26 三人の密談
夕食を終えたデルフィーナは、エレナに世話されて早々にベッドへ入っていた。
まだ体力がない身体のため、出かけた日は疲れから早くに睡魔が襲ってくる。考えることも色々とあって頭も使っているから、ベッドに入ったらたちまち眠りの世界へと旅立っていた。
そんな、デルフィーナの起きていられない夜半。
エスポスティ家の中心である三人の男は、今宵も当主の執務室に集まっていた。
「さて、今日の報告を聞こうか」
ドナートがゆっくりとソファに身を沈めたまま切り出す。
ローテーブルの上には、デキャンターとゴブレットがあり、中でワインが揺れていた。
対面に座ったカルミネは、労うように隣へ座るアロイスへゴブレットを渡しながら、自身の分も注いで飲む。
「今日のデルフィーナは問題を起こさなかったかね?」
ドナートは鷹揚に構えているが、それは、直接デルフィーナから要求を受けているのがアロイスとカルミネだからといえる。
話の内容や提案に驚かされるのも、今後どう動くか決めるのも、概ね弟二人だ。ドナートは商会へ手を出していないため、デルフィーナに関する最終責任を持つだけだった。
アロイスとカルミネというクッションがあるおかげで、ドナートは、驚愕も嘆息も冷や汗もかかずに済んでいるに過ぎない。
保護者として、最終責任をとる者として、毎日報告を命じてはいるが。ドナートには娘の突飛な言動を楽しむだけの余裕があった。
「今日は、外では大丈夫でした」
「内では?」
「いくつか」
アロイスは淡々と報告する。
最早アロイスはデルフィーナに驚かされない。一々反応していられないからだ。元々転生者について知っていたアロイスは、彼らの持つ知識がこの世界での物とだいぶ違うことも理解していたので、順応が早かった。
一方のカルミネは、毎回精神的に振り回されている。デルフィーナの提案で作る物は、ことごとく新しい。代用できるものがあればデルフィーナとて作成の要望は出さないので、当たり前なのだが。
新しい物を生み出せば、それだけ商機となる。上手く売り出せば、かなりの富を築けるのだ。それをデルフィーナはぽいぽいとすぐに投げてくるのだからたまったものではない。デルフィーナの目的を知らないカルミネからすると、お前は一体どれだけ稼ぐ気だ?! と叫びたくなる状態だった。
商会の借りる物件が決まったこと、その契約は既に終えていること、どのような立地のどんな物件か。麦茶のこと、傘のこと、ガラスのこと。
アロイスは順序立てて簡素に告げていく。
口を挟まず一通り聞き終わった二人は、一人は大きく嘆息し、一人は喉の奥で笑った。
「大麦を煎ったものが飲み物になるとはな」
「芳ばしくてそこそこ美味しかったですよ」
「それより傘ですよ、傘!」
大麦のお茶はハーブティーの一種として考えられるため、売り出すとしても大々的なものにはならない。一方の傘は、作れるとなると話の規模が違う。
「ああ、そこはお前に任せる。良いように動いてくれ」
「はい……」
また丸投げかとカルミネは肩を落とした。
都度口を出されるよりは良いのだが、連続するともう一人自分が欲しくなる。カルミネとて、仕事は商会の各部門の部下達に割り振っているのだが、今後も続くことを考えるとそのうち休みがなくなりそうだ。
「デルフィーナは一体幾つ新しいものを生み出す気だろうな?」
カルミネの様子を見て、ドナートはおもしろそうに口の端をあげる。
「笑い事ではありませんよ」
既に振り回されつつあるカルミネは、今後を思えば全く笑えない。
今日はスプリングの試作品ができたと知らせがあり、急遽工房へ足を運んだ。デルフィーナの希望した通りなのか分からないが、見えないように梱包して持ち帰っている。
夕食時のデルフィーナは眠気を漂わせていたため、見せるのは明日に持ち越した。それも含めて、先だって報告を済ませている。
「カルミネ兄上、諦めた方がいいですよ」
「なにをだ」
「デルフィーナは思いついたら行動派です。彼女を止めることはできません」
利益を考えるなら、当然止めない方がいい。つまり、当分忙しくなる。
アロイスに言われずとも分かっていたことだ。仕事の少ない会頭という立場は、しばらくお預けとなりそうだ。
「そうだな」
時間のゆとりが持てないのなら、気晴らしにお金をかけるしかない。入ってきた分を使うと考えれば経済を回す立場として上々だろう。
己を慰めて、カルミネはワインと一緒に嘆息を飲み込んだ。
「兄上、魔法契約書を追加で用意してください」
一緒にワインを乾したアロイスは、姿勢を正してドナートに向き合った。
その真剣な眼差しに、ドナートも口元の笑みを消す。
「追加が必要か」
「そろそろ、屋敷内でのことも考えた方が良さそうです」
魔法契約書――正式には魔法誓詞書という。
契約の内容を、その紙に記した誓約の内容を、違えることができないよう規制をかける魔法がかかった用紙。
魔法師しか作れないもののため安くはないが、高額の取引時などに商人達が使っているほどなので、珍しいものではない。
「デルフィーナも考えていたみたいです」
「聡いな」
「ですが、詰めは甘いです。エレナに使うつもりだったようですよ。エレナに、のみ」
「そこはまだ七歳児と見るべきか」
「年齢よりも、身につけた危機感の問題かと」
「ふむ?」
「デルフィーナの様子から察するに、過去に生きた世界は危険の少ない世だったのでしょう」
「自衛する必要がなかったか」
「おそらく」
今一番傍にいるアロイスは正確に察していた。
デルフィーナが、砂糖の秘密を守るため、エレナに契約書へのサインをさせるつもりでいたことも、エレナだけで済むと思っていることも。その脇の甘さの原因も。
まだほとんど社交に出ていないデルフィーナは、貴族社会の厳しさを知らない。身分制に加えて商売や武力の面でも弱肉強食の世界だと経験して学ぶのは、これからだ。
だから油断している。
アロイスを傍に付けたこと以外はうっかりの連続なのだが、自覚がない。
しかし三人は、それが含む危険を理解していた。
デルフィーナはあずかり知らぬ事だが、陶磁器工房も鍛冶工房も、ドナートないしはカルミネが後から訪れ、魔法誓詞書でデルフィーナの情報を漏らさないよう誓約させている。その後は各工房で工房長と職人達にも契約を結ばせていた。
どこからどう情報が漏れるか分からないままでは、危険を回避できない。デルフィーナが常人にない知識を持っていることを隠すには、必要な措置だった。
同じように、屋敷内の使用人にも誓約させる。デルフィーナが以前と違うことは、行動から使用人達も察している。早い内に手を打った方が無難だった。
「わかった、なるべく早く用意しよう」
「お願いします」
「誓詞書だけでは足りんだろ」
「そうですね。可能なら護衛も欲しいです」
アロイスとて一通り武芸は身につけたが、本職には負ける。荒事専門の者に襲われれば自分の身も危うい。二人を守ることはできないだろう。
「そうだな。デルフィーナが侍女をつけたのだから、お前にも侍従をつけよう」
「ありがとうございます」
アロイスの侍従という名目で護衛をつける。それならば対外的にも誤魔化せる。
「一人で足りるか?」
「今のところは」
実際に店舗が稼働してデルフィーナが人目につくようになれば、デルフィーナの考えた物が続々と売り出され始めたら、偽装せず護衛として堂々とつけるほかなくなる。
それまでは、一人で足りるはずだ。
デルフィーナが転生者と知られないこと、まずはそれを優先して対処していけば、当面はしのげる。
三人はそのまま魔法誓詞書の内容を詰めることにした。
晩夏の空が暮れきって星が瞬くまで、三人はこんこんと話し込んでいた。
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