24 麦茶と傘の構想
既にデルフィーナが厨房へ顔を出すのはお馴染みになりつつある。
料理人達は驚かず、今日は何ですか、とにこやかに聞いてくれた。
火は扱わせてくれない彼らに買ってきた大麦を煎ってもらったデルフィーナは、一緒に厨房へ来ていたエレナにお茶の用意をさせて、部屋へと戻った。
着替えて早々に厨房へ向かったデルフィーナにエレナは少し呆れていたが、声には出さない。これほど活動的なお嬢様だったかしら、と思うだけだ。
そのエレナを使いに出してアロイスを呼んだデルフィーナは、自室のソファセットで麦茶を淹れていた。
「お呼びかな?」
声がかかるのを見越していたアロイスは、すぐにやって来た。いつもならドナートへの報告で時間を取るのだが、ドナートは出かけているらしい。帰宅の挨拶を必要とせず、まっすぐデルフィーナの部屋へ来たようだった。
「叔父様、こちらは麦茶ですわ」
「“茶”なのか」
「紅茶とは違いますが、便宜的にお茶と呼んでいます」
紅茶と同じ道具をエレナが用意してくれたので、茶葉が違うだけだ。同じように蒸らした後、ボウルに注ぐ。
「芳ばしい香りがするね」
出されたボウルを持ち上げて、アロイスは湯気と漂う香気を吸った。
「こちらはがぶがぶ飲んでも問題ありませんわ!」
「紅茶は問題があるの?」
「そうですわね、お薬ですから、飲み過ぎるのは良くありませんわ」
カフェインの取り過ぎは良くない。適量を飲む分には健康面でもプラスに働くが、過ぎれば身体に負担がかかる。過ぎたるは及ばざるがごとし、だ。
それを考えると、七歳のデルフィーナにはカパカパ飲めるものがなかった。
ハーブティは薬の位置づけだし、果実水は多くとると身体を冷やす。紅茶は高価で、珈琲はない。ワインやビールのアルコール類は論外。
しかし麦茶ならたくさん飲んでも構わない。材料の大麦も安く手に入る。
デルフィーナは、ようやく好きなだけ飲めるお茶の、懐かしい素朴な味わいにふふっと笑みを零した。
「これもお店で出すかい?」
「いえ、これは考えていませんわ」
売り出しの文句も思いつかない。
今の世界で、カフェインだのノンカフェインだの、カリウムだのナトリウムだの言ったところで通じない。
大麦は珍しいものではなく、牛や羊が食べる飼料か、ビールの原料との認識が主流だ。麦茶は足が早いし、煎って湯で煮出す飲み方を広める必要性も感じない。
商売の材料にはならないだろう。
「美味しいのに?」
「子どもが飲んだり、運動後に飲むには適していますが、紅茶を扱う店には不釣り合いかと」
高価な紅茶に、高価な砂糖を使った菓子を出す店は、気品のある店構えにするつもりだ。店内で使う茶器も、家具類も、見合った物を使う予定で動いている。そこに大麦を煮出したお茶は、そぐわないだろう。
店のイメージ統一のためにも、カフェテリアで扱うつもりはなかった。
家では紅茶の代わりにがぶ飲みする目的で大麦はたくさん買ってきたが。
「そうか。まぁ確かに紅茶の方が美味しいもんねぇ」
アロイスは初めから紅茶を気に入っていた。
きっと、お茶に合う菓子類を作ったら、どちらも食が進んで大変だろう。
そういえば、砂糖を作ると言ってからだいぶ経つ。実際に報酬を渡していないのに、アロイスはずっと忠実にデルフィーナの意に添って仕事をこなしてくれている。
一応、店舗のキッチンが整ってからという約束だったが、今日契約を済ませたのだ。そろそろ砂糖を作ってもいいかもしれない。
問題は煮出している間、甘い香りが外へ漏れ出すことだったが、カフェテラスという形で店舗を出すことはギルドにも申告済みだし、店舗の厨房で作る分には大丈夫だろう。
カフェの試作も兼ねて何か作れば、菓子として香りも誤魔化せるし、表に出せる。開店前に試作を色々するのは当然だ。辻褄は合わせられる。
作る菓子を検討してから、次の空いた日に道具類を買ってもらえばいい。
砂糖作りはこっそりと、アロイスと二人きりでするつもりだ。エレナがどうしても立ち会うなら、魔法契約書の準備をその前にしておかなければ。
デルフィーナは、砂糖の生産を、自分の店で出すお菓子に使う分量しかするつもりがない。
アロイスには店でそのうち扱うかもしれないと言ったが、実際に砂糖として表に出すつもりは一切なかった。
ビートから砂糖を作れば、今ある砂糖の価格暴落が起きる。
南大陸から輸入するしかない高級品が、暴落するのだ。砂糖を商っていた商会は、大赤字になるだろう。
結果、どうなるか。
路頭に迷うものも出るだろうし、何より新しく砂糖を作ったものが恨まれる。お門違いの恨みだが、悪くすれば命を狙われるかもしれない。
子爵程度の庇護では足りないのだ。
(砂糖革命は誰かに任せるわ)
既得権益とぶつかるのは危険が過ぎる。
子爵令嬢が作ったばかりの小さな商会ごときでは、たちまち潰されてしまう。
珈琲を飲む前に死ぬのはごめんなので、デルフィーナはひっそり作ってひっそり使うつもりだった。
裏金ではないが、裏砂糖で利幅を稼ぐ計画である。
当然、サトウキビから作られた輸入物の砂糖も扱って、帳簿の辻褄は合わせる予定だ。帳簿を見るだけだと、甘さの少ない茶菓子がたくさん売れていることになるが、そこはなんとか誤魔化せるよう、アロイスや商会で雇う会計士に任せる所存。
色々と厄介事を投げている気がするが、報酬をはずむことで手を打ってもらおう。
「アロイス。店舗が決まりましたので、手を入れる部分の相談を兼ねて、近日中にあちらへまた行きたいのですが」
「そうだね、あのままでは使えない部分があるし、入れる家具のことも考えないとねぇ」
「厨房も試しで使いたいので、調理器具をいくつか持ち込みたいですわ」
「今後のために買っていく?」
「その方がいいと思います」
厨房に関しては手を入れる部分がなかったから、荷物が増えても問題ない。
ビートをいくつかと、大きな鍋とおたま、木べら、厚手の布とコランダーがあれば事足りる。バットのような容器か大皿があればなお良い。
誤魔化すために菓子作りをするなら、小麦粉や他の材料と、ボウルなどが必要か。
何を作るかは後ほど決めるとして。デルフィーナは先程考えていた諸々を相談することにした。
「店舗を見ていて、直したい部分と、作りたいものがまたできたんですの」
「どんなもの?」
「傘ですわ」
「……傘か」
麦茶のボウルをテーブルに置いて、アロイスはちょっと息を吐いた。
ポケットから馴染みとなった手帳を出すと、インク瓶を開けてペンを構える。
「さて、どんな構想かな?」
また難題がきたぞ、と琥珀色の瞳が物騒に煌めく。叔父のそんな表情にちょっと引きながら、デルフィーナは言ってしまった以上どうしようもないため、続けることにした。
「テラスにテーブルを置いて、席を用意したいのですが、屋根がないので日差しを遮れないでしょう? そこで、大きな傘を設置したいのです」
「テーブルが隠れるぐらいの大きさってこと?」
「はい」
「それは、かなり大きいね……」
アロイスが知る傘は、当然ながら貴婦人達が自身で持つ小ぶりなものか、従者に持たせて掲げさせる、二人が陰に入れる程度のものだ。
デルフィーナの言うそれは、今までにない大きさとなる。
「構造は分かりますので、頑丈な金属で骨組みを作っていただいて、それに防水布を貼って欲しいんですの」
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