。
「今日は調理器具と、バター、卵、小麦粉を買ってから店舗へ行きます」
そういえば、お店の名前もそろそろ決めなければ。
仮称として店舗と言っているが、店名があった方が話しやすくなる。近いうちに考えるとしよう。
デルフィーナの言葉に頷いたエレナは、アロイスを呼びに向かった。
馬車の座面は相変わらずだ。スプリングマットレスを入れたものは、今週中には出来るらしい。完成したらデルフィーナが使えるように回してくれるとカルミネと約束したので、それまで数日の我慢だ。
アロイス、エレナと馬車に乗り、フットマンを併走させながら店舗へ向かう。
馬車のサスペンションが効くようになれば、フットマンは必要なくなる。実は出かけるたび、フットマンの存在が気になっていた。自分は馬車に乗っているのに、併走させるというのが地味に申し訳なく感じていたのだ。これは完全に前世の影響だろう。
馬車が転覆しないように随走する、それが仕事だと言ってしまえばそれまでなのだが、どうにも居心地が悪かったから、早く解消できるといい。
(馬車の乗り心地も改善するしね!)
そんなことをつらつら考えている間に、道具街に着いていた。
道具街といっても、大きな規模ではない。グローサリーの並ぶ商店街の方が、お店の数は多い。貴族向けの店舗街は別にあるからだろう。こちらは平民向きだ。一本の通りの両側にずらりと調理器具、食器類などを扱う店が並んでいる。銀食器を主にするちょっとお高いお店から、木製の廉価な器をメインに扱う店まで、様々だ。
「欲しいのは、ナイフと、まな板、大きなお鍋と、コランダーと、バットと、ボウルと、木べらと、鉄板と、小さなコップと」
デルフィーナは指折り数えていく。
一応、手帳にメモを取ってあるのでそれを確認しながらあげた。
「お店のキッチンで使うなら、良いものがいいかな?」
「壊れにくい物、使い勝手の良いものという意味なら、そうですわね」
アロイスの疑問に答えながら、デルフィーナは表から店を覗く。奥に店員がいる店もあれば、表に立っている店もあった。
「この辺りのお店でどうでしょうか?」
調理器具の品質には全く明るくないデルフィーナは、エレナの勧めに頷く。
「入ってみましょう」
品揃えは多そうだ。思ったよりも奥行きのある店は、所狭しと物が置かれていた。雑然とした印象だが、物は悪くないらしい。試しに覗いた鍋は厚みがあり、けれど持ってみるとそれほど重くない。良い金属を使っているらしかった。
「どう?」
エレナの袖を引いて、こっそり聞く。
「よさそうです」
デルフィーナに合わせてか、エレナも囁き声で返した。
家では料理をしていたというエレナのお墨付きが出たので、ここで必要な物を揃えることにする。持って移動するのは邪魔かもしれないが、届けてもらうほどの量ではない。馬車に積んでしまえばいいのだ。
馬車にはすでに、木箱に入れたビートが乗っている。前もって馬丁に、ビートを多めに仕入れるよう指示しておいたそれを、昨日、受け取ってこっそり木箱に入れておいたのだ。
少し重いそれをエレナに持ってもらっていたら、フットマンが代わって運んでくれて、すぐ馬車に積み込めた。
葉を落としただけのビートが中に入っているとは誰も知らない。
フットマンと御者は一旦屋敷へ帰そうと思ったのだが、何故だかアロイスが反対したため、店舗に留まってもらうことになった。
馬車はギリギリ庭へ入れられたので、アロイスの提案で、ボロの世話だけきちんとすることを前提に馬を放し、ついでに庭の手入れをしてもらうことにした。
庭の手入れについては特別報酬を渡すと伝えてあるので、はりきって草むしりをしてくれるだろう。
木の剪定は本職の庭師を呼ぶにしても、生え放題の雑草は事前に処理しておく方がいい。
元々考えていたことなのか、アロイスは虫除けと手袋、むしった草を入れるずた袋を準備していた。
待ち時間に報酬の出る仕事ができると、二人も喜んでいたので良かった。
そんな訳で、アロイスとエレナ、デルフィーナのみになったところで、三人は地下の厨房へと入った。
アロイスの手には、ビートの入った木箱がある。身体の大きさ的にデルフィーナが運ぶのは難しく、エレナには買ったばかりの鍋やまな板などを持ってもらっている。
大きな寸胴鍋には他の調理器具が入っており、ビートとどっちもどっちな重さのようだ。
デルフィーナも手伝おうと思ったのだが、二人に断られた。
曰く「転ばないように歩いてください」。
普段それほど転んだ覚えはないのだが、外階段は修繕をしていないため、足元が危ないと判断されたのだろう。解せなかったが、実際二人の後について階段を下りて納得した。
何もないところで転ぶタイプと思われているのかと、一瞬穿ってしまった。
明り取りの窓は換気口も兼ねているのか、木製の戸がついていたが、ガラスは嵌まっていない。ガラス自体が高価なので、使用人の部屋など、貴族の屋敷でも入れていないところは多いので、違和感はなかった。
手の塞がった二人を待たせて、デルフィーナが勝手口の鍵を開けた。この店舗の鍵は、デルフィーナとアロイス、二人がそれぞれ持っている。
鍵束には、店舗入り口、勝手口、庭に面したフランス窓の鍵がある。首からかけるにはちょっと重たかったため、デルフィーナは小さなショルダーバッグに入れていた。
鍵をしまうのと同時に輝光石を取り出せば、窓が閉まっているため薄暗かった厨房も、少し明るさが増す。デルフィーナはそのまま作業台の上に輝光石を置いた。
その隣に、調理器具と木箱もおろされる。
すかさず窓辺へ寄ったエレナが戸を開ければ、蝶番に油を差さねばと思うような音が響いた。
「ああ、明るくなったね」
荷物を下ろしたからか、明るくなったからか、アロイスがほっと息を吐く。
確かに、階段に面した窓が開くだけでだいぶ違った。輝光石の追加は必要かもしれないが、晴れた日の日中はこれで十分だろう。
流し台の脇には手押しポンプ式の井戸があって、水汲みには困らない。濁った水を流しきるためにしばらく動かす必要があるかと思ったが、賃貸契約を結んだ後に屋内清掃と共にこちらも手を入れてくれたらしい。商業ギルドのサービスに感謝だ。
厨房内も綺麗に掃除されていたので、すぐに使えそうだ。
デルフィーナは、早速砂糖作りに取りかかることにした。
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