149 来てしまった猫
リュティが一匹で来たとも思えずいるのが不可解だったが、ドナートと共に来たのなら納得できる。いや、ドナートが連れてきたことには疑問しかないが。
ともかくデルフィーナの父は、デルフィーナが考えているより早く到着していた。
「はい、先刻お着きになり、今は閣下とお話しされております」
ミーナがしっかりと頷いた。
「そろそろ終わる頃だと思います。一刻近く経ちますから」
一刻は約二時間だ。お茶をしたり商品について説明したりを含めても、公爵の時間をそれほど長くいただいていることにデルフィーナは驚いた。
それならば、そう待たないうちにドナートが訪ねてくるだろう。昼を抜いているのに軽食が出されなかったのはきっとそのためだ。
アデリーナはデルフィーナの帰宅に合わせてエスポスティ家へ出向予定だからリュティのことはいずれバレるとして、ミーナはどうすべきか。
リュティから詳細を聞き出すにしても、リュティがしゃべれることをここでオープンにしていいのかデルフィーナは悩んだ。
ここバルディでも猫は、明確な仕事を与えられる犬と違って、愛玩目的で貴婦人に好まれることが多い。
公爵家でしゃべる猫とバレたら、後が厄介な気がする。
リュティは、外では普通の猫を演じていることが多い。
しゃべる猫は、一歩間違えれば迫害の憂き目に遭う。隠すのが無難なのだろう。デルフィーナより年嵩の猫だ、経験から来ているのかもしれない。
現に、デルフィーナの寝起きにはしゃべっていたリュティも、こちらの部屋に移ってからは鳴くだけだ。
デルフィーナが逡巡している間に、外からドアのノック音がする。
対応に出たミーナは、子爵様がいらっしゃるようです、と告げて退出した。迎えに行ったか、お茶――軽食の用意に行ったかだが、デルフィーナには好都合だった。
「リュティ! なんでここにいるの?」
勢い込んでデルフィーナは、撫でていた猫に顔を寄せる。
チラリとアデリーナに目をやったリュティは、んにゃ? と鳴いた。
「あちらはアデリーナ・コレッティ様よ。一緒にエスポスティ家へ帰るから、どのみちバレるわ」
遅いか早いかの違いでしかない。納得したのかリュティは伏せていた身を起こすと、とある絵画に描かれたような伸びをした。
貴族の馬車に、まず一頭立てはない。
見栄えのいい馬は華奢な種であり、農耕馬や軍馬と違って力強さはないため、最低でも人が三人以上乗る重い箱を一頭で牽ける訳がなく、通常四頭立てだ。
少なくて二頭、移動距離が長いと六頭。
よほどの立場や、パレード等では八頭立てもあるが、これはほぼ王族や宰相などが乗るもので、滅多にない。小回りがきかないため、ちょっとした外出などでは使われず、式典や外交時に見られるくらいだ。
厳格でこそないが、概ねバルビエリでも身分や格式で馬車の牽引頭数は決められている。法ではなく社会通念だ。
そんなわけで、ドナートも四頭立ての馬車でアバティーノ公爵家を訪れていた。
貴族らしい造りの馬車は、子爵の立場に見合った装飾と形。とはいえ馬車を造る商会を抱えている以上、宣伝のためにも子爵が許される範囲での最上の造りとなっている。
そんな馬車は、前に御者が乗る場所があり、後ろに護衛や従者が立つランブルシートがある。
馬車のキャビン部分に乗り込むのは通常、主人、客人で、共に乗れるのは侍女と、家令、家宰、執事だ。
使用人としての立場が高くとも、料理長やメイド頭はまず馬車に乗って出かける仕事はないため、乗る時はケースバイケース。外の方が気楽というならランブルシートを選ぶ。
そしてこのランブルシート、角度的に御者とボックス内に乗った人間からは、足元が見えない。
「で、そこに乗って、勝手に来ちゃったわけね?」
「だってフィーぜんぜん帰ってこないんだもん」
リュティから聞き出した話に、デルフィーナは嘆息した。
アデリーナはリュティが喋りだしてから、ずっと目を見開いたまま固まっている。
そしてエレナは、ドナートの許可を得た上で来たのだろうと思っていたらしく真っ青になっていた。
デルフィーナに貸し与えられている客室は、奥まったところにあるというのに、よくここまでバレずに入り込んできたものだ。デルフィーナは逆に感心してしまった。
「お父様が連れてくるわけないと思ったのよね」
来てしまったのはもうどうにもならない。こちらの使用人に見つかる前なら隠すこともできたが、既にしっかり認識されている。
だがここで過ごす以上、後からであっても公爵閣下の許諾は必要だ。
(なるべく借りを作りたくない相手なのに、どんどん借りが増えている気がするわ)
ちょっぴり痛む頭に、デルフィーナは額を押さえる。
そんなところに、再びノック音が響いた。デルフィーナが応えれば、予想したとおり戻ってきたミーナと。
「エスポスティ子爵様がお着きになりました」
彼女に先導されてきたドナートだった。
ソファから立ち上がったデルフィーナは、丁寧にカーテシーをする。
相手は家族とはいえ、ここは公爵家。ミーナの他に、茶や軽食を運んできたメイド達がいるため、外と変わらない。数日ぶりに会う嬉しさを抑えて、客に接するように相対した。
デルフィーナを見てどこかほっとしたような顔をしたドナートだったが、しかしその隣にリュティを見つけた瞬間、停止した。
その隙にデルフィーナはミーナへ声をかける。
「ごめんなさい、ミーナ。どうやらこのコは勝手に来てしまったようなの。今からでも公爵閣下のお許しをいただけるかしら?」
質問の体で、許可を取ってほしいと願う。
ドナートをちらりと見てから、ミーナは首肯した。
「かしこまりました。お帰りは子爵様と? それとも滞在なさいますか?」
(やっぱり敬語……いやでも猫好きなら閣下から許可をもぎ取ってくれるかな?)
ミーナの反応的には滞在を歓迎されそうだが、ただでさえ高級品に溢れた部屋に、長くリュティを置いておくつもりはない。
デルフィーナ自身緊張する内装なのに、いくら言葉が分かるとはいえ猫を置いておくリスクは背負いたくない。
リュティはデルフィーナの猫だから、滞在するとなればこの客室になってしまうから、絶対にごめんだった。
「父とともに帰りますわ。短時間ですが、勝手に入ってしまったことをお詫びいたします」
とりあえず先に頭を下げておく。
そんなデルフィーナに、一瞬残念そうな表情を浮かべたが、ミーナは頷いて一礼すると部屋を出て行った。
その間にテーブルへ紅茶と軽食を並べていたメイド達も、続いて退出していく。
そのドアが閉まった後、ドナートは盛大に溜め息を吐いた。
「なぜここにリュティがいる」
「お父様の馬車に相乗りしてきたそうです」
「乗せた覚えはないぞ」
「ランブルシートに乗ったようですよ」
ソファの対面へと座りながら父娘は猫を見る。二人の視線など気にもせず、リュティはテーブルの上に集中している。ミーナが気を利かせたのか、そこにはきちんとシンプルなお肉があった。猫のおやつも用意してくれたらしい。
「来てしまったものは仕方ないですが、これでまた閣下に借りが増えてしまった気がします」
「ああ。細やかだが、〈小さな打撃の繰り返しでも大きな樫の木を倒す〉というからな」
あまり借り分を大きくしたくない、という考えは親子一緒だ。
その一番の“借り”をデルフィーナはドナートへ紹介することにした。
※伸びのイメージはボニャール
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