110 ゆとり
エスポスティ商会には、製菓部門がなかった。
そもそも、菓子の種類がそれほどない。
砂糖は高級品で、麦芽糖の飴は施療院などを抱える修道士会が独占している。
はちみつも当然安くはない。
そんな中で、菓子を専門に扱う部門など、できようがなかった。
そのため、ロイスフィーナ商会とエスポスティ商会は、ぶつかることがない。
むしろ材料をエスポスティ商会から仕入れるため、ロイスフィーナ商会は得意先の一つとなっていた。
ロイスフィーナ商会は、この先もどんどん大きくなる。
それは少しでもロイスフィーナ商会に関わった、目先の利く商人には言わずと知れたことだ。
ロイスフィーナ商会が大きくなれば、エスポスティ商会にもまた恩恵がある。
ロイスフィーナの商会長達を知っている者なら、なおさら、喜ばしいことだと歓迎していた。
そんな中で、歯ぎしりしている男がいた。
オノフリオ、料理人である。
エスポスティ商会の経営する、富裕層向けの料理店で副料理長をしている。料理人としての腕は一流だ。
常に新しい料理を、新しい味を、より美味しい料理を、追求し続けている男は。コフィアで新作が出るたび、買って食べてはひっそり地団駄を踏んでいた。
「俺なら! 俺ならコレはもっとこう……!」
食べるたび、アレンジが浮かぶ。
美味しいが、美味しいのだが、料理人として、もっとよくなると感じてしまう。
作り方はわからなくても、食べれば材料はわかる。稀に本当にコレはどうやって作っているんだ? と謎しかない料理もあるが、それにしたって、アレンジできると思うのだ。
だがオノフリオの勤め先は、料理店であっても、製菓はほとんどしない。
材料となる砂糖は貴重で、オノフリオ個人で使っていいものではない。
試したくても、作ることさえできない。頭の中にはしっかりとアレンジが浮かんでいるのに。材料があれば、より良いものを作れるのに。
オノフリオは悔しくて仕方なかった。
「聞いてくれよ、昨日、やっとラーメンを全制覇できたんだ!」
「おお。お前通ってたもんなぁ」
料理の下ごしらえ――芋の皮むきなどをしながら、下っ端の若い見習い達がしゃべっている。
ラーメン店は、エスポスティ商会が少し前に出した飲食店のひとつだ。
オノフリオ達の店とは客層が違うが、あれはあれで美味しい料理だったとこちらの店の客にも好評で、オノフリオもたまに食べに行っている。
「そんでさ、新しいのは出さないのかって聞いたんだよ」
「ああ、あんまり変わらねぇもんな」
ラーメン店はメニューはいくつかあるが、自分でトッピングを選んで指定できるからか、新作はほとんど出してこない。
「どうもな、店が忙しくて新しいのを考えるゆとりがねぇらしいぞ」
「あー、そうだな、いつ行っても混んでるしな」
「他の店も同じ状況だろ」
新しいソースのレシピがもたらされてから、エスポスティ商会の飲食店、大衆向けの店は特に混雑している。
出始めた当初と比べれば落ち着いてきたが、予約制のオノフリオ達の店と違って、平民向けの店は大変なようだ。
「一番ひでぇのはカフェテリアだっつう話だけどな」
「あれだろ、エスポスティの坊ちゃんが始めた店」
「え、嬢ちゃんが始めたんじゃなかったか?」
「あれ? そうだったか?」
「まあどっちかわからんが、その店が一番ヤバそうだって話だぞ。店が休みの日でも甘い匂いがしてるとか」
「休みの日が休みになってねぇってか」
「あんだけ繁盛してりゃあ休めねぇよな」
「そのぶん、給料はよさそうだけどな」
「給料だけじゃねぇだろ、まかないも美味いって聞いたぜ?」
「ああ。元々まかないで出してたのが商会長の気に入って店で出すようレシピを買ったとかいう噂のアレか」
「そうそう」
聞くともなしに聞いていたオノフリオは、彼らの言葉で手を止めた。
「あー、腕がありゃオレもあっちに異動すんのにな」
「芋剥くよりクリーム泡立てる方が向いてそうだよなお前。不器用だもんな」
「うるせえよ」
そうか、その手があったか。
エスポスティ商会とロイスフィーナ商会は、別の商会だ。だが繋がりはかなり深い。
何せ親類縁者が開いた商会だ。商会長達は皆、同じ屋敷に住んでいると聞く。
ならば、なんとかなる。してみせる。
開店に向けた仕込みを続けながら、オノフリオは一も二もなく決めていた。
デルフィーナは、鍛冶職人の一人、アベーレと額を突き合わせて図面を見ていた。
元々は、秤の分銅などを作っている職人だったアベーレ。細かい作業、正確さを求められる作業が得意だった彼は、デルフィーナ発案の金属製品を任せるのに適していたため、近頃はアロイスやカルミネが間に入らずともやり取りするようになっていた。
もちろん、守秘の契約を初めに交わしてある。
デルフィーナについて漏らさないと同時に、製作物の権利は実際に作る職人にも持つことを保証している。
完成までの工程や試行錯誤の過程によって、完成品に対する権利の割合は変わってくる。この点は、デルフィーナは職人ありきだと思っているため、あまり主張する気がなかった。
だからほぼアロイスとカルミネに丸投げしている。
職人達も、発想がなければ作れなかったとして、譲る姿勢があるため――もちろん相手が貴族だからというのも大きいが――これまで揉めたことはなかった。
その辺の駆け引きは、さすがに大商会の会頭であるカルミネが抜群に上手い。
だからデルフィーナはひたすら物作りに没頭できる。
今、デルフィーナはオルゴールを作ろうとしていた。
まずはシリンダーオルゴールを作り、職人がオルゴールについて理解を深めてから、ディスクオルゴールを作ろうと考えている。
シリンダーの方がコンパクトで簡単な作りのため、実際に組み立てたことのないデルフィーナでも説明がしやすかったのだ。
ディスクの方は大がかりなぶん、多くの曲を聴くことができ、広い部屋でも十分に音色を楽しめる。
楽団を呼んだり配置できない部屋や会合でも、ディスクオルゴールがあれば演奏を楽しめるのだ。
先々はコフィアにオルゴールを置いて、お茶を愉しむ空間に音楽を流したいと思っている。
「では、この図案で作ってみます」
「ええ。まずは作ってみないと直すところもわからないわ。経費は気にしなくていいから、良いと思った金属で作ってみて」
「ハイ」
シリンダーを回す仕組みはそう難しくない。
作業自体としてはピンの長さや配置が細かいだけだが、美しい音色にしようとすると、どの金属が適しているのか、作ってみないことにはわからない。
この世界には、デルフィーナの知らない金属がいくつもある。金属については職人が詳しくても、新しい楽器としての最適解は未知。だから、実際作って音色の響き方などを検証する以外なかった。
さいわい、シリンダーオルゴールはそう大きなものではない。試作はそれほど小さくない大きさとなるが、莫大な量を使うでなし、デルフィーナからすればたいした額ではなかった。
(お金にゆとりがあるって、素晴らしいわ)
つくづくとデルフィーナは思う。
ドナートへ紅茶のプレゼンをした時は全くお金のなかったデルフィーナだが、今は潤沢な資金がある。
それを元にまた新たな物を作り、それが売れて資金が増え、また作って、とプラスの循環が出来上がっていた。
コフィアの成功だけではない。
あれやこれやと作っていた物のおかげで、デルフィーナの個人資産はかなりのものになっていた。
デルフィーナは知らないが、その資産は、田舎の領地持ちの男爵家や子爵家を軽く凌駕していた。
開発資金は別として、個人資産が増えたからには、やることは、ひとつ。
珈琲探しだ。
実家は果樹園で、王都で兵士をしていた、という男をカルミネが見つけてくれた。
アロイスが面談をして許可が出たので、デルフィーナは早速に契約を結び、今度は東大陸へと送り出した。
気候からすると珈琲があるのは南大陸ではと思うものの、チェルソが行っているぶん、後発で南大陸へ出すよりも、とりあえず一人、東大陸へ送りたかった。
これで更に余裕ができたら、もう一人、南大陸へ送ってもいいかもしれない。
その前にチェルソが見つけてくれれば、と願っているが。
プラントハンターが二人になり、デルフィーナの心のゆとりが前より少し増えた。
待つしかできないのはもどかしいが、前進しているのは確かだ。それが気分を和らげていた。
クラリッサのお守りの効果も実感できる。
デルフィーナのゆとりある気持ちと、潤沢な資金のおかげで、職人達ものびのびと試作制作に励んでいる。
しっかりとした笑顔で挨拶をして、人目を気にしながら屋敷を後にするアベーレの背を見送って、デルフィーナは次の予定へと向かうことにした。
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