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15 ブルーノとの取り引き




 遅い帰宅を叔父二人と共に母に叱られたデルフィーナは、メイド達に世話をされて手早く夕食を取るとあっという間に着替えさせられベッドに押し込まれた。

 このベッドも、馬車用のスプリングマットレスが上手く出来上がったら、作り替えてもらうつもりだ。

 今のベッドは、木枠の上に羽毛を詰めたマットレスを乗せている。ふかふかではあるのだが、やはり木の固さはなんとなく伝わってくる。

 庶民は藁や豆の鞘を詰めたマットレスを使っているというから、羽毛布団を使える生まれは非常に恵まれているのだが。

 やはり弾力がほしい。

 あるいは和式の敷き布団のようにコットンを詰めたものがあるといい。


(ほしいものが盛りだくさんね)


 欲張りな自分にちょっと呆れてしまう。

 けれど、より良い生活を求めるのは人間の本能なので仕方ない。こうなったら欲しいもの作りたいものは遠慮なく求めていくとしよう。

 まずは紅茶からだ。


 明日はブルーノが来訪予定だ。

 帰宅したら手紙が届いていた。

 アロイスが来てすぐ、改めて会いたいと伝えていたのだが、明日訪問するとの知らせだった。

 就寝前の挨拶をしたときにアロイスと交わした会話を思い出す。


「二人一緒に話した方が早いんじゃないか?」


 カルミネにも紅茶を淹れる約束をしたまま、まだ飲ませていない。

 それなら同席してもらったら売買もスムーズにいくのでは、とアロイスは提案したのだが、デルフィーナは首を振った。


「いいえ。ブルーノには、紅茶は飲ませません」

「え?」

「紅茶は、薬として買い取ります」


 買い取り前に手の内を見せるつもりはない。

 飲み方を変えたらあれほど美味しくなるのだ。教えては高値を付けられる。デルフィーナの目的は資金作りなので、なるべく安く手に入れたい。

 元値と輸送費を考えても、買い手がいなければどうにもならない。ブルーノとてデルフィーナには何かあると考えていたら、そう安くはしないだろう。


「商売人同士の駆け引きですもの、敵に塩は送りませんわ」

「“敵に塩を送らない”?」

「有用な情報を相手に与える必要はない、ということですわ」

「ああ、相手の得になることはしない、って意味か」


(慣用句を使うのにも気をつけないといけないのね!)


 ヒヤッとしながらデルフィーナは誤魔化すように口角を上げる。


「取り引きが終わってから、振る舞って差し上げますわ」


 量が量だ、売買の契約書を交わすだろう。

 物を納められていなくても、書面で売買が成立していたら、紅茶の本質を味わわせるつもりだ。知らないまま店を開くのはフェアではない。


(教えないまま買い叩くのがそもそもフェアじゃないんだけど)


 珈琲のための犠牲だ、負けてもらおう。

 紅茶を提供する店を出すのなら、なにはなくとも茶葉の確保は絶対必要なのだから。

 明日の一勝負のためにもしっかり身体を休めたい。デルフィーナは疲れもあってか、目を閉じた途端眠りに落ちていた。








「本日はお時間をいただきましてありがとうございます」


 応接間に通されていたブルーノは、アロイスとデルフィーナが部屋に入るとすぐにソファから立ち上がった。

 背の高い男だ。前回屋敷に来たときはエスポスティ商会傘下の海運商としか認識していなかった男を、デルフィーナはじっくりと見る。

 麦色の髪は短く刈られており、肌はかなり日に焼けていた。船での生活時間が長いためだろう。瞳の色は深い海を映したような藍色だ。


「どうぞおかけください」


 ブルーノは主にアロイスへ向けて言ったのかもしれないが、気付かぬふりをしてデルフィーナが促す。

 今日の対話相手はデルフィーナであると態度で示してみせる。


「お手紙をいただいたときには驚きましたよ」


 ブルーノはデルフィーナの対応を見ていたのか、苦笑を漏らした。

 彼の対面にアロイスと並んで座ったデルフィーナはほんのり口角を上げる。


「そうでしょうね」


 幼女らしくない微笑を浮かべたデルフィーナは、前置きはいらないと本題に入ることにした。


「私、先日試飲させていただいたお薬を購入したいんですの」

「頂戴したお手紙にあった求めたいものとは」

「ええ、紅茶ですわ」


 ゆったりと頷く子爵令嬢に、ブルーノは内心首を傾げる。

 エスポスティの子爵と商会長が購入を見送ったものをほしいというのは、何故なのか。

 顔には出していなかったが、デルフィーナは彼の疑問を解消するように打ち明ける。


「私、あのお薬をいただいて、それまでぼんやりしていた意識がはっきりしましたの。頭がすっきりしたというか」


 実際のところは反対だ。

 紅茶を飲んで前世を思い出したデルフィーナは、あの時、目覚めていても意識がないような状態になった。

 だがブルーノは子爵と会頭にアピールするため、デルフィーナをあまり認識していなかった。だからデルフィーナの言葉を疑えない。

 それに、嘘は言っていない。カフェインには覚醒効果があるのだから。

 一時的に呆然としたことなど問題ではないだろう。


「なので、あのお薬をなるべく多く欲しいのですわ」

「なるべく多くとおっしゃいますと」

「あなたがお持ちのお薬を全部くださいな」

「全部ですか!?」


 デルフィーナの思い切った発言に、ブルーノは表情を変えた。


「だって、次はいつ東大陸から来るか分からないのでしょう?」


 困ったように頬に手を当てて首を傾げる。

 ブルーノが抱えているのはかなりの量だ。それを全て買い上げるというが、幾らになるかこのご令嬢は理解しているのだろうか。

 驚きと困惑を浮かべたまま、ブルーノは助けを求めるようにアロイスを見る。同席を求めたのは、こういった時のためである。

 それなのにアロイスはゆったりとした笑みを浮かべたまま、二人の会話に口を挟む様子がない。


「いえ、ご希望なら輸入しますが」


 一度に全部を買い上げられても、ブルーノは困らない。むしろ他に買い手が見つかっていない現在、ありがたい客だといえた。しかしわずか七歳の少女の求めるままに高額の品をそんなに売りつけていいものか。

 ブルーノはエスポスティ商会の傘下にいるのだ。独り立ちして海運業を営んでいるとはいえ、大きな取り引きはエスポスティ商会とばかりで、子爵や会頭との関係がギクシャクする事態は避けたい。

 また東大陸に渡る予定はあるし、希望するのなら再び紅茶を買い付けてくることはできる。

 ブルーノは船を速く走らせることが可能だった。

 彼の固有魔法は風を操ることだ。無風にならないよう風を呼び、嵐になりそうなら風を抑える。そうやって、危険を減らし、船足を速くし、通常往復半年以上かかる航海を数ヶ月に短縮していた。

 彼は己の固有魔法があったからこそ、海運業を選び営んでいる。


「まぁ、本当に?」


 嬉しそうに手を合わせてみせたデルフィーナは、内心でも紅茶の追加注文ができることを喜ぶ。


「それなら、次は産地別でわかるようにしてきてくださいませ」


 ブルーノは試飲の時に、今回は雑多に買ってきたと言っていた。

 紅茶のそれぞれの味と香りを考えれば、東大陸の何処産なのか、きちんと把握しておきたい。

 今後も更に求めるつもりだと仄めかすデルフィーナに、ブルーノは困惑しきりだ。

 あんな苦いものを、薬とはいえ、七歳の女児が欲しがることにどうしても違和感がある。


「産地別……ですか」

「ええ。きっと効能が違うでしょうから」

「効能ですか」

「苦味の具合もきっと違うでしょうね」


 にこにこと“薬”を語るデルフィーナに、ブルーノは弱ってしまった。


「お嬢様、本当に全てをお買い上げになるおつもりですか?」

「ええ、もちろん」

「ですが、かなりの高額となりますが」

「分かっております。お父様のお許しはいただいていますわ」


 笑顔を崩さない子爵令嬢に、ブルーノは真顔になった。


「本当ですか?」


 アロイスに視線を向ける。


「大丈夫ですよ」


 この時ばかりは保証のためにアロイスも応えて肯定する。

 管理のためいつもなら領地にいる子爵の弟が、なぜ王都におり姪の補佐をするように傍にいるのか。本来なら保護者である子爵か、子爵夫人が付き添うところだろうに。

 疑念は湧いたが、聞ける立場ではない。

 ブルーノは諦めたように腹を決めた。


 アロイスの保証があるのなら、エスポスティ商会の機嫌を損ねることはないだろう。

 元々求めてきたのはあちらなのだ。幼い子どもの我儘で大金を失っても、エスポスティ子爵家ならきっとすぐに補填できる。

 紅茶は相手を選んで高額で売りつけるつもりで持ち帰ったのに、試飲でどの貴族も難色を示した。

 同じ薬でも砂糖やスパイスのようにはいかないようだと、値下げと売りに出す相手を変えることを検討し始めたところだった。

 もう少し買い手を選びたかったが、このまま紅茶が売れなければ赤字になる。

 保存が利くものとはいえ、ずっと抱えているわけにもいかないし、正直、次の買い付けのための資金がない。紅茶に賭けてしまったから。

 背に腹は代えられないと、ブルーノは子爵家という顧客を騙すような、そしてなんだか騙されているような心地を飲み込んで、デルフィーナに売ることを決めた。


「わかりました。私の元にある紅茶、全てをお売りしましょう」

「ありがとうございます!」


 思ったよりすんなり決まったことに、デルフィーナは笑顔で飛び上がった。

 もっと渋られるかと思っていた。

 立ち上がっても小さな身体は、同席者の視線より上になることはない。せいぜい顔の位置が同じ高さになった程度だ。

 その目の前の顔が笑み崩れたのを見て、デルフィーナが本当に喜んでいるのがわかった。

 あんな苦い薬を何故、という思いは消えない。しかしアロイスがさっさと売買契約の書類を出してきたため、うやむやのまま話を進めていく。

 良すぎる準備に消えない違和感を抱えたまま、ブルーノは契約書にサインした。








お読みいただき、ありがとうございます。


ブックマーク、☆からの評価、感想、すべて嬉しく思っております。

引き続きよろしくお願いいたします。

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