118 新しい植木
「お父様。頭をお上げください。私は十分守っていただいておりますわ」
思わずテーブルを避けて駆け寄ったデルフィーナは、ドナートの膝に手を乗せると下から覗き込む。
そこにはデルフィーナと同じ、チョコレート色の瞳が揺れていた。
「私が色々と我儘を申し上げたから、露呈したのです。それはお父様のせいではありませんわ。アロイス叔父様にも、身代わりになってもらって、他の商会からは隠し通していただいています」
「しかし」
「まだ、公爵様お一人ではないですか。他の貴族の方々にたくさんバレるより、一番権力のある方に見つかった方が、中間がない分逆に良かったかもしれませんわ。公爵様へ対応するだけで済みますもの」
「そんな簡単な話ではないぞ」
デルフィーナの楽観的な言葉に、ついドナートは笑みを零す。
「簡単にしてしまえばいいのです。公爵様と交渉できればそれが一番ですから」
果たしてアバティーノ公爵が交渉のテーブルに着いてくれるのか。それは会って話してみないと分からないが、なんとかしよう、とデルフィーナは思う。
自分が好き勝手にしたがために、父や叔父へ負担を強いているのは事実。
新しい物を作って、商会を通して利益として子爵家にも還元しているが、きっとそれでも全然足りないぐらいの苦労と心労をかけていることだろう。
それでもどうしても、デルフィーナは得たいものがある。
一度目標に据えてしまったものを、諦めることができないのだ。
家族に、エスポスティ商会に、ロイスフィーナ商会に、害がないよう上手く立ち回るしかない。
自分の手持ちの札で、切れるものは迷わず切ろう。
ただ、筆頭公爵の後には、王家が控えている。
国に対立したり、事を構える気はさらさらないが、自身の自由をある程度確保するための切り札は、取っておく必要がある。
「公爵様への対応は、急ぎでしょうか」
「数日の猶予はある」
「では、少し考えてみますわ」
何を、とは言わないし問わない。
頷いた両者は、近いうちに動くことで合意する。
「まとまったみたいですねぇ」
ずっと黙ってそばにいたアロイスは、二人の様子にやっと言葉をかける。
その気の抜けた声に、ドナートとデルフィーナは自然と緊張していた身体と気持ちを緩めた。
「お茶が冷めちゃいましたねぇ、淹れ直しますか?」
「いや、これでいい」
少し冷めた紅茶を、ドナートはぐいっと一気に飲み干す。
デルフィーナも、温めの紅茶をくいくいっと飲み込んだ。
公爵閣下との対面は、デルフィーナにとって今までで最大の仕事だ。
失敗できない、大一番の勝負。
メイド達が用意してくれた自分用のスイーツを食べながら、デルフィーナは徐々に思考へと沈んでいく。
思い出せる限り、過去世の記憶を引っ張り出す。
その様子を見守りながら、アロイスもまた、紅茶を喫するのだった。
アバティーノ公爵のことを知らされてから、三日。
日課となっている庭の散歩をしていたデルフィーナは、従僕の一人に声をかけられた。
「お嬢様、先ほどお荷物が届きましたよ」
「お荷物? 何かしら」
「植木と、木箱でしたね」
「植木! そう、ありがとう。コズモは今どこかしら?」
庭師の仕事場は広い。むやみに探し歩いても見つからない。遠目で見つけても相手が気付かず移動してしまうかもしれないため、事前確認は必須だ。
「植木が届いたと知らせをやっていますから、おそらく温室でしょう」
基本的に、デルフィーナ宛ての荷物――対外的にはアロイス宛てとなっている荷物、中でも植木は、南方からのものがほとんどのため、まず温室へ運ばれる。
植え替えるか、鉢のままで様子を見るかは、植物の状態と土を見て判断している。必要なら土作りも植物に合せておこなう彼らはプロフェッショナルだ。
「ありがとう。それなら私も温室へ向かいます」
「かしこまりました。木箱の方は、作業室へ運んでおきましたが、よろしいでしょうか」
「ええ、大丈夫。助かるわ」
にこりと笑ったデルフィーナに笑みを返して一礼すると、従僕は屋敷へと戻っていった。
「今度の植木はどのようなものでしょうね」
共に庭を歩いていたエレナが、デルフィーナの機嫌を察して明るい声を出す。
「そうね」
事前の知らせはなかったから、珈琲とは違うのだろうが、楽しみには違いない。
足取り軽く温室へ進んだデルフィーナを迎えたのは、意外なものだった。
「お嬢様」
「来たねぇ」
たまたま屋敷にいたのか、アロイスが先に温室へ入っていた。
コズモら庭師達と、新しい植木を間近で観察したり、触ったり、土を確かめたりしている。
意外なことに、その木には実がなっていた。
まだ仄かに色づいただけで、緑の青さが強いものの、形はしっかり成っている。
デルフィーナの手のひらサイズで、長めのとげとげとした毛のようなものがついたその形は、見覚えがあった。
(ええと……何だったかしら……これ……えっと)
すっと名が出てこないくらいには、馴染みが浅い。
とはいえ食べた記憶はある。
そう、ライチに似ていて、でも輸入品の場合生は絶対食べられなくて――。
「ランブータン!」
思い出したデルフィーナは、たまらず叫んでいた。
「まずいわ。誰も触れた手で顔や口を触っていないわね? 土を口に含むのもなしよ」
たまに庭師がしているのを知っているので、確認にくわえる。
そのデルフィーナの剣幕に、庭師達は戸惑いながら手を止めた。
「エレナ、急いでマリカを呼んできてちょうだい」
この場の他の人間は動かせない。まだランブータンに近づいていないエレナがベストの人選だ。
「他の仕事は放りだしていいから、こちら優先で連れてきて、至急よ!」
「わかりました」
本来侍女は主人の傍を離れないものだ。とはいえここは屋敷内で、アロイスという身内もそばにいる。すぐさまエレナは頷いた。
普段なら決して足元を乱さないエレナは、デルフィーナの様子を見て、小走りに駆け去って行く。
「デルフィーナ、理由を聞いても?」
小さな令嬢が凄い剣幕になっても、恐さはない。
だが屋敷の主の一人ではあるのだ。雇われている庭師達からすれば、不安になる。
配慮したアロイスは身じろぎせぬまま、デルフィーナに視線だけを投げた。
「ああ、ごめんなさい。驚かせましたわね」
デルフィーナは自分を落ち着けると、庭師達へ向き直った。
「私が知るのと同じであれば、この植物には――いえ、実にかしら。寄生虫がいるのです」
この世界でも同じとは限らないが、気候が異なる地域から運んできたものは、多かれ少なかれ違う病気を持っているものだ。
バルビエリとかなり違う温度湿度のところから運ばれてきたのなら、同じように、何かしら寄生していても不思議はない。
今まで送ってこられた植物は、実のない状態ばかりだった。
木自体も状態のチェックをしながら育てて、よくよく観察するようにしてもらっていたが、このランブータンは既に実がなっている。
懸念は他の木よりも当然大きい。
オレンジやレモンは、バルビエリを少し南下するだけで入手できたため、実がついていても気にならなかったが、これは確実に対処しておく方がいい。
そんな話を聞かせていると、マリカが駆け足で走ってきた。
エレナはと見れば、後方に姿が見える。
どうやらマリカの足は速いようだ。
「お呼びと伺い参りました!」
息を切らせながらも、その顔はやる気に満ちている。
以前の、自分の固有魔法を恐れ、気後れしていた様子は欠片もない。
「ええ。マリカにしか頼めないことよ」
自然と笑みがこぼれてしまったデルフィーナは、マリカに説明をする。
エレナが戻ってきた時、マリカは既に魔法をかけ始めていた。
「お疲れさま、エレナ。次は木箱の確認よ」
あちらも一応、マリカを伴ってチェックした方がよさそうだ。
そう判断して、エレナとマリカ、なぜかついてきたアロイスを連れて作業室へと移動する。
そうして件の木箱を開封したデルフィーナの目に映ったものは。
「あらまあ。こんなにたくさん」
木箱いっぱいに詰まった、デルフィーナの過去世で見たよりもずっと赤みの強い、ランブータンだった。
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※ランブータンについて一部表現を変えました
国産のものは生食可能ですが、タイ等からは生の輸入は禁止されています(2025年現在)
デルフィーナの念頭にあるのは輸入品についてです





