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16 本来の紅茶




 カルミネが屋敷に戻ったのは、一旦帰ったブルーノが運んできた紅茶を全て子爵家の離れへ納め終わってからだった。

 一室を埋める木箱の量に使用人達は驚いていたが、デルフィーナとアロイスは満足そうにその木箱を眺めている。

 ヴァレット達の手を借りて中身の確認を終えたところで、デルフィーナはメイドに合図を出した。


「カルミネ叔父様、お帰りなさいませ。ちょうど良かったですわ」

「ただいま。何か用かな?」

「紅茶をお淹れする約束でしたでしょう? 今からブルーノに振る舞おうと思いますので、ご一緒にいかがですか?」

「おお! それは是非とも」


 嬉々とした表情をみせたカルミネに、ブルーノは内心首を傾げる。

 ブルーノが試飲で振る舞ったときは口に合わない様子だったのに、飲むのを期待しているようだ。この差はなんだろうか。

 三人と共に再び応接室へ入ったブルーノは、促されるままソファに身を沈めた。


「正直なところを申し上げますと、ブルーノさんには大変いいものを、非常に安く提供していただきましたわ」

「……非常に安く、ですか?」


 デルフィーナの言葉に引っかかりを覚える。

 書面で交わしたときから思っていたが、決して安い買い物ではない。一括で買い上げてもらった分ブルーノが“勉強”したとはいえ、それを差し引いてもかなりの高額だった。

 さきほど間違いなく支払いはされて、品物も残らず納めた。

 困ったように、また、どこか哀れむように、アロイスが苦笑している。どうにも座り心地が悪い。

 なにか重要なことを見落として取引を終えた気分だ。――いや、実際何かを見落としているのだろう。だがその内容がブルーノには分からない。

 釈然としないまま座っているブルーノに、デルフィーナも眉尻を下げた。


「今回は勉強だと思って、お許しいただけると嬉しいですわ」


 メイドの押してきたワゴンを受け取って、デルフィーナはその傍に立つ。

 メイドはそのまま部屋を出て行き、室内に残ったのは四人だけだった。


 デルフィーナがこの世界で紅茶を人に淹れるのはこれで三度目だ。

 さすがに慣れてきたので、不足するものがあっても手間取らない。


「もっと小さい砂時計がほしいですわ、カルミネ叔父様」

「砂時計か」


 今あるのはそこそこに大きい。エスポスティ家にあったのは調理用ではあるが、数分を計るものではない。


「三分ないし五分を計れるものがほしいんです。作れますかしら?」


 仕方ないのでデルフィーナは話しながら指折り数えている。

 昔は時を計るのに、祈祷文を何回諳んじたらちょうどいい、などとレシピにあったらしいが、この世界では現行使われている方法かもしれない。


「かなり小さいな。多分作れると思うが」

「ではお願いします」


 一つ欲しいものをまたカルミネに投げて、デルフィーナは四つのボウルに紅茶を注いだ。

 ブルーノは紅茶を買い付けてきたくせに急須は見慣れていないのか、不思議そうに眺めている。


「ブルーノさん。こちらは東大陸で使われている“急須”ですわ」

「形的に割れやすいから、持ち帰るものが少ないと聞くあれですか」

「そうなんですの?」

「はい。皿や壺より保護がしにくいとか」


 確かに形状を考えると、細い手や注ぎ口は取れやすいかもしれない。皿のように重ねて箱詰めすることはできないし、運搬向きではないのだろう。

 フラヴィオは自身も東大陸に行ったような人だから、茶器のセットを持っていただけだ。もしかして、エスポスティ家にあるこの急須も、フラヴィオが持ち帰ったものなのだろうか。

 話しながら紅茶を淹れ終えたデルフィーナは、待っていた三人それぞれの前にボウルをサーブした。


「どうぞ、お飲みください」

「これが“紅茶”か」

「え?」


 透き通る水色は綺麗な赤だ。

 ブルーノが提供したものと随分違う姿に、カルミネは、ほう、と息を吐く。

 そのカルミネの言葉にブルーノは呆然と瞬いた。


「はい。味は勿論、香りも楽しんでくださいませ。後からミルク入り、砂糖入りもお淹れしますわ」

「今日は砂糖入りも飲めるんだね」


 砂糖に目がないアロイスは途端ににこにこと笑顔になる。

 元々紅茶を気に入っていた彼は、ミルクは入れずストレートで飲むのが好みなようだ。早速二杯目を要求してきたので、デルフィーナは砕いた砂糖を入れてやった。

 そんな二人の会話など耳に入っていない様子で、ブルーノは恐る恐るボウルに口を付ける。

 自分の煮出したものとまるで違う飲み物に、その味わいに、はぁぁぁと大きく嘆息した。


「これは……これはもう、別の飲み物に思えます」

「でも多分、東大陸で日常で飲まれているのはこちらの姿だと思いますよ?」


 苦笑してデルフィーナは首を傾げる。

 ブルーノは可哀想に、少し涙目になっていた。


「これと似た、緑色のもっと香りの違う飲み物はあちらで飲んだのですが。薬ということで、煎じて飲めと言われたので……」

「もしかして、通訳を挟んであちらの方と会話していました?」

「はぁ、まぁ、私も少しならあちらの言葉が分かるのですが。通訳も一応入れたんですがね……」


 煎じ方まで詳しく教わらなかったのが敗因だ。

 お茶に適した道具すらない北大陸で、東大陸人が常識としている煎じ方を聞かないまま淹れられるわけがなかった。

 しょんぼりと肩を落とす様は、商人としての未熟さを自省するようでなんともいえない。

更にデルフィーナのような子どもとの取り引きでも失敗を重ねてしまい、落ち込むのも当然だった。


「鍋で煮る方法もありますけれど、ブルーノさんが飲ませてくれたものほど濃くすることはまずないですわ」


 煮込むならミルクとスパイスを使ったチャイがいい。ブルーノの煎じ方は本当にまずかった。煎じるといっても程度がある。ブルーノは明らかにやり過ぎたのだ。

 損失どうこうよりも、こんなに美味しいものをあんなに不味く飲んでいた後悔と、逆に少女に教えられたことにブルーノは悄気る。

 薬として持ち帰ったはずが、飲み物に化けた。しかもまったく新しく、今までに飲んだことのない香りと味わいに。

 ブルーノは、紅茶に賭けるという勝負に勝ったにもかかわらず、デルフィーナに負けた気分だった。


「緑の飲み物というのは、きっと緑茶でしょう。この紅茶と元は同じものですわ。次に東大陸へ行ったときは、緑茶も買ってきてくださいませ」


 落ち込みながらもブルーノは紅茶を飲み干したので、心持ち砂糖を多めに入れてあげて、二杯目を注いでやる。

 次の取り引きでは紅茶ももう少し高値となるだろう。

 だがその頃までにデルフィーナは自身の商会を軌道に乗せ終わっているはずだ。紅茶を愛飲する人口を増やせば、デルフィーナだけでなくブルーノも儲かる。


「これを提供する店、か」


 カルミネはカルミネで、紅茶の美味さに唸っていた。

 ドナートが許したのでデルフィーナは自身の商会を立ち上げることとなったが、惜しいものを逃したと少し後悔する。


「はい。私は、これを飲めるお店を出すつもりですわ。紅茶に合うお菓子や軽食も併せて提供できる店にするつもりです」

「菓子もか」


 どんなスタイルの店になるのか、デルフィーナの構想が読めない二人は期待に少し目を瞠る。


「もしブルーノさんがもっとたくさん紅茶を輸入してくださるなら、茶葉の販売を併せておこなえばいいと考えています。その時にはエスポスティ商会でも扱えばよろしいでしょう」


 独占販売をするならブルーノとの契約が必要だが、他の運輸業者が東大陸で買い付けをして持ち帰ったら、他の商会も紅茶を扱うようになり、結果として紅茶の独占はできない。

 それならば先んじてエスポスティ商会が販売した方がいい。

 加えて、紅茶のための茶器をデルフィーナは注文している。それはエスポスティ商会の陶磁器部門へだし、近々銀細工部門にも依頼する予定だ。

 紅茶を飲むために必要な茶器を、他の商会はまだ作れていない。作り始めてもエスポスティ商会に一歩遅れることとなる。その分ネームバリューも上がるだろうし、エスポスティ商会の得るところは大きくなるはずだ。

 そのようなことをつらつらと話したデルフィーナに、カルミネもブルーノも舌を巻く。


「……ブルーノ」

「はい」

「東大陸に、行くな?」

「もちろんです」

「よし。なら先に契約をしておこう」


 何を買い付けてくるのか、どの程度の量を買い上げるのか、事前に決めて契約を交わしておけばどちらにも得となる。

 気の早い話ではあるが、今飲んだ紅茶の説得力を思えば、デルフィーナの商会は絶対に成功する。

 カルミネは、アロイスから陶磁器工房でデルフィーナが取った行動についても聞いていた。商会独自の磁器も、そう遠くないうちに出来上がる。

 スプリングの利用、ガラス加工、磁器に関する知識、新たな食器の形、どれを取ってもエスポスティ商会に利益をもたらす。踏まえて考えれば、紅茶の流行は目に見えていた。

 二人がこの場で契約内容を詰め始めたのは当然の帰結といえる。


「ブルーノさん、私、商会を作るんです。設立しましたら、改めて、そちらとも取引をお願いいたしますね」


 にっこりと笑ってデルフィーナは、出航前にこちらとも契約を結ぶよう言外に要求する。

 一瞬固まったブルーノは、無言でがくがくと首肯した。








お読みいただき、ありがとうございます。


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引き続きお楽しみいただけたら嬉しいです。

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