117 苦悩の夜
その夜集まった三人は、三様に苦渋を表していた。
痛む頭を和らげるように眉間を押える長兄に、頭を抱える次兄、いつもののほほんとした微笑みが消えた末弟。
酒肴を整えて執事が下がったところで、三人は口を開いた。
「まさか、公爵閣下が出てくるとは……」
「呼び出された時から悪い予感はしていたがな」
嘆息する二人の兄に、弟が容赦なく切り込む。
「それで、この先どう動きますか?」
問題はそこだ。
現状の把握は嫌でもできた三人だ。今後いかに対処するか、その方針をさっさと決めなければならない。
「未だ、“稀人”がどちらなのかは把握されておられないようだ」
「アロイスか、デルフィーナか、までは絞られていると」
「ああ」
ドナートの頷きに、カルミネは顔をしかめる。
「アロイスを“稀人”とするのは……」
「それは悪手だろう」
あのアバティーノ公爵が相手なのだ。下手な嘘はすぐ見破られる。
「さすがに閣下相手に“稀人”のふりをするのは荷が重いです」
アロイスも苦笑を零す。
雑多な情報を集め取捨選択して己が役に立てている人間を偽るのは、かなり厳しい。
ましてや身分は圧倒的にあちらが上となれば、明確に虚偽を述べたと判明した時、罪に問われる可能性まである。
「“稀人”である根拠を示すよう言われたら、アロイスだとすぐ詰むだろう」
「ではデルフィーナだと明かしますか」
「……必要となれば、そうするしかあるまい」
相手は国の筆頭公爵だ。たかが子爵では、デルフィーナを匿うのも逃がすのも難しい。
一族を挙げて全てを捨てて東大陸にでも渡れば、あるいは可能かもしれないが、ドナートにその選択肢はない。
子爵家に仕える者達、領民、商会の会員達、抱えている職人達、傘下の商会、護衛として雇っている傭兵達、船を任せている船員達、そしてその家族――たくさんの人間と、その人生を、預かり抱える立場にある以上、全てを放りだして娘一人をとることは許されない。
それが、どれだけ愛している我が子だったとしてもだ。
逃げも隠れもできないのなら、もはや選択の余地はない。
「いずれにせよ、アロイスを“稀人”に仕立てるのが無理ならば、今の事態をデルフィーナに伝えるほかない」
諦めたように溜め息をつきながら、カルミネが酒の入ったゴブレットを手に取る。
「誰が伝えます?」
同じようにゴブレットへ手を伸ばしながら、アロイスが問う。
弟二人の視線を集めたドナートは、肩を落としながら、同じくゴブレットを持ち上げた。
「私から話をしよう」
それも、家長の責任だ。
したくもない乾杯を自棄になっておこなった三人は、逃避に酒の力を借りることにする。
自棄酒といえそうな勢いで杯を傾けながら、今後の方針でより良い道はないかと模索する。
その相談が愚痴に変わるまで、そう時間はかからない夜だった。
あくる朝、前夜の醜態などおくびにも出さず朝食を終えたドナートは、食後のデルフィーナへ声をかけた。
アロイスだけが同席し、シッティングルームで午前のティータイムとなる。
そこでドナートからアバティーノ公爵について聞かされたデルフィーナは。
「そうなんですね」
あっさりと頷いた。
いつもの伝達事項と何も変わらない反応に、ドナートは一瞬戸惑う。
「本当に理解しているのか?」
「ええ、はい、多分。我が国で陛下と殿下方に次いで身分の高い方に、私が“稀人”だとバレた、ということですよね」
「まだ、お前だというところまではいっていない」
「でもアロイス叔父様との二者択一なら、もう確定しているも同じでしょう?」
小首を傾げた娘に、ドナートは否とは返せない。
「それで、その公爵様は、“稀人”に会うことを希望されているのですか?」
「おそらくな」
明言されたわけではない。が、貴族というものはどれだけ相手が“察する”ものかを常に試しているところがある。
アバティーノ公爵が口に上らせたのは、エスポスティの新商品のこと、コフィアのこと、家族のこと、そして<カカワトル>のこと。
それだけ重なれば十分伝わり、逆に気付かなかったふりをすれば、不興を買うことは必至。
「では会いましょう」
迷いなく言ったデルフィーナに、ドナートは眉根を寄せた。
「本当に分かっているのか?」
二度目の問いに、デルフィーナはやっと苦笑した。
「分かっていると思いますよ。……でも、命までは取られないでしょう?」
“稀人”の知識を求めるのなら、デルフィーナを害す心配はない。
むしろ、露見している以上、家族が人質のようなものだ。
どこにいても、公爵の手は伸びる。それだけ力のある人物だと、さすがのデルフィーナも知っていた。
子爵令嬢としての学びが、こんな風に生きるとは考えもしなかったが。
とはいえ、デルフィーナにはある程度の勝算があった。
教養の授業でアレッシア女史から習ったとおりなら、アバティーノ公爵は国力増強に力を入れている印象だ。
領地の運営を、上手く人を使っておこなっている。
そういった人は<どこ>に力を注ぐべきかを知っていることが多い。
気まぐれで他者を振り回すボンボンがそのまま育ったような盆暗貴族とは違うならば、交渉の余地はあるはずだ。
「海運業で利益をあげている方なんですよね。軍事面へのご興味はいかほどのお方です?」
「ああ、それはあまりない方だな」
海には海賊が出る。
しかし公爵の所有する船を狙うほどの莫迦はほとんどいない。偶然襲ったら公爵の船だった、という過去はあるが、その時の海賊は全て捕縛され、船も接収され売られて、今は民間で使われていると聞く。
そういった、海賊対策、陸地内での物資運搬面での必要な戦力は保持しているが、アバティーノ公爵はその立場ゆえ、あまりに多い軍事力を持つと謀反を疑われかねないと、軍部からも距離を取っている。
王家から嫌疑をかけられず、さりとて下位の貴族達に侮られず済む、ギリギリのラインを保つのはどれほど大変なことか。
異国、異大陸との貿易を優先する現アバティーノ公爵は、戦争で儲かるのは「当事者ではないもの」と知っている人なのだろう。
「それならば、私へ軍事的な面での知識をお求めになることは少ないと思います」
「であればいいのだがな」
アバティーノ公爵は逆にその立場ゆえ、有益な情報を得られるのなら、国に渡すためデルフィーナを絞りかねない。
ドナートはそう懸念しているのだが、デルフィーナはあまり心配していない。
そこは理解の深さの違いか、考え方の相違なのか。親としての心配が先に立ってしまっているのか、判然としない。
「どうあがいても既に露呈しているのならば、覚悟を決めるしかありませんわ」
デルフィーナは時に思い切りがいい。
それは、どうしたって思考に紛れ込んでいる、過去世の基準があるからでもあり。
商人として、博打を打つ時は打つ、という現世の性格でもある。
そんなデルフィーナの顔をひたと見つめると、ドナートはそっと頭を下げた。
「……隠し通してやれず、すまない」
絞り出すような声は、不甲斐なさに苛まれており、聞く方が心苦しくなるようだった。
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